フライト : 映画評論・批評
2013年2月19日更新
2013年3月1日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
境界線の曖昧な広がりを歩むデンゼル・ワシントンの姿こそ、アメリカ映画である
「アメリカが清らかだったことはかつて一度もない」と記したのは、「ブラック・ダリア」や「L.A.コンフィデンシャル」などの著作で知られるジェームズ・エルロイである。21世紀に入ってから「ポーラー・エクスプレス」や「クリスマス・キャロル」などの3Dファンタジーを撮り続けて来たロバート・ゼメキスが久々に手がけた2D作品「フライト」は、まさにそんな「清らかだったことはかつてない」アメリカの物語だ。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「フォレスト・ガンプ 一期一会」といったかつてのゼメキス作品を知る人なら、あっと驚くこの映画の冒頭。薄暗い部屋に窓からの鈍色の光が差し込み、その重い輝きが部屋の空気の澱みを際立てて、そこにいる男女の抱える人生の陰りが一瞬にして感じ取れる。そんなシーンはかつてのゼメキス作品にあり得なかったが、これこそが2D復帰のゼメキスの映画なのだ。
だから絶体絶命の飛行機トラブルを自らの経験と智慧と一瞬の決断力で救った機長が、一方で心の闇を抱えていたという設定は、結局どちらの側にも着地しない。知恵と勇気の人は心弱き人でもある。彼が選んだ余りに大胆な不時着方法を観たら、誰もが考える「真っ当な」道などどこにもないことを、私たちはそのゴージャスな恐怖とともに体感することになるはずだ。善と悪、白と黒の境界線の曖昧な広がりを歩むデンゼル・ワシントン。その姿こそ、アメリカ映画である。
(樋口泰人)