怪物のレビュー・感想・評価
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難しい。この時代だから評価されている作品
性的嗜好に配慮した作品。それが故に必要以上に高評価されている印象。少年たちの冒険感はでている。見終わった後も結局この映画はなんだったのかうまく説明できず複雑な感情を抱く。
ホリ先生は一見すると可哀そうだが、いじめに気づけなかった(性格的に気づいたら放置はしなさそう)点で責任がある。湊はそこも分かった上でホリ先生を学校から追い出そうとしたのでは。純粋な悪は星川くんの父親とクラスメイトのいじめっ子。この2人がいなければこのような展開にはならなかった。角田はいらない。ゲイだから星川君の父親はあんなに強く息子に当たっていたのか。息子に幸せな家族観を押し付ける麦野母親にも罪がある。
良い点
演技がうまい
展開が読めない
音楽が良い
悪い点
よく分からない
尺がちょうどいい
現代だから描けるテーマが、三部構成によって小出しにされており、その一つを掘り下げないところが良かった。
あの登場人物は蛇足だったんじゃないかとか、ジェンダーの書き方に今更感があるとか、一緒に鑑賞した友人は友人の意見があったのですけれど、一方私は「そこが良かったなあ」と感じていました。
それぞれの人にとっての『現実』があることを示せていたから登場人物は全員が必要だったと思うし、言いたいことはジェンダー問題ではないので出力ボリュームも適切だったと思います。
原作未読ではありますが、2時間の中にスマートに収めたなあいう印象。その中でもハートフルなクライマックスに持っていくのが新鮮。
結末を知った上でもう一度観たいな。
メッセージ性は希薄だった
詰め込みすぎ?
保利先生がひたすら可哀想なだけの映画?
邦画全体の中では間違いなく良作で、ラストシーンは感動的なものがあります。
母親と子供、その担任教師と、それぞれの視点でモノの見え方がまるで変わるというのを、分かりやすく描いています。
それ自体は風刺的で、シングルマザーやモンペ、学校の組織体質、LGBTなど現代における問題を絡ませています。
しかし、鑑賞後に冷静に考えると、冒頭の通り保利先生がひたすら可哀想なだけです。
母親はやはり子供との接し方を間違えているし、
子供も悪気はなくとも嘘で1人の人間を社会的に殺しています。
同じような感想を持たれた方も多いのではないかと思います。
なんか最後感動したけど、冷静に考えると、、、そんな映画でした。
苦手な映画だった
私はアクション映画が好きでヒューマンドラマ的な映画は苦手なので、大丈夫かな〜と思いつつも、とても評判が良かったのでこの映画を見た。結果としてはやはり苦手な映画だった。
他のレビューにもある通り、脚本の構成は良く出来ている。伏線の貼り方や回収方法、後半の盛り上がりは確かに芸術的で、短い時間で多くのことを伝えるとても映画らしい作品だと思った。
物語前半の展開についてはあまりにも大人たちが短絡的で愚かすぎるように感じてしまい感情移入できなかった。後半における様々な種明かしも想像からそう遠くない内容で驚きは少なかった。
登場人物が愚かである納得のいく理由が提示されず、映画をそのまま受け取るなら「子どもに関わる大人はみんな愚か」みたいな印象で終わってしまいそうで、その辺りが釈然としないというか「そうはならんやろ~」という感想になる映画でした。
美しい戯れ
序盤のほう、なんなんだ安藤サクラ以外、みんな傀儡のような世界観は…胸糞悪いな…と思っていたけど。。。
同じ時間軸で起こっていたことを視点違いで、いくつか見せられて、ああこういうことだったんだと伏線を回収していく構造。
子供2人が仲を深めていくシーンは性の匂いのしない天使が戯れているようで美しかった。
それが恋愛だと本人たちは鑑賞者はどの時点で感じていたのだろう。
子供が秘密を誰にも言えなくて、どんどん抱えきれなくなって大きな災いに発展する感じ。秘密を打ち明けられる心理的安全性を担保した関係性をどう構築するか。何を打ち明けても、愛する心は変わらないという確信をどう持たせるか。自己開示できず苦しんでいる硬い殻を母親として教師としてどう向き合っていくか。どうすればよかったのか問題提起をされている気分だ。
最近有名人でもカミングアウトする人がいる。それをいうことにどれだけ勇気がいることなのか、この映画を通じて少しわかった気がする。今まで築いてきた関係が失われることの可能性や、「結婚して子供を作る」という多数派の期待に応えられない罪責感を考えると本当に憂鬱になる。
勝手な期待をして、その人の進む道を当たり前のように押し付けていないか。もし私に大切な人ができたならば、いろんな選択肢があるうえで、どれを選んでも不変の愛をもつことの姿勢を見せたい。
要約を拒否する作品
人間に無意識に備わる偏見が一つのテーマ。怪物とは、一目で分かるような暴力主体ではなく、結局のところ自分が偏見に囚われている可能性を自覚しないまま生き、行動して他者に影響を与える一人一人の人間を指す。
映画のなかで幾度となくプロットツイストが起こる。それまでこの人が「偏見」を振りかざす悪役ー「怪物」、この人が被害者なんだと特定の理解をしていた鑑賞者は、物語に新たな視点が追加されるたびに、登場人物というよりむしろ自分自身が持っていた偏見を痛感させられる羽目になる。ここで取り扱われる偏見は、客観的に明確な差別意識といったものではない。人間として世界にその都度解釈を与えながら生きる以上、正直逃れることができないとまで言えるものである。
エンディングにさえ、それらしいオチや爽快感はない。全体として、特定の明快なプロットが真相として提示されるわけではなく、鑑賞者の方で断片的な描写を繋ぎ合わせてストーリーを解釈する必要があるのが、この映画の魅力をなしている。
坂元裕二氏の脚本が秀逸だったかと。
以上終了。。ではレビューにならないですね💦でも私にとってはそこに尽きるかな。
ネタバレは一切なしで書きますが、通常やら日常の中に静かに潜み進行している人の心や社会の歪みと捻れを淡々と炙り出す、の是枝節は健在ながらも「羅生門」的な視点とシーンの切り替えはかなり新鮮でした。
いつもの、如何にもな思わせぶりの伏線を回収しない、よく言えば淡々と悪く言えばダラダラの展開、誰も救われた感じがない、炙り出すけど結局は投げっぱなし、是枝監督の悪いクセ(と私には思える、でも好きな方には堪らない)が今回はかなり抑制されていて、後半の答え合わせでモヤモヤ感がある程度スッキリするのは坂本裕二氏の脚本あっての事かと感じました。
そう単純なラストでは無いですし、スッキリした!よくわかった!とはとても言い難いですが、本年度最高に(いい意味で)モヤモヤする「君たちはどう生きるか」と違い、本作は今回はリピは致しません💦
まさかの展開
予告を見た限りでは終わりがまったく見えなかった作品。
冒頭ですぐ、あ、諏訪市!と少しテンションがあがってしまった。
内容はほんとに予想してたものと違ってびっくり。
最後まで、予告から見て想像してたものとは違う。
ここまで違うとは思わなかった。
坂本龍一の音楽、諏訪市の自然の豊かさ。
是枝監督の作品は、今の時代を考えさせられる。
子役の2人もすごくて、久しぶりに集中できた映画だった。
子供パートが良すぎてそれまでの話はどうでも良くなった。星川くんの声...
子役のふたりに圧倒された
光、緑、湖の景色、とても美しい映像が続く。
それだけに夜を描くときの、暗闇の恐ろしさとの
対比が際立つ。闇のど真ん中に湖が鎮座する、
ぽっかりと開く穴の恐怖、底知れなさ。
同じ事件を3つの視点から描き出す構成で、
最初から内臓を直接掴まれているような
居心地の悪さ、嫌な金属音を断続的に
聞かされているような緊張感に包まれる。
一度信じたものを呆気なく覆され、
さっきまで良いとしていたものすら疑ってしまう
視野の狭さ、想像力の甘さに気付かされると共に
感情の拠り所とする対象も次々に変わっていき、
結局真実なんてどんな時もひとつじゃなくて、
事実と思い込みの寄せ集めに過ぎないと感じた。
「怪物」と題してあるが、怪物は誰だっただろう。
みんな誰しも怪物になる可能性がある。
本当のことを打ち明けられない、
理想を押し付ける、圧力に屈する、
譲れないものを守るために誰かを犠牲にする、
自分とは違う異質な存在を排除する、
普通に戻りたい、普通でありたいと願う
そのどれもが弱い自分を守るためには
避けられないことで、自分の思う正しい人生を
全員が無傷で生きていくことなんて、
結局はできないんだとため息が出た…
そのことを難しくなく、とてもやさしく、
そして同時に冷ややかに伝える映画だった。
詳細には語られなかった、
映画の最初から最後までを通して
決して良い一面が見えなかった人たちも、
きっとその目線を通して見れば、自分の
守りたいものを守るために必死なんだと思う。
ただ、大人はお金の力なりこれまでの経験なりで
逃げ道を自分で見つけ出すことができるけど
子供はどうしても難しい。身体の幼さに反して
内面はかなり成熟しているのに、子供であるために
自分を守る術がなくて、やり切れない。
結婚、家族の価値観、
当たり前に幸せな未来と提示されるテンプレート、
それに沿って暮らしていくことで約束されると
信じられている安定、そのはずの安定を
父の浮気によって失って尚、
子供に同じものを求めてしまう母。
だけどそれが愛情に依るものだと
分かっているからこそ湊は雁字搦めで苦しくて、
嘘を吐かなくちゃならなかったんだろう。
保利は保利で、「男らしくない」との口癖が
依里を追い詰めこそすれ、個人的には
この劇中の大人の中で
いちばんまともだったのではと思う。
一章と二章で、さすがに別人のように
描かれ過ぎなような気もしたが、恋人との会話や
丁寧に拾われる小さな伏線のおかげで
そこまで違和感も覚えない。
保利自身も決して問題のない人間ではなく、
なにかしらの、自覚のない生きづらさを
抱えているからこうなってしまうんだろうと
感じさせる説得力があった。
瑛太も安藤サクラも田中裕子も圧巻の演技力で、
テンポも良く、一瞬も退屈しなかった。
そしてなにより坂本龍一のピアノが沁みた。
ただこの映画を通して最も印象に残ったものは、
テーマ云々というよりも子役のふたりの鮮烈さで、
こんなに美しいものが世の中にはある、
それだけで見て良かったとはっきり思った。
誰にも介入できない、させない、
ふたりだけの完璧な世界に、
感動というわけでもないのに涙が出てしまった…
最後のシーンが、
なんとなく銀河鉄道の夜と重なった。
豪雨の中、新しい自分に
成り変わるために発車する車体。
ふたりの理想を詰め込んだ、救われるための場所。
ビッグクランチを
待ち望んでいたはずのふたりが最後、
「生まれ変わりなんてないよ」
「良かった」と会話して、
別の何物にもならずにふたりの姿のまま
光の方へ駆けていく姿は、本当に美しかった。
最後、行き止まりだったはずの
青い柵が消えていて、その向こう側に
行ってしまうということは
つまりそういうことなんだろう、と解釈したけれど
それで合っているんだろうか。そうだとして、
これは幸せな終わり方だったんだと信じたい。
間違っているなら、もちろんその方が良い。
金魚の行方(それ次第では保利の見方が変わるかも)
やクラスメイトの少女の意図など、
微妙に分からないところもあったので
ノベライズも読んでみたいと思う。
見ようか迷っていたけど、本当に見て良かった。
映画館を出て、雲ひとつない夏の空が
広がっていることに少し救われた。
前半と後半のギャップ
私は好きだけど
死の重さ、悲しみの深さは誰にも測ることが出来ない
今更ですが、坂本龍一さんの音楽目当てで、映画館行って来ました。
ラストシーン、私は直感的にあの2人は死んじゃったのかな…と、思ってしまいました。正直、生きていても地獄かと。放火と、あれほどに大きくなってしまった事件を思うと、、、
でも、それでは悲し過ぎるので、助かる。あれはその時に見ていた夢、と脳内補正し直しました。
私はつい、母親目線で見てしまうのですが、始めの頃のシーンで、「え?髪切ってて、何で子どもに聞かない?」「え、水筒に砂、何で聞かない?」そのうちに、車がドーン、、、
ぜーんぶ繋がっていくんだから、もっとちゃんと話そうよ、子どもと。と、つい思っていましたが、湊君がお父さんの不倫?事故死の事を話したところで、「お母さん、ずっと心に蓋して生きて来たのかな、、、」と。その悲しみの深さと、それをなかった事のように振る舞う姿に、苦しさを感じました。
校長先生も、ヒー!人造人間なのかこの人は…と思いましたが、港くんとの楽器の場面や、床を懸命に掃除する姿などで、あー、この人は大丈夫の人なんだ、だからこそお孫さんの事故が、精神に混乱をきたすほどの大ダメージなんだろうなぁと。
人の死や不条理な別れは、ものすごく凄く重みがあり、時間が経ってもミシミシと周りの人々を巻き込みつつ、心へ影響を拡げて行くんだなぁと、想像しました。そして単に悲しみ、とだけでは言い切れない複雑な、人々を飲み込んでいく怪物にもなるのだなぁと思いました。
前半、ガッカリ→後半、謎が解かれていきゾクゾク
保利先生と湊
うーん、この先生可哀想すぎると鑑賞直後は思った。
この先生の「罪」は少ないと思うし、それどころか、このストーリーに置いて、かなりまともな人だ。
先生があんなにも追い詰められたのは、湊が「先生に豚の脳と言われた」と母に嘘を告げてしまうからだが、なぜ湊は先生についてそんな破壊的な嘘を言ってしまったのだろうか?
それは湊と保利先生が、もうひとりの自分といえるほど相似的な人物としてあるからだと思い至った。
保利先生は、ある種の弱さを抱えている人物だ。
それは、付き合っている女性の、シングルマザーに対する偏見に満ちた価値観を無批判に受け入れたり、緊張する場面で状況も考えず、彼女のアドバイス通りに飴を舐めてしまったりする所に現れている。
自分に強く影響を与える人物が言う事を、自分の感情や経験よりも上位に置き鵜呑みにしてしまう弱さ。
その弱さは、過去に「誰にでも手に入るものが幸せ」という価値観を自分の感情を抑えて受け入れてしまったことから来るのではないだろうか?そして、それに沿って積み上げてきた自身の立ち位置は、何かの拍子にいとも簡単に崩れ去ってしまう危険なものであることも描かれていたと思う。
「誰かにしか手に入らないものは幸せって言わないんだよ。誰にでも手に入るものを幸せって言うんだよ。」こう言う校長先生は、まさしく「怪物」と言っていいほどの恐ろしい人物だ。
息子を心配して学校を訪れた早織に、どこかの国会答弁もあわやといった木で鼻を括ったような対応をして、かえって問題を大きくしてしまうし、先生のいじめを確信した早織が弁護士まで雇うと、先生一人を悪者にして、学校というシステムを守る事を優先する。
システムを守る事に真摯であるが故に、何らかの犠牲を生んでも虚偽や隠蔽を厭わない。だが、そんなシステムの元では、「子供は死んでしまう」のだ。
湊と依里のパートは、ふたりが供にいることで生まれる美しさが説得力をもって描かれて、この映画の得難い魅力の多くを担っている。
湊はこの美しさが、「誰にも手に入れられる」ものとして世間一般で語られる時は、未だに歪められて表現されがちな事に対して苛立ち、自分を大事にしてくれている母ですら、それを理解してくれなさそうな様子に困惑している。
依里への気持ちを罪であるかに受け取ってしまいつつ、彼との関係を深める中でちぐはぐになってしまった行動が母の不審を生み、それが頂点に達したとき「先生に豚の脳と言われた」と嘘が口をついて出てしまうのである。
わかってくれそうな人に対するSOSなのか?弱さを抱える保利先生に子供ながら付け込んでしまったのか?依里を愛する事は罪ではないが、これは明らかに湊の罪である。この罪は償われる事があるのだろうか?
「本当の事はどうでもいい、忘れたい事はこうやって吹き飛ばしてしまえばいい」と校長先生は言う。言われた湊もほっとしたような顔をする。でも、子供を守っているようで殺してしまう、というのはこういうことではないか?
かくて湊と依里は、嵐に導かれるように、ふたりの道行に旅立ってしまうのである。
ストーリーの中の死が象徴的なものなら、ラスト、二人はぎりぎりのところで死を免れ、この後、依里と別れた湊は、自分の気持ちを隠したまま「誰にでも手に入るもの」を求める大人になり、あのきらきらした世界を抑圧した生を選ぶのかもしれない。だが、それがどれほどの損失であるかをこの映画は描く事に成功している。
校長先生の言葉だけが統べる世界なら、あの二人は死んだと私は思う。だが、依里の作文に折句で隠された二人の名前を見つけたことから、全てを悟った保利先生が、嵐の中を湊の家に駆けつけるのだ、「お前たちはそのままでいいんだ」と言うためだけに。この時点で保利先生は湊が行方不明になっていた事を知らなかった。どんなに罵倒されても仕方ないのに、駆けつけざるを得なかったのは、依里への気持ちを間違ったものとして抑圧し、弱さを抱えようとしている湊の姿に、かつての自分を見たからだと思う。ここで保利先生もLGBTQであったという解釈は浅薄だろう。
構成を「羅生門スタイル」として、かの名作と対比される本作だが、内容も共通点があると思う。『羅生門』のラスト、戦で荒れ果てた羅生門に捨てられた赤ん坊は、それぞれ自分に都合のいい主張をする、虚勢を張る男や貴族の男女ではなく、最も弱い一介の庶民の手に渡った。今また、子供たちが生きるためのよすがは、全てを失った男と、シングルマザーの手に委ねられた。なんら政治的な力を持たず、ともすれば権力者によっていがみ合うように仕向けられてしまう彼らが、子供たちを思って我を忘れて駆け寄せる先にこそ、あのきらきらしい世界がこの世に立ち現れる可能性があるのだと感じた。この映画を見て、これからの子供たちの生きる世界が、あのラストシーンのように輝かしい素晴らしいものである事を祈らない者がいるだろうか。
心が揺れました。
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