フェリーニのアマルコルドのレビュー・感想・評価
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エム・エルコルド(私は覚えている)‼️
少年の成長を描いた素晴らしいノスタルジア映画‼️分かり易さで言ったら、フェリーニ監督作の中でも一、二を争う名作ですね‼️1930年代、イタリア北部の港町の人々の生活が描かれます‼️憧れの年上女性に相手にされず、若い娘の巨大な乳房に恐れをなす少年、ファシストにいじめられる父、精神病院に入れられてしまう叔父、少年を庇った母は寒い冬に死んでしまい、春には年上女性が軍人と結婚、少年たちは精いっぱい明るく彼女を祝福する・・・‼️雪の中で羽根を広げる孔雀のシーンの美しさ、そして豪華客船を見物する夏の夜のシーンの、その幻想ぶりはホントに胸に沁みます‼️ファシズムの黒い影も感じさせはするんですが、作品全体としては押し入れから出した昔のアルバムをひもとくような感じで、「サテリコン」や「ローマ」もいいんですけど、やっぱりフェリーニ監督だったら今作のようなノスタルジックで心温まる映画の方が私は好きですね‼️
映画は自由であるべき、と教えてくれた。
映画館で観たとき「これが映画だよ、君」 というメッセージを受けとった。 フェリーニ監督の少年の頃の思い出。 ある春の日から、次の春の日までの1年間の物語。 ここには普通の人間はひとりも登場しない。 そのデフォルメされた人々の暮らしが魅力的で 鑑賞後には本当であって欲しいと思ってしまうほど。 本当の人生や個人の思い出? そんなのを映画にしたってツマラナイだけ!! そうだろ?君。だから味付けは大切なんだよ。 思い出なんか美しくもない、拒否すべきだよ。 と、監督は云う。 ニーノ・ロータの楽曲も素敵すぎる。 ※
あのマジックは何処へ?
深夜の大型客船のシーンや、早朝の霧の中、詩的な雰囲気で現れる牛のシーンなど、いかにもフェリーニな感じの、期待していたとおりの映像は出ては来るのだが、もうこの頃に至っては、嘗ての人間離れしたマジックが消えかかって見えるのは私だけだろうか? 暗闇から大型客船が現れて皆んなが熱狂するシーンなどは、あの圧倒的な客船をもっとゆっくり長回しにした方が効果的だった気がする。 オリジナルの予告編を見た時には傑作にしか見えなかったので、フィルムの素材自体は良かったのだと思う。 改めて編集し直せば、もっと良くなったかもしれない。 音楽のリミックスみたいに出来れば、やってみたいもんだ。 パブリックドメインにならないかな? あと俳優たちに関してだが、これ以前の作品のマストロヤンニや、アニタ・エクバーグ、アヌーク・エーメ、あるいは、ジュリエッタ・マシーナたちと比較しても酷なのかもしれないが、ちょっと魅力に欠けていた。 女優陣に関しては演技指導も甘かった気もする。 フェリーニは全作品を見た訳でないが、長編作品としては、やっぱり「8 1/2」がピークだったのではと思う。
フェリーニの最高傑作!!
冬の噴水に降り立った孔雀の静謐。あの、どこまでも巨大できらびやかな客船の灯り。それからラストシーンで、みんなの上に平等に降り注ぐ日の温かさ。恐らくすべての人にとって、嘗ていちばん大切だったはずのものが、フィルムに焼き付いている。
超猥雑で、軽妙洒脱。
綿毛が春の到来を告げ、冬の終わりを告げる祭りが始まる。 そして、再び綿毛が舞うまでの1年間。 ある一家、特に長男チッタを中心に話が展開するが、様々な人のエピソードが雑多に点描される。ゆる~い起承転結はあるが、街の日常を描いた作品。 ただそれだけ。 街の歴史等の解説は入るが、登場人物の解説はない。 他の映画なら15分で飽きるのに、この映画は飽きない、最後まで見せ切る。ロータ氏のメロディに乗せられて、なぜか目が離せなくなる。 異国、かつちょっと前の時代の、ファシズムの影はちらつくが、ごく普通の生活の風物詩。 随所に出てくるおならネタ。お尻ネタ。それから、それから。『週刊ジャンプ』等で炸裂する、男児が好みそうな小ネタの数々…。子どもと見ていたら焦るかも…。 15歳の長男とその学友達の思春期エロ目線・妄想、憧れ、経験、いたずら。初恋。 風刺化された教師達の授業が笑える。 ファシズム。それにまつわるエピソード。 豪華客船。 嘘っぽい不思議なエピソード。 季節ごとのエピソード。 葬式。 結婚式。 この映画では、精神障碍者・視覚障碍者・低身長な方々も、扱いは雑だが、そこに暮らす人として出てくる。排斥しない。おじさんのエピソードは強烈だが、家族の一員。突き放しているようでどこか温かく、可笑しい。 幾人もの主要人物?とみえる人物が登場し、その彼らがお互い関係している関係もあるけれど、単に並列的に登場し、映画全体の筋を追うと混乱する。 そんなエピソードの羅列で、つなぎが唐突に見える個所もあるけれど、 喧噪だらけだったキッチン兼ダイニングの火が消えた様は胸にグッとくる。 エピソードも、人々の心の動きを活写しているところ、 ダンスや演劇のように凝った演出のシーンと、一つ一つテイスト、アングルが違う。 特に、まったく雰囲気が異なる霧のシーンは、影絵のようでもあり、幻想的な世界に連れていかれる。 そのあとに続く、少年たちのダンス、チッタの妄想のような体験、病気、幻想的な孔雀、病院、葬式。そして春の到来、ラストのシーンの展開に惹きつけられる。 15歳長男チッタが青年に見えて、ちょっと無理があったような。でも、演技は15歳っぽい。そのギャップが惜しい。 他の役者はみな、見事。特にチッタの両親の喜怒哀楽。 そしてヴォルピーナが、福祉が整っていなかった頃はああいう方も街でああやって暮らしていそうで唸ってしまった。あれ、演技だよね。 解説によると、『アマルコルド』は「私は覚えている」という意味(監督の故郷の既に使われなくなった言葉がなまったもの)とか。監督の少年時代?夢?の映画? 喜怒哀楽、人生にはいろいろあるが、季節は巡る。 そんなことを思い出させてくれる。
夢の中のような不思議な世界観
フェリーニ監督作は今回が初めてです。 フェリーニ監督の故郷リミニ地方を舞台にしたある一家の一年の話。 本当に美しく、温かい映画でした。 綿毛が飛ぶと春が来る。 1年間色々あったけれど、最後も綿毛を飛ばして締めたのが素晴らしかったと思います。 炎と魔女、海と船、霧と牛、雪と孔雀。 どのカットも画になります。 登場人物たちも皆非常に個性的でした。 代表的な存在のグラディスカにひどい暴言が飛び交うけれど愛の感じられるチッタの家族、盲目のアコーディオン弾き、たばこ屋の巨乳女。 悪ガキたちもどこか憎めない。 少年たち(もしくは少年のような大人たち)のスケべ的なところもなんだか美しく尊く感じます。 街並みも綺麗でイタリアに行ってみたくなります。 途中まで、戦争の前後の話だということがわからなかったのですが、途中でファシスト党のパレードが街に来るなど、戦争要素も取り入れられていましたが、それを感じさせないイタリア人の明るさ、陽気さが良かったです。 また、いつか観たい映画です。
フェリーニ独自の連作絵画の美術品
北イタリアのリミニ地方の四季を豊かな詩情で描いた連作絵画の美術映画。フェデリコ・フェリーニ監督とニーノ・ロータの音楽によるノスタルジーと人間賛歌が愉しい。私的には、「道」「81/2」と並んでフェリーニ映画のベスト。四季折々の変わり行く自然の美しさに囲まれた飾らない人間の生命感が、どのシーンにも溢れて、何とも言えない感動に包まれる。老若男女が小舟に乗り込み沖合で待ち構えて、夜の海上で遭遇する豪華客船レックス号の美しき光の偉容。興奮する人々の歓声にある、文明への畏敬と感動の涙。大雪の後の真っ白な街に突如舞い降り大輪の鮮やかな羽を広げる孔雀の美しさ、その映像表現の独自のイマジネーションに圧倒されます。フェリーニ監督のノスタルジーが、少年を取り囲む家族や街の人々などの多様な視点から捉えられ、短い1年の歳月の中に凝縮されて描かれた、普遍性に至る見事な表現力と豊かな感性。映画館と云うより、民族画家の庶民生活を活写した名画の個展を巡る美術鑑賞に近い興奮に、想像力を刺激される。
自分は船と孔雀のシーンかな
1930年代の北部イタリアを舞台に、長短のエピソードを淡々と重ね、一年間を描いた作品。イタリア庶民のバイタリティと豊かな生活描写が楽しい。そしてノスタルジア。ラストの味わい深さも素晴らしい。(カーニバルとその終わり) こういう映画は年に1度は見たくなる。ニーノ・ロータの音楽も言うまでもなく最高。 観た人と「あのシーンが好き」「このエピソードがイイ」とか語り合いたくなる映画。
アホとシリアスの狭間で
フェリーニ初体験。初体験がこんな熟女ムービーで良いのか、と思いましたが、それもまた運命ということで。
本作はじつにこってりした味付けの、脂ギトギト、旨味100%の映画でした。
本作にはストーリーがほぼありません。フェリーニを投影したと思われる少年目線で、彼が住む街の一年を徒然と描いているだけです。
シーンの積み重ねだけで描かれた作品でしたが、とにかくどのシーンも濃厚かつ基本バカなので飽きることはなかったですね。
私は上品で高尚な作品が好みなのですが、それは私のコンプレックスの反映で、結局肌に合うのは本作のようなエロ下品なしょーもねぇイキフンのガーエーなんですよ。思想性の欠けたソウル・フラワー・ユニオンのようなノリを持つ本作の猥雑な魅力にはあがなえませんでした。いやー、超面白かった!
