激動の1750日

劇場公開日:

解説

日本最大の暴力組織の首領の座を巡っての約五年間にわたる抗争を描く。志茂田景樹原作「首領を継ぐのは俺だ」の映画化で、脚本・監督は「女帝 春日局」の中島貞夫。共同脚本は村尾昭と大津一瑯。撮影は「新・童貞物語 ホンコンバージンボーイ」の佐々木原保志がそれぞれ担当。

1990年製作/115分/日本
配給:東映
劇場公開日:1990年9月15日

ストーリー

日本最強最大の暴力組織は、今かつてない危機を迎えていた。三代目・神田一政組長を失い、さらに四代目候補の若頭・山地辰一が急死。こうした相次ぐトップの死によって組は大きく動揺していた。そして、跡目が決まらぬまま一年がたった。直系組長89名が列席する神岡組定例幹部会、ここで川井が四代目に立候補を宣言する。古参グループは賛同したが、若頭・時津不在の会議は無効とし、山辰組二代目組長・若竹正則が異議を唱え、これを若手幹部の面々が強く支えた。古参VS若手の議論は烈しく対立、平行線のまま流会した。こうして四代目の座をめぐって両者の暗闘が始まるが、若手らの離反を恐れる三代目姐のひろ子は川井らを呼びつけ、四代目は時津に!と言い放った。この時点で神岡組を去った川井は、新組織を結成しこれを八矢会と命名した。そしてここに日本全土を揺るがす抗争の火ブタが切って落とされた。それによって双方のヒットマンの動きが激しく入り乱れ、時津はその銃弾を浴びて死亡。かくて神岡組はその巨柱を一瞬にして失った。その四日後、神岡組は緊急幹部会を招集し、四代目代行に舎弟頭の兵頭七郎を、若頭に若竹を決定し、強力な団結でこの戦争に臨む決意を固めた。その時、先頭に立って戦う若竹の耳に、ひろ子の死の報せが入った。恩人であるひろ子を喪った若竹らは、その深い悲しみの中で戦いを続行しながら逃亡中の時津の仇・力石を追った。ヒットマン力石を挟んで、ヤクザ社会のしがらみに苦しみながらも戦わざるを得ない南原と本堂。やがて両組は凄惨な銃撃戦を交し、その中で力石は蜂の巣となって死んでいった。こうした双方の報復に次ぐ報復によって、犠牲者の数は増えていく。ヤクザ社会の長老仁王会会長は、この事態を憂慮、仲裁に乗り出したものの、この血で血を洗う抗争はなお続くのだった。

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