パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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どっちも失いたくないけど…
選ばなかった人生の方が、
キラキラして見えるのかな…
選ばなかったから、妄想するしかなく、それは都合の良い妄想になるかもだし…魅力的に見えるのかな。
選んだ方は現実だから。
辛いことも起きる…。
アーサーが
階段に座って待ってて…
泣けた…
どんな気持ちで待ってたの…
もう戻ってこないかも…て思ったりしたかな。
こんなに愛し、大切にしてくれる人、いないよね。
どうかこの先、アーサーを泣かさないでください、と切に思った。
微妙なバランスで成立した、良い作品
日本のプロデューサーが作ったら、つまらないモノになっていたと思う。
ビックリするようなストーリではなく、何なら話の先は読めてしまう。プロモーションのように、大傑作とも思わないし、感涙する様でもないけれど、登場人物それぞれの心情をずっと考えさせる、よき映画体験でした。
日本でこれを制作すると、キャストありきで進行する、いちいち途中で泣く、キーとなるセリフが繰り返されプロモーションでも使われる、マンハッタンの観光地を巡る、ここぞとばかりに劇版が流れるなどが予想されます。
衣装は取り上げるような特徴はないし、米国っぽい食事も出てこないし、ジャズもヒップホップもかからない。地下鉄やUberも全体像をみせない、モントークもただの原っぱしか出てこない、エンパイアステートビルやクライスラービルは遠景だし、ブルックリンブリッジの空撮はなし、自由の女神も横から移す。このため、キャストの表情に集中できる様になっている。
アーサーがユダヤ系というのも良かったのかも知れない。ボーはおそれているのフォアキン・フェニックスみたいにおたおたしている。(日本人が想像するステレオタイプの)WASPとかだと嫉妬して怒っちゃったりして、ぶち壊しになっちゃいそう。クリスマスも出てこないし。
タイトル通り、『縁』がテーマなわけですが、他の国の方がどのような感想なのか興味があります。輪廻ではないけど、『(500)日のサマー』やそれこそ『エターナルサンシャイン』だって『縁』の話しだし、ハリウッド作でも『クラウドアトラス』は輪廻の話しだし(韓国の話が出てくるけどね)。
鑑賞動機:抑制の効いた大人のラブストーリーって最近守備範囲に降ってこない気がする10割
トニー賞かな、と思ったらトニー賞だった。『エターナル・サンシャイン』はよい映画ですよ。
単純な二択で割り切れない心情の揺れ動きを、セリフを抑えることで逆に強く印象づけられたように思う。ただあまりにももどかしく感じられるところもあり、それをストーリーとして楽しめないと、焦ったく感じてしまうかもしれない。それでも終盤のロングカットは息を呑んで見入ってしまった。
グリーンカードは永住権のこと
悪くいえば恋に恋してる女々しい男の話だが
忘れられない人
12歳で初恋、24歳でオンラインで繋り
36歳で再会。
24年の歳月は長いよね。
ヘソンはナヨンの事、相当好きだったんだろう。
24歳でオンラインで繋り、もし再会して会って
いたら違っていたのかも。
前世とか輪廻転生あるかもしれないけど
タイミングと行動力も不可欠で運と縁。
仕事やキャリアを優先し選択したら
失う物も出てくる時もある。
常に上昇志向のナヨンと、その初恋時代の
まま立ち止まっているヘソン。
これだけ時が経てば色々とずれてくるよね。
『君の寝言が韓国語だから学ぼうとした』
アーサーの優しさもあったし、文化も知りたいと
思ったのだろう。あと、どこかで不安もちらついた感じもする。
愛して信頼できるアーサーが居たからこそ
3人で会えた。ただあの時のアーサーは切ない。
大人だし理解し待とうとする気持ちだけど
複雑でしんどいはず。
初恋は特別な物なんだと改めて実感。
二人の間で人生を豊かにしてくれた人と
なってくれればと願う。
どこが
けっこうよかった
見る予定になかったけどあまりに評判がよくて見る。旦那さんのアーサーが本当にいい人で、同業で心が通じるものがあるのだろう。ベストの選択だ。もしヘソンと結婚したとしてもそれまでの環境が違いすぎて、感覚も違ってうまくいかないことだろう。お互い傷つけあってボロボロになって別れることになる。特にもしノラが韓国に行って嫁いだとしたら、さらに最悪だ。お互い大切に思い合って遠くにいるのがいい。
