カンヌ脚本賞「幸福なラザロ」A・ロルバケル、インスピレーションの源は“小説より奇な”事実
2019年4月19日 14:00
中世に迷い込んだかのようなのどかな農村の暮らし。一見、貧しくも屈託なく日々を送る村人たちと、おっとりとした働き者の若者ラザロ。だが現実の時は20世紀終盤、その土地は地主の女侯爵が素朴な小作農たちを時の流れから封じ込め、隷属状態のまま搾取し続ける場所だった。そしてそんな小宇宙を、街からやってきた侯爵家の気まぐれな一人息子タンクレディが引っかきまわし、人々とラザロの運命をすっかり書き換えてしまう。
長編三作目にしてカンヌ映画祭の常連で、現在イタリアでもっとも才気あふれる監督の筆頭、アリーチェ・ロルバケルの「幸福なラザロ」は奇想天外な物語だ。けれどもそれは現実とファンタジーを融合させて独自の世界観に導く彼女一流の発想が生み出したわけではなく、インスピレーションの源は“小説より奇な”事実だった。
「実際にはこういう話はかなりあるの。特権を有する少数の人間がそれを、人々を無知のままにしておくために利用する。きっとインドでもアフリカでも、どんな植民地でも、たぶんフランスやイギリスの奥地でもある。でも一番驚かされたのがこの話で、もともと何年も前に学校の授業で読んだ新聞の囲み記事だったんだけど、あれからどんなに探しても見つからない、今や“幻の記事”。新聞でも本物のニュースにはならない些細な記事で、“奇妙な真実の話…”って書いてあった(笑)」
驚くべき事実は彼女の鋭い眼差しを、人間社会の本質的な闇の部分へ向けさせた。「私が描きたかったのは、領主と農民たちがいた中世からもう一つの中世への移行。新たな中世では権力が分散していて、誰か一人のものとはしにくい。いずれにしても過去の歴史からとり残された人々――つまり村の農民たちは闘争の主役ではなく、革命を起こす人々ではない。彼らは階級闘争からとり残されて、まずその隷属状態から救い出されなければならなくて、でもその後も、あらゆる意味でのけ者にされ続ける。のけ者はのけ者のまま」
牧歌的な情景は、物語の後半では一気に30年の時を経た現代の厳しい状況にとって変わる。小作農たちに対する女侯爵の呪縛は解けたが、何らかの変革は訪れるのか。「何よりもイタリアで80年代にやっと中世――労働を奴隷制度と見なす考え方が終わったことで生まれた大きな可能性について語りたかったの。それは政治の力で労働が人類にとって重要なものであることを再認識するチャンスだったから。ところが奴隷制を続ける選択がなされた。肌の色が変わり、出身地も変わって、以前の農民たちとは違うけれど、奴隷であることに変わりはない」
そう、イタリアでは1982年に封建的な小作制度が廃止された… はずなのに、労働環境は改善されず、搾取も、隷属状態も、ぎりぎりの貧困も、むしろ一層過酷になっている。農民たちはまがりなりにも自由を手に入れたが、今日の特権階級は搾取のターゲットを貧しい外国人たちに変え、さらに搾り取ろうとする。
嘘のような本当の、とんでもなく容赦なき現実の不条理を描き出すためにアリーチェが選んだ主人公が、ラザロだった。あり得ないほど生まれつき善良で、人を疑うことを知らず、狡猾な村人のためでも、身勝手な女侯爵の息子のためでも、いともたやすく身を粉にする。その姿は見る者の笑いを誘い、あるいは胸を痛ませながら、軽やかに、しなやかに物語を牽引してゆく。
「ラザロはキャベツの下で生まれて、村人がそれを見つけて、でも誰もそれを何とも思わず、そのまま受け入れて、いいように彼をこき使う――そんな風に想像してみたかった。幸いにしてアドリアーノ(・タルディオーロ:主演)はラザロの心の内を問いかけることなく、そのまま受け入れ、自然現象のように大切にしてくれた」
そんなラザロ役をキャスティングディレクターとあちこちで、道端で、学校で、オーディションで、あらゆる場所で探し始めた時は、自分たちの感覚だけが頼りで、年齢も、きれいな顔かそうじゃないかすら、わかっていなかった。特徴的な体つきのアドリアーノだが、働きながらつく筋肉を作るためにかなり運動をすることになった。「ともあれ彼は昔ながらの、一昔前の体つきで… 歩き方… そう、一目見てすぐ彼がラザロだ、と思わせた一番大きな要因は歩き方だった。それはかつての、別の時代の歩き方だった。歩いたり、走ったりするのを見るだけで昔の映画を観ているような気がしたわ」
歪んだ現世と、そこに本来あるべき何かを垣間見せるという大役を担い、観る者の笑みと感嘆を誘いながら見事にその役を果たしたラザロは、あのフェリーニの最高傑作、「道」のジェルソミーナにも匹敵する、おそらく映画だけに可能な、人間的でリアルで現実離れした人物像だ。
「そう、透明で、鏡のような、何を考えているのかわからないけれど、そこに私達の姿が映し出される人物。映画には無数の選択肢があるのに、年頃の子たちがよくするように、主人公に自分を重ねさせる傾向が増すばかりだけど。私は脚本を書く時にこれは“主人公に自分を重ねることができない映画”って言い聞かせていた(笑)。誰もラザロが何者なのか知らず、彼が何を考えているのか誰にもわからない。この映画では、私達はラザロを見守ってゆくけれど、私達はラザロではあり得ない」
そんなラザロの冒険が映し出される背景は、前半では中部イタリアの美しい田園地帯だが、そこはアリーチェ自身が暮らす土地でもある。チヴィタ・ディ・バーニョレージョの近くの荒涼とした圏谷(けんこく)は、おとぎの国か心象風景に迷い込んだかのように幻想的だ。撮影のあいだ、そこにはクル-と「昼夜も時間帯も問わず、週のどの日も、まるで巡礼のように」やって来る日本人観光客しかいなかったという。丘の上の中世都市が『天空の城ラピュタ』のモデルになったとされているからだ。が、アリーチェは、ラザロの物語と前作の『夏をゆく人々』を育み、彼女が心から愛するこの変化に富んだ一帯が最近、多国籍企業に買い占められてヘーゼルナッツの単一栽培のために大量の除草剤が撒かれている現実に対して警鐘を鳴らさなければ、とも言う。彼女の映画にも脈々と流れるこの力強い愛が、一つ一つの作品に唯一無二のかがやきをもたらしているのはたしかだ。
そのかがやきを、彼女はフィルムの魔術を通じて手にする。「フィルムで撮るということは、十分機能すると同時に限界もあるテクノロジーを扱うということだから、私はそれを受けて立ち、遊ばなければならない。それが私のクリエイティビティを育むの」
後半の舞台となる「都会は抽象の街で、いくつもの街が合わさってできている。特定の街に結びつけたくなかったから四つの街を一つにしたの。私は田舎でも、都会でも抽象的な風景を描きたかった」。内と外、山間部と都市部にくっきりと分かれる二つの世界だ。「そのために寓話的な、リアルだけど抽象的な風景を生み出そうとした」
彼女が生み出す風景は、いびつなかたちで生きながらえた中世と、中世と変わらぬ社会構造を受け継いだ現代の哀しい時代感情を、そして人々のすさんだ心模様をもシュールレアルに映し出す。けれども、そこには同時にどこかで生の営みが本来持つ宿命的な美しさが息づいている。
きっとそれはアリーチェの人間性への信頼と彼女が持って生まれた美意識の賜物で、ロルバケル映画の比類なき力だ。(取材・文/岡本太郎)
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