「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち

劇場公開日:2023年2月18日

「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち

解説・あらすじ

東日本大震災で多数の犠牲者を出した宮城県石巻市の大川小学校を題材に、遺された親たちの10年に及ぶ思いを記録したドキュメンタリー。

2011年3月11日に発生した東日本大震災で、津波にのまれて全校児童の7割に相当する74人の児童(うち4人は行方不明)と10人の教職員の命が失われた大川小学校。地震発生から津波到達までは約51分、ラジオや行政の防災無線で情報は学校側にも伝わり、スクールバスも待機していたにも関わらず悲劇は起きた。その事実や理由について行政からの説明に疑問を抱いた一部の親たちは、真実を求めて提訴に至る。わずか2人の弁護団で、いわれのない誹謗中傷も浴びせられる中、親たちは“我が子の代理人”となって証拠集めに奔走する。

親たちが延べ10年にわたって記録した膨大な映像をもとに、寺田和弘監督が追加撮影などを行いドキュメンタリー映画として完成させた。

2022年製作/122分/G/日本
配給:きろくびと
劇場公開日:2023年2月18日

スタッフ・キャスト

監督
寺田和弘
プロデューサー
松本裕子
撮影
藤田和也
山口正芳
音効
宮本陽一
編集
加藤裕也
MA
高梨智史
主題歌
廣瀬奏
宣伝美術
追川恵子
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フォトギャラリー

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映画レビュー

5.0 必見

2023年3月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

大変重要なものを描いた傑作だった。東日本大震災でとりわけ多くの犠牲者を出した大川小学校で、あの震災時、学校で何があったのかを知るために、犠牲になった児童の親御さんたちが裁判を起こす。遺族にとって裁判はファーストチョイスではなかった。遺族は、ただ何があったのか真相を知りたかったが、学校も行政も体制を守るための言説に終始する。検証のための第三者委員会も利権絡みで骨抜きになってしまう。だから、裁判を起こすしかなかった。そのことで、子どもの命で金が欲しいのかと心無い言葉を浴びせられる。
もっと海に近い学校はあったのに、なぜ大川小学校だけ犠牲者が突出して多かったのか、その真相を巡るプロセスには、いかにも日本社会のまずい部分が凝縮されている。遺族がこの裁判を戦ったお陰で様々なことが明るみとなり、今後の防災計画にも大きな影響を与えることになる。心無い視線と言葉を浴びせられながら、折れずに最後まで戦い、子供たちの死を無駄にしなかった人々の勇敢な記録だ。

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杉本穂高

4.0 思いは複雑・・・。

2026年3月18日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

驚く

監督さんの舞台挨拶付きて鑑賞。場内は子供連れの家族も含めてほぼ満席でした。その後パンフを購入し、監督さんのサインを頂き、声も少し掛けさせていただきました。
私は若い頃、宮城県石巻市やその近くの町で臨時教員をしていたことがあります。なので、映画に映っている市教委の幹部の中に直接存じ上げている方がいらっしゃいます。当時はいろいろお世話になった記憶があります。それだけに数多く開催された「説明会」「検証委員会」などでの姿は衝撃的でした。個人的には「いい人」「立派な方」のはずなのに(監督さんにもそう言っていただきました。)組織を背負うと、「〇してやりたいよ、アイツら」と原告遺族の一人から言われるほどに変わってしまう。(変わり果ててしまう。)組織的過失の決定的事実となった「避難訓練」実施をずっと怠っていたこととその確認をしていなかった当時の校長と市教委の犯罪的な怠慢に対する責任は免れるものではありませんが。

この映画は学校や市教委の組織的過失を認定した仙台高裁判決の確定をもって一応の区切りとなっていますが、聞き取りメモやメールを破棄したことや市長の「宿命」発言のような遺族の感情を傷つけることなど事後の行為に対する責任、当時の校長の個人責任(前述の避難訓練のこと)については問われてはいません。なので、「画期的な判決」ではあるものの「完全な勝訴」ではないということがわかりました。

話は変わります。映画やパンフの中で、原告の遺族に対してのSNSなどでの誹謗中傷について繰り返し触れられています。そのことにおそらく関連しているかと思いますが、監督さんの舞台挨拶で、特に最初の遺族説明会で聞くに堪えない罵声が学校側や市教委に対して浴びせているのは裁判に参加しなかった方で、裁判に参加された方はむしろ収める側だったということを説明されました。もし再び映画を観る機会があったら心に留めておきたいと思いました。

追加です。某ミニシアターで2度の鑑賞の後、「子どもたちの命をともに生きる~大川小学校津波事故を見つめて~」と「水底を掬う~大川小学校津波被災事件に学ぶ~」を購入し、読んでみました。遺族の手記をはじめ、多くの方が手記や感想、解説、経過、活動の紹介など多岐にわたっていました、ネタバレになるので内容の紹介はできませんが、一つ言えることは、例えば、裁判に参加しなかった遺族の手記や被告側の弁護士としての立場からの考察など、映画を観ただけではわからないこと(本当は映画の中でも触れて欲しかった。)ぜひ読んで欲しいと思いました。

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ひろ702

4.0 同じ過ちを繰り返さないために

2026年3月9日
iPhoneアプリから投稿

未曾有の大震災から丸15年──。

死者1万9,759人、行方不明者2,553人。
そのうちの84人が宮城県石巻市立大川小学校の児童と教職員だったこと、その被害が“人災”によるものだったことを今日まで知らなかった。(全校児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明)

当時、同校では災害への危機意識が薄く、数年にわたって避難訓練の実施を怠り(教育委員会には実施済みと虚偽報告、行政もその実態を未把握)、避難時の指揮命令系統や避難経路・場所の選定も満足に行われないまま、子どもたちや教師の多くが津波にのまれて尊い命を落とした。

それらの事実や責任の所在が、遺族らの強い希望によって司法の場で明らかにされ、彼らの死の原因は天災ではなく“人災”だと認定されたのだ。これは日本の自然災害史上稀に見る画期的な判決だという。

大川小は2階建てだったが、校舎のそばには子どもたちも椎茸栽培体験などで親しんだ小高い山があり、校庭から1分ほど走れば“津波到達ライン”より上へ登れる。平時から山への避難を想定し訓練していれば、命は守られたはずだ。
だが現実には多くの児童と教師が山へは向かわず、低地で津波に襲われ亡くなった。なぜなのか。責任はどこに、誰にあるのか。

当日は雪が降り積もっていたので山へは登れなかった、山への避難を勧める教師がいたが地域の人が反対し断念した、地震で山の木が倒れるのを見たため危険だと思った、などの証言もあったが(真偽の程は定かでない)、実際に山へ逃げて命拾いした教師や児童が存在するのだ。

学校も教育委員会も第三者委員会もアテにならない。親たちは訴訟を起こすことを決意する。

大人たちはなぜ、子どもたちを守れなかったのか。保身のためウソをついた大人は誰か。
この事件を単なる悲劇で終わらせず、真実を明らかにし、今後の教訓にすることこそ、亡くなった方たちへの供養になるはずだ。

発災時、校長は出張で不在、山へ逃げるよう促した教務主任や一部の児童が死を免れた。生き延びた子どもたちは映画の中で、亡くなった子どもたちと区別するため「生存児童」と表現されていた。切ない言葉だ。

地震発災後、保護者が学校へ迎えに来たことで助かった子もいる。多くの仲間が犠牲になったことで「なぜ自分だけ生き残ってしまったのか」と自責の念に苦しんだ子どももいただろう。

今、津波によって破壊された大川小の姿や被害の実態を保存し、後世に伝える取り組みが進められている。2度と同じ過ちを繰り返さないために。

本作を観て改めて、東日本大震災で亡くなった方への哀悼の想いを深めるとともに、いまだ行方不明のままでおられる方々が1日も早く家族の元へかえれるよう願ってやまない。

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ひげしっぽ

4.5 危機対応と事後処理。

2026年3月1日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

悲しい

知的

難しい

「わが子の最期の様子を知りたい」
それだけだったのに、それが、裁判でしかなかったとは。
最近すぐに取り入れられる、第三者委員会も意味をなさず…。
事実を知りたい思いなのに、わが子の命に値段をつけないと、訴訟を起こせないなんて。衝撃だった。

震災のあの時、関東圏の小学校にいた。
下校のために校庭にいて、経験のない大きな揺れに泣き叫ぶ低学年児。揺れに転びそうになりながらも、校庭の児童たちの側に向かった教員達。
担任の引率で、校長先生の指定した校庭に集合した。
担任の引率に、平常時はふざけたり、反発することの多い、中学年と高学年も、さすがに神妙な面持ちで指示に従っていた。
校長先生の指示で、すべての児童は保護者が指定する大人に引き取られて、
(一番遅かったのは、横浜からハイヒールで歩いて帰ってきた保護者に引き取られた児童、夜中0時に近かった)
教員が次々に口にする。
「引率したけれど、自分の指示に子どもたちの命がかかっていると思うと、その責任に押しつぶされそうだった」
担任ではない教員は、落下物や不具合で通れない廊下や教室がないかを点検し回って、児童の安全確保に努めた。6時間目が終わる直前だった。
用務員さんも校舎の不具合を点検していた。ひび割れた校舎・校庭を見つけて、安全な道の確保に努めた。町中に張り巡らされていた電線は校庭にはなかった。
地割れなんて、生まれて初めて見た。幸い、誰かが怪我するほどのものではなかったけれど、
あの時、もし校庭に大きな地割れがあったら、電線がキレて落ちていたら、先生方はどう判断していたのだろう。

大川小学校で犠牲になった先生方だって、そんな思いで、自分たちの命もかかっているのだもの、それぞれの最善の方法をとろうとしたに違いない。
そう思う。

映画は、たまたま、被害者家族が撮っていた説明会等のビデオ記録と、訴訟を起こした家族の実証実験の様子、高裁裁判官による現場確認、それに訴訟を起こした人々・弁護士への監督によるインタビューで構成されている。

編集が上手い。
 「子どもの最期の様子を知りたい」「もっとひどい状況のところは他にたくさんあるのに、そちらでは助かった児童が多いのに、どうして、わが子が亡くなったのかを知りたい」その家族の思い。それが裏切られていく様。そして、高裁の判決。最高裁判所の判断が要領よく、まとめられている。

なぜ、一人助かった遠藤先生や、亡くなられた児童たちの「山に逃げよう」という提案が無視されたのかは、訴訟を起こした家族の「複雑な人間関係」としか映画では語られないので、???は残る。

映画では訴訟を起こした家族の視点からしか描いていない。
 津波にさらわれた人々を探す場に、教育関係者は来なかった。
 その後、実際には行われていなかった避難訓練、でも書面では実施されていたという報告。鵜呑みにした教育委員会。なぜ行われなかったのかは「理由はありません」。下手な言い訳をされるよりはいいのかもしれないが、遺族が怒るのは当然だと思う。
 第三者委員会は、津波の到達時刻が、時計が止まった時間よりも早かったと説明する場面が切り取られる。5分ほど早かったとして、その前に30分校庭に留まっていた事実が、引き取りした多くの保護者等の証言で判明しているので、何を今更という思いが募る。その30分の間に行動していたら助かったのではないかという保護者の思いに共感してしまう。

百歩譲って、
 教育関係者が捜索に来られなかったのは、ご自身の家族・親族も被災していたはずだからかもしれない。
 山に逃げなかったのは、かって地崩れを起こしたことがある山肌で(その後補習されているが)、検証時に脇を通り抜けた体育館は崩壊していて、地震直後津波直前は今にも倒れそうだったのかもしれない。遠藤先生が「木が倒れていた」と主張し、津波後遺族が行ったときにはなかった倒木は津波にさらわれていたのかもしれない。

 それでも、映画で見る限り、遺族でもない私でさえ、訴訟前から、教育関係者・第三者委員会の言葉が、自分たちの保身に走っているのが、早くこの騒動を抑えようとしているのが見て取れて、胸が張り裂けそうになる。
 大川小学校は遺構として残されることになった。その式典の時の市長の言葉。何が問題だったのか、全く理解していない。

もし、教育関係者たちが、被災直後に、一緒に探索しており、無念さを共有できていたら、もう少し、その後の関係性は変わったのではなかろうか。

この映画に出てくる訴訟に加わった遺族は、口を揃えて、高裁の裁判長が言った「学校が子どもの死ぬ場所になってはいけない」という言葉を繰り返していた。
 噛みしめたい。

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とみいじょん

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