幸福なラザロ : 映画評論・批評

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幸福なラザロ

劇場公開日 2019年4月19日
2019年4月16日更新 2019年4月19日よりBunkamuraル・シネマほかにてロードショー

寓話とネオリアリズモとをさらりと両立させる、力こぶを見せない力業に注目

子供と大人の狭間、甘やかに息苦しい季節をかいくぐる少女とその家族のいた時空をパーソナルに切り取った気鋭アリーチェ・ロルヴァケルの「夏をゆく人々」。その幕切れで映画は誰もいなくなった家の裡の白い場所へと踏み入って、やわらかに吹き抜ける風を孕んだ時間を慈しみつつ凍結し観客にそっと手渡してみせた。そうやって確かに印象づけられた記憶/歴史と物語とが交わる時空。どこか牧歌的で神話のようでもある映画はそこで外界、現代社会の肌触りを観客に感知させることも忘れてはいなかった。

昨年カンヌで脚本賞に輝いたロルヴァケルの新たな快作「幸福なラザロ」もまた、記憶/歴史と物語の交わる時空としての今への眼を、意識を、逞しく鍛えている。ふわりと奇蹟を成り立たせつつ寓話のはらんだ鋭い棘で現代社会を刺し貫いていく。

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始まってしばらくの間はいったいこれはいつの時代の話なのかといぶかしく思うだろう。窮屈な家で共同生活をしている農民たちは電球ひとつを使い回してつましく暮らしている。煙草農園で働く彼らは嵩むばかりの借金で永遠に土地と労働に縛りつけられているらしい。農園主の侯爵夫人と管理人の搾取の構図の一方で農民たちは、ぼんやりと空をみつめて微笑んでいる大きな瞳の若者ラザロをいいようにこき使う。それでも微笑みを絶やさない青年は“聖なる愚者”の典型を射ぬいているかにもみえる。あるいはキリストのみわざで蘇ったナザレの青年と同じ名を分ち合う彼は、神の奇蹟の物語を再生してみせるのか――。

いつなのか、どこなのかと宙づりのいぶかしさをもてあそぶ観客をしり目に、唐突に物語が動き出し(貴族の搾取をめぐる信じ難い80年代の実話もベースになっているという)、時と所があっけなく変わる。緑の農村から鈍色と蛍光色とが交錯する都市へ。そこで再会する農民たちとラザロ。侯爵夫人のどら息子タンクレディ(ヴィスコンティ「山猫」でアラン・ドロンが演じた新時代を象る公爵の甥の名がついているのも面白い)。記憶/歴史と物語の交わる時空が鮮やかに浮上する。寓話とネオリアリズモとをさらりと両立させる監督の力こぶを見せない力業に注目だ。

川口敦子

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