「NOと言えない人々」。
この映画は長姉哀史ですよねぇ。
「NO」を声に出して言ってみる練習のシーンが、とーっても良かったです。
あれがこの作品の核にして頂点でした。
口も喉も そしてか細い心も、小さい時からずっと「その言葉=NO」を発声することに慣れていない長姉ジェーンに、新聞記者のケビンが繰り返し、笑顔とリラックス療法で、ゲームのようにして練習させて言わせてみる「NO」のWord。
「NO」がどれほど人間にとって大切な意思表示であったのか、あのパブでの温かなシーンは私たちに教えてくれます。
ジェーンは、人間関係を上手く回すことに長けていて、その実、性格上、きゅうきゅうとしていて、
でも泣き言とか文句とか、ましてや疲れたとか、自分を表に出して逃げる事とかは出来ない。
“影の黒子”で“便利屋”でいることを、いつの間にか至上の喜びと感じてしまう。自己規定しまう。
そういう損な人種=長姉ジェーン。
まるで研ナオコの「愚図」そのものですよ。
わがままな妹と、耐える姉ちゃんのドタバタ劇ではありましたが、観る側の僕にとっては他人事ではなかったです。
「兄弟・姉妹間のおのおのの生来の性格の違い」については、僕自身も兄弟間で苦しみ、又 うちの子供たちのあり様についても少なからず悩んできましたからねー。
「不機嫌な長男・長女、無責任な末っ子たち」というカウンセラーが書いた面白い本を取り寄せて読んだこともあります。
あの本で、自分の「徹底して他者に仕えてしまう性格」とか、我が妻や、我が弟や、うちの娘息子たちの「理解に苦しむ無神経な性格」とか w
実に目からうろこでした。ようやく合点がいきましたね。
第一子である長姉や長男の立場の皆さんならば、この主人公ジュリーの気持ちは まるで我が事のように、痛いほどに分かるのではないかな?
そして妹や弟に対して感じていた苦々しい思い出やら、永く背負ってきた徒労感やら・・
それがすでに過去のもので、とうに彼らから開放されていて、もうすでに長い時を経てはいても、この映画を観ていりゃあ自分の歩んできたかつての「いいように使われて馬鹿にされてきた奉仕者」としての自分の道のりが、苦い胆汁のように胸元に込み上げてくるはずです。
だからね、
「NOと言ってみる訓練」。
あれは本当にいいシーンでした。
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【おまけ】
この映画を観ていて、
思い出した「結婚式の大失敗のエピソード」が!
僕は、同僚の披露宴のために、お祝いの歌と楽器の演奏を用意して備えていました。
時間ぎりぎりまで地下駐車場で練習をしていたのですが、(何ということか!) 開始時刻を1時間間違えており、慌てて受け付けに飛んで行くと、すでにぶ厚いドアは閉じられていて誰も廊下にはおらず。薄暗い廊下はシーンとしている。
宴会場からは司会者の声らしきものが漏れ聞こえてきます。
今さら遅れて入れませんが、何とか 賓客の迷惑にならないようにと、こっそりと一番後ろのドアから身を滑らせて忍び込もうかと扉を開いた瞬間
・・え”ーっ!?
こちらを観るたくさんのフラッシュの光とカメラを構えて迫る人々の顔、顔、顔。全員がなぜか僕を見てるし・・
そうです、「最後尾のドア」だと思って開けた扉は、いままさに御色直しの新郎新婦が華々しく登場するための、司会者が拍手で指し示すステージの中央ドアだったのです。
やっちまったーッ!!
遠くで同僚たちが《馬鹿ー》と無声で言いながら激しく手招きしているのが見える・・
(笑)
結局、お陰さまで、 我が出し物の演奏と歌はまったくアガらずに出来ましたね。
スクープ写真ですか?100台くらいのカメラにすでに連写されているので。
公式ビデオにも写されていますので。
ま、有名人ですね、おいらw
ブライダルサロンの 何でも屋さん=ジェーンの孤軍奮闘の頑張りが、長男の僕には何とも言えず親近感があってね、あの悲しい性癖にも身に覚えがあってね、
なんだかとっても沁みた映画でしたよ。
死蔵していた思い出の「自分への慰めのご褒美」=27着のドレスは放出して誰かにくれてしまって、会社も辞めてしまったラスト。
後先考えずに壊してみることって、長女の彼女には大事だったんです。
対極にある映画として面白いのはジム・キャリーの「イエスマン」。これもオススメです。ぜひ。