気になったのが、ヘソンが恋人との結婚について条件が整わないことを理由に取りやめようとしていることだ。条件なんか本当はただの理由で、相手のことを本当に好きならどうでもよくなるはずだ。何がなんでも手放したくないと思えないならどうしようもない。
ノラとヘソンが再会する時に着ていた服がすっごく気合が入っていない。こっちは人妻なんだから変な気を起こすなよみたいなことなのか。別れる時はスリットの入ったロングドレスみたいな魅力的な服だ。
最後のウーバーを待つ間、すっごく見つめっていてキスしろよと思ったがハグで終わった。しかしもしキスしようとして顔をそらされたら、その後のタクシーで顔を覆って悶絶するほど恥ずかしい。なのでハグでよかった。もしキスしようとして拒否られたらその後の人生ずっとそれを背負って生きなくてはならない。あの年でトラウマを背負うのはつらい。
大人だから、言葉にできないから、沈黙で。
名作だ。
クラシックだが古臭くはない、現代のかたちにして。
なんとも切ない、ほろ苦さ極まる作品だった。
しかし悲壮感はなく鑑賞後は温かい気持ちが心にのこる。
「今はもう大人」ノラが言う。
大人・・・? そう、大人だよ。
ほろ苦いというより、本作で描かれた大人の恋事情は二人の男性にとっては「水なしエスプレッソダブル」ぐらいの、超ビターな心境のはず。にもかかわらず、ああこのコクいいね、、こんな人生もあるよね、くらいに装うのだ。大人だから。クゥーッッ!まいったまいった!
ノラさんは夢を追いアーティスティックなキャリアを重ねていて、多分ヘソンの気持ちは気づいてても半分くらい。あんなことあったよね程度に、いい感じに過去化している。それに比べてメンズふたりの、まあ女々しいとは言わないが、ロマンチックなのはむしろオトコの方なのねと。自分の胸に手を当ててみると……さてどうでしょう?(^_^;)
ヘソン ⇔ ノラ ⇔ アーサー
この三人はあくまで点と線だけで繋がっていて、決して三角関係にはならないのだ。おとなだから。でも食事会のあとメンズ二人だけの(おそらくお手洗いでノラが席外した2~3分の出来事)超絶気まずいタイミングで、「良い」三角関係にしようと努力する姿が、何とも涙ぐましかった。オトナダカラなのだ~(T_T)
そんなこんなが終始、続いて悶絶するほかなしだ。
***
映画として上手いな、と思うところが多々あった。
ノラとアーサーは税関に説明することで。
ヘソンは友人たちとの居酒屋トークで。
12年で移り変わった環境、事情のご説明をサラッとやっつけてしまう。
だらだらと冗長・長尺な作品が多い昨今、こういった面は良き良き。
私がこの作品で最も素晴らしいと感じたところは、カメラワーク。
物語中盤あたりから…おや?これは…。シーン毎の切り取り方の綺麗さ「ムービージェニック」な表現に気づき、それからは最後まで美しいカメラワークに目を奪われていた。
ニューヨークのちょっとした街並み、風景や環境の切り取り方が、そのままフォトグラフィックな表現というか、NY写真展をみているかのような気持ちになれた。しかも、ただ綺麗というだけではなく、物語の進行にあわせ登場人物のそのときの心境を上手く切り取り、風景シーンに代弁をさせていたように感じた。
「さよなら」と子供時代のヘソン。
道が二手に分かれていく。これから巡り合うことは無いのかもしれない。
水たまりに逆さに映る赤信号が、何かの拍子で広がった水の輪にかき消されていく…
例だが、このような表現が作品内にたくさん散りばめられていた。
陰影も駆使していた。
セリーヌ・ソン監督、おそるべしである。
鑑賞後どうしても気になったので当サイトで調べると、この作品の映像はシャビアー・カークナー氏の撮影によるもので、『Small Axe』という作品では過去に撮影賞も受賞されたとのこと。Small Axeの予告編をみると、ウン、やはり以前からその腕前はあったのかなと想像がつく感じだ。
パストライブスでは是枝裕和監督の技法を参考に"スウィンギン・カメラ”という手法を駆使したらしい。なるほど、これにはとても納得した。
この作品を通じて上手に描かれていった、登場人物の心の機微の表現。
ラストシーンでは最高潮に達する。
***
ウーバーに乗るまでの沈黙。
横並びだった体の向きが、どちらともなく互いに正面を向く。
見つめ合いは無言。ただひたすらに、見つめ合い、何も言わない。
このあたりの表現、凄い。
ハグは、愛情のあるそれでなく、気持ちを圧し殺した友情のハグで。
キスは、しないか。そうだよな。この作品、どこまでも物語を陳腐にはさせない。
「来世でまた会おう」というヘソン。この台詞。言えるか~~!?
