コラム:映画館では見られない傑作・配信中! - 第11回
2020年3月5日更新
駄作や失敗作があるのも信頼の証!「マクマホン・ファイル」が教えてくれたNetflixを見続けるべき理由
映画評論家・プロデューサーの江戸木純氏が、今や商業的にも批評的にも絶対に無視できない存在となった配信映像作品にスポットを当ててご紹介します!
***********************************************
受賞こそ2部門にとどまったが、今年のアカデミー賞で、製作会社としては最多の24部門でノミネートされ、映画界にその存在感を大きくアピールしたNetflix。2月21日に配信開始された「マクマホン・ファイル」は、Netflixオリジナル映画としてアカデミー賞直後最大の話題作にして今年の上半期注目の期待作だった。
アン・ハサウェイを主演に、ベン・アフレック、ウィレム・デフォー、ロジー・ペレスといった豪華キャストが結集、2年前のアカデミー賞で、助演女優賞、脚色賞、撮影賞、主題歌賞にノミネートされたNetflix映画「マッドバウンド 哀しき友情」(2017)で高い評価を受けた気鋭の黒人女性監督ディー・リースが、監督と共同脚本、共同製作を手がけるポリティカル・サスペンス。だが、一番の注目&期待のポイントは、これがアメリカの人気作家ジョーン・ディディオンが1996年に発表した小説の映画化ということだった。
物語は80年代前半、内戦下のエルサルバドルの最前線からはじまる。独裁政権による市民の虐殺を目の当たりにしたAP通信の女性記者エレナ・マクマホン(ハサウェイ)は、中東各地の内戦の深刻化の裏にアメリカのレーガン政権の謀略があり、アメリカ政府が反共勢力に対し武器を提供している事実を知り、それを記事化しようとしていた。帰国後も調査を続ける彼女に、政府からの妨害や謎の脅迫が続き、取材はストップさせられる。そんなとき、エレナは父のリチャード(デフォー)が、中米との武器取引に関わっていることを知り、病に倒れた父の代わりに自らその仕事を引き継ぎ、輸送機で中米に潜入。そこからコスタリカ、グアテマラに移動して単独で取材を続け、決定的証拠を掴もうとする。やがて彼女にCIAやフランスの諜報員たちが接触し、彼女の身に危険が迫る……。
見る者の多くがこの手の作品に期待するのは「ミッシング」(1982)や「サルバドル 遥かなる日々」(86)のような硬派な社会派サスペンスだろう。だが、結論からいうと、この大期待作は多くが求めるスリルや共感がほとんどなく、かなり残念な出来となっている。
意味深なモノローグとともに進む物語はまどろっこしくて入り込み難く、主人公のあまりにも無謀で唐突な行動の連続には説得力が感じられない。思わせぶりな人物が次々と登場するがアクションやサスペンスの見せ場は乏しく、次々と浮かぶ疑問への明確な回答が見つからないまま、映画は消化不良なバッド・エンドを迎えてしまう。
アメリカの批評サイト、ロッテン・トマトでも100%が満点で専門家の評価は7%、視聴者の評価16%と、散々な結果だ。正直この企画はリースには荷が重すぎたといえるかもしれない。
ハサウェイはほぼノーメイクで、体当たりの大奮闘を見せ、無駄脱ぎヌードも披露するが、その努力は哀しいまでに空回りしている。緩く横に膨らんでしまったアフレックに精彩はなく、途中で消えてしまう名優デフォーも完全な無駄づかい。
実際問題、Netflixにはこうした残念な作品が少なくない。ちょっと皮肉に聞こえるかもしれないが、それもNetflixオリジナル作品を見る魅力のひとつともいえる。
