誰に対しても「あんたがわたしを知ってるってだけで腹が立つ」と面責する老人が「あれ、おじさん昨日もパコのほっぺにさわったよね」に感化されて自省する、言わば不機嫌な老人が少女の純真に溶かされる話。極彩色で諧謔的だが完璧主義の中島哲也のコントロールで情味あるファンタジーになっている。
この映画には老人が少女を殴るシーンがある。久しぶりに見てもそこはドキッとした。
2004年の下妻物語から嫌われ松子の一生、パコと魔法の絵本を経て告白へ至る中島哲也は所謂ライティングハイ状態だった。評点で言えば2年というインターバルで満点映画を4本つくった──という感じだった。
撮影現場には、厳しければクオリティが高いのか──という命題があると思う。ときどきそれを考える。Harshに律せられている場では、作品の品質は上がるのだろうか?
職場、たとえば飲食店なら、規則ときびしい上司がいてピリピリで過ごすバイトと、和気あいあいでやるバイトでは接客品質に差が生じる。働き手の修練や成長にも影響がでるだろう。が、サービス業は厳しすぎると居着かないからほどほどである必要もある。
そのことを映画監督の演出スタイルにスライドしたばあい、厳しいタイプと優しいタイプでは、映画のクオリティに差が出るのか──という事をしばしば考える。
相米慎二は厳しい監督として有名だったが個人的には好きな監督ではなかった。
井筒和幸も厳しい監督との定評だったが、思想は左翼っぽいが演出は手堅いと思った。
個人的にムカつくのはピリピリの環境で出演者を律しておきながら、映画品質がダメダメの監督。憶測に過ぎないが日本の映画監督はだいたいそれな精神論・根性論タイプだと思っている。
ウィキによると中島哲也監督も厳しいタイプなんだそうだ。
『また「集団でのモノ作りが苦手」「熱気のある現場は嫌い」「重く辛い、胃が痛くなる空気の仕事が好き」であると語り、スタッフが撮影中に笑っていると「集中力が無い」と注意し、長年一緒に仕事をしているスタッフたちとも仕事以外の話はせず、彼らの私生活も全く知らないという。』
(ウィキペディア、中島哲也より)
能ある人間がHarshなのは許せるが、逆にHarshなのに駄作つくっている大多数の日本映画監督がなんかムカつく──と言いたかった。笑
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冷静にみるとパコが外国人顔であることでスッと物語に感情移入できるようになっている。日本人としては顔の敗北につながる話になってしまうが、アヤカウィルソンに万人受けするadorableがあったからこそパコと魔法の絵本は「いい話」に昇華した、と言えるのではないか。
一般社会通念と違って、映画世界では積極的にルッキズムを推進する作品・クリエイターが勝つ、という話。
國村隼と上川隆也がいつもは任されないような役をやっていたが他はいつも任されるような役だったと思う。役所広司には渇き。につながる荒々しさがあり、土屋アンナは必然的にイチゴを思わせた。阿部サダヲも加瀬亮も妻夫木聡も巧さを発揮し、小池栄子が語尾につける「だわさ」は楽しかった。
IMdb上の中島哲也は嫌われ~が最高点(7.8)で告白(7.7)、下妻(7.2)、パコ(6.9)と続いている。下妻の7.2は悪い点ではないが国内評価に比べると低いと感じた。下妻物語には日本人にしか解らないニュアンスがある。きっとご同意いただけると思うが下妻物語はそれを見た日本人の魂に棲みついてしまう映画だ。