事実をもとにして脚色し、エンターテーメントせいを持たせた映画なのである。私はレビューは書いたことがなかったのであらためてこの映画を観賞して書いている。実は最近、ジョンソン大統領と、フーバーFBI長官、そして、ミシシッピー州の上院議員ジェーム・イーストランドとジョンソン大統領との二つのこの事件の音声アーカイブを聞く機会があった。特に、この上院はこの会話の中で、州での白人至上主義KKKのこの事件を否定している。KKKはいないと。ジョンソンは、この中で白人二人(ユダヤ人)の親がFBIのトップ、attorney generalに会いにきた。大統領の私にも会いにくると。メディアにも動いていると。これが州の事件にとどまらず、連邦政府全体の公民権の問題になり、FBIが出動。ニューヨークのユダヤ人家族が行動したことにより、1964年7月2日に公民権法の動きや参政権(1965)にも進んでいた。
この事件はcodenamed(暗号名) Miburnというと。
「Freedom Summer」という人種平等会議(SNCC)をはじめとする公民権団体が立ち上げた3ヶ月間の運動である。ミシシッピ州でできるだけ多くの黒人に投票登録をしてもらうための運動。1964年6月21日、ミシシッピ州出身の21歳の黒人ジェームズ・チェイニーと、彼の白人同僚2人(ユダヤ系ニューヨーク出身の20歳のアンドリュー・グッドマンと24歳のマイケル・シュワーナー、)が、スピード違反だとして逮捕される。その後、釈放され、殺された事実解決をもとに、映画が成り立っている。
再度書くが、この映画は事実を踏まえたフィクションである。でも、私にとって不信なことがある。監督はUKの人であるが、米国の文化にどれだけ精通しているか皆目検討がつかない。しかし、この映画の中での南部の黒人の動きはどうなっているんだ。公民権運動は始まっていて(検索結果をのせる)、黒人は見ているだけでなく、どこの州の黒人も行動しているのだ。この映画だと、受け身で、白人の言うことを聞いている黒人を描いている。おかしいねえ、何がそうさせたのか?当時白人至上主義者は南部なら特にどこにでもいたはずだ。下記の公民権運動は黒人が中心になっているのではないか。
1955-1956: Montgomery Bus Boycott
1957: Little Rock Nine
1960: Greensboro sit-ins
1961: Freedom Rides
1963: Birmingham campaign
1963: March on Washington
1964: Civil Rights Act of 1964 - Legislation that outlawed discrimination based on race, color, religion, sex, or national origin.
それはさておいて、私はFBIのボスMr.ワード(ウイリアム・デフォー)とアンダーソン(ジーンハックマン)のこの問題解決や態度の違いを少しだけ書きたい。二人は全く違うタイプ。ワードは三年間司法省で働いたエリート。アンダーソンが『ケネディ・ボーイか?』とからかったが、この言い方はシェリフがアンダーソンを『フーバー・ボーイ』と言う言い方と同じで、南部の使い方だと思う。シェリフの事務所を訪ねている時、アンダーソンは保安官ペルPell(ブラッド・ドゥーリフ)に対して、南部の理解不明(You backwood , shit-ass you検索で、南部の田舎者を軽蔑した言い方だ)な言い方をする。そしたら、シェリフ(Gailard Sartain)がすぐ出てきた。シェリフはすぐに南部のものが来ているのを認識したから。これが南部の変な連帯意識だと思う。
南部のミシシッピーはミシシッピーのやり方がある。司法省出の正統派には通用しなそうだと視聴者に思わせる。これからあと、食堂に行くが、ワードは空席を見つけてそこへ。アンダーソンの表情が全てを物語っているが、ワードは黒人の席で、若い黒人の男性に質問を仕掛ける。黒人の男性は迷惑そうに席を立つ。私はこのシーンをハラハラしてみていた。だって、こんな現場を作ったら、この黒人は殺されるよと思った。ワードは郷にいれば郷に従えではなく、エリート・ナイーブで南部でワシントンDCにいるのと同じに行動している。コメディのようにこの二人のいがみ合いを滑稽に表して、エンターメント性を強めているのかもしれない。
好きなシーンが多い映画だが、もう一箇所だけ大好きなシーンをかく。父親から、アンダーソンは学び、反面教師になったいい例の会話がある。これがアンダーソンの父親なんだ。その、父親を見て育ったから、アンダーソンは正義感が強くなったんだと理解できるシーンだ。 奴隷制度とその後のジム・クローなどは白人が不可思議な優越感を持ってしまった。アンダーソンの父親がいい例であって、"If I wasn't better than a Black man, who was I better than?".この恐ろしい言葉に象徴される。自分を正当化するため、「黒人よりマシでなかったら、誰よりマシなんだ」と言う言葉になって現れる。息子のアンダーソンは父親が父親より成功している黒人のロバ?を殺してしまったと確信している。アンダーソンは続ける、父親は黒人に対する憎しみに満ち溢れていて、貧しさが自分を苦しめていることに気づいていなかったと。誠に、人種差別の根本をここで表している最高のシーンだね。
この映画全体は、人種差別の根源を理解しているミシシッピ州出身のアンダーソンと、北部のエリートであり、四角四面のボス、ワードの視点と行動の違いがはっきりわかる映画になっている。好きな映画だ。