正欲のレビュー・感想・評価
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マジョリティに対しても説得力があった。
マジョリティ同士でも分かり合えないことが多いのに、ましてやマジョリティがマイノリティを理解することは当然に難しい。
それでも誰もが自分のことを理解して欲しいと願っているという描写は、誰に対しても十分に説得力があったと思う。
演技陣も皆良かった。新垣結衣はこの作品で一段と芸の幅を広げたと思えたし、磯村勇斗は評判どおりの当たり役だった。稲垣吾郎もマジョリティ代表として自然な演技を見せた。特に、ラストシーンの(自分が寄り添えていないことを)初めて気付いた表情はなかなか良かった。
マジョリティ側の私の素直な感想として、疑似セックスシーンは全裸でやって欲しかった (笑)。
自分がどんな人間か人に説明できなくて、息ができなくなることってありますか?
かつては異質、変人、変態と鼻つまみにあっていたものが、今の世の中、フェチとか多様性とかという言葉に置き換えられてその存在を認められるようなった。その嗜好はけして犯罪でもないし、本人にとってはそれこそが紛れもない「自分自身にとっての普通」のこと。
この映画にも、何人もの「多様性という枠の中の世界」に生きている人が出てくる。彼らは一般社会で生きることに苦しみ、絶望さえし、影を潜ませるように怯えている。その生きづらさに共感できるかどうかで、この映画への共感度もちがってくるのだろうな。たとえば、稲垣吾郎演じる寺井検事のように、「世の中の普通」という尺度でしか物事を判断できない人間にはいつまでたっても無理だろう。正論を振りかざす大人、建前から抜けきれない世間体、その象徴として寺井検事はいるのだから。ただ、悲劇としては、佐々木の無実を証明するにはその寺井検事の理解が不可欠という難ハードル。おそらく、どれだけ夏月が言葉を変えて説明をしても理解できはしまい。それを悟ったからこその夏月の最後のひとことなのだな。そんな夏月と佐々木は、たしかに不幸でもある。だけど、唯一無二の理解者がいるということは幸福でもある。大丈夫、私はここにいますよって、これほど力強い励ましはないな。
しかしこの伝えにくいテーマをよく二時間で収めたものだと思う。タイトルの「正欲」は、ノーマルという意味で捉えるのだろうけど、性欲ともとれる。フェチの感情としては。だけど、見終えてその意味は、明日も生きていこうと思う生きる欲からくる「生欲」でもあるなと感じた。
(追記)
この映画の世界に、随分前よく聴いた曲のどれかに既視感のようなものがある気がしていた。ようやく思いだした。RCサクセションの「君が僕を知ってる」だった。清志郎はこう歌う。
今までしてきた悪いことだけで 僕が明日有名になっても
どうってことないぜ まるで気にしない 君が僕を知ってる
誰かが僕の邪魔をしても きっと君はいいこと思いつく
何でもないことで僕を笑わせる 君が僕を知ってる
何から何まで君がわかっていてくれる
僕のことすべてわかっていてくれる
はなればなれなんかなれないさ
コーヒーを僕にいれておくれよ 二人のこの部屋の中で
僕らはここに居る 灯りを暗くして 君が僕を知ってる
何から何まで君がわかっていてくれる
僕のことすべてわかっていてくれる
上から下まで全部わかっていてくれる
僕のことすべてわかっていてくれる
わかっていてくれる わかっていてくれる わかっていてくれる
映画自体は想像できる範囲の展開
主人公に対比する形で出てきた対人恐怖症も異性恐怖症の登場人物が中途半端な描き方過ぎる
恐怖症とは日常生活を普通に送る上では困難なハンディキャップでしかないしそれに第一水や児童やその他に快楽を求める特殊性癖ではないのだ
恐怖症は日常生活を送る上で困難を極めている特性でそれを主人公たちの求めるような“生活の質”としての快楽や悦楽と同視しないでほしい
何を根拠にしてこの作品の登場人物として恐怖症のキャラクターを登場させたかったのだろうかと最後まで否、見終わって今ですら疑問は残るのだった
原作のようにある一定の分量を持って描くなら分からなくもないが浅い人物描写に題材を軽く扱う商業作品に怒りのようなものが芽生えた
映画自体は想像できる範囲の展開で目新しくもないのだった
誰もが繋がりを求めている。
嗜好の多様さを学んだ。
久々にガッキーをスクリーンで拝めると知ってかなり楽しみにしていた作品。しかも相手役が磯村くんでこれは観るしかない、ということで。
最初はその嗜好について理解しきれず、けどだんだん分かってくると彼らのやっと手に入れた幸せが続いて欲しい、と応援するような感覚にいつの間にかなってた。佐々木くんが桐生さんのもとに戻れる日がきていてほしい。
理解されるのが難しい、そして一部は批判されてしまうような嗜好を持っている人はたくさんいるんだと知った。自分も映画の前半では理解できなかったように。
なんで2人が主役じゃなくて稲垣さんの役が主演なんだろうって不思議だったんだけど、パンフレットに稲垣さんの役は観客目線の人物になってるって書いてて腑に落ちた。この映画を見る前に現実世界で水に嗜好を持っているって言われたら、確かに自分も稲垣さんの役みたいな反応になってしまっていただろうなと。
余韻たなびく、いろいろ考えさせられる映画だった。
欲望のあり方
性の欲望は人それぞれ違うことは分かる。
それぞれの性(欲望)のあり方について、ここ数年での変化は映画化までの時間より早かった様に思える。
そのため水という流動的なものから得られる欲望があるとしてもよいだろうし、欲望が一つだけとは限らない点も理解できる。その欲望を満たすことは何処にあるのだろうか?
それは自慰行為も含むことだけど。
登場人物たちそれぞれのそれも含め描いて欲しかった。
描いたキャラもいるのだけど。
そして導入部がとても長く感じ、点と点が結ばれ線になってから結末に至るまでの展開が坂を下る様に早く感じられ、もう少し起伏を付けても良かったんじゃないかと思えた。
拘束されるまでの心理描写とか。
あと警察署内であそこまで冷静に居られるのだろうか?何か他人事の様に描かれてる様にも感じられた。
正欲 深い!
何をいいたかったのか…
結局何を言いたいのかわからなかった。自分らしさを持っていきたい佐々木や人に心を開く習慣がなかったダンス部の男が小児性犯罪者に巻き込まれた事に関して、自己実現をしたというよりバッドエンドに感じてしまった。結局、自分らしく生きることは悪だといいたいのか、監督や筆者の意図が汲み取れなかった。それともよく知らない人と会うことが~という話なのか。正欲といっても小児ポルノは犯罪。水フェチは犯罪じゃない。というか水フェチは主人公二人に関しては思い出に紐付けられたフェチシズムな気がするので純粋に思い出を想起するものでフェチでないと思う。この2つを関連付けた犯罪者が事態をおかしくしてる
あと、時系列に一度混乱した。子供の父が持っている藤原の記事はその当時最近のものなのか、佐々木と桐井が中高生のときに起こった事件なのかわからなかったからタイムスリップ要素あるの?と思った。
