コラム:編集長コラム 映画って何だ? - 第22回
2019年11月28日更新
ブルース・リーの伝記本にハマる。死後45年以上経て、この鮮度は何なの?
ブルース・リーの誕生日が11月27日だったってことで、慌ててこの原稿を書いています。1940年11月27日に生まれたブルース・リーは、1973年7月20日に32歳の生涯を終えました。
遺した主演映画は4本。制作順に並べると、「ドラゴン危機一発」(71)、「ドラゴン怒りの鉄拳」(72)、「最後のブルース・リー ドラゴンへの道」(72)、そして「燃えよドラゴン」(73)。死後5年後に「ブルース・リー 死亡遊戯」(78)という、生前に撮影したフッテージを拡張して無理矢理作った映画が公開されているので、これを加えると5本の出演作があるということになります。
何を隠そう、私が生まれて初めて映画館で見た映画は、「燃えよドラゴン」(か「エクソシスト」のどちらか)で、中学生の頃でした。見た者は全員が大興奮、大熱狂となりました。ヌンチャクを学校に持って行き「アチョーッ!」っと振り回す毎日。しかし、誰かが振り回したヌンチャクが当たってケガをする生徒が現れ、私の通った中学では、ほどなくヌンチャク持参禁止になりました。
そして、主演のブルース・リーが、公開当時すでに故人となっていた事実を知った時の驚きと戸惑いは、「あしたのジョー」で矢吹丈が燃え尽きた時よりも遙かに大きかった記憶があります。
そんなブルース・リーに関する伝記本が、今年の9月に発売されたのをご存知でしょうか? その本は「ブルース・リー伝」(マシュー・ポリー・著、亜紀書房・刊)。A5版590ページ、本文2段組という堂々たるもので、手に取っただけでちょっとクラクラします。
先週1週間を、私は新作映画を1本も見ずに、この本に捧げました。
面白いんです。面白すぎる。もう、むさぼるように読んでいました。もちろん、ブルース・リーの映画を見たことがない人には、この本は何の価値もないかもしれません。しかし「少年の頃、ブルース・リーになりたかったオヤジたち」にとっては、「遅れてやって来たバイブル」と言っても過言じゃない。とにかく、これまで知らなかった、一度も語られてこなかったエピソードが山盛りです。それは、トリビアとかのレベルではなく、著者によって掘り起こされたサプライズばかり。
私は、付箋紙を貼りまくって夢中で読みました。
ブルース・リーの両親の出会いから始まり、サンフランシスコで生まれ、不良少年として香港の街を闊歩していた頃のエピソード。……ブルース・リーには、ユダヤ系の血が4分の1入っているんですね!
そして、「このままではまともな大人にならない」と悟った両親によって、単身アメリカに移住させられてからの葛藤と、格闘家として生計を立てられるようになるまでの青年期。彼の生徒となった、スティーブ・マックイーンやジェームズ・コバーンらハリウッドスターたちとの交流など、「グリーン・ホーネット」に出演する前の内容だけで200ページもあります。
そう言えば、今年公開された「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」に、ブルース・リーが登場するエピソードがあって、遺族がそのシーンを不満に思っているというようなニュースがありましたけど、この「ブルース・リー伝」にも、シャロン・テートやロマン・ポランスキーが登場します。タランティーノも、この本読んだかも知れませんね。
映画スターとして香港で大成功をつかみ、やがてハリウッドで「燃えよドラゴン」によって、国際的なスターになることが約束されていながら、彼は香港の愛人宅で不慮の死を遂げるわけですが、この本ではその死因についても新説が披露されています。「脳浮腫」でも「てんかん」でもない、新たに提示された死因は、非常に興味深いものです。
私は香港に行くと、必ずと言っていいほど尖沙咀の海沿いにあるブルース・リーの銅像を訪れるのですが、実は、香港にあるヤツは2体目で、1体目はボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルにあるということも、この本で初めて知りました。
ユーゴスラビアの内戦で民族的に切り裂かれた街に、平和のシンボルとしてその像は立っているのだそうです。ブルース・リーは、西洋人と東洋人のハーフ、「ユーラシアン」として生を受けました。モスタルの住民は、ローマ法王ではなく、マハトマ・ガンジーでもなく、東西両陣営から尊敬される人物としてブルース・リーを選んだのだそうです。
とにかくこの本は、ブルース・リーの死後45年以上を経て出版されながら、同時代を生きているような鮮度でその生涯が語られている珍しい書物です。2段組、590ページの大著を読み終えたいま、次のミッションはもちろん、ブルース・リー主演作の見直しです。週末が楽しみです。
筆者紹介
駒井尚文(こまいなおふみ)。1962年青森県生まれ。東京外国語大学ロシヤ語学科中退。映画宣伝マンを経て、97年にガイエ(旧デジタルプラス)を設立。以後映画関連のWebサイトを製作したり、映画情報を発信したりが生業となる。98年に映画.comを立ち上げ、後に法人化。現在まで編集長を務める。
Twitter:@komainaofumi