コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第319回
2022年4月19日更新
ゴールデングローブ賞を主催するハリウッド外国人記者協会(HFPA)に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリストの小西未来氏が、ハリウッドの最新情報をお届けします。
これは、マルチバース版「マトリックス」だ!「スイス・アーミー・マン」クリエイターの新作は独創的&痛快
「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」や「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」など、マルチバースを扱った映画が増えてきた。この名称に馴染みがなくても、「パラレルワールド」や「平行宇宙」と言い替えれば、「なんだそんな簡単なことか」と肩透かしを食らった気になるに違いない。
マルチバース(多元宇宙)とは、この現実とは別の現実が存在するというコンセプトだ。アメコミの世界では定番で、それはストーリーの可能性を押し広げるだけでなく、特定のキャラクターの設定を大胆に変更する際に、旧来のファンを遠ざけずに済むためだ。
たとえばJ・J・エイブラムスが往年の人気シリーズ「スター・トレック」をリブートする際も、タイムトラベルを用いて、別のタイムラインに枝分かれした世界の物語として描く方法を選択した。これにより、往年の「スター・トレック」シリーズと共存させることに成功している。
映像作品においてマルチバースを扱った作品は「スター・トレック」シリーズや同じくエイブラムスが関わった「FRINGE フリンジ」、ジェット・リー主演のアクション映画「ザ・ワン」など数えるほどしかなかったが、アメコミがハリウッド映画の主役となったいま、「スパイダーマン スパイダーバース」をきっかけに急増している。
そして、早くもマルチバース映画の究極版が登場した。それが、「Everything Everywhere All At Once」である。「すべてのものが、あらゆる場所で、 みんな同時に」というタイトルからも、マルチバース映画であることが明らかだろう。
主人公は中国系アメリカ人のエブリン(ミシェル・ヨー)だ。老いた父と頼りない夫、レズビアンの娘とコインランドリーを経営している平凡な主婦だ。税金の滞納で差し押さえの危機に瀕している彼女のもとに、突如、別のユニバースの夫が現れ、衝撃の事実を告げられる。
エブリンがこれまでの人生で重要な選択をしたぶんだけ、宇宙が数千も枝分かれしており、それぞれの宇宙にはまったく違った生活をして、まったく違ったスキルを身につけたエブリンが存在する。だが、邪悪な存在がすべての世界を飲み込みつつあり、危機を救えるのは、この世界のエブリンしかいないというのだ。
つぎつぎと迫りくる敵に対応するために、エブリンは他のユニバースにいるエブリンの記憶やスキルにアクセスして、迫り来る敵を倒していくのだ。
脚本・監督は、「スイス・アーミー・マン」を手がけたダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの2人組、通称「ダニエルズ」だ。「無人島生活に絶望しているとき、万能ナイフのような多機能の死体が現れたら?」というぶっとんだアイデアで「スイス・アーミー・マン」を手がけた彼らだから、発想のワイルドさはお墨付きだ。
最大の発明は、他のユニバースにいる自分のスキルをコピーできるという設定だろう。かくして、エブリンは料理や看板回しやカンフーといった技術を駆使し、敵をなぎ倒していくことになる。瞬時にさまざまな技をマスターしていく様子は、「マトリックス」でネオがスキルをダウンロードする場面を彷彿とさせる。実際、舞台が仮想現実とマルチバースと違っているだけで、SFアクションとカンフーを組み合わせた点は「マトリックス」と同じだ。
「マトリックス」との最大の違いは、「Everything Everywhere All At Once」が家族ドラマである点だ。これまでの人生において誤った選択を繰り返し、自分の潜在能力をまったく生かせていない中年女性と、その家族の再生のストーリーが核にある。
ちなみに、夫を演じるのは、「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」や「グーニーズ」に出演し、80年代に人気子役として活躍したキー・ホイ・クワンだ。ハリウッドにおいてアジア系俳優の役がないため引退していたが、「クレイジー・リッチ!」の大ヒットをみて活動を再開。この役はオーディションで勝ち取ったそうだ。彼も頼りない夫だけでなく、カンフーの達人やイケメン男性など、本作でさまざまな面を披露している。
ここまで独創的で痛快な映画を見たのは久しぶりだ。あまりにもぶっ飛んでいて、熱量もとんでもないから、1度の視聴じゃすべてを把握できないほどだ。マルチ視聴必須のマルチバース映画である。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi