かあちゃんと11人の子ども

劇場公開日:

解説

吉田とらの原作を「恐山の女」の堀江英雄が脚色し、同じく「恐山の女」の五所平之助が監督した実話の映画化。撮影は「俺たちの恋」の長岡博之。

1966年製作/106分/日本
原題または英題:Our Wonderful Years
配給:松竹
劇場公開日:1966年10月1日

ストーリー

とらは十四歳の若さで吉田貞治の許へ嫁いだ。彼女がまだ高等小学校へ通っていた時である。伊豆地方には足入れ(仮祝言)の習慣が残っていて、正式に結婚式を挙げたのは翌年の大正十五年で、彼女はその時既に長女の成子を宿していた。貞治は記念にと彼女にハコセコを買って与えた。貞治は進取の気性に富み、農耕の他に、養蚕、肥料店、牛乳屋を兼業していたから、生活に困るということはなかった。そして吉田家は、十二年を経た時には、成子を筆頭に六人の子供に恵まれていた。昭和十二年、日中戦争が勃発、静かな西伊豆の村にも、戦争の波がおしよせ、貞治の弟善作に続いて貞治にも召集令状が来た。とらは、貞治の帰還する昭和十四年秋まで、仕事と六人の子供を抱えて奮闘した。台風にも負けはしなかった。そして貞治との間に交換された手紙は三百通を越えた。貞治の帰還で吉田家に再び幸福が戻ってきたが、戦局は激しくなるばかりであった。戦地で輜重二等兵として苦労した貞治は、子供だけには教育を受けさせたいという強い願いを持っていた。長女成子が静岡の師範学校へ入学、牛乳屋の第一号進学に次いで、次女旭子も師範学校へ、長男聖は東京の中学へと入学した。その間にも子供は三人もふえていた。そして二十三年に生れた末っ子の都をいれて、十一人を数えていた。子供は成長してそれぞれの道を歩み始めた。そんなある日、末っ子都の書いた詩「かあらゃん」が総理大臣賞を受賞した。とらは嬉しかった。だがそれ以上に彼女にとって嬉しいのは、夫にもらったハコセコが、いまだに村人たちの結婚式に借りられることだった。幸福を呼ぶハコセコだと評判なのである。とらは今日も忙しい一日に飛び出して行くのだった。

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