今が past lives(前世)ってことにして無理矢理、気持ちを抑えるヘソン。
ウーバーを見送り、アパートまで歩き戻るノラ。
戻るまで100歩とあっただろうか。
この、ほんの短い間、ヘソンの人生でもアーサーの人生でもない、ナヨン=ノラだけの時間。ヘソンの本当の想いを強く理解し、涙する。泣いたのは、泣き虫のナヨン?ノラは泣かないからね。
玄関先で待つアーサー。
ああ、やっぱり部屋にいられず見てたんだなアーサー。こちらも切ないのう。
一連の流れを歩道と平行してワンショットで追いきるカメラ…
素晴らしいね。
12年ごとに出会うけど、結ばれない。
12年前=前世のような表現、皮肉。
これがこの作品の最大のロジックか。
良い映画との出会いに感謝したい。
脚本が素晴らしかった
細部まで練られていて、象徴や観念の連続。
そこに景色も相まってとても美しかった。
オープニングから、あ、これは凄そう、
と思える感じがもうね、ベテランの手腕。
笑えるシーンも多いのですよ。
夫のアーサーが、まるで映画でアジアンカップルを邪魔する米国人だ
とか言ったり。
でも最後にはアーサーの懐がデカ過ぎて敬服しましたな。
ヘソンは、ノラにとっては「コリアン」というアイデンティティの
メタファーだったのかもしれないな、とも考えてしまった。
割と不思議な映画で、断片断片で自分の記憶を思い出したりしつつも
すごく集中してしまって、夢中になって見ていた。
脚本の妙が細部まで行き届いているからかな。
個人的には、ヘソンが切な過ぎてもう泣くに泣けない感じでしたよ。
あの24年ぶりの再会の日に待っている感じが本当に愛らしくて。
ノラにずるいなあと思いつつも、気持ちはわかるし。
バーで、ノラとヘソンに待たされるアーサーも切なかった。
待っている男はなんであんなに魅力的なんでしょうね。
no way to say goodbye
彼は忘れられない初恋の人の気持ちと今の幸せを確かめたかったのだろうか。
場合によってはあの時の2人に戻れるのかも知れないと感じたのだろうか。
ノラが住む雨あがりのNY。
12年前のSkype以来、36歳で再会しに来た24年前の幼なじみヘソン。
ほほ笑みながらさらりとヘソンにハグしたノラ。
数秒遅れてぎこちなく腕をまわすヘソンにみえる複雑な動揺と別々の長い時の流れ。
そしてノラの夫•アーサーはこの再会の運命の成り行きを静かに見守っているようにみえた。
ノラをただ信じようとしながら。
冒頭のバーのシーンが印象的に繰り返される。
ヘソンの韓国語にはノラを想う一途な気持ちがポロポロとこぼれるように表れる。
ノラは隣でうつむきがちに佇む夫を少し気にしながら時々おおまかな通訳で繋ぐ。
アーサーは言語の全てを理解できなくとも話の内容をつかんでいるようだ。
やはりノラを信じようとしながら。
前日、アーサーがノラに聞いた言葉
「彼は君が恋しかった?」を思い出す。
〝?〟は〝。〟だ。
ノラへの優しさで疑問形を使ったけれど、3人とも、いや彼を見ている誰もがはっきりとわかるほど〝。〟だ。
あの質問にノラはあっさりと答えてみせた。
ノラとヘソンの〝イニョン〟を感じとるほどに内心は不安でいっぱいなアーサーを安心させたいのと、自分自身に言い聞かせるかのように。
だからアーサーはこうしてノラを信じてみようとしているのだろう。
ソウルへ帰るヘソンとの別れ際。
ヘソンを見送りに行くノラ。
アパートでノラを待つアーサー。
このシーンを見守りながらいつかの自分の記憶がフラッシュバックする。
勝手に混ざり合う経験と想像で3人の気持ちは私の頭の中で膨らむ。
それはヘソンのスーツケースのタイヤと同じスピードでくるくるとまわり、最後の選択を待つ彼らの分岐点に一緒に辿り着く。
バーでの最後にアーサーと会話し気持ちが落ち着いたようにみえたヘソンだった。
自覚する立場の違いや、アーサーの人柄や夫婦の愛にも納得した。