従来のようなハリウッド・スタジオ式のプロデューサー主導の映画製作であれば、この出来なら再編集や追加撮影などの改変を求められたり、お蔵入りという強硬措置さえあったかもしれない。だがNetflixは、作り手たちがこれでよしと完成させた作品を大方そのまま配信している。だから傑作もあれば、あと一歩の作品もあるし、ちょっと長すぎると感じるものもあれば、駄作も愚作も失敗作も何でもある。それはNetflixが、作家に資金は提供するが、作品に口を挟まずに極めて自由に作らせていることの表れだ。決して完璧ではない作品までも擁するこの“圧倒的自由”と“玉石混合”なスリルこそが、芸術的に信頼できるメディアということの証であり、Netflixを見続けるべき理由でもある。
話を作品に戻そう。確かに「マクマホン・ファイル」は傑作ではない。しかし、ある方向からだと、とても興味深く見ることができる。それが冒頭に挙げた原作者ディディオンを中心とした観点だ。
ディディオンは日本での知名度こそ一般的ではないかもしれないが、アメリカの文学界では小説家、脚本家、エッセイスト、ジャーナリストとして超ビッグネーム。1934年生まれで今年85歳の彼女は、60年代から精力的に活動を続け、ニュージャーナリズムの主要ライターとして注目され、マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害事件やパトリシア・ハースト誘拐事件などをテーマに執筆するなど、映画界や音楽界の多くの伝説たちと交流し、影響を与え合った。映画の脚本では、夫のジョン・グレゴリー・ダンとともに「哀しみの街かど」(71)、「スター誕生(バーブラ・ストライサンド版)」(76)、「アンカーウーマン」(96)などを手掛けたことでも知られている。
近年彼女の名を一躍世界的にしたのが、全米図書賞を受賞し、200万部を超える大ベストセラーとなった「悲しみにある者」(2005)。長年連れ添った夫の死と向き合った感動的なノンフィクションで、同作は2007年に名女優ヴァネッサ・レッドグレイヴの主演で舞台化もされ、11年には養女の死と向き合った続編的作品「さよなら、私のクィンターナ」(11)を発表、こちらもベストセラーとなった。
Netflixは17年に彼女の半生を追った必見のオリジナル・ドキュメンタリー「ジョーン・ディディオン:センター・ウィル・ノット・ホールド」を製作しており、日本でも見ることができる。監督はディディオンの甥で、「アフターアワーズ」(1985)などで知られる俳優で「プラクティカル・マジック」(98)などの監督作も多いグリフィン・ダン。
派手な作りではないが、親族ならではの被写体に極限まで接近した温かい視線が素晴らしく、彼女の創作の舞台裏と半生が丁寧に描かれる。ハリソン・フォードなど映画関係者も多数登場、ディディオンとレッドグレイヴがお互い亡くした娘について語る場面は涙を誘う。「マクマホン・ファイル」の映画化企画が実現したのも、おそらくこのドキュメンタリーの好評があったのだろう。
このドキュメンタリーを見ると、ハサウェイが演じた「マクマホン・ファイル」の主人公はディディオンの人生の投影であることがよくわかる。そして「悲しみにある者」を読むところまでたどり着けば、「マクマホン・ファイル」を見た時間も、決して無駄なものでなかったと感じることができるハズだ。
従来の劇場公開、ビデオ発売、テレビ放映のチャンネルだけでは、この地味なドキュメンタリーも、「マクマホン・ファイル」でさえ、日本では字幕や吹替付きで見ることはできなかったかもしれない。ドキュメンタリー、ドラマ、さらに書籍へと無限にリンクし、湧き続ける創作の源泉として、Netflixはすでに文化と芸術に重要な役割を担っているのである。
筆者紹介
江戸木純(えどき・じゅん)。1962年東京生まれ。映画評論家、プロデューサー。執筆の傍ら「ムトゥ 踊るマハラジャ」「ロッタちゃん はじめてのおつかい」「処刑人」など既存の配給会社が扱わない知られざる映画を配給。「王様の漢方」「丹下左膳・百万両の壺」では製作、脚本を手掛けた。著書に「龍教聖典・世界ブルース・リー宣言」などがある。「週刊現代」「VOGUE JAPAN」に連載中。
Twitter:@EdokiJun/Website:http://www.eden-entertainment.jp/