なんだかんだと、本作は生命力にあふれ、人間愛・人間賛歌に満ちた豊かな映画だと思います。
本作はなにしろ下品ギャクのキレが最高です。
主人公のエロガキはとにかく熟女のパイオツとケツが大好きで、やたらとケツのどアップが出てきます。なんというが、ド正直でいいですね。
もっともウケたのは、豆売りのエロおじさんのエピソード。アラブの金持ちが囲っている女たちに逆ナン(?)されて、女たちの部屋に忍び込むと、女たちがするするする〜っと脱ぎ出して全員でエロいダンスを踊る!そしてエロおじさんはこの夜、28人の女たちと関係した…って、アホか!と突っ込む気力も起きない最高さ加減です。またエロおじさんがエロしか考えてなさそうな面構えなんですよね、しかしこのエピソードはなんなんだ!
精神病の叔父さんが木に登って「女が欲しい〜!」と魂の叫びを上げるシーンも爆笑!また、叔父さんの病気っぷりがリアルなんです。少しずつ調子を崩して家族と話が完全にかみ合わなくなるところとか、生々しく、だからこそブラックなギャクになっているようにも感じました。看護師がやってくるオチも、絵面が面白くて絶妙でした。
一方で、ただのエロバカ映画ではないのも、本作の魅力です。
基本的に本作は客観的でクールな視点で描かれているな、と思いました。エロガキが父親に暴力を振るわれるシーンも距離があり、ギャクとして描写されているように思います。
一方で、突然トーンが変わる霧のシーンや、孔雀以降の展開は、死が生の隣にあることを突きつけてきます。ここには恐怖や悲しみといった、当事者としての痛みが描かれていたと感じました。
この、エロ-シリアス、観察者-当事者といった振り幅の大きさが、本作のスケールをデカくしていると考えます。
そして、その振り幅の大きさこそが、清濁合わせ飲んだものが人間の営みなんだぜ、そうやって季節は巡って行くんだぞゴルァ!と、フェリーニ師匠は語っているのだと思います。
綿毛の季節
お尻の大きなでっぷりとした女達、ダメな男、小さな男、アラブ人、ファシスト、そしてその他大勢の下町に生きる人々。そもそも人間は、適当で嘘つきで下品で卑猥でガサツでワイワイガヤガヤとうるさいのです。そんな下町に生きる庶民の姿をフェリーニは、とても美しく幻想的に映し出します。これが、フェリーニなんですね。 チッタの性の目覚めとファシズム化していく世の中で象徴されている様に、生と死はいつも隣り合わせです。綿毛の季節が何万回も繰り返されている間に、チッタみたいな少年が数え切れないくらい生まれ、死んでいきました。生命というものは、あのタバコ屋の女主人の様に強く、そしてチッタの母親の命の様に儚いものなのだと思います。 スクリーンに映し出される人々は、動物的というか人間的というか、感情と生命力に溢れていますが、これが当時では当たり前だったのでしょうか。そんな事を思いながら、改めてもう一度鑑賞したいです。
さっぱりわからない
ちょっと苦手なフェリーニ。 今作も、さっぱりわかりませんでした。 なんてったって、字幕がなくても理解度が変わらないんじゃないか?ってくらいわからない。 だけど、面白く見れちゃうから不思議。 眠い状態で見始めたのに、最後まで楽しめました。 そのうち少しは理解できたらいいなぁと思いつつ、他のフェリーニ作品も挑戦してみます。
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