A.I.
劇場公開日:2001年6月30日
解説
スタンリー・キューブリックが生前に温めていた企画を、スティーブン・スティルバーグ監督が映画化したSFドラマ。テクノロジーが天文学的なペースで発達した近未来。人間は“感情”以外の面において万能なロボットを召使いとする生活を送っていた。そんなとき、サイバートロニクス社は世界で初めて“愛する”ことをインプットしたロボットの少年デイビッドを作り上げる。彼は試験的なケースとしてサイバートロニクスの従業員夫妻の養子となるが、やがて予期せぬ状況の連続で生活を続けられなくなり、デイビッドは家を出る。デイビッド役は「シックス・センス」でアカデミー賞にノミネートされ、天才子役として一躍名をはせたハーレイ・ジョエル・オスメント。
2001年製作/146分/アメリカ
原題:A.I. Artificial Intelligence
配給:ワーナー・ブラザース映画
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記憶が正しければ、スピルバーグによると、キューブリックとの打ち合わせで彼は「AI」とは言わず、しきりに「ピノキオ。ピノキオの話」と呼んでいたらしく、公開前はどんな映画になるのかが楽しみだった。彼が亡くなった後、完成した映画を観た時に、強く印象に残ったのは、A.I.の少年が初めて登場した場面で、彼は「2001年宇宙の旅」に出てきた宇宙船のキャビンアテンダントの履いていた白いグリップシューズに似たものを履かせ、初めて登場させた瞬間、「スピルバーグは意識的に入れたな」と思った。
それはさておき、ロボットの少年と人類の未来を描いた「ピノキオの物語」は、若干の長さを感じるものの、「人であるものと、人でないものの」思いの入った映画になっている。その思いや願いは、とても悲しくて、とても幸せでなのである。
もしキューブリックが監督をしていたら
鋭く冷めた映像に観客は内面を突き刺されるだろうな、、、
しかしエンドクレジットの一番最後に表示された
FOR STANLEY KUBRICK の文字に本当の終わりを感じた。
※
2022年11月20日
iPhoneアプリから投稿
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公開当時より、変に主人公に感情移入してしまって「感動した」「涙が止まらなかった」との感想が聞かれたり、逆に「デイビッドの言動があまりにも不自然で感情移入できなかった」という真逆の感想が聞かれたりしていた。前者は主人公デイビッドを「人」と見做して感情移入しているに過ぎないが…実は後者の方の「不自然」という捉えかたの方が、この作品の伝えんとすることの方により近づいている。なんせ主人公は母親「だけ」を愛するようにプログラムされたロボットに過ぎず、どう足掻いても人にはなれないのだから(そういう意味では、これは一種の悲劇である)。当然、人として見たら不自然極まりないのであるが、ロボットとしてみれば当然。この辺りを捉え間違えて、感情移入する方に流されてしまうと、この物語の基本的な構造を見失ってしまう。これは、感情を揺さぶる感動のSFドラマなどではなく、大変に理知的で哲学的なテーマを持った作品である。このあたり、スピルバーグの描き方が優しいので、分かりにくくなったかも知れないが…もしかするとそんなことはお見通しで、そういう哲学的テーマを巧妙にベールに包むようにしたのかも…なんて思ったりもする。
この作品が本当に描かんとしているテーマが何なのかが明らかになるのは、物語も終盤、人類が絶滅した2000年後の世界を描くほんの数分間においてである。そこでは高度に進化したロボット(←これを宇宙人だと勘違いしている人がかなりいるようだ)が、「人間とは何であったのか?」と問い、研究している。無生物が人間を問うということは、敷衍して言えばこういうことではないか…「世界には人という複雑高度な種が存在しているが、それ以外の生物も、命のない無生物も存在している。そんな人以外の存在にとって、人とはどんな意味を持つのか?」
①家族に迎えられる→廃棄される、②ジャンク・フェアという狂騒、③出自を尋ねてのマン・ハッタンまでの旅、④2000年後…というのが全体の流れだが、④に当たるラストの数分をきちんと受け止めるならば、ラストに至ってから、これらの物語の大半の部分を振り返って考えないでいられなくなる。平たくまとめれば、デイビッドの辿った道は、明らかに「自分が無生物であり、ロボットでしかないことを知らしめられる道」ではないか。
そう理解すれば、やはり、これは悲劇の形を借りた哲学的な寓話と言っていいと思う。ハーレイ君の名演技と可愛らしさで観客を惹きつけておきながら、ある意味で非常に硬派でディープ問いを観客に叩きつけるのだから、スピルバーグはとんでもない二枚舌(←褒め言葉です)と言っていい。
2022年8月1日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
ジャンルの違う3作品くらいをまとめたような。
最後まで想像の付かないストーリーだった。
面白かったという意味ではなく…。
高評価だったので期待していたが、刺さるところがなかった。
前半パートは悪くなかったのでその路線で進めてほしかった。
急にロボットの世界やらなんやらで興ざめ。
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子供を主役にしている映画って、精神が成長していくのが醍醐味だと思っているんですが、主役はロボットなので何も成長しないよ!という意思を感じました。
主人公の心情に変化があったとすれば、「僕は特別じゃない」と気づいたこと。
自分とそっくりなロボットをぶっ壊す所はゾッとしました。人間なら、自分にそっくりな人間に攻撃するのはすこし躊躇する。でもロボットの彼は違う。
そのシーンでデイビットに寄り添えなくなりました。
彼は「母」という存在さえ居ればいい。他人の心配なんかしない。テディの心配もしない。ジゴロジョーの事も。
サイコパスロボットの出来上がり…怖…
なんか泣かせにきてるシーンとかあるけどツッコミ所があり過ぎて涙が引っ込む。
精神攻撃が強すぎて、個人的にトラウマ映画TOP10に入りました。
最後で人間とロボットの立場が逆になるのは面白いなと思いました。人間が、息子の代わりにロボットを作る。
ロボットが、愛した人間に会うために人間を作る(生き返らせる)
多分この映画は、何も考察せずに見た方が気が楽ですね。