八日目の蝉のレビュー・感想・評価
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原作を軽く超えた脚本
映画は省略の芸術である、と言ったのは誰だったか。
時系列順に並べた原作では、エンジェルホームの下りが無駄に長かったが、映画では過去と現在を交互に描いている。
それ故に原作を大幅に省略することが可能になり、かつて自分を誘拐した女と同じ道を辿りつつある少女を上手く対比させることに成功している。
対比させることにより、少女は、女の感情を理解し、残してくれたモノを認識していく。
先に生まれた者が後から生まれた者に何を残せるか。
女は少女に、少女はまだ見ぬ我が子に…精一杯の愛情を与え、出来る限りの物を見せたいと願う。
七日しか生きられない蝉が自分が生きられない八日目に何を託せるか…「八日目の蝉」と銘打った秀逸なタイトルを見事に表現した。
本もいい!ドラマもいい!!映画は、もっといい!!!
2回今作を鑑賞して、
ようやく感情が落ち着いてきました。
1回目は、それほどまでに感情を揺さぶられてしまい、
感動なんて言葉では言い表せない、他人から見れば、
錯乱状態と言ってもいいかもしれないほど、自分の、
あらゆる感覚をコントロールできなくなっていました。
その証拠、1回目は
GW前半の鑑賞でしたので、
翌朝別の作品を見た出来事。
予告編は、なんともなかったのですが、
劇場が暗くなり、本編を前に、なんともいえぬ
静寂が訪れた時、本編が始まる前の真っ暗なスクリーンに、
今作の映像と音楽が映っているように見えて、思わず落涙。
当然、その作品には、集中しきれませんでした(苦笑)
◇ ◇
原作:クライマックス、通勤車中で感涙
NHKドラマ:檀れいさんの「薫」の声が、
今もなお脳裏に焼きつく。毎週、号泣。
ちなみに私の愛読雑誌では、このドラマを
2010年ベストドラマに選出しています。
そして、今作の順番を辿って、ここまで来ました。
短い予告編だけで、涙を必死にこらえてしまう。
ときには、あとで、始まる本編以上に感動していたことも。
そんなハイテンションの中、
1回目は誰も視界に入れたくなかったので、前方で、
2回目は全体を見たかったので、劇場のど真ん中で鑑賞しました。
★彡 ★彡
1回目:予告編でも使われた終盤港の俯瞰ショットは芸術品だな
2回目:あのセリフ、1ヶ所だけだったんだ。
前振りは自転車の乗り方だけじゃなくて、うつ伏せ寝もそうだったんだ
※作品全体については、皆様が書かれていらっしゃいますので、
もしかすると、若干、個人的(ディープ)な方向に向かうかもしれません
1回目。
作品のカギを握ると注目していたのは、
小池栄子さんと、森口瑤子さんのお二人でした。
井上真央さん自体が能弁な設定ではありませんので、
そのお二人が、井上真央さん演じる恵理菜さんの感情を
近しい者のセリフで、観客にわかるように浮き彫りにできるかが
重要なポイントになると見ていたのです。
結果は、スタンディングオベーションものですね。
小池栄子さんは、図々しさと気弱さといった相反した
役柄だったのですが、恵理菜の感情を浮きだたせるだけでなく、
二人が幼少のころにいた某ホームの異常性と、そこにいたが故の
悲哀も浮きだたせてくれていました。他にも、あるのですが字数が(苦笑)
森口瑤子さんは、恵理菜くらいの年齢の母親には
ちょっと若すぎるかも、と懸念もしていたのですが、逆に大成功。
恵理菜が、森口瑤子さんにあることを告げるシーンが、
井上真央さんのクランクイン後、初シーンだったのですが、
そんなこと、指摘されるまで、気がつかないほど、井上真央さんの
演技を陰陽の対になって立体感を与えています。ちなみに、私は、
このシーン、井上真央さんの仕草が、一瞬マリア像のある姿の重なりました。
◇ ◇
2回目。
自然に、1回目で気になったことや、
細部を、じっくり見ていくこととなりました。
動きの前振り。
1回目に気がついたのは、
自転車の乗り方と夜空の星の見上げ方の2点だけ。
血は繋がっていなくても
母子の癖は似るんだ、と、
周りが静かな中、一人号泣してました。
今回、気がついたのは、
冒頭にも書いたうつ伏せ寝。