しかしまだ燻るものが隠せないほどヘソンはノラが恋しいあの時のままなのだ。
ノラも何かを堪えているのが切ないほどわかる。
タクシーが来るまでの息がとまるような長い沈黙。
ゆらゆらとする気持ちが輪郭をはっきりさせ何度も溢れそうになるけれど、あの坂道の岐路の風景と同じくまた立ち尽くすだけの2人の〝イニョン〟。
そして、ヘソンの精一杯の問いかけに〝わからない〟と言ったノラ。
その強い瞳が本心を塞ぐように「さようなら」を告げた。
ノラを外で待っていてくれたアーサーは全てを理解してくれた。
彼の安堵とその愛の深さがノラを包みこむと感謝が涙になって落ちる。
それはさっきヘソンとの別れに我慢して流さないようにした涙とは違う種類の温かく優しいものだったと思う。
3人の織りなす〝イニョン〟。
私も思いがけず心の奥底にしまいこんでいたなにかを引っ張りだされた。
それを重ねながら行ったり来たりし胸をざわざわさせ、決して思うとおりばかりではない人生の余波の豊かさに浸かる。
味わう記憶を呼び覚ますような体験は年を経てなおのことなのかも知れない。
今日のこの世界もまた格別だった。
タイトルなし(ネタバレ)
Past Lives(前世)は信じないけど「もしも、あの時、ああしてたら」は考える。
「ヘソンは中国語よりも英語の勉強に方向転換すればよかったのに。そしてNYに行けば、、」と自分事の様に見入った。
しかし相変わらず「引きずる」のはだいたい男だ。
ノラ(ナヨン)は子供の頃泣き虫だったが、自分の道をしっかりと進み、実家暮らしのヘソンとは違い国境を越えアメリカで仕事をする。しかし元々のきっかけは両親の都合だ。もし両親が韓国から出なかったら、、、当時の韓国が芸術に対して閉鎖的でなかったら、、、
時代背景も面白い。
今作が長編映画監督デビューとなるセリーヌ・ソン(1988年 生まれ)が、12歳のときに家族とともに海外へ移住した自身の体験をもとにした映画らしい。
ほとんどの構図が、左側がヘソンで右側がノラになってて反転するシーンに意味があるそうな。
運命はタイミング
『ワン・デイ 23年目のラブストーリー』と見比べることをお薦め
本作を観ていると、アン・ハサウェイ、ジム・スタージェス主演の、『ワン・デイ 23年目のラブストーリー』を想い起こす。すれ違いの期間(本作は24年、ワン・デイは23年)もほぼ同じで、ソウルとニューヨーク、ロンドンとパリというふたりの距離感、互いにひかれあいながら、結婚はしないという点など共通点が多い。出会いが幼少時と学生時代の違いはあるが。
ただ、決定的な違いは、『ワン・デイ』は毎年7月15日に一緒に過ごすことを決めて、お互い友人と割り切っているが、本作は、何年も会わなかったわりには、お互い未練たらしさが露出する点だ。女性の方は既に結婚しているにもかかわらず。
私は『ワン・デイ』には号泣したが、本作にはからっきし涙がでなかった。それは、同じ友人以上恋人未満を描いていながら、『ワン・デイ』が、友人に止まることの葛藤を見事に描いたまさに大人の恋物語とは対照的に、本作は恋人未満の稚拙さ(特に男の方)ばかりが目立ち、押し寄せる切なさの度合いに決定的な差があるように思えた。言いかえれば、別れてほしくないふたり(ワン・デイ)とさっさと別れるべきふたり(本作)の違いかもしれない。
ラストシーンの違いも印象的だ。あまりにも衝撃的な『ワン・デイ』とよくあるパターンの本作。よくあるパターンはしょうがないにしても、そこにあと一歩余韻がほしかった。
感じ方はそれぞれで、本作に号泣するタイプの方もいるかと思うので、二作を見比べることをお薦めする。
恋の思い出の下に隠れているもの
前評判の高さの割に地味な作品、というのが最初の感想だった。
ただ、地味であるからこそ身近に感じる部分もあるわけで、キラキラキュンキュンした恋愛ものよりもリアルな共感を持った人も多かったのではないだろうか。
登場人物たちが抱く未練や嫉妬や困惑、そしてそれを表に出すまいとする大人としての振舞いは、ただ夢中になって突き進むことが許されている年頃の表情ではなかった。
メインの三人にはそれぞれのバックグラウンドや現在の立場があり、それが個々の感情に影響している人物造形も面白かった。
子供の頃も大人になっても、ヘソンを「男らしい」と表現するノラ。韓国にもアメリカにも独特のマッチョイズムがある。
アメリカのマッチョイズムからは離れた存在であるノラの夫・アーサーはこの評価に随分衝撃を受けているようだった。ノラがアメリカ式の男らしさや韓国式の男らしさを重視していないとわかっていても、自分の知らないノラを知っていることや同じ文化をルーツにしている点も含め、ヘソンの存在にアーサーは動揺しっぱなしだ。
ヘソンが言葉にはしないまでも自分に気持ちを寄せていること、彼が過去の思い出を美化し過ぎていることをわかった上で彼をはっきりと拒まないノラは、人によっては思わせぶりな女性に見えるかも知れない。
ノラの優しさとも優柔不断さとも八方美人ともとれる態度からは、ヘソンがノラを象徴とした過去ののびのびとした時代を振り切れないように、ノラもまた自分の居場所や所属がはっきりしていた頃の居心地の良さに後ろ髪を引かれている気持ちがうかがえた。
男性像に対してコンプレックスのあるアーサー、韓国の普通の暮らしを無難にこなしながらも自信のないヘソン、自立して居場所を獲得し続けているが時折不安定さに揺れるノラ、それぞれが築いてきた人生が恋の思い出の下に透けて見える、深みのある物語だった。
伝わるという幻想…そこに頼る純情
子供のころの初恋の相手と再開するストーリー。突然親の仕事の都合で韓国からアメリカへ移住する女の子。突然、残された男の子。その後の彼らの人生。12年後、ふとしたことでオンライン上再開する二人。楽しい時間はそうは続きません。彼女は仕事に集中したい、オンライン上で話しをするようになってから、ソウルのことばかり考えてしまう。「しばらく、やめましょう」…そして…さらに12年が経ちます。
夫が居て、仕事も順調な彼女は現状を変える気はない。一方、単なるノスタルジーではない感情を抑えきれない彼はニューヨークへ向かう。彼女の夫も含めた3人での時間。隠しきれない緊張感は和めない微妙な空気を作り出す。単なる旅行者に徹したい彼の頬に涙が伝う。それを意思を持って無視する彼女。
別れの時、彼の前では決して泣かなかった彼女。しかし、家の前で待っていた夫の腕の中で号泣する。
恋愛の結果が結婚ではなく。生活設計としての結婚がある。そこに愛を感じないわけじゃない。でも…子供の頃に体験した純粋な愛情を求めるなんて…そんなリスクを背負うほど愚かじゃない。
「来世に会えたら」…彼を納得させ、自分を納得させるためには…この思想しかないのかも知れない。
「イニョン」…輪廻転生も含めた「縁」を表す韓国語は、二人を繋ぐ言葉であったが、二人を諦めさせる言葉でもあった。
なかなかいい映画でしたが…演出が淡白過ぎて…わかりにくさ…が残りました。韓国の文化…特に、韓国の男女の特性に対する知識がある方が納得感はあるのかな🤔
え?これそんなに良いですか?
期待してたんですが、がっかりしました。
「タラレバ」のセンチメンタルでどう感動させてもらえるのかな〜と思ってたら。
観てみたら、ごめんなさい、表現悪いんですが
すごく子供っぽい話だった…
誰かが「ララランド」と並べてたけど、とんでもない。
雲泥の差。
だって、パストライブスは、12才の時の、手繋いで親同伴でデートごっこしてただけの恋ですよ。
共に夢を追い、未来を夢見て同棲してたララランドと比べるのはおかしい。
それを20年引きずった末に、再会して2人とも思わせぶりな会話して、旦那まで巻き込んで最後は涙のお別れ、て・・・
ごめんなさい、私には理解不能でした。
すっごく不完全燃焼。
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