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デ・シーカとヴィスコンティとパゾリーニの各編が観るに値するもので、ボロニーニのとても短い現代風刺劇『市民気質』は構成が不十分で物足りないし、初めて観るフランコ・ロッシの『シシリア娘』の強烈なシシリア気質もエピソードとして弱い。巨匠格の3人に配慮しすぎたオムニバスのイタリア映画。個人的には、パゾリーニ監督のユニークな演出タッチが面白かった。
先ずはヴィスコンティ監督の『疲れきった魔女』だが、これは女優という職業の公私の変わり様を暴露した一夜の出来事。この映画の主役を務めるシルヴァーナ・マンガーノに合わせた寸劇で、友人役にアニー・ジラルドが扮している。友人の別荘で休養を取ろうとするが、翌朝には仕事仲間の男に連れ戻され、ヘリコプターで仕事に向かう。来るときも行くときも華やかに振る舞うが、気心の知れた友人宅では疲れ切った表情を見せる。女優の私生活は部屋の中だけ、それ以外は仕事で役を演じるか、誰かに見られている時は女優の自分を演じなければならない。ヴィスコンティ監督の女優に対する同情と理解が込められているが、表現は辛辣だ。パゾリーニ監督の『月から見た地球』は、不思議なストーリーの寓話を素朴なロケーションで撮影したパゾリーニタッチが独特な個性を持つ。マンガーノに合った役ではないが、悲しくて可笑しい人間の自然体の姿がある。妻を亡くした初老の男が大きな子供を連れて後妻探しをする。そこに理想的で無垢な美女が現れて、二人を甲斐甲斐しく世話をする。しかし、お金がない。そこで考え付いたのが、古代遺跡の崩れかかった場所に妻を立たせて、下から自殺しないでくれと親子が嘆き叫び、周りの人たちの同情を誘いお金を恵んでもらうという狂言詐欺。この計画は上手く成功するのだが、好事魔多しで妻が誤って落ちて死んでしまう。親子は、また墓の前で嘆き悲しむ。ところが、家に戻ると死んだはずの妻が、ふたりの帰りを待っていたというお話である。最後のデ・シーカ監督の『またもやいつもの通りの夜』は、相手役にまだアメリカで売れていなかったクリント・イーストウッドが出て来て、ビックリ。イタリア映画らしいというか、デ・シーカ監督得意の艶笑喜劇で、倦怠期を迎えた夫婦の哀歌のお話だが、筋書きは至って凡庸だった。
疲れた名女優、優しさと奉仕の無垢な娘、快活ハリキリ婦人を演じ分けたマンガーノの為のオムニバス映画。監督の特徴の違いを楽しみながらイタリア映画を研究するにはいいかもしれないが、全体としては散漫に終わる。
1977年 3月3日 ギンレイホール