1回目は、そのあとにくるシーンの
井上真央さんの色気のなさと寝方に疑問が
あったのですが、個人が持つ寝方の癖とわかるような前振りがありました。
2回目、確認したかったのはあと2点。
・幻聴でなければ1回だけ成人の井上さんに薫と呼びかけている
・井上さんが方言を使うタイミング、回数、表情
上は、幻聴のような、幻聴でないような結果でした。
きっと、感情が昂ぶりすぎて冷静さを欠いていたんでしょう。
下は、もっと使っているかと思っていたのですが、1回だけでした。
それが、記憶を取り戻す、中押しのシーンになっていました。そのあとは、
一切、方言は使いません。それが、無意識でふと出てしまったことを表す
人間の特性になっています。ここは、仮に外国で字幕で表示された場合は、
表現仕切れないと思いますので、関係者の皆様、工夫をしてもらいたいです。
★彡 ★彡
1回目も2回目も涙が止まらなかったのは、エンドロール中。
恵理菜が伝えたいことが、
中島美嘉さんの歌詞につまっています。
“あなたに名前を呼んでほしくて
はじめて声をあげ泣いたよ“
ここなんて、フレーズを聞いた、
こっちこそ、涙涙でございます。
5点以上なのですが、
5点が上限なので、5点にします(大満足)
小池栄子がいい演技している
劇中、八日目の蝉は幸せなのか不幸なのかという議論があり、
不幸なのではないかとの結論になった。理由は、普通、蝉は7日目で死んでしまうので、1日長く生きながらえても、誰もいなくなった世界でたった一人生きても意味がないという理由だった。
そこでちょっと疑問に思ったのは、同じ日に生まれた蝉なら8日目には自分しかいなくなるかもしれないが、自分が生まれた後に生まれた蝉とは8日目になっても一緒ではないかと。
映画ではその後に別の結論に達して、ラストシーンへとつながっていくことになります。
子供がでくるとどうしても泣かせられてしまいます。
小豆島のきれいの風景と小池栄子の演技が巧かったのが印象に残りました。
他の人と違う景色が見れるかも
原作を読んでから観た映画。
原作と映画はほぼ変わらず、満足できる内容だった。
原作が暗い内容だから、見た後にハッピーにはならない。
”ほかのどの蝉も七日で死んじゃうんだったら、べつにかなしくないかって”
”だってみんな同じだもん”
”なんでこんなに早く死ななきゃいけないんだって疑うこともないじゃない”
”でも、もし、七日で死ななかった蝉がいたとしたら・・・”
”仲間はみんな死んじゃったのに自分だけ生き残っちゃったとしたら”
”そのほうがかなしいよね”
まったく、その通りである。
原作を読んだ人にも
臨終の蝉よ世の美しさを唄え
観よう観ようと思ってたのに何故か毎週都合が合わず、
公開から随分経ってようやく鑑賞。
さて本作、
現在と過去とが巧みにリンクする後半の畳み掛けは見事だが、
中盤やや冗長だったかな。
あと映画の雰囲気から浮いてる場面や人物がいる気がする。
特に“天使の家”のエピソードはちょっと異様な気がしたなあ。
(余貴美子が映画『サイレントヒル』のアリス・クリーグに見えた。怖い……)
けれど主人公の希和子と薫(この呼び名で統一させていただく)の
奇妙な絆には、心を強く強く揺さぶられた。
希和子のあの行為が正しいとはとても言えまい。
同情の余地はあれど、やはり身勝手極まりないと僕は思う。
だが彼女が娘に与えた愛情は、真っ直ぐで綺麗な本物だった。
人間てのは厄介だね。
薫の実父母もそうだったが、
単純に善か悪かで括る事ができない。
満天の星、夕焼け、広い海、暗闇の中の灯火、または歌、詩、絵画、
僕らはどうしてそれらに触れた時に“美しい”と感じるのか。
どうしてそこに、生きる事の価値を感じ取るのか。
理由は知らないし、知る必要があるとも大して思わない。だが、
世界には確かに“空っぽのがらんどう”な人生を
価値あるものだと信じさせてくれる美しいものがある。
そして誰もが、それを大切な人に伝えたいと考える。
この世はこんなに美しいもので溢れてる、と。
だから、
この美しいもので溢れた世界に生を受けたあなたは
決して無価値な存在なんかじゃないんだ、
空っぽのがらんどうなんかじゃないんだ、と。
僕は最初、『八日目の蝉』とは“特殊な境遇”に
