わたしを離さないで

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わたしを離さないで

解説

「日の名残り」で英文学界最高峰のブッカー賞を受賞した、日本生まれのイギリス人作家カズオ・イシグロの同名小説を、キャリー・マリガン、キーラ・ナイトレイ、アンドリュー・ガーフィールドの共演で映画化。監督は「ストーカー」(2002)の新鋭マーク・ロマネク。外界から隔絶された田園地帯に佇む寄宿学校ヘイルシャムで学ぶキャシー、ルース、トミーは、絵や詩の創作活動に励みながら、“特別な子ども”として育てられた。18歳になってヘールシャムを出た3人は、農場のコテージで共同生活を始めるが、ルースとトミーが恋人同士になったことで友情が崩壊していく。

2010年製作/105分/G/イギリス・アメリカ合作
原題または英題:Never Let Me Go
配給:20世紀フォックス映画
劇場公開日:2011年3月26日

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(C)2010 Twentieth Century Fox

映画レビュー

3.0魂の有無と愛の証明ですか

2012年1月25日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

怖い

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しんざん

4.0静かで悲しいお話。

2024年2月11日
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鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

静かで悲しいお話。

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め

3.0何故 抗う者を描かなかったのだろう

2024年1月21日
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鑑賞方法:VOD
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ナイン・わんわん

3.0あまりにも悍(おぞ)ましいシステム

2023年12月25日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば> 執拗な破壊工作と戦うのは、容易ではありません。私たちを排除しようとする勢力です。 進歩的な考え方を排除しようとするのは、人間の常。 彼らは根拠のない価値観と、固定観念を尊ぶのてす。 キャシーやトミーや、そして、ニーナのような、臓器提供のためのクローン人間を産み出したのは、もちろん臓器の提供を望む数多くの患者があってのことでしょう。 (需要があるから供給が行われる…例えとし適切ではもしなかったら、ご海容をお願いします。) 延命のために治療を受けることは、もちろん悪ではありませんし、実際、亡父、亡母の余命を知らされたときも、「もう充分に生きたから」という彼・彼女の言とは裏腹に、打つ手があるなら何でも打って、一日でも長く命脈を保って欲しいと願ったのは、他ならぬ、当の評論子でしたから。 ましてや、本人が、臓器の提供を受けられれば命脈を保つことができるとも知り、それを切望するとともに、一日も早い臓器の提供を望むことを、とうてい非難することはできないー。 本作の設定で、ヘールシャムでなどで行われていたとする取組みは、確かに、ある意味では「進歩的」なものだったのだろうとは思いますけれども。 しかし、これは人のなすべきことではなく、もはや神の領域に属する事柄のように思えてなりません。評論子には。 (別に評論子は宗教的なに信心深いとも思いませんけれども。) そして、これを「先端的な取組み」というには、あまりにも、おぞましさを禁じ得ません。 (その意味では、冒頭の「映画のことば」は、けっして賛同の意味ではなく、言ってみれば反面教師的な意味合いで拾わせてもらったものになります。) そんな矛盾(?)にも思いが至ると、本当に胸が張り裂けそうな気持ちにもなります。 本作を観終わって。評論子は。 カズオ・イシグロが描く世界を作品として観たのは、おそらくは、これが初めてだったと思います。評論子は。 作家としての彼が描く世界というのは、こんな世界なのでしょうか。 他の作品も観てみたいということで、食指を動かされた作品でもありました。評論子には。 映画作品自体としては、佳作ではあったと思います。評論子は。 (追記) 介護役として提供者を見送る者も、やがては提供者となる立場の者。そういう立場の彼ら・彼女らから介護人を選んでいたのは、おそらくは、その「任務」の重圧には、普通の神経の持ち主(クローンではない普通の人間)は、精神的に耐えられないものだからということなのでしょう。 そういう非人間性をということでは、ナチスによってまさにガス室に送られようとするユダヤ人たちの世話係=ジェンダーコマンダーを(支配階層であるドイツ人にではなく、やがては自らもガス室に送り込まれる同じ運命が決まっている)同じユダヤ人にさせていたことを、評論子には、まざまざと想起されました。 (追々記) <映画のことば> 私にも通知が来た。最初の提供は1ヶ月後だという。 ここには、過去に失ったものが、すべて流れ着く気がする。 もし、それを信ずるなら、ここで待てば地平線の果てに人影が現れる。そして、近づく人影はトミーだ。 彼は手を振り私を呼ぶ。 その先は、想像しない。したくない。 トミーを知っただけで幸せだった。 私は自分に問う。私たちと私たちが救った人々とに違いが?皆「終了」する。「生」を理解することなく、命は尽きるのだ。 ネットを見ても、本作の邦題の意味については百家争鳴の感がありますけれども。 しかし、もっともっと生きて、もっともっと愛したかったトミーから「私を(引き)離さないで」という意味に受けとることができました。評論子には。 (追々々記) 本作は、別作品『綴り字のシーズン』の監督さんの手になる一本でもありました。 あまり多くの作品を発表している方ではないようですが、本作も『綴り字…』と同様に、心に残る一本にはなりました。評論子には。 残る未鑑賞一本である『ストーカー』(2002)も、そう日を置かないうちに鑑賞したいものです。

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