今回は、東京・池袋の新文芸坐の企画<オノ セイゲン presents「オーディオルーム 新文芸坐」vol.28>で上映された、ミュージシャン、プロデューサー、ビジュアルアーティストなど多方面で活躍するブライアン・イーノ に迫るドキュメンタリー映画「Eno 」がテーマ。
今夏、日本で初公開され、各地で完売が続出した本作は、ギャリー・ハストウィット 監督によるイーノへのインタビュー、500時間を超えるアーカイブ映像を組み合わせつつ、アーティストのブレンダン・ドーズ と共同開発した自動生成システム「Brain One(“Brian Eno ”のアナグラム)」を用い、上映日ごとに構成や内容が変化するという、映画の常識を覆すまったく新しいフォーマットが話題を集めています。
今回は、東京都現代美術館のキュレーター藪前知子さんをゲストに迎え、セイゲンさん、新文芸坐支配人の花俟良王さんが聞き手を務めた上映後トークの一部を抜粋してお届けします。
■現代美術と音楽
花俟 この企画は28回目で、これまでは音楽・オーディオ関係の方々をお招きしてきました。藪前さんは今回、初めての美術分野のスペシャリストとしてのゲストです。
藪前 ありがとうございます。私は東京都現代美術館で働いていますが、美術史の大学院では “音楽と美術の関係”を中心的な研究テーマにしていまして、イーノも大好きなピエト・モンドリアンと音楽についても扱いました。アートと音楽は今も私にとって重要なテーマなので、「
Eno 」について話せるのはとてもうれしいです。
花俟 セイゲンさんも東京都現代美術館と関わりがあったそうですね。
オノ 2012年に
坂本龍一 さんが全館をキュレーションした東京アートミーティング(第3回)「アートと音楽 - 新たな共感覚をもとめて」展 の1つが、オノ セイゲン、
坂本龍一 、
高谷史郎 のコラボレーションにより実現した【Silence spins (Seigen Ono + Ryuichi Sakamoto + Shiro Takatani)】でした。千利休の小さな仕切られた空間で無限の宇宙を想像する。目には見えない「音の展示」とは、すなわち「静寂な空間」の展示なのです。翌年には、USEのシャルジャ(https://universes.art/en/sharjah-biennial/2013/tour/saf-art-spaces/12-ono-sakamato-takatani)での展示に続きました。あと、互いに音が漏れないように遮音するための館内のパーテーションがたいへんでしたね。音の展示ですから。
花俟 藪前さん、セイゲンさんは「
Eno 」を何回ご覧になりましたか? 内容はそれぞれ違いましたか?
藪前 こちらで2回目を観ましたが、前回とはかなり異なっていました。AIの話が深く掘られていたり、重要なシーンが増減していたり……。今回は(イーノのアルバム)「ミュージック・フォー・エアポーツ」について、クラフトワークのフロリアンのお父さんが設計したモダンな空港にダサい音楽がかかっていてがっかりしたというエピソードから、「人は飛行機に乗るとき死の恐怖に怯えているが、そこから逃れるための音楽は可能か」というイーノの本質につながるような発言がつながっていて感動しました。
オノ 僕は試写を含めて3回観ました。「昨日あったはずのシーンがない」「ここは今日初めて見た!」という感じで、答え合わせのように楽しんでいます(笑)。上映素材が毎日違うらしいですね。
花俟 実はその通りで、監督から“その日専用のDCP素材”が届くんです。だから毎日尺も微妙に違います。これはもうアートですよね。
藪前 イーノ自身がジェネラティブミュージックやそのためのアプリを開発してきた人ですし、長年考えてきた、インタラクティブで“可変性のある芸術”の思想がそのまま映画の構造になっている。作品自体がイーノの思想を体現していると思います。
■イーノと生成芸術、音作り、テクノロジー
花俟 映画の中で“生成芸術”という言葉が出てきました。美術界では一般的な言葉なのでしょうか?
藪前 一般的ではありませんが、“ジェネラティブ”であること、鑑賞者の経験が固定せず、その都度その場で生成されるという考え方は現代美術やサウンドアートの文脈に通じています。例えば
ジョン・ケージ の「4分33秒」という作品がありますね。何も弾かない曲、と言われていますが、実はその4分33秒の間、人によって聴こえるものが違う。イーノはアートスクール出身なので、全員が同じ体験をすることだけを目指すのではなく、“それぞれが固有の体験を持ち帰ること”を、大衆的な、ポップミュージックの枠組みでどう実現するかをずっと考えてきた人だと思います。
花俟 今日の映画にも登場した、偶然引いたカードの言葉から発想を広げる「オブリーク・ストラテジーズ」、本当に面白いですね。
藪前 一度書いた文章を単語ごとにバラバラにして再度繋ぎ合わせるという、ウィリアム・バロウズのカットアップを、ベルリン時代にデヴィッド・ボウイと一緒に試してもいますよね。偶然性を創作に取り入れる実験は同時代のコンセプチュアルアートの手法とも繋がっています。
オノ イーノは自分を“演奏しない音楽家”と語っているように、音楽学校的な訓練の外から来た人。その自由さがこうした発想につながっているのでしょうね。
花俟 複雑なものは単純なものの積み重ねであるという話、そして彼の好奇心や着眼点が印象に残りました。
オノ 僕が録音エンジニアとしても驚いたのは、イーノが僕や
加藤和彦 さんもECLIPSEのスピーカーを開発当時から愛用していたこと。卵形で、当時は音量は大きく出ませんが、スタジオで音色を決めるには最適なんです。波形どおりの正確な音が出るので。イーノが25年前に「四角いスピーカーには飽きた」と言っていたのもさすがだと思いました。
あとは、テープレコーダー時代から手作業による“編集と偶然”が音楽を変えたこと。切って貼って、速度を変え、逆回転にして……。いまのコンピューター環境からだけでは生まれにくい発想なのです。サンプラーが登場してもっと便利になりましたが、パソコン上でやるのと、テープを物理的に切るのはまったく違うフィジカルな体験なのです。
藪前 フィジカルといえば、映画でイーノが高めの机の上に置いたラップトップに向かって立ち作業していたのも印象的でした。PCを使っていても身体を動かしながら“手で作る”感じがすごく彼らしいなと思いました。
「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」 (C)2022 STARMAN PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED. ■イーノとデヴィッド・ボウイ
藪前 アートの本の出版社や、YBA(Young British Artists)など最新のアートムーブメントの強力な支援者でもあったボウイがいなかったら、私は現代美術のキュレーターになっていなかったと思うんですが、アートという世界が持っているコンセプトについて、イーノがボウイに与えた影響は強いと思います。ふたりは“自分という限定的な存在からいかに逃れるか”という点で共鳴し、その考え方は後の文化全体に影響を与えているはずです。ボウイが今のAI時代を見たら、きっと興奮したでしょうね。
花俟 セイゲンさんもボウイから影響を受けましたか?
オノ もちろん。高校生の頃に「Low」「Heroes」を聴き衝撃を受けました。後になって、あれを作っていたのがイーノだったと知るわけです。最初は音に惹かれ、エンジニアになってから彼の方法論に触れました。ボウイのベルリン時代のサウンドはハンザトンスタジオの空気そのもの。僕も80年代に何度も録音しましたが、冷戦の緊張と開放を音で味わえる特別な場所でした。
藪前 私もベルリンに行ったとき、ボウイオタクとしてハンザトンスタジオに聖地巡礼しました(笑)。
「落下の王国」 (C)2006 Googly Films, LLC. All Rights Reserved. 花俟 話は少し逸れますが、藪前さんはSNSで、リバイバル上映でヒットしている「
落下の王国 」とイーノの関係について言及されていましたね。
藪前 2020年に東京都現代美術館でデザイナーの
石岡瑛子 さんの展覧会を企画しました。「
落下の王国 」は石岡さんがターセム監督と晩年タッグを組んだ作品の一つで、当時はヒットしませんでしたが、カルト的なファンが多く再上映が待望されていました。ターセムはミュージックビデオ出身なので公開当時は“映像が綺麗なだけの映画”と思われがちでしたが、17年経った今、世界で再上映され大ヒットしています。
自殺願望を持つ男が小さな女の子に語る物語、彼女が想像する幻想的な世界を描いたこの映画、面白いのは、彼女の反応や知識程度によって、語り手がそのつど物語を変更していくんですね。そして、こうした物語のアイデアの源泉の一つとして、監督のターセムは、美大生時代にたまたま受けたブライアン・イーノ の講義からの影響を挙げているんです。そして「落下の王国 」の現在のヒットも、かつては「荒唐無稽な物語」としてしか見られなかったものが、その思想も含めて観客に受け入れられるようになった証拠じゃないかなと思います。生成する映画、「Eno 」の公開も必然的なものだと感じますね。
■終わりに
花俟 イーノはコールドプレイ、U2、最近ではFred again..とも共作していて、若い世代を育てる姿勢を感じます。私自身もこの映画から知的好奇心を刺激され、イーノが“好奇心の人”であることをまざまざと見せつけられました。若い頃は上の世代に反発する気持ちもありましたが、こういう大人を見ると、年をとるのも悪くないと思わせてくれて。今日は藪前さん、セイゲンさんのお話をうかがえてうれしかったです。ありがとうございました。
オノ デジタルでできないことはない時代だからこそ、イーノのような発想が大事です。そして映画や音楽は、ロックでもクラシックでも、生で、いい音で聴くことが重要。最初は映像に目が行くと思いますが、映画館の音響設備と家とでは全く違います。それはAIにはできないこと。やっぱり音のいい映画館はいいものですよね。
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ドキュメンタリー映画「
Eno 」は、12月19日以降、アップリンク吉祥寺、大宮OttO、名古屋・ミッドランドスクエアシネマ、アップリンク京都などで上映。
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