ブラッド・ワーク

劇場公開日:

解説

マイクル・コナリーのベストセラー小説「わが心臓の痛み」を、クリント・イーストウッド監督・主演で映画化したクライム・サスペンス。FBIの心理分析官テリーは、連続殺人犯「コード・キラー」を追跡中に心臓発作で倒れ、退職することに。2年後、心臓移植を受けて隠居生活を送っていたテリーの前に、グラシエラと名乗る女性が現われる。グラシエラは殺された姉の捜査を依頼し、自分の新しい心臓が殺されたグラシエラの姉のものだと聞かされたテリーは犯人を探すことになるが……。

2002年製作/105分/アメリカ
原題または英題:Blood Work
配給:ワーナー・ブラザース映画
劇場公開日:2002年12月7日

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映画レビュー

4.0【”我が心臓の痛み”クリント・イーストウッド監督、制作、主演作に外れなしの法則が適用されるサスペンスミステリー。】

2024年12月9日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

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■FBI捜査官、テリー・マッケーレブ(クリント・イーストウッド)は宿敵の犯行現場に謎の数字を残す”コードキラー”を追跡中に持病の心臓発作で倒れて犯人を取り逃してしまう。
 それから2年後。FBIを引退し、移植した新しい心臓で新しい人生を歩み始めた彼の元に、「妹を殺した犯人を捜してほしい」と言う女性グラシエラ(ワンダ・デ・ヘスース)が現れる。そして、テリーは自分の命を救った心臓提供者が、殺されたグラシエラの妹のモノと知るのである。

◆感想

・今作は、人気作家マイケル・コナリーの「我が心臓の痛み」を原作としている。が、主役のクリント・イーストウッド演じるテリー・マッケーレブが、何処か孤独な影を持ち信念を持って生きる姿が、ハリー・キャラハンを彷彿とさせる。

・ストーリー展開も、様々な謎が仕掛けられており面白く鑑賞出来る。”コードキラー”が犯行現場に残す謎の数列。
 テリーが心臓移植を終わるまで、犯行が行われなかった事etc.。

・おまぬけな二人の刑事、ジェインとアランゴの姿が、やや息抜きとなるかな。

・テリー・マッケーレブが住む船にグラシエラと自分に心臓を提供してくれた妹の子レイモンドが、謎の数列を観ていて”1がない”と気付くシーンなどは、ナカナカである。
 彼の言葉が、テリーに犯人を教えたのだから。

<監督・製作・主演を兼ねたクリント・イーストウッドが優れたる演出手腕を見せたサスペンスミステリー。
 ラストの展開も観ていてスカッとするところも良き作品である。>

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NOBU

3.0見た。

2023年12月31日
PCから投稿
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プライア

4.0船のお隣さんが

2023年12月31日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:TV地上波

親切なのだが、親切すぎると思ったら、やはり。
心臓をもらったという事で、依頼を受けたのか?
しかし、年齢的にも、身体の状態も引き受けられる状況ではないはず。
無理がある。しかも依頼主とそんなことになるなんて。

殺人犯がなぜ、イーストウッドのやる刑事に固執したのかが、いまいちわからなかった。

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myzkk

3.5監督兼、主演イーストウッドの特徴

2023年9月22日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

「許されざる者」で、その作家性を高く評価されつつも、観客はいつまでもダーティ・ハリーのイメージを求め続ける。そんな彼はリタイアというテーマで何本も映画を撮っている。
「人生の特等席」目の衰えを隠せないプロ野球のスカウトマンと、彼に振り回され続けた娘の確執と和解。
「グラントリノ」退役軍人が、修理工を引退し、近所からも孤立し変人扱いを受けるが、隣人との交流を通じて人間性を回復。その隣人がトラブルに遭い、彼なりの落とし前をつける。
もちろん彼自身が年を取ったことが大きいが、それでも役者として、演じることをやめない以上、役柄は必然的に限られてくる。

この映画でも、心臓に持病を抱える元FBI捜査官という役で、自ら主演し、独特のペシミスティックな演技を淡々と披露している。
音楽も極めて限定的に使われ、ほとんど印象に残らない。相棒がたわむれに鳴らすハモニカの音が強く印象に残るのとは対照的で、音楽をテーマにした作品以外に共通する、イーストウッド作品の特徴だろう。

スケジュールを超過することなく、撮り直しもほとんどないという割に、一定のクオリティを保っていられるのは、彼自身の経験からくるもので、時間をかけてテイクを繰り返しても、映画の出来を左右することがないということ、だろう。

淡々と映画を撮り続け、成功を収める彼の映画に、観客は何を期待し、そして満足するのか。そのことをイーストウッドは常に自分自身に問いかけ、答えを見つけ出しているように映る。ケータイを嫌い、一匹狼で、やせ我慢。彼の考えるヒーロー像がこの映画につまっているのだ。

心臓が悪いのに、ベッドで一戦を交えてしまうのは、ご愛敬か。「まだまだ現役だよ」という意思表示にも思える。この映画が2003年。それからもうずいぶん時間も経つというのに、まだ引退する気配もない。それどころかキャリアハイの作品を撮り続けるのだから、役柄さえ整えば、監督、主演もまだまだできるんじゃないかと思ってしまう。

だって、「グラントリノ」で引退しなかったんだから。

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うそつきカモメ