ひまわり(1970)のレビュー・感想・評価
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見渡す限りのひまわりが象徴する色彩が徐々に失われていく冷徹なドラマ
第2次大戦中のイタリア。アフリカ戦線行きを間近に控えたアントニオは12日間の休暇を得るために恋人ジョヴァンナと結婚し郷里で急ごしらえの新婚生活を謳歌していた。休暇が終わろうとした時どうしても別れられない二人は共謀、アントニオが精神に異常をきたしたと装って従軍を逃れようとするがあっさり見破られてしまい過酷なロシア戦線に送られてしまう。やがて終戦が訪れアントニオの帰りを待ち侘びるジョヴァンナは一人の帰還兵からアントニオが極寒のロシアで置き去りにされたことを知らされ単身ロシアに渡るが・・・。
初めて観る映画のはずなのに終始既視感に苛まれるのは映像の断片を物心ついた頃から様々なメディアで垣間見てきたこと、本作に影響を受けたであろう様々な後続作品を沢山観てきたこと、そして幾度となく奏でられるヘンリー・マンシーニの主題曲が脳裏に刷り込まれているからでしょう。50年前の映画ですが傷一つ見当たらないリストア映像の色彩がとにかくビビッド。タイトルロールに映し出されるひまわりの眩しさにいきなり心を奪われます。ジョヴァンナとアントニオの新婚生活はかなりコミカルで愛らしく、アントニオが勢いで作ったオムレツを巡るシーンはほぼショートコント。それゆえに徐々に色彩を失っていく物語とのコントラストが残酷なまでに際立っています。特に印象的なのは駅のプラットフォームで呆然と立ち竦むアントニオの背後に聳え立つ原子炉。戦争に振り回された者達を非常に見下ろすかのような佇まいが強烈でした。ソフィア・ローレンのはち切れんばかりのセクシーさは圧倒的で、本作を名作に押し上げたのは彼女の魅力に負うところが非常に大きいでしょう。個人的にはマーシャを演じたリュドミラ・サベーリエワの透き通るような美しさもまた魅力的でした。二人の美しさが鮮烈すぎるので、マルチェロ・マストロヤンニにはそんなに心を動かされませんでしたが、アントニオの右手の癖にイタリアーノの真髄を見た気がします。
反戦と恋愛ドラマが感動を誘います
73才の母が、昔見た映画でもう一回観たい!と思っていたところこの、HDレストア版として映画館で公開され、早速観た母の感動の様子から気になり、観に行きました。一緒にいった彼女も観終わった後、ぐっと来ている様子でした。涙腺サバンナ状態の僕も思わず涙ぐむと言うより胸をぐっとつかまれました。第二次世界大戦によって引き裂かれた夫婦と残酷な現実。そして二人の運命。本当に色んな想いを届ける映画で、観て良かったと心から思えました。それ以外にも美しい景色や冷戦化のソ連においての貴重な映像としても見る価値あると思います
懐かしい映画
今年、還暦を迎えたものです。50年前ですから私が10歳頃だと思います。記憶がはっきりしていないのですが、たぶん今年90歳頃になると思われる育ての親の今井さんというおばちゃんに連れられて、高松の映画館に連れて行ってもらいました。初めて見た映画館での映画だったと思います。(うろ覚えですが私は多度津町の出身で、多度津町にはなんと映画館があり、そこで怪獣映画(ゴジラ?)を観たような気もしますが、定かではありません。)ただ、この時の印象が、一面のひまわりの映像とソフィアローレンの顔(すいませんが内容はあまり覚えていません)。さらには同時上映のなんと黒澤明の「生きる」だったのです。志村喬さんの演技に10歳の私は感動しました。50年も前の事で、記憶もはっきりしていないのですが、当時国鉄の機関車で行ったのだと思います。映画館は片原町あたりではなかったでしょうか。高松駅から映画館までどのようにして行った記憶がありません。(たぶんバスかな?)ネットで検索してみても、そのころの情報が出てきません。当時はどんな名作でも同時上映が通常だったと思いますが、どうなんでしょうか?そのころの情報をお持ちの方がおられましたら、ご連絡いただけませんか?ひまわり(1970)はまだ見ていませんが、是非とも観に行きたいと思います。
音楽が素晴らしい。
50年前の映画、今頃観ました。終始流れる切なく懐かしい感じのテーマソングが印象的でした。冒頭の広大なひまわり畑、風になびいているのが悲しいストーリーを予感させます。ほとんど出ずっぱりのソフィアローレンの情熱的で行動力のある主人公の演技がすごい。ソ連で再会した夫と話もせずに汽車に飛び乗るシーンは悲しい。
出てくる時計がいつも6時前後を指しているのはどういう意味だろう。二人の気持ちは結婚した時と変わっていないという暗示だろうか。
ついに劇場で
テレビでは何度も観てる、録画もしてる。でも劇場で観たかった、念願かなって劇場であの感動を味わえ満足です。まさに大人の恋愛映画。日本映画界よ、歯の浮く台詞や壁ドンばかりの恋愛映画ばかり作らずこれを手本にしてくれ。
ウクライナの花、ひまわり
大体の内容知っていただけで、初めて見ました。遠景のひまわり畑の印象が強かったけれど、最初も最後もひまわりの花そのもののアップが映る。それを見て、ひまわりは顔なんだ、人間なんだと思った。ひまわり畑の下には、イタリア兵、ロシア兵、ロシアの老若男女の死体が埋まってる。数でなくて、一人一人名前と顔を持った人間。最後に映った3つのひまわりの花は、幸せなジョバンナ、アントニオを待ってたジョバンナ、吹っ切って(でもイアリングはとっておいた)新しい人生を歩むことにしたジョバンナ。かもしれないし、ジョバンナ、アントニオ、アントニオを助けた若く美しい妻でもあるんだろう。
いつまでも6時を指してる目覚まし時計。時が経つのを忘れるほど愛し合ってる時。ロシアに住んでるアントニオが工場から戻る汽車の到着が6時15分。ミラノのジョバンナの部屋で二人が再会して年月が経ったことをお互いの顔と髪で認識して(でも吹っ切れた後のジョバンナは美しい)、口づけして、アントニオが汽車でミラノを発つ時刻が5時45分(に見えたけど)。愛し合っていた6時に向けてやり直すこともできたのかも知れないのに。その「6時」の前後を指す時計の針に胸が痛くなった。ここ数ヶ月、出ることもなかった涙が大量に出た。
前半、明るいイタリアの場面では女性が履いてるサンダルがやたら可愛かった。ソフィア・ローレンの美しいこと!すんなりした足にスタイル!泣く表情が全部違っていて素晴らしい。24個の卵にバターが必要だという北部出身のアントニオ、オリーブオイルしかないというナポリのジョバンナ。どちらでも幸せなオムレツ。
奇しくも、コロナ自粛前の最後に映画館で見たのが三島vs全共闘の映画で、50年前の話。コロナの自粛がとりあえず解除された後に最初に映画館で見たのが50年前制作のこの映画。
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そしてロシアによるウクライナ侵攻。ウクライナ支援のために今月末からこの映画が各地で上映される(2022.03.06.)。
リマスターの美しい光景
イタリアの作品だが、戦争に絡めたメロドラマとして日本でヒットしたらしい。
目の覚めるようなひまわりの畑のシーンがすごかった。
デジタルリマスターの威力は、このシーンを観るだけでもわかる。
全部下には死体が埋まってる、と言いながら、(戦中戦後の実際映像を使っていたのであろう)死体を埋める映像に驚きつつも。
なんかこう…
前半、イタリア人らしく恋仲になったら、ずっといちゃいちゃしてるシーンばかりなんで、眠くなった。
また、後半はいかにもイタリア人って顔の男主人公(マルチェロ・マストロヤンニ)がロシア人って、どんなギャグやねん、とツッコミたいのを我慢。
余談ですが、『はいからさんが通る』(原作漫画)って、『おてもやん』とこの『ひまわり』が大きな影響を与えているんじゃないかなぁ、って思ったりして。
大女優
ソフィアの最高作かな。マルチェロとのコンビ映画はいくつか作成されており、いくつか見てるがその中でも何度見ても、もう一度見たくなる作品。
お互いに愛してるのに、戦争により引き裂かれた二人、往年の大女優ソフィアローレンに魅了されます。
タイトルのひまわりも好き。何十年も前の作品が引き継がれていくのは素晴らしいね。
圧倒的なひまわりのシーンが印象的
懐かしい映画です。
TVで知ったあと、リバイバル上映でも見ました。
又上映されるんですね。
イタリアの陽気な新婚の2人が戦争によって引き裂かれてしまう。
ラストの選択は本当に辛いものでした。
西側のカメラが初めてソビエトの中に入った映画でしたか💦
村の娘役で出てたリャドミラ・サベーリエワはこの少し前
ソビエト映画の長編「戦争と平和」に年齢と同時進行で出演して
当時、話題になっていましたっけ。
ソフィア・ローレンの大ぶりな感じと対照的に可憐な印象で
配役も上手でしたね。
イタリアとロシアという全く雰囲気の違う世界を繋げて見せてくれた映画です。
ソフィア・ローレン、本当に際立っていました。
「2人の女」は辛い内容でしたが上手い役者でしたね。
ミュージカルの「ラ・マンチャの男」では歌声も聴かせてくれましたし。
一部吹き替えでしたが💦
公開当時はハリウッド一辺倒じゃなかったので、イタリアとかフランスとか
外国の映画が沢山見れました。
この映画はそんな中でもとりわけポピュラーな作品でした。
「ひまわり」に込められた意味
作品自体は知っていたものの今まで観る機会がなく、今回のHDレストア版で初鑑賞。
前半での夫婦の軽妙なやり取りから一転、後半は哀愁のメロドラマ展開。
タイトルにもなっている花の「ひまわり」のように、芯が強くてバイタリティにあふれ、花言葉の「あなただけを見つめる」を体現するかのように、夫だけを追っていた妻。
そんな彼女をモスクワで待ち受ける酷な現実。
ひまわりはロシアの国花だが、本作でのひまわりは、悲しい歴史を土台に咲いている。
これほどまでに多面的な意味を持つ花があるだろうか。
戦争で引き裂かれた女性の愛の軌跡を追ったメロドラマを支える、女優ソフィア・ローレンの名演
巨匠ヴィットリオ・デ・シーカは、喜劇と悲劇の両面に俊才を表した監督であった。この後期の代表作「ひまわり」はその両方を併せ持った演出を施し、それが後半の悲劇をより一層感慨深いものにしている。またデ・シーカ監督の一代傑作「自転車泥棒」では、終戦直後の日常生活のほんの些細な出来事から起こる家族の不幸な事件を描いたが、この「ひまわり」の悲劇の主因は遥かに規模が大きく、第二次世界大戦という戦争そのものに取り組んでいる。結婚したばかりのまだ仲睦まじい男女を引き離し、そして更に哀しみのどん底に叩き落す戦争。敵味方死闘を繰り返す戦場以外の(戦場)、または戦後の(戦場)を一組の夫婦の姿を借りて表現している。
そこに導くものが、ソフィア・ローレン演じるジョバンナが持っている愛を貫く強い意志だ。夫の生存を信じる愛の終着点を確認するために、イタリアから遥々ソ連へ行方不明の夫アントニオ探しの長い旅が始まる。広大な大地を覆うように咲くひまわり畑と、夥しい数の墓碑が整然と並ぶ墓地のコントラスト。ついにロシアの大地に来たと見せる、この映像の証言は圧倒的である。そこに一人ジョバンナの姿が映し出されて、この数え切れないひまわりの中のたった一本の花を探しに来たのかと思うと、彼女の愛の執念に改めて感心しないではいられない。
そして、物語は急展開を見せる。その深刻さは、体験することのない人にとっても無理にでも分かって上げたいという同情の涙で答えるしかないものだろう。夫アントニオが生きている歓喜に震えるのも一刹那に、不吉な予感で呆然自失となってしまうジョバンナの心の置き所はあったのだろうか。あらゆる感情によって体力の限界を維持し漸くマーシャの部屋に踏み入る彼女の眼に映るものは、慎ましくも幸せな家庭の光景だった。そして、ついに再会するシーン、列車から降りて妻マーシャに気付き寄り添うアントニオの姿を見たジョバンナの心境はどのようなものか。虚しさ、口惜しさ、憐みなど、様々な感情によって列車に飛び乗るジョバンナ。ここにデ・シーカ監督が最も特徴とする、理屈からの理解で人間を表現するのではなく、感情そのものを表現した映像美で観客を映画の世界に吸い込んでしまう天才的な演出技巧がある。それは同時に、ソフィア・ローレンという優れた女優の豊かな感情表現の演技力があって成立した見事さであり、デ・シーカ監督作「ふたりの女」から10年のキャリアを共にした信頼関係が生む名場面と言える。
後半の話は、劇的な表現を抑えた冷静な大人の世界になる。他の人達の誰も傷つけない幸せな生き方の結論は、二人が別れることだった。もしアントニオに子どもがいなかったら、ジョバンナも独身でいたならと選択は少し変わっていたに違いないが、もっと大切なことは本当に愛する人から離れて偽りの家庭に生きて行くのではないということ。二人の愛が全てだったジョバンナとアントニオは、大人の良識を持った人間に成長変化していた。
しかし、ラストそれでも愛は人間を揺さぶる。ソ連戦線に向かうアントニオを見送ったフォームで、再び別れる二人。永遠の別れになるかも知れないこの悲痛さに、夫探しにソ連まで行った情熱を持ったジョバンナだからこそ、涙を見せるも静かに佇むことが出来る。全ての不幸を戦争の所為と思いつつも、その苦しみに耐えて生きるジョバンナの逞しさも窺える名ラストシーンになっている。
アントニオとジョバンナの出会いから最初の出兵の別れまでの追憶場面は、喜劇タッチで恋人たちのイタリア人気質を楽しく描いて、喜劇「昨日、今日、明日」をモノにしたデ・シーカ監督らしい演出を見せる。後半は、予想もつかない事態に出会うやるせない悲しみを感情豊かに描き、またシリアスな場面の落ち着いた演出にも熟練の味がある。ただ、10年の年月を掛けて準備して構想を練った作品全体の迫力は、ソ連ロケ以外あまり感じない。大作と云うより、より身近に感じる悲劇メロドラマとしての感動が大きい。完成度の点では問題が残るも、デ・シーカ監督とマルチェロ・マストロヤンニ、ローレンの名トリオの名人芸が素晴らしいのは間違いない。その中で一番の魅力を放つのが、ソフィア・ローレンのヒロイン像であり、これはアカデミー賞主演女優賞を受賞した「ふたりの女」の名演に勝るとも劣らない実力を披露したと絶賛したい。このローレンの演技を更に抒情的に表現したヘンリー・マンシーニのテーマ曲がまた素晴らしい。繊細にして哀愁漂うメロディが優しく包み込むようにローレン演じるジョバンナを慰め労り共鳴する。
1976年 4月29日 早稲田松竹
マルチェロマストロヤンニはどうしていつも罪な男なんだ!
まあ今なっては、2時間ドラマのようなストーリーですな…。
しかしこうも濃厚なラブストーリーになっているのは、背景にある戦争と、圧迫された生活からでしょうかね…。あとカメラワークかな。流れるようなカメラワークが素晴らしいね。
あと意外だったのは、「ひまわり」に真冬のシーンが出てくること!こういう映画だったんですねえ。
それとロシアの奥さんが出てくるとは思わなかった!めちゃ白くて可愛いのね…
名シーンは
・病院でのハグ
二人が愛し合っていることがあのシーンだけでひしひしとわかるようなシーンになってます。素晴らしいね。何も喋らず、音楽もなく、なのにあんなに伝わってくるなんて。
あと
・ローソクが点いて二人が顔見合わせるシーン。
うん、このシーンも語らずして何かを語っておりますな…。絵になる名シーンでした。ああいうシーンを変に角度付けて撮らないのがいいよね。写真家のようなアングルで撮る人だなあと。
後半はなんだか、「シェルブールの雨傘」にしか見えなかったけど、名作なのは間違いないし、いろんなドラマがラストの別れのシーンに影響受けてると思うなあ。
ソフィアローレンは、パムグリアにしか見えないのですが、やはり駅のホームとかで佇んでると異常に綺麗に見えて仕方なかったですな。
久しぶりに観た
大昔に観ただけでしたが、
いままた、リマスター版で観た。
ソフィアローレン、セクシーでしかも演技派。
マルチェロ、深い悲しみの表情がいい。
列車で遠ざかるシーン、
まるでキリストのようにせつなかった。
北の地にさきさかるひまわり。
その一本一本の意味、、
せつない、ラブストーリーに止まらない、深い戦争への反対の意思を感じ、
骨太の映画と思った。
列車に飛び乗る
ひまわり畑のタイトルバックとヘンリー・マンシーニの音楽、これだけでかなり満足。最初に観たのが中学生の頃、TVでだった。ソフィア・ローレンという女優は、どうも吹替え版のほうが雰囲気が出ていていいかもしれない。兵役からほんのわずかの12日間逃れるための結婚。食べ切れなかった卵24個のオムレツ。兵役を逃れるための狂言暴行がバレてソ連戦線へ、などといった小ネタもあったんだな。
小麦畑やひまわり畑の下に眠る多数の戦死者。十字架を形取った広大な墓地も対照的に描かれている。夫アントニオは生きているという何の根拠もないまま探し続けるジョバンナ。一瞬だけ再開し、列車に飛び乗り泣きくずれるソフィア・ローレン・・・この演出が最高。ベタではなく、自然でもなく、ナポリ娘の気質を演技一つで表現した素晴らしい出来・・・だと思います。
極寒の戦地、イタリアの肉体表現
戦争に引き裂かれた、悲恋の物語。邦画にもこの類の作品は数多くあるけど、戦場のシーンの雪は目新しかった。ロシア戦線の悲惨さを訴える映画を見たのは、これが初めてかもしれない。邦画では、戦地と言えばやっぱりジャングルのイメージが強いから。BGMも台詞も少なめで、目と表情で訴えかけるような表現力は、名作と言われるだけあるな、と感じさせられた。ただ、物語の展開があまりにもメルヘンチックというか、ロシア人女性が戦地でイタリア兵を命がけで助ける意味や、記憶がどの程度失われていたのかなどが曖昧で、あんまり共感できなかった。それに、夫婦と言っても、肉体関係がすごく強調されているところも、個人的には受け入れにくい部分があった。音楽は、荘厳な感じで映画ととてもよくマッチしていたけれど。
苦い!
ストーリーはパッケージ裏にほぼ全て書いてある。戦争先で記憶を無くした恋人がそこで家族を作っていた。そうとも知らずに待ってた恋人の苦悩、最後2人は決別して、終わり。
最近の映画みたいに、ストーリーがよく練られたものに慣れてしまうと、まあ物足りない。でも、イタリア人独特の雰囲気とか、間とか、情熱的な感じとか、ストーリー以外で伝わるものは多い気がする。てかそもそも、こういうストーリーも、公開当初は目新しいものだったんだろうな。
最後の二人、正しい決断だと思う。子どもがいるんだからね。でも、にも関わらず、アントニオ途中まで家族捨てる気だったのがちょっと腹立つ。でも正しい決断の苦さがスゴイのもわかる。苦いな〜、イジワルな映画や。
大人の生き方のバイブル
名作中の名作。筋や解説を読んで、聞いて知った気になっちゃう。所がどっこい、何を知った気になっていたんだろう?
良い意味で裏切られます。
どなたかが「この映画を観ることなしに恋愛を語ることなかれ」とおっしゃっていましたが、同感です。
ひまわり、ひまわり、ひまわり。
イタリアを代表する女優、気が強くて明るくて、夏の太陽に例えられ、夏の太陽にも引けを取らない、そんなローレン女史を表現しているのかと思っていた…
けれど…
兵士をはじめとして戦争で亡くなった方の墓標、果てしなく続く墓標…
太陽に焦がれて、太陽ばかりを追い続けついに花になってしまったニンフ…
…こんな物悲しい物語の象徴だったなんて…
戦争に引き裂かれて、狂ってしまった運命…
前半が、恋する者たちのおかしさ・恋する楽しさを十分に魅せてくれるだけに…。
ロシアでのしっとりとした落ち着いた生活も魅せてくれるだけに…。
自分の幸せ・激情に惑い・苦しみながらも、幼き者の幸せを優先して踏みとどまる二人。大人の決断。
…子どもを犠牲にして、それが幸せだと思っている人だってたくさんいるのに。
この筋の展開だと単なるメロドラマになってしまいそうなのに、お昼のメロドラマとは違う。演出、演技…が違う。
あらすじを知っていても、シーンごとに「こうくるか!!」の連続。名優の演技。
迷いながらも、自分の張り裂けそうな思いを抱えて、パートナーを、ライバルの気持ちを大切にする強さ…、責任をきちんと引き受けることを選択した強さ…
号泣、胸が張り裂けそうなのに背筋が伸びる。
心をかき乱され、揺さぶられる。私なら?こんな大人の振る舞いできる?
静かな、心に沁みわたる反戦映画であるとともに、
自分自身の、別れたくなかったあの人を思い出して涙してしまう。
大人の生き方を見せてくれる映画です。
最後の最後にタブーは守られた。
『ひまわり』(1970)
NHKBSプレミアムで放映のイタリア・フランス・ソ連の合作映画との事。一面いっぱいのひまわり畑の映像で始まる。ヘンリー・マンシーニだそうだが、その音楽も冒頭からその映像と共に印象強いものだった。格調高い雰囲気なのだが、ちょっと調べながら書くと戦争で引き離された夫婦の話らしい。結局夫婦になったようなので救われる気もするが、恋人時代というべきか、会ったばかりの時期か、浜辺で砂浜の上で性行為してしまう所はいただけないシーンである。こうしたシーンのために、私のこの映画への評価は著しく下げるが、そういう評価スタイルの私である。だが夫婦になったから、少し評価を戻すか。性行為も衣服をきた前後の場面しか映してはいないが。男はプレイボーイを気どり、20人も女がいるとかいないとかいう話で喧嘩になるようだが、これを書いていて字幕が少しとんだ。しかし結局結婚した。この夫婦役が、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンらしい。結婚12日間休暇がとれて、戦争に行かなくてよいとかなんだとかの影響があって、それを利用したらしい。よくわからない。ネットで調べながらでもよくわからないが、恋愛感情はあって楽しそうである。始まりはコメディな感じもある。調べるとマルチェロの実生活もプレイボーイでわけがわからかったらしい。まだ名前を知る程度だが、カトリーヌ・ドヌーブが愛人の一人で子供も出来てしまっていたそうだが、こうした人だからソフィア・ローレンとも実際の性行為もあったのかも知れない。共演が多かったらしい。とても評価できるものではない。ヨーロッパの現在はどうなのか。そんな性の悪い意味でのいい加減さが、戦争という悪事によって薄められているのが、だいたいの世界の推移である。どこでもそうだった。そんなことを思っていたら、なぜか夫が逮捕されてしまった。と思ったら調べたら徴兵回避のために精神病と偽るための夫婦の芝居だったらしい。監督のヴィットリオ・デ・シーカというのは、『自転車泥棒』の監督だったのか。これはずっと前に観た記憶があるが、記憶は薄れた。貧乏の辛い話だったと思う。そして夫は出兵する。夫婦の別れのシーンである。夫婦なら抱き合おうがキスし合おうと構わないだろうし、夫は戦争先で死んでしまうかも知れないという別れの場面である。短いシーンだったが、思えば辛いシーンである。ここは全くの夫婦になっていて、コメディでもない。そして、夫が無事帰ったかどうかの列車のシーンにすぐ移る。妻や家族たちは夫の写真をかざして、消息を帰った兵隊たちから聞いてまわりもする。妻は、一緒に夫といたという戦争から帰った男から、その時の事を聞く。極寒の雪のシーン。場所はソ連なのか。小屋でいっぱいの兵隊たちがぎっしりといっぱいに立ちながら寝ている。行軍中に疲労でへとへとで、夫は倒れて、話を始めた男に抱きかかえられて歩くが、また倒れて男は先を行く。壮大な音楽が強く流れている。このシーンで夫は死んだことがうかがわれる。夫の他にもかなりの人数が倒れていた。妻は置き去りにした男に怒り出す。男は他の誰かが助けたかも知れないと言い残し去った。義母の老母が妻を訪ねるシーンがあり、その後、妻が重い鞄を下げて街中を歩いている。何処かを探している。ここで流れる音楽も壮大だ。エリートビジネスマン風の男となぜか「外国貿易省」のあたりで待ち合わせして列車に乗る。男は官僚か。広大な一面ひまわり畑に来る。一体何なのか。男の説明によると、こうした畑の下には大勢の兵士などの死体が埋まっているのだという。だが妻は夫はこの下にはいないと否定する。妻は夫の安否を訪ねに旅に出たようだ。木造の十字架の墓を妻が歩く。男は、生き残ったイタリア人はいないから諦めてくださいと説明する。妻は信じない。場が切り替わり、妻はサッカー場にいる。目が何かを探しているようだ。
しかしすぐ出る。少し夫に似たような男をカメラが追う。妻の目線だ。妻は男の後をつける。イタリア人ねと聞くが、違うと応じらて終える。とおもうとまだ追う。ストーカ―的である。一体何なのか。追い付いて夫を探しているのだと言う。夫に似ているわけではなかったみたいだ。イタリア人だから追ったようだ。とうとう男は、イタリア人と認めたが、今はロシア人だという。理由は話せば長くなるという。結局夫は知らなかった。まだ妻の夫を探す旅は続く。道行く人じゅうに聞きまわる。イタリア人が近くに住んでいると道案内してくれる現地のおばさんたち。家には若い女が洗濯物を取り込んでいた。妻は若い女に夫の写真を見せると、若い女は意味ありげな表情を見せ、小さな女の子が出て来る。もしかしたら夫は若い女と暮らしてしまい、女の子を産んでいたのだろうか。わざわざ家に入れるのだろうか。わからない。少しサスペンス気味だ。女は妻に話し出す。大勢倒れている中でなぜか若い女は夫を選び出し、雪の中で倒れた夫を助け出す。なぜ夫を選んだのか。なぜ若い女が助けに来たのかさっぱりわからない。しかし、夫のアントニオは若いロシア人女性と結ばれて子供を産んでしまっていたのだ。もはや前妻のようになってしまった妻のジョバンナは、アントニオを若い妻の案内でホームで再会するが、アントニオの少し驚いた表情のところを、涙を流しながら汽車に飛び乗り、去る。この映画の一番の主題だろう、戦争で引き離されていた間に、夫は別の女性に助けられて、その女性と子供を産んでしまった。なぜ夫は妻の元に帰らなかったのか。
なぜ若い女が夫だけを助けたのかは不明だが、帰宅した妻は怒りで家の中のものを壊し続ける。
どうして夫は妻を裏切ってしまったのか。記憶喪失ではなかったらしい。まさか死んだと思って妻が訪ねては来ないだろうと思ったのか。妻よりも美貌で若い女に移ってしまったか。若い女は、リュドミラ・サベーリエアという、ロシアで有名な美人女優が演じたらしい。ネット時代以前では調べるのはかなり困難だったが、今じゃすぐだ。シーンが変わり、月日が移ったらしい。ジョバンナは男のオートバイの後ろに乗り、オートバイが故障して喧嘩になったりしている。一人で食事をしている。義母がやってくる。夫の裏切りを伝える。女が落としていった夫の写真の裏には愛するアントニオへ。ジョバンナとあり、夫はそれを拾う。若い妻がみているところ、夫の表情は曇る。アントニオがジョバンナに複雑な気持ちを残しているシーンがある。若い妻も辛いシーンである。ただ、繰り返してしまうが、なぜ若い女がアントニオだけ助けたのかが意味不明のまま残りそうである。ここでネットで他の人の意見を調べたら、若い女は兵士の死体から金目のものをあさる女だったが、アントニオだけ生きていたのがわかり、悔いなどもあったのか、助けてしまったとか、アントニオも、一度
死んだ身で、不甲斐なさから、もうイタリアに帰れないと思い、ロシアの女の甲斐甲斐しさにほだされたなど、解説してくれている。しかし、アントニオはジョバンナに会いに一人イタリアに来てしまった。しかしジョバンナは怒りで、そしてジョバンナももう再婚したと公衆電話口のアントニオに伝える。
それならもう会わないほうがいいなとアントニオは話す。お互いに未練がありながらも、複雑な愛と憎しみの感情で再び一緒になれない二人。お互いにがっかりしながらも電話の応対だけで別れる。電車がストライキで帰れなくなり、街をアントニオは歩く。なぜか余計な、赤ん坊の人形を抱いた変な女がやってきて、アントニオを誘う。一体この脚本はどうしたものか。アントニオは応じてしまう。アントニオはそこでもジョバンナに電話をかける。少しでも会いたい住所を教えてくれと。そしてジョアンナは教えてしまい、アントニオがその場所を伝えると女が口紅で鏡に住所を筆記する。すると、アントニオは裸になっていた女に見向きはせず、ジョバンナの場所へと向かう。この設定は大変に凝っていると思う。行きずりの女と結婚した女とは違うのだ。複雑な設定の中にでも、1970年代の性の倫理をふと感じる場面かも知れない。ジョバンナはなぜアントニオに住所を教えてしまったか。複雑な愛憎である。二人だけ夜に再会した二人はどうなるのか。女は男を部屋に招き入れる。日本語字幕は椎名敦子氏。「あなたがいるなんて」「きちんと説明したい」「自殺しかけたけど愛なしで生きられたわ」「僕の事情もわかってほしい。気づいたら見知らぬ家にいた。会ったこともない女性がいた。記憶を失いなんだかわからなかった」「そんなことを言うのね。子供まで作って」「あの家だけが確かなものに思えたんだ」「彼女を愛したのね。」「あの時昔の僕は死んで別人になっていた。彼女との生活の中に小さな平和を見つけた。理解してくれといっても無理か。戦争とは残酷だ。ひどいものだった。なぜこんなことに」灯りもつけず、黒い中を二人で語り合う。「わからないわ」。ろうそくに火をつける。「見ないで年をとったわ。あなたも額にしわがあるわね。髪も白くなった」「今でも愛している。」「無理に決まっている」そういいながら抱き合おうとしてしまう二人。しかし赤ん坊の泣き声が聞こえる。二人は我にかえる。隣の部屋に子供がいた。男は別れられないと言う。女は子供を犠牲に出来ないという。ジョバンニも再婚して子供までいたのだった。女は倫理観を失っていなかった。玄関から出て二人は茫然としながら肩まで抱き合い別れる。列車で男を女は見送る。
二人とも辛い表情である。壮大に音楽が流れる。見えなくなった男。女は嗚咽する。
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