置かれた薫の事を指していると考えていた。
しかし“蝉”とは希和子の事ではと考えた時に、
ようやくこのタイトルと物語がカチリと噛み合ったように思えた。
いつ果てるとも知れぬ娘との絆を必死に繋ぎ、娘にありったけの
“美しいもの”を伝えようとする彼女の姿は、
とっくに臨終の時を迎えた蝉が、
それでも死にもの狂いで生命を繋ごうと啼くイメージとダブるのだ。
どんなに辛い境遇に置かれた人間でも、
人生を価値あるのに換える美しい感情を
知ること・伝えることはできる。
愛し方が分からないと泣いた娘にも
それはしっかり引き継がれていた。
監督の前作と比べるとややまとまりが悪い印象を受ける本作だが、
それでもこの映画には、胸の奥底をズドンと揺さぶる感動がある。
良い映画でした。
<2011/5/28鑑賞>
はらはらどきどき
七日目でイイ
本意で見に行ったわけではなく(別のが見たかった)、あまり期待をしていなかったのだが、良い意味で大きく裏切られた。
タイトルの「八日目の蝉」というのは、翻って、「他の人とは違う人間」、「他の人とは違う人生」という比喩のようだが、この作品を見ると、改めて自分が「七日目の蝉ど真ん中ストライク」の人生を送ってきたことの幸せを感じさせられる。不意に他人の「苦労話」なんかに憧れてしまうこともある自分を一喝。
作中では“八日目の蝉”の苦労と希望を共に描いてはいるようだが、どうしても「苦労」や「痛々しさ」ばかりが感じられ、“八日目”達全員が哀し過ぎる。
それでもこの作品がわりと清々しく感じられ、暗くなりすぎていないのは、主演二人の好演はもちろん、後半に風吹ジュン、田中泯(毎度あの雰囲気はズルい)あたりが出てきて、物語をギュっと引き締めてくれる点や、途中多少間延びしているように感じられる場面さえも、それが後々しっかりと意味を持ち、バッチリ効いてくるところだろうか。
(近年の四国各地域のフィルムコミッションの頑張りを勝手に感じてしまいました。小豆島是非行ってみたい)
また、全体のバランスも“動”の前半と“静”の後半といった感じでうまく配分されていて単調でない。
何より、スッと気持ちが入り、自然に泣かせてくれる無駄のないラストは秀逸。
そして改めて、改めて改めて痛感する。母強し・・・と。
育ての愛
ガラス細工のような映画
余韻が残る映画
ここ十数年、映画館で映画をみることがなく、昨年から松竹の株主になったので、新宿ピカデリーで邦画をみだした全くの俄か素人ファンの感想です。
いろいろ見方はあるでしょうが、私は単純に泣けた映画です。2時間強の上映時間も退屈しませんでした。
オカルト風の場面はさすがに「アチャー」と思いましたが、4年間逃げ通せたというストリーにするためには、仕方ない設定だったか。
ラスト、長い空白の後、親子対面の場面があるのかと気をもたせたが、そのままエンドへ。かえって余韻を残した気もする。
原作も読まず、出演者もチェックしないでみたので、ライター役が小池栄子だとは最後の字幕でわかった次第です。これまでバラエティ中心の巨乳タレントと思っていたので意外でした。
永作さんメインにしてれば評価上げですが・・・
少し長いかな…
八日目の蝉見てきました。
永作さんや井上さん、また小池さんなど主要キャストの演技はよかったと思います。ただ見ていて思ったのですが、全編で2時間以上あり、あまり展開がないままずっと続いていくので少し長いなぁと感じました。個人的にはあのカルト団体のところのくだりはもっと短くした方が展開がスピーディでよかったかなぁと…。あと映画のポスターや宣伝文を見て、サスペンスだと思って見ていたので、最後に何かビックリするオチがあるのかなと思っていたのですが、そういうのがなく終わってしまって少しびっくりしました。見終わってから実は人間ドラマだったんだとわかって、それはそれでよかったのですが、少し当初の想像と違っていたなぁと…。
少し否定的な意見ばかり書いてしまいましたが、泣けるポイントもいくつかあり(特に家族愛、親子愛に弱い人にはぐっとくるはず)そういう映画を見たい人にはお勧めかもしれません。
八日目には何があるのか?そして、蝉とはだれか?
恵里菜(=薫)の人格はどこで育まれたか?
4歳で自分の親が入れ替わった恵里菜にとって、希和子は憎むべき犯人か、それとも育ての親か、無意識のうちに忘れようとしていたものが、千草(小池栄子)の出現をきっかけに紐解かれていく。この作品は、記憶から消えていた自分の過去を取り戻していくロード・ムービーの形態を取る。
過去と現代を交互に描きながら恵里菜と希和子の4年を辿るが、千草が何者なのか正体がなかなか明かされないじれったさも混じえて飽きさせない。糸を手繰るような編集がうまい。
カメラも構図やフォーカスにうまさを感じるが、プリントのせいか色彩がやや偏り気味で、瀬戸内の美しさを十分に楽しめなかったのが残念。
小豆島でのイベントのてんこ盛りがややご当地フィルム的なのが気になったが、島での生活が恵里菜(=薫)の人格育成に果たした影響が大きかったと汲み取れる。後日、自転車の乗り方がそっくりなところは紛れもなく母子である。
誘拐という行為は許されるものではないが、おおらかで明るく、自分を見失わない恵里菜の人格は希和子が育てたと言っていい。
自分の過去と向きあう勇気を取り戻した恵里菜は、きっと強く優しい母になることだろう。八日目の未知の体験が始まる。
本篇終了後、暗転してからエンドロールが始まるまでの間のとり方が絶妙。
成島出という監督さん、「孤高のメス」といい実直な人と見受けられる。作品から人に対する優しさと思いやりが感じられる。重いテーマをサラッと描き、それでいて余韻を残す。
おかあさんの為の映画、女性のための映画
原作も読まずに見に行きましたが秀作と感じました。
井上真央、永作博美の主人公はもちろん
森口瑤子、平田満、余貴美子などなどベテランさんも
当たり前に作品にはまっていて、アラを探すのは
難しい良い作品です。
最近女優さんとして評価があがっている(?)小池栄子も
少しおかしいジャーナリストの卵役を好演してましたし
壊れた女性を演じると怖すぎる森口遥子も相変わらず
怖すぎました。
話の流れは過去と現在が同時に進みますが
過去は小道具やニュースなど少し前の
現実がリアルに描かれていて40代の自分には
興味深いものでした。このあたりに手抜きはないです。
全般的に丁寧に作られているヒューマンドラマなので
飽きることなく最後まで見ることができましたが
生んだ子供、育てた子供、家族、絆という問題になると、
独身男性の俺では共感するには難しい内容となりました。
おかあさんの為の映画だと思います。
なので星は4つにさせてもらいました。
幸せになれる
はじめはあまり興味ありませんでしたが、評価が良いので観てきました。
日本映画の良い部分が出た良作でした。
特にラストシーン。彼女は大人達に振り回さた被害者だと思うんですが、結果、誰よりも人を愛する事、愛する喜びを知る事が出来た。
きっとこれから、つらい事も沢山あると思うけど、彼女なら乗り越える事ができると思います。
役者も皆良かったです。
井上真央ってテレビ的スケールの役者だと思っていましたが、あんなに抑えた演技ができるなんて、驚きました。
後、小池栄子。前から何気にうまい役者だと思ってましたが、今回は更に進化した演技をみせてくれます。
自分も昔、あるカルトを取材した事があり、そこから抜けた後で苦しんでいる人を沢山見てきましたが、そこをリアルに演じてました。
ある意味、この映画のキーパーソンになっています。
最後に劇団ひとりは唯一のミスキャスト。お笑いの人は演じていてもコントにしか見えません…
本当の正しいことってなんだろう
永作博実の演技がとても上手かった。
誘拐することはもちろん悪いことだけど、ただ悪気もなく好きになっただけだと思うと何が悪なのかわからなくなってしまう。
誘拐されてたとしても、
あれだけ子供がなついていて愛情があるのだから
そのまま育てたってしあわせだったのではないか?
本当の幸せは法律通りにすることなのか?
と考えさせられた。薫ちゃんのときの方が幸せそうにみえた。
不倫はやはり最悪だと思った。
結局自分が傷付くだけ。
この人だけ守れれば自分はどうなっても良いと思えるくらいの人に私も出会いたいと思った。
「八日目の蝉」→他の人が経験してないものは、最悪なことなんじゃなくてもしかしたら本当は素晴らしいことではないのか、他の人は体験できないような素晴らしいことが起きるのではないか。
終わり方が微妙だった。
かおるとお母さんが再会してほしかった。
八日目もその先も。
原作も、NHKドラマの方も見ておらず、
まったく白紙の状態で劇場へ…レディースデイのせいかほぼ満席。
どうだろうかと思いつつ、ほぼ中盤からは涙と鼻水がツツーっと…
今作は内容的に、どのキャラクターにも感情移入できる立場を設け、
もし自分がこの人の立場だったら…を考えさせてくれる。
とにかく辛いのは、やはり、子供だろうか。。
私がいちばん移入できたのは誘拐された娘、恵理菜=薫だった。
大人の犯した過ちを一手に担い背負うのはこの子である。
生まれてすぐに自分の傍で愛情を注いでくれる人を母親だと思う。
人間の子供でなくても(例えば動物でも)それは同じだ。
健やかな愛情は何にも代えがたい。それがあって、子供は成長する。
善悪を問うと限りなくなるが、この子の場合、最も嫌悪すべきは
まず父親、その愛人だった希和子、愛を注げない母親。となるが、
心でいちばん受け止めたいのはおそらく母親だろう。
いちばんの苦しみは、夫の不倫やら愛人の誘拐劇やら、そして自分の
子供に懐いてもらえない絶望…女に生まれてこんな体験をするなんて。
すでに精神を病んでいるとしか思えない実母の行動は(森口瑤子熱演!)
なぜか希和子を被害者だと思わせるほどの恐ろしさだが、ではもし、
自分が彼女の立場だったら、普通の精神状態でいられるだろうか…。
家に子供を放置した自分を責め、そもそも不倫に身を投じた夫を憎み、
果ては幸せの象徴であったはずの子供まで、愛人共々恨んでしまう。。
こんな母親に傍にいられたら、子供は…一体どうしたらいいのか。
私は恵理菜が「ごめんなさい、ごめんなさい。」と謝る姿に涙が出た。
母親の心を掻き乱さないように、この子は貝のように口を閉じていく。
誰が、誰の傍にいても、哀しくてやりきれない。本当の家族なのに…。
その暗い現在と行き来して過去の回想が流れてゆく。。
逃亡の末、辿り着いた小豆島では二人にとって穏やかな日々が続き、
観ている側にも、このまま時が流れて二人が幸せになってくれたら…
などと思ってしまうほどの説得力がある。実の親子ではない二人に、
ずっと笑顔でいて欲しいと願ってしまうのである。どうにもここまでが
波乱に包まれているため、もういいから、お願いだから、と何故だか
母子を弁護したい気持にもなるのである。この不思議が分からない。
希和子という女性も、勝手極まりないのは事実、不倫も中絶も自分の
決断で行った(最終的には)のだから、子供を抱けないのは自業自得。
でも…母性というのは他人の子供にまで及ぶことを、今作では実際に
描いてみせてしまうのである。それが説得力を帯び、より切なさを増す。
もしも彼に出逢わなければ、彼の子供を身籠らなければ、彼女もまた
普通に恋愛、結婚し、幸せなお母さんになれていたかもしれない。
おそらく子供好きであろうその姿に、子供のいちばん欲しい顔がある。
愛情は…どんなに受けても受けすぎだとか貰いすぎだというのはない。
たくさん貰って、たくさん吸収して、子供はどんどん成長するのだ。
最も可愛くかけがえのない時期を愛人に盗られてしまった母親だが、
娘は父親と同じような人間を好きになり、果ては希和子の立場となる。
…これもまた。なんて言ったらいいのか。更に気が狂いそうな展開。。
しかし娘は、違う選択をとる。つまり母性を自分の子供に注げる立場で
貫こうと考えるのだ。もう誰も苦しませ、哀しませないで、済むように。
(でも子供はまた同じように疑問や苦しみを味わうだろうけど)
蛙の子は蛙。とはよく言ったもので、娘は父と同じような男を夫に選ぶ。
こればかりは、、、親にはどうすることもできないことかもしれない。
切なく哀しいことばかりがフォーカスされる展開かと思いきや、
母親の愛情をたっぷり受けて育った子どもの未来が決して暗くはない
ことも明示する。身を寄せたホームで女だらけの暮らしを余儀なくされた
ことで男性恐怖症に陥った千草を演じる小池栄子が抜群の演技を発揮、
彼女とまた出逢ったことで転機が訪れ、恵理菜の運命は大きく変わる。
過去と対峙するのはかなり勇気がいることだったろう。
だけどそこを乗り切ることで、自分が決して虚ろな立場にいないことや、
幸せの果てに課された責任を実感できたと思う。まだまだこれからだ。
七日で死んでしまった蝉には見えない未来が八日目には広がっている。
(どこまでも母性を問う展開に、男性陣は立場がない状況ですね^^;)
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