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○作品全体
記憶の断片を有して過去と対峙した『スプレマシー』。そのラストシーンに至るまでの時間をさらに補強し、ボーンとウェッブ、それぞれの存在とその行く末を示したのが『アルティメイタム』だった。
本作は2つの前作よりもさらに多くの記憶の断片によって、深く過去に触れていくのが特徴だ。水というモチーフを導火線としてウェッブからボーンへ、そしてボーンからウェッブへつながっていく演出が度々入る。
これは「トレッドストーン計画」の中で水槽に顔をつけ続ける描写が根本にあって、『アルティメイタム』ではモスクワの洗面所の水で過去を思い出すシーンが一例だろう。
そもそもボーンの世界に変化が起こる状況では水のモチーフが多くあった。『アイデンティティ』冒頭、海から浮上するボーンはまさしくボーンとしての誕生の場面だったし、『スプレマシー』の冒頭では海沿いの家から記憶の断片に触れ、二作目が動き出す。マリーを失ったのは川の中だったし、ボーンが『アルティメイタム』で最後に姿を消すのも川の中だ。
記憶がなく、安息の地をほとんどもたない不安定なボーンと水というモチーフのシンクロが、「トレッドストーン計画のトラウマ」という過去とも繋がる演出が巧い。
記憶がないという「無」の克服として自身のアイデンティティを三作に渡って徐々に拾い集め、ボーンでありウェッブである存在が浮かんでくる。終盤、トレッドストーン研究所でウェッブからボーンへ変化する経緯を知ったボーンが「もうジェイソン・ボーンではない」とつぶやく。無の象徴であったボーンとしての人格からボーンでありウェッブであるという人格への変化がそこにはあって、ボーンからボーンへ、別れを告げる「最後通牒」でもある。
ラストシーン、追っ手から逃れ水の中へ逃れる。水の中で動かず漂う姿はボーンとしての死を、再び動き出す姿にはボーンでありウェッブとしての再生を感じさせる。
ボーンは死んだわけではない、別の存在として生まれ変わった。一つの水の流れであった小川が別の川と合流して新たに名付けられるように。
〇カメラワーク
・アクションカットの手ブレ演出が極まってる。手ブレカットの意味として臨場感があるんだけど、そこが徹底してた。アクションシーンを俯瞰する画面はあえて作らず、短いカット割りで混乱と衝撃に重点を置いている感じ。手ブレ+ピンぼけからのフォーカスとかバリエーションも多い。アクションを見せるという意味では弱いのかもしれないけど、やっぱり緊張感がカッコいい演出だ。
・『アイデンティティ』のときにはカメラを向けるとボーンがいない、っていうカメラワークがたくさんあったけど、本作はむしろボーンが特定されていない状況からバレるっていうカメラワークが多い。すでにボーンが亡霊のような存在ではなくて、抹消されるべき存在として見られているからだろう。バイクに乗ったディッシュを追いかけるボーンがミラーに映るカットとか『アイデンティティ』のときには考えられなかった。
・過去作を意識させるカットがいくつかあった。髪を黒く染めるニッキーを覗くカットは『アイデンティティ』のマリーを想起させるし、カーチェイス後、ボーンがクラッシュしたパズを見逃すカットはスプレマシーのカーチェイスのラストと重なる。
〇その他
・ボーンが戦闘になるときに武器にするものが毎回面白い。今回は新聞、分厚い本、タオルだった。シチュエーションに応じて攻撃できる対応力を示すプロップとして優秀だなと思った。「鉛筆一本で人を殺す」キャラクターがいるけど、ボーンは「本一冊で人を殺す」キャラクターだ。
・敵役として印象的だったのはタンジールで戦ったディッシュ。ニッキーの偽連絡に騙されてしまうけど本部からの連絡で即座に状況を理解して、本来の標的とボーンの両方に攻撃を加える機転の利いた作戦が見事。