ひまわり(1970)のレビュー・感想・評価
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別れもまたよし、なのだ
謂わずとしれた名作映画だ。まず場面転換の思い切りのよさに感心する。それに過多な説明が一切ない。台詞回しは演劇的ではあるが、凝縮した台詞がリズムよく語られる。喜びと哀愁の表情も見事で、さすが歴史的な名優の共演だ。一分の隙もない。
第二次大戦中のイタリアが舞台で、新婚のジョヴァンナとアントニオは新婚旅行先のホテルで濃密な12日間を過ごす。
テレビもネットもない時代だ。おまけに灯火管制で窓から灯りが洩れるのも許されない。やることといったら寝ることとセックスと食べることだけだ。否が応でも互いに見つめ合うことになる。そして相手が自分の一部になるくらい、親密になる。そこにいて当然の関係だ。
そんな関係になってしまうと、別れはことのほか辛い。ジョヴァンナとアントニオはなんとかして別れないですむ算段をするが、時代はふたりに冷たく、アントニオはロシア戦線に向かうことになる。アントニオの帰りを待ち続けたジョヴァンナの悲哀と鬱屈を演じたソフィア・ローレンが素晴らしい。その表情は女の優しさに満ちている。
人生とはすなわち出逢いと別れである。出逢うことは別れることなのだ。出逢いの喜びが大きいほど、別れの悲しみも大きい。出逢わなければ別れの哀しみもないが、人生の喜びもない。なんともやるせない話だが、そこに人生の味わいがある。別れもまたよし、なのだ。
戦争から元通りになることはない
幸せな日々を過ごす夫婦は戦争によって引き裂かれてしまう…
終戦後も行方のわからない夫を探しにロシアに向かった妻。
どこまでも広がるひまわり畑、その下に多くの兵士が眠っている事実、そして丘に並ぶ無数の墓。
戦争によって多くの人が亡くなったことを強く印象として残してくれた。
そして、夫の行方を知った妻が知る事実、その後の二人も互いを未だに愛していることが痛いほど伝わるのに…あまりにも切ない。
どんなに愛し合っていても、戦争から元通りになることはない。
戦争に向かう者、残された者それぞれが悲しみを抱えながら生きていかなくてはならない。
本当に戦争なんてやめてほしい。
悲しみの上に咲く希望
すごく小さい頃にTVで見た本作を大人になってから鑑賞。その時はひまわりの鮮やかさに関わらずとても哀しい気持ちになった記憶があります。なぜか?が今回の鑑賞でわかりました。
戦争なんて一部の権力者たちの欲望や都合で巻き起こされるものであり、そのために翻弄され、悲劇を背負うのは間違いなく一般市民なのです。向日葵畑に咲き誇る花の下には無数の哀しみが埋まっています。歴史が作った悲しみの上に咲く、まるで明るい明日のような向日葵は人類の願いそのものであり、咲いているのは哀しい過去があってこそであること忘れてはいけないのだと。
しかし、悲しいかな人間はいつしか綺麗な向日葵に目を取られ、何の上に咲いているのか?を忘れてしまうのでしょうね。そして、向日葵畑はただの花畑となり、潰され壊され足蹴にされ、そしてそこは新たな墓場となっていく。・・・きっと人間はそんなことを繰り返していく生き物なのではなかろうか?なんて思ってしまいます。
しかし、希望を作ることができることも人間なのですよね。アントニオ、ジョバンナ、マーシャ、誰も悪くない。辛い戦争を経てただただ幸せな明日を望んだだけなんですよね。それぞれの向日葵を咲かせたかっただけ。アントニオとジョバンナのクライマックスの対面シーンは切ないです。けどそれは悲しみを乗り越え、何かを赦し未来に希望を紡いだ結果なんです。明日を見たから巻き戻せない今があるんですよね。本当に切ないけど。
なぜ、プーチン政権は巻き戻そうとするのか?なぜ新たな希望を見出せないのか?なぜ繰り返すのか?ロシア内部から新たな明日を見る動きを期待するしかないのだろうか?
ひまわり畑のロケ地はウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州(Wikiより)だそうです。クリミア侵攻時も、今も侵攻されている土地ですよね?きっと。今、巻き起こっている戦争に憂い多くの方に見てほしいです。今だからこそ。
名作は普遍性をもって蘇る
独身時代に観て以来、超久しぶりに映画「ひまわり」を、今県内で唯一上映している川崎の映画館まで観に行きました。
ウクライナでの戦争が始まってから、この映画のロケ地のひまわり畑がウクライナであるということで再注目され再上映されています。
映画『ひまわり50周年HDレストア版』で、上映の売上金の一部は人道支援に寄付されるそうです。
第二次世界大戦でロシアに出征した夫をイタリアで待っていた妻が、終戦になっても帰国しないので、生きていると信じてロシアに捜しに行き・・・というのが大本のストーリーです。
戦争で引き裂かれた夫婦の愛の物語であると同時に、当時の戦争の悲惨さや恐ろしさが映像から伝わってきて、現在のロシアとウクライナの戦争を考えずにはいられませんでした。
捜しに行った先で妻が見る広大なひまわり畑が旧ソ連のウクライナ地方だったと、この度の再上映をきっかけに知ることができました。
独身時代に観たので忘れているシーンもありましたが、ひまわり畑とその周辺の風景が意味する戦争という事実は覚えていました。
ソフィアローレンとマルチェロマストロヤンニのそれまでのイメージを一掃するような、深い演技に当時も今も魅了されます。
愛し合っているとわかっていても別れる二人・・・
ラストの駅のシーンには、若い頃より一層切なさを感じました。
戦争は市井の人々にこそ大きな悲劇を生むのだと思います。
早くウクライナに平和が訪れますように!
そして映画「ひまわり」が多くの地方で再上映されますように
ウクライナのひまわり
幸せな結婚生活を送っていたジョバンナとアントニオだったが、第2次世界大戦でアントニオはソ連の最前線に送られてしまった。終戦後、帰らない夫を探しにソ連を訪れたジョバンナは、アントニオと再会出来たが、雪の中で死にかけてたアントニオの命を救ってくれたロシア人女性との間に家庭を築いていた。失意とともにイタリアに戻ったジョバンナだったが、数年後、アントニオがイタリアのジョバンナを訪ねてきた。最後はどうなる、という話。
ま、あの状況でロシア人女性・マーシャが助けなかったらアントニオは死んでたんだから、ジョバンナの所に戻っちゃダメだろ、って思った。
ひまわり畑が美しいが、ウクライナでの風景らしく、またウクライナの国花もひまわりとの事で、今ロシアに攻められてるウクライナがこの風景を見れるのか、杞憂している。
戦争の悲劇が80年近く経っても再び起こっているのだろうと悲しくなった。
18の頃見た
ウクライナとロシアの全面戦争になり、にわかに話題になっているこの映画。
大学生の頃の友人が勧めるので博多の映画館で見たのだが、まったく社会経験も異性関係も非常に乏しい時に見たこの映画が、心に響く訳もなく、
ソフィア・ローレンのものすごい目鼻立ちと巻き舌のイタリア語
そして 広大なひまわり畑が鮮明に記憶にある。
あとは 殺風景な面会室みたいな所で性急に始まる性行為。
思えば 名作と言われる作品は 訳もわからずとも見たものだったが、見るに適した年齢 というのは間違いなくあるのだった。
戦争の悲劇と言うより欧米的な男女の愛憎劇
戦争体験者のいなくなった今の日本版で作っても受けないかも?昔なら松竹作品でこの手の作品はあったかも知れないが邦画なら前半のふざけたようなエッチシーンやその後の未練がましい男女の縺れは省略 むしろ見所はソフィアを中心とした男女の物語か!
噂に違わぬ傑作
確かに傑作だなと圧倒されました。音楽がカッコいい。それと、女性の人形はどんな意味なのだろう。イタリアの人なら商売とわかるコードのようなものなのだろうか。戦争ですれ違い、生存戦略のために現地に染まるということは、マヤの秘密でも見かけた。マストロヤンニは画角によっては、中川家の弟に似ていることが判明した。
哀しみのひまわり
1970年イタリア映画を代表する、戦争の悲劇を描いた名匠、ヴィットリオ.デ·
シーカの大作映画。
ソファイア.ローレン。マルチェロ.マストロヤンニのイタリア黄金期の二大スターによる永遠の名作。
何度この映画を観ただろう、十代の時に今はない老舗名画座テアトル銀座、池袋文芸坐で。
時には、テレビでと。世代を越えて何度となく観賞した。そして、その都度新たな感動を与えてくれた。
上質な映画とは、きっとそういうこと何だと思う。時代背景が違っても、世代を越えても、国が違っても、何度となく新たな感動を教えてくれる。
永遠の名作「ひまわり」は、私にとって不滅の映画の一本である。
戦争の悲劇によって引き裂かれた新婚の夫婦、ジョバンナとアントニオ。
最も過酷なロシア戦争に送られた、夫のアントニオ(マルチェロマストロヤンニ)の消息を追って、
イタリアからロシア迄、長い長い時間をかけて探しにいく、妻のジョバンナ(ソファイアローレン)。あの頃行き来が難しかった時代に、困難の中で夫の生存を信じ、ロシア中を探し回るジョバンナの姿が華やかなイタリア時代と一変した彼女の悲壮感が映画の画面に映し出される。
モスクワ広場の広大な場所で通行人、一人一人に夫の写真を手に取り。そして、あのウクライナのひまわり畑。画面一面を覆ったひまわり畑の下には、戦争で亡くなった兵士達の墓標がある。ここにはいないと信じて広いひまわり畑の墓標を探し回るジョバンナ
遂には、アントニオの消息を掴み「生きているという」事を知る。しかしそこには、既に可愛いい奥さんと、子供のいる家。
アントニオは、極寒の雪の中生死を彷徨、助け出され記憶を失っていたのだ。
生きていたとはいえ、既にアントニオは家庭を持っていたのだ。仕事を終えたアントニオを駅に、案内する不安そうなアントニオの妻。
仕事を終えて、汽車から降りてきたアントニオ。遠くイタリアから再開を夢見てやって来た、ジョバンナの前に記憶を失ったアントニオが目の前に。
その瞬間、ジョバンナはアントニオが降りてきた汽車に飛び乗る、絶望的な思いで泣き崩れるジョバンナ。このシーンは、映画の一番の名シーンですが、正に胸を締め付けられ一緒に号泣した。
ヘンリーマンシーニの曲の盛り上がりと共に。ジョバンナの苦しみ悲しみの絶望感を実感してしまう。
本当に素晴らしい演出。
その後、ジョバンナはイタリアに戻り荒れた生活をするが、やがて再度結婚をして子供にも恵まれた。
そんな中、記憶を少しずつ取り戻しジョバンナとの愛の生活を思い出すアントニオ。ロシアで、空虚な時間過ごす彼だが、イタリアに帰りたい。生まれ育ったイタリアに、ジョバンナに会いたい。
アントニオがイタリアに戻った時には既に何年いや何十年の歳月が流れて行ったのだろう。
二人の顔のシワが、物語っている。
会うのを拒んだジョバンナだったが、何度も電話してきたアントニオの悲痛な声を聞いて。
暗闇の部屋で電気も付けずに、再開する二人。
暗い部屋の、僅かなろうそくの下。かつて美しかったジョバンナとアントニオの今は年老いた顔を確認する二人。
「君にお土産があるんだ」それは、戦争にいくお別れの駅で、ジョバンナをなだめる為にした約束「帰って来たら毛皮をお土産に持ち帰るよ」
小さなミンクの襟巻き。
彼のロシアでの貧しい暮らしが伺えるシーンだ。ジョバンナに約束を忘れていないと伝えたかったのだろう。
ジョバンナはその精一杯の彼の誠意に過去の二人の思い出、愛を思い出した。
アントニオが悪いのではない、裏切ったのではない。運命だったのか?いや戦争が二人の愛を時間を思い出を引き裂いたのだ。
それを静かに悟るジョバンナ。
翌朝、アントニオと最後に別れたミラノの駅迄奇しくもまた見送るジョバンナ、イタリアとロシアもう二度と会うこともないだろう。
もう二度と会えないだろう。
その喪失感を抱えて二人は、またミラノの駅から別れていくのだ。
エンデングのあの眩しいウクライナの、ひまわり畑のシーン、ヘンリーマンシーニの哀愁ある、ひまわりの音楽と共に静かに幕を閉じる。
ウクライナの土地のあの場所に、この名作の思い出がある。映画は永遠に不滅にそれを記している。
50年も前の作品だけど、今だからこそ。
今年81本目(合計354本目/今月(2022年3月度)23本目)。
※ 詳細を調べるのに多少時間がかかっているので、今日の視聴ではありません。
※ NHKでも取り上げられた事情もあり、これから観る方のことも考えてネタバレがないように留意はしています。
NHKでもとりあげられたのか、予約が埋まりまくりの中、何とか最後の1席を抑えてみにいきました。
もともとはイタリア映画。このことは元作品がそうであり、2020年にリマスター版が出て、2022年に例の侵攻がはじまって各映画館(特にミニシアター)が放映するようになりました。
ただ50年も前のことなので国の事情もまったく違い、ロシアは旧ソ連だし、ウクライナという国自体もありませんでした(旧ソ連の一部の扱いだった/ウクライナの独立は1991年)。
ただ、この映画の「ひまわり」が今のウクライナで取られたことこれ自体は事実です。このことは他の方も触れられている通りです(映画内では当時のままなので、描写が少なめ)。映画内では無関係ですが、この映画を見て「ひまわりをぜひ見たい」と思ってソ連(当時)に来た人に対して、旧ソ連は「いや、あのひまわりはこの空港(昔は軍事上の理由で、外国人がソ連に来られる空港を一つか二つに制限していた)のすぐ近くなんだ」などと説明したパンフレットまでわざわざ配っていたのですが(当時の話)、それは外国人旅行者は当時、ソ連(ウクライナも含む)の旅行が制限されており(一定距離までしか旅行できなかった)、勝手にうろちょろ行かれては困る、という事情もありました(それ以上に、今のウクライナ等に行ってほしくなかった、という事情もある)。
※ 上記参考:在ウクライナ日本国大使館
また、ひまわりはウクライナの国花で、今のウクライナの国旗の黄色もこの「ひまわり」の黄色によります。
※ 上記参照:大阪市立図書館
そのため、「ひまわり」は今のウクライナを象徴する花ですが、何か花言葉があるわけではなく、上記のことを知らないと、「今現在、2022年で見に行く」という関係では支障をきたすかな…という印象です(特に、「ひまわり」が今のウクライナで取られた点は、ちゃんと理解していないと「2022年の今の状況」を鑑みるとはまります)。
一見すると元がイタリア映画なので、イタリア vs 旧ソ連という1970年代のお話ではなく、第二次世界大戦でのお話です。今のウクライナのキエフの南500kmほど(ヘルソン州と解するのが妥当。各種資料より)に送られた兵士のお話なのです。
確かに時代背景(1970年ですが、さらに第二次世界までさかのぼらないと、わからないところもある)としてわかりにくい点・字幕不足もありますが、今このときに公開されたときに意義があると思うし、多少わかりにくい点もあっても、NHKというある意味「国営放送」でさえ推しているという状況ですので、いくらでも情報収集は可能です。
※ 映画の内容としては男女の恋愛といったお話もでますが、この映画を「2022年の今の事情を鑑みるに」見に行くのであれば、今現在進行形で起きている問題を考える趣旨と考えるのが妥当であると考えるのが普通なので、そこは記載からばっさり削除しました(「今現在」の段階で観るのであれば、映画の本筋でもない)。
採点にあたっては、特に減点対象とすべき点はないので、フルスコアにしています。
リュドミラ・サベーリエワはオードリー・ヘプバーンに似ている。
中学2年の頃、『錦糸町楽天地』で『小さな恋のメロディ』と『ひまわり』の二本立てで見た。期待していなかったが、ガキのくせに泣けた。しかし、何でメロディとひまわりの二本立てなのかなぁ。
リュドミラ・サベーリエワはオードリー・ヘプバーンに似ている。『戦争と平和』を見ると分かる。僕はリュドミラ・サベーリエワの方が好きだけど、ボンダルチェクはオードリー・ヘプバーンに対抗して、リュドミラ・サベーリエワを起用したようにどうしても、考えてしまう。青い瞳はリュドミラ・サベーリエワだけのものだけど。
この頃、ソ連で撮影するのはまだまだ難しかった。しかし、ここまでロケできたのは、イタリア共産党のソ連に対する忖度あったのでは、と考える。
ヘンリー・マンシーニの曲赤の広場で流れる『search』って曲だそうだが、こちらの曲の方が良いと僕は思った。
今(2024年9月3日)はトスカーナのフィレンツェにいる。前日はローマにいたが、トスカーナ地方に入ると枯れかけた黄色い花が車窓を過ぎ去って行く。
『アレ?』と思った。『ひまわり』じゃないの?この映画のロケ地ウクライナまでではないが、トスカーナもひまわりの畑が一面に咲く畑がある。さて、演出家はウクライナの『ひまわり』に郷愁を感じ、二人に別の愛の決断を描きたかったんじゃないかと車窓を眺めてをつくづく思った。勿論、ミラノはトスカーナではない。しかし、最後の別れの場面はミラノ中央駅である。
2024年9月3日18時50分ミラノ中央駅に着く。『ひまわり』の最後場面だ。
鳥肌が立った。
沖縄戦を体験した世代のおじいやおばあたちに大変な支持を集めていた作...
沖縄戦を体験した世代のおじいやおばあたちに大変な支持を集めていた作品。
「いい映画だった」と大人たちが口をそろえていうし「ひまわり」という親しみやすいタイトルなので、私も観ようとすると「子供にはわからんよ」と言われる作品でした。(いつか絶対に見てやる)とテレビでリバイバル放送をするたびに、両親と何度か一緒に見ていましたが、映画の途中で母が私の目を覆って見せてくれないシーンがあって、覚えていたのは、甘いマスクで色男のマルチェロマストロヤンニとセクシー女優(だと思ってました)ソフィアローレンのラブストーリーでHなシーンがあって(ここで目を覆われて)我が家では子供は見ちゃダメ!という流れになりました。
だけど、悲しい話なんだよと言われて、私が覚えていたのは「ひまわりがたくさん咲いているのを観て、ソフィアローレンがシリアスな顔をしてるシーンと、ロシアの女性のしてるスカーフが可愛い!ということだけでした。
あと、子供のころ、大人たちが「ひまわりは大人の背より大きくなって、花が顔のようで、人が立っているようなんだよ」と私に話してくれることがありましたが、(沖縄戦が夏の戦争だったから、夏のひまわりが、なんだか悲しい思い出とリンクするのかな)と思っていたのですが、今回、この映画を観て、当時大人たちが語っていた「ひまわり」がどういう意味を持つのか、やっと理解できました。
今回見返して、私はろくに覚えていないということがはっきりわかりました。
これは「大人が観る映画」です。第二次世界大戦でロシア戦線にいって行方不明になったイタリア兵と、戦後も帰ってこない兵士の夫を探すイタリア女の話で、これは悲しい。
戦場に行った兵士を何年も待ち続ける家族の映画といえば日本だと『岸壁の母』や『北の桜守』などがありますが、大人の哀しいラブストーリーで、運命に翻弄される人の弱さや、それでも生きる人間の強さ。
ソフィアローレンはセクシー女優だとずっともっていました。ソフィアローレンさん、すみませんでした。すばらしい俳優さんです。
マルチェロマストロヤンニさんとは実生活でもご夫婦だったんだそうで、フェリーニの作品によく出ているマルチェロ・マストロヤンニ。イタリアのモテ男を演じたら右に出る人はいない、彼の笑顔に私のハートも溶けていきそうなくらい、素敵でした。夫を戦場に送り出し、夫の無事を祈りながら気丈に生きる強い女性を演じるフィアローレンのキリッとした表情。奥目の女性特有の、悲しい表情が印象的でした。
甘いマスクのモテ男と気丈で寂しそうな目をした女性の悲恋というと、バーブラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの『追憶』を思い出しましたが、追憶はこの映画の3年後に作れているので、この映画を研究したのではないかと、個人的には思っています。
タイトルなし
戦争に行って行方不明の旦那を探しにロシアまで行ったが、そこで旦那は別の人と家庭を持っていて、、という話。
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典型的な名作の今見ると何が良いかわからん系。このストーリーめっちゃよくある話で、いつの時代も男の言い訳がそれっぽいこと言ってて腹立つ。しかも2人目の奥さん若くてすごい綺麗だったし。
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戦争によって引き裂かれた愛ということで、めちゃくちゃスタンダードな反戦映画だなと思った。最近はもう反戦映画でも捻りに捻られてるからこういうスタンダードなのつまんなくなっちゃうからダメだなぁ。
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でも、最初はずっと6時を指してる時計がその後ちょっと進んだり、ちょっと前になったり、どちらも追いかけて行く時は老けてやつれて見えて、追いかけられる時は割と若々しく見えたり、さりげなく子供がいる気配を人形や壁飾りで匂わせていたり。他にも色んな仕掛けがありそう。
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友人の勧めで見たのですが。。。。
ソフィアローレン主演との事。
戦争は、やはりやってはいけないという思いが残った
ミラノの駅ホームは、とても懐かしく拝見しました。
20年前と同じ☆彡
内容は、ちょっと???
まぁ、2つの家庭が円満に行く事を願うばかりです
昨日の、
本気のしるし
見たばかりなので。。。。。そちらの方がよかったわ
24個の卵
第二次世界大戦下のイタリアを舞台に、戦争によって引き裂かれた2人の切なく悲しいラブロマンス。
前半は戦時中ながら2人の濃厚な恋愛模様が描かれていました。
イタリア人らしい超濃密な2人の間の愛が愛おしくて、映画序盤のラブシーンはとても良かった。
アントニオのアフリカ行きが決まっており、それを免れようとするも、バレてロシア戦線へ配属されてしまいます。
戦争が終わっても帰ってこない夫アントニオ。
妻ジョバンナは彼がまだ生きていると信じ、ロシアに渡るが…
やっぱり国民性なのでしょうか?
日本人がやったらちょっと重い女になってしまう気がします。
いくらイタリア人でも実際ちょっと引いてしまったほど。
悲しみに暮れ、夫の生存を信じ、安否を確認するためあちらこちらへ回るのはわかりますが、人に迷惑かけるのはねぇ。
彼を知る人物にはなぜ助けなかったと問いただし、ロシアでイタリア人らしき人を見つけてストーキング。
知らないと言っているのにしつこい。
周りだってみんな愛する人の帰還を待っていて他人に構っていられるわけない。
もう少し周りを考えようよ、ジョバンナさん。
まあ、愛の力とはそれほどのものなのかもしれませんが。
自分的にはなんとも言えない表情が良かった義母が1番好きなキャラクターでした。
アントニオもアントニオですが、あんな可愛い子に雪の中引き摺り回されたらね…
戦争によって人間の愛が鮮明に描き出され、哀愁漂う音楽と延々と続くひまわり畑がただただ美しい名作映画でした。
大人の映画
音楽は知ってた。ソフィア ローレンも知ってた。ひまわりという映画があるということも知ってた。
この度、地方にいながら映画館で観る機会があり一人でこっそりゆったり。
良かったー。観て良かったー。細かいことは抜きにして、アナログ撮影でも優れた色彩感、音楽、そして何よりソフィア ローレンの情感溢れる演技。バランスが良いので安心して観ることができた。
また、戦争の傷痕がどんどん薄れていっている今、人間の愚かさと弱さを改めて感じさせられた。
若い人に観てもらいたいと思うけど、若い人にはなかなか理解しがたいのかなぁ?私も若かったら、こんなに共感できなかったと思う。だから、今観ることができたのは良いタイミングだったと思っている。
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