【特別インタビュー】東出昌大、夭折の作家・佐藤泰志に寄り添い続けた函館での日々
2021年10月7日 20:00
佐藤泰志という作家の名前が“独り歩き”するほどの知名度を獲得するうえで、「海炭市叙景」という1本の映画が果たした役割を無視することが出来ない。2010年に公開された同作が国内外で評判を呼んだことで大きなうねりとなり、絶版になっていた作品の多くが復刊するという小さな奇跡を引き起こした。そしてその後、佐藤原作の映画化は本数を増やし「草の響き」が5作目となる。
佐藤の没後30年となる命日(20年10月10日)に映画化が発表された「草の響き」は、佐藤原作の映画化に挑み続けてきた北海道・函館のミニシアター「シネマアイリス」代表・菅原和博氏の企画・製作・プロデュース。監督に斎藤久志、主演に東出昌大を迎え、コロナ禍の昨年11月に撮影された今作は、これまでの佐藤原作の映画とはまるで異なる街の景色をすくい取っていた。東出、そして菅原氏が完成までの苦難を語る。(取材・文/大塚史貴)
「草の響き」は、1982年に発表された佐藤氏の本格的な文壇デビュー作で、初の芥川賞候補作となった「きみの鳥はうたえる」に所収。主人公の工藤和雄(東出)は心に失調をきたし、妻の純子(奈緒)とともに故郷・函館に戻ってくる。働くことが出来ない和雄は、病院の精神科に通いながら晴れの日も、雨の日も、心の治療のために函館の街を走り続ける。そんな和雄が路上で出会った若者たちと心を通わすようになったことで、何かが変わり始める……。
東出は出演が決まる以前に原作は読んでいたそうで、「映画のお話を頂いてから改めて読み直しました。和雄が患う自律神経失調症については、なるべくしっかり勉強したいと考えました。臨床心理士の資格を持っている方や救急救命の仕事をしている知人に話を聞いたり、専門的なことを勉強し、監督と『このシーンでの和雄の状態はこうでしょうか』と相談しながら考えていきました」と役作りについて話す。斎藤監督からは、クランクイン直後に「共犯関係になろう」と言われたという。
東出「映画は監督のものだとよく言われるし、僕もそう思っていましたから、『共犯関係』という言葉に驚きました。その言葉のもと、監督と一緒に和雄という人物を作っていけたような気がします」
決して潤沢な予算がある作品ではない。製作サイドはもとより、俳優部を含む誰もが一丸となり同じ方向に進んでいかなければ、コロナ禍という状況を鑑みても完成までは漕ぎ着けられなかったのではないだろうか。「海炭市叙景」(熊切和嘉監督)を皮切りに「そこのみにて光輝く」(呉美保監督)、「オーバー・フェンス」(山下敦弘監督)、「きみの鳥はうたえる」(三宅唱監督)に至るまで、“ご当地映画”ではなく、あくまでも「函館映画」にこだわってきた菅原氏をもってしても、苦難の連続だったはずだ。
菅原「斎藤監督、脚本の加瀬仁美さんに依頼したのが昨年1月。その後、4~5月と感染状況がどんどん悪化し、シネマアイリスも長期の休業に至り、9月に予定していた撮影を行うことが出来るのか不安になってきました。中止・延期という選択肢は常に頭の片隅にありました。ただ、その時期になれば感染状況も落ち着くのではないか…と、一縷の望みも抱いていました。観光の街・函館が最も賑わうゴールデンウィークの時期は、まるで街が死んだように静まり返り、ゴーストタウンのようでした。色々な意味で危機感を感じ、函館のために出来ることは何か? を考えていました。今この時期だからこそ、函館から発信する映画を作るべきなのではないか。一番悩んだ点です。撮影時期は、当初の9月からギリギリ撮影可能な11月にずらしました。休業中に支援してくださった市民の皆さんの声が後押ししてくれました」
実際に本編を観ると、撮影のための人工的なものではなく、“無人”と形容するほかない函館の街並みを東出は黙々と走り続けていることを確認することが出来る。それは時に不思議と、佐藤が走っているのではないかと錯覚させられることがあったほど。現場にいた菅原氏も同様の感覚を覚え、驚きを禁じ得なかったという。
菅原「東出さんはご承知の通りスクリーン映えのする正統派の映画俳優ですが、現場では函館の風景に違和感なく溶け込み、スタートがかかると、まるでそこに佐藤泰志(容姿は全く違いますが)が現れたような気がして驚きました。函館の風景に佇む彼の背中に、佐藤の魂が降りてきた瞬間が確実にあったと思います」
そんな東出だが、齋藤監督に鋭く突っ込まれた局面もあったようだ。
東出「お芝居をする時って、どうしてもああでもない、こうでもないって考え込んでしまう瞬間があるんです。そうしたら、監督から『東出、おまえ、俺を信用してないだろ』と突っ込まれて……。終わった後、なんだかすごく悔しくなってしまって『僕は自分のことも信用していないし、監督のことも信用していないかもしれないけど、映画に対する思いだけは嘘がないです』みたいな事を、ぐっと睨みながら言っちゃったんです。いい年した男ふたりが何やってんだって感じですけど(笑)」
それもこれも、東出が製作サイドと良好な関係を構築出来ているからこそ。「今回はみんな、時間の許す限り函館に滞在出来て、まるで合宿のような雰囲気」(東出)だったことは、作品にとって大きな財産になった。
これまで多くの監督と現場を共にしてきた東出にとって、斎藤監督はどう映ったのだろうか。
東出「ものすごく映画の力を信じていらっしゃる監督なんだなと思いました。基本的に長回しの多い現場でしたがそれは、芝居は頭から最後まで基本的には一連でいけるもの、というお考えで撮っているからだと思います」
続けて、印象に残っているシーンについて触れる。
東出「和雄と研二(大東駿介)が家で遅くまで飲んでいるシーン。研二が起き上がって『俺、帰るわ』って言うとき、和雄はずっと下を向いているのが後ろから撮られている。普通は、そのとき和雄が何をしているのか別のカットで見せると思うんですが、この映画では背中を丸めたままの姿しか見せない。だから観客は彼がそのとき何をしているのか、何を考えているのか分からない。本当はあそこで、僕は育児書を読んでいたんです。でも、それは分からなくてもいいというのが、斎藤監督の演出なんですよね。映画で何をどこまで説明するかというのは監督によって全然違いますが、斎藤監督は基本的にはほとんど説明しないことを選んでいた。編集でこうやって見せようとか、こういうカット割りにしたらこういう効果が生まれるとかではなく、全部お芝居でやらせる。それだけ観客を信じているんだなと感じました。ここまで原理主義的な監督とは初めてお会いした気がします」
3年ぶりの主演作に心血を注いだ“座長”ぶりを間近で見ていた菅原氏が見出した、東出の美徳を聞いてみると「周囲への気配り、全ての生きとし生けるものたちへの優しさでしょうか」と説く。
筆者が菅原氏への取材を始めたのは、09年夏。「海炭市叙景」撮影では地元有志が用意してくれた手弁当を共に頬張りながら佐藤原作への思いを訥々と聞かせてくれたが、当時から一貫しているのは「函館の人たちのための映画を作る」ということ。その思いが、東京から撮影で来るスタッフ・キャストにもじんわりと浸透してきたからこそ、“佐藤泰志ブランド”は日本映画界に唯一無二の立ち位置を確立したといえる。
コロナ禍で人の気配がまるでしない函館の街をひた走る東出の姿を、佐藤はどんな思いで見つめていたと思うか、そして佐藤との対話は続けているのか菅原氏に聞いてみた。
菅原「難しい質問ですね……。『迷うな。走り続けろ』。そんな想いで見つめていたような……。そして、佐藤泰志の小説を繰り返し読むことで発見があり、映画化への意欲が湧いてきます」
東出の静かな熱演は、佐藤原作を映画化するうえでの意欲と勇気を菅原氏に改めて届けたといえるのではないだろうか。そしてそれは、日本中の映画ファンへ捧げたものだったようにも受け取れる。今作のラストシーンをどう見るかは観客によって判断が分かれるが、東出自身はこのカットをどう解釈したのか知りたい人は少なくないだろう。
東出「最初に台本を読んだ時から、僕はあのラストシーンを非常に爽やかに、ポジティブに受け止めました。あそこで和雄があんなに晴れやかに走り出せたこと、そこには確かに人間賛歌の物語があるのだと思いました。あのシーンの撮影を終えた後に、監督に『いい顔していたね。あんな顔だったんだ』と言われました。正直、自分では表情を作った覚えもなかったのですが、監督は『こういう映画だったんだなと思う』とおっしゃってくれた。それを聞いて、僕自身もそういうことなんだなと、すんなり思えました」
佐藤が生きていたら、一体どんな夢を見ていただろうかと考えずにはいられない。命を削って書いた小説がまさか2000年代に入ってこんなにも多く映画化され、国の垣根を越えて世界中の映画ファンに愛されている世の中を、想像は出来ていないだろう。ふとそんなことに思いを巡らせたのは、やはり東出の眼差しが佐藤の眼差しと同化した瞬間を、スクリーンで目撃してしまったからに他ならない。
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執筆者紹介
大塚史貴 (おおつか・ふみたか)
映画.com副編集長。1976年生まれ、神奈川県出身。出版社やハリウッドのエンタメ業界紙の日本版「Variety Japan」を経て、2009年から映画.com編集部に所属。規模の大小を問わず、数多くの邦画作品の撮影現場を取材し、日本映画プロフェッショナル大賞選考委員を務める。
Twitter:@com56362672
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