昼下りの情事
劇場公開日:1957年8月15日
解説
パリを舞台にしたロマンチックコメディ。音楽院でチェロの勉強をしているアリアーヌは、私立探偵である父親の仕事に興味津々。素行調査に登場する億万長者のプレイボーイ、フラナガンの存在が気になってしょうがない。一計を案じ、彼との出会いに成功するが、数々の男を手玉に取った遊び人を装ってしまう。2度目のワイルダー作品となるオードリー・ヘプバーンが、背伸びした純情な娘を好演。フラガナン役は当初、ケイリー・グラントが打診されていた。
1957年製作/134分/G/アメリカ
原題:Love in the Afternoon
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大好きな映画です。嫉妬でいらいらするフラナガンがツボです。アンクレットのエピソードとか素晴らしいですよね。父親にも感情移入しちゃうし(「娘です」のシーンも泣ける)、とにかく脚本の完成度が素晴らしい。オードリーの映画の中でも一番好きかも。
ところで邦題の話。清純派オードリーのラブコメになぜ「情事」なんて淫らな邦題をつけるんだー!という怒りの声もありますが(淀川長治さんもこのことを怒っていたとか。ほんとか?)、主人公アリアーヌが「(夜はほかの男で忙しいから)私は午後の女よ」なんつってフラナガンを挑発するんだからしょうがないんですよ。うぶな少女がプレイガールぶって文字通りの「男をとっかえひっかえしての情事(「恋愛」よりもう少し淫靡なニュアンス)」をほのめかして、好色な中年のフラナガンをやきもきさせる、という話です。膝にえくぼがあるとか脚に傷があるだとか、金属プレートが入ってるだとか、(虚構の)元カレたちの*肉体的な特徴*をせっせと描写して肉体関係を暗示するわけです。だから「昼下りの情事」はぴったりの邦題だと私は思いますよ!! というか原題も一義的にはそういう意図だと思います。(Loveはいろんな意味にとれるから原題にはタブルミーニング的なところもあるわけなんですが、翻訳の限界ですね)
#この映画はヨーロッパでは原作小説の書名「Aliane」(または現地語における同じ名)を題名にしてるんですね。ちょっとつまらないかも。
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「ローマの休日」と並んでオードリー・ヘップバーンの魅力が満載です。一般的には「ローマの休日」のほうが人気があると思いますが、個人的には彼女の出演作の中では、こちらも同じくらい好きな映画です。
特に気に入っているのが最後の駅での別れのシーンです。私立探偵の彼女の父親の忠告どおり、プレイボーイのフラナガンは彼女と別れることにする。彼女はニースへ行ってしまうフラナガンを見送りに行く。彼女にとってはとても悲しい場面であるが平静を装おうとして、別に付き合っている男がいっぱいいるので大丈夫という精一杯の嘘を言うが、彼は嘘であるのが分かっている。列車が動き出しても一緒に走りながら嘘を言い続ける彼女を次第に愛おしくなっていく。だんだん彼も彼女を離したくない気持ちになっていく様子は観ている我々にとっても痛いほどわかる。彼の感情が最高潮に達した時、(ここで彼女を離したら、列車のスピードで離れ離れになってしまうという瀬戸際で)彼女を列車に乗せてしまうという演出は最高である(さすがビリーワイルダー監督と思わせる)。その様子を彼女の父親は微笑んで見ていて、許しているような感じで、結局二人は結婚するということがニュース報道でわかるという完璧なエンディングだ。
この時、実年齢はゲーリー・クーパーは50代半ば頃、オードリー・ヘップバーンは20代後半で、19歳位の学生の役。現実的には結婚はやや無理があるが、観ている分には不自然さは感じなかった。
2020年11月21日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
オードリーヘップバーン扮する女子学生アリアーヌの父親は私立探偵をしていたのでアリアーヌは興味があった。そしてアリアーヌは、調査対象であるゲーリークーパー扮するアメリカの大富豪フラナガンが気に入ってしまった。フラナガンにデートに誘われアリアーヌは有頂天。しかしアリアーヌはデートを断りに行ったのだがフラナガンに話し込まれてしまった。果たしてふたりの運命は? キュートなオードリーは、声も素敵だし表情や仕草を見ているだけで満足するね。
2020年11月16日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル、TV地上波
私立探偵の父と二人暮らしの清純なフランス娘アリアンヌと女性関係で世間を賑わすアメリカの富豪フラナガンの互いに惹かれあう恋の顛末を、落ち着いたタッチと洒落た台詞で楽しませてくれるロマンティック・コメディ。オードリー・ヘプバーンのまるで着せ替え人形のようなお洒落でスタイリッシュな衣装とヘヤースタイルの七変化が見所のひとつ。まさにヘプバーンの為に企画・制作された映画であり、相手役のゲイリー・クーパーはプレイボーイ役としては渋みが増している。ビリー・ワイルダー監督はケーリー・グラントを強く希望したというが、判るような気がする。初見は約50年前の日曜洋画劇場だった。淀川長治氏の解説では、クーパーはフラナガンの様な男性ではなく、寧ろ父親役のモーリス・シュヴァリエが艶福家として浮名を流したと語った記憶がある。映画のこのキャスティングにワイルダーらしい配役の妙を感じて下さいという事だと思うのだが、これは結果論のようだ。どちらにしても、晩年の深みのある演技を見せるクーパーと、人生経験豊富な貫禄を感じさせるシュヴァリエが、オードリー・ヘプバーンの為に共演した価値は充分にあると思う。
映画としては今日の感覚で観るとテンポが遅い。内容から推察すれば100分から110分くらいにまとめたらスッキリしてラストシーンがもっと引き立つように思う。しかし、それを補って余りある台詞の良さと、人物や小道具の伏線の丁寧な使い方にみる脚本の上手さがある。主題曲”魅惑のワルツ”を演奏するジプシー楽団、アリアンヌのチェロケース、アンクレット、妻の浮気調査を依頼したX氏、そしてフラナガンが宿泊するスイート・ルームの隣室の子犬。この映画最大の犠牲者はX氏ではなく、何も悪いことをしていないのに飼い主のマダムに叱られるワンちゃんだろう。開巻では、恋のパリの一場面に、ふたり乗りのスクーターで「ローマの休日」のパロディをチャッカリ差し込んでいる。台詞では、(うつぶせに寝る女性の86%は、秘めた恋をしている)が有名だ。ラストの父シャヴァスのナレーション(彼女は、ニューヨークで終身刑になるだろう)も可笑しい。父親の偽らざる本音が溢れている。
現実的な観点で冷静に見れば、この恋の物語は愁嘆場で終わるラブアフェアーもの。そんなストーリーなのに、初めて恋した女性が本当の涙を流す姿を見せられたら、どんな男性も太刀打ちできない。その一生に一度の涙の乙女を演じるオードリー・ヘプバーンの美しさがすべて。”女性の涙は、鉄砲より強い”を実践したアリアンヌの勝利と成就。