コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第108回
2022年7月1日更新
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追悼ジャン=ルイ・トランティニャン マクロン大統領、クロード・ルルーシュ、アラン・ドロンがコメント
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Photo by Pascal Le Segretain/Getty Images
またひとり、フランス映画界の偉大な才能が失われた。6月17日、ジャン=ルイ・トランティニャンが91歳で亡くなると、新聞各紙は一面で報じ、テレビでは急遽プログラムが差し替えられ、彼の作品が放映された。
エマニュエル・マクロン大統領はツイッターで、「その控えめな美しさ、抑制された演技、重々しい声、慎み深さによってトランティニャンはすべての役柄に謎めいた深みをもたらした。演劇と芝居で長年活躍したこの偉大な俳優は、そのノスタルジーを湛えながら、今夜我々を悲しみと孤独のなかに取り残す」と追悼。「男と女」シリーズのクロード・ルルーシュ監督は、「彼はもっとも美しい思い出としてわたしのなかに残るだろう。彼とは7作撮り、彼は7度その才能をわたしに委ねてくれた。もっとも偉大な俳優のひとりであり、その声は映画でも演劇でも聞いたことのない、もっとも美しい声だった」とその喪失を悼んだ。アラン・ドロンは、「(ジャン=ポール・)ベルモンドに続き、今度は“兄”が逝ってしまい、衝撃を受けている」と悲しみを顕にした。他にも多くの映画人が追悼の言葉を寄せている。
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(C)1966 Les Films 13
もともと舞台出身で、終生「映画より芝居が好き」と言い続けていたにも関わらず、出演した映画作品はおよそ120本。むしろ監督の方がその才能を放ってはおかない役者だった。
最初の成功は、26歳でブリジット・バルドーと共演した「素直な悪女」(1956)。奔放なヒロインに振り回される地元の実直な青年を演じ、バルドーのセンセーショナルな存在と共に幅広く認知される。その後、当時は無名だったルルーシュ監督の「男と女」(1966)に出演し、本作の世界的なヒットとともに国際的な評価を確立。さらにコスタ・ガブラスの「Z」(1969)でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞。エリック・ロメールの「モード家の一夜」(1969)、ベルナルド・ベルトルッチの「暗殺の森」(1970)、ドロンと共演したジャック・ドレーの「フリック・ストーリー」(1975)、フランソワ・トリュフォーの「日曜日が待ち遠しい!」(1983)など、話題作が続く。
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(C)1968 Les Films du Losange
後期の代表作としては、クシシュトフ・キエシロフスキーの「トリコロール 赤の愛」(1994)、ジャック・オーディアールの「天使が隣で眠る夜」(1994)、ミヒャエル・ハネケの「愛、アムール」(2012)「ハッピーエンド」(2017)、ルルーシュの「男と女 人生最良の日々」(2019)などが記憶に新しい。
一方、名声やキャリアには無頓着で、最終的にマーロン・ブランドが演じた「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)の主人公や、「未知との遭遇」(1977。トリュフォーの役)、「地獄の黙示録」(1979。デニス・ホッパーの演じた役)のオファーを断っている。
プライベートでは3度結婚した一方、バルドーやロミー・シュナイダーら共演者とも浮名を流したが、その性格はとても内気だったことで知られ、「誘惑者」というよりはむしろ女性に誘惑される方が多かったという。実際、「モード家の一夜」のように、彼のイメージはどちらかといえば「堅物」「女性に対して不器用」といったイメージが強い。ただし好奇心は旺盛で、誰に対しても別け隔てのない人柄だったようだ。わたし自身も、「愛、アムール」の取材でお目にかかる機会を得たが、まるでいたずら好きの少年のような瞳がチャーミングで、こちらの緊張感を取り払ってくれるような寛大さを感じたのを覚えている。
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(C)2012 Les Films du Losange - X Filme Creative Pool - Wega Film - France 3 Cinema - Ard Degeto - Bayerisher Rundfunk - Westdeutscher Rundfunk
もっとも、その人生は悲劇と無縁ではなかった。二度目の結婚相手であるナディーヌ・トランティニャン監督との間にもうけた次女が授乳期に病死。さらに彼ともっとも近しく何度も共演を果たした長女で女優のマリー・トランティニャンが、41歳のとき、当時のボーイフレンドでミュージシャンのベルトラン・カンタのDVで命を失うという事件に見舞われる。このとき彼は、「生きるのをやめるか、再出発するか、途方にくれた。彼女の喪失は、わたしからすべての喜びと苦痛を消してしまった」と語っている。
彼の佇まいと演技に、どこかメランコリーな影が漂っていたのは、こうした人生の体験と無縁ではないからだろう。その深い孤独と痛みが、年輪とともに一層、唯一無二の魅力を作り出していたのではないかと思う。(佐藤久理子)
筆者紹介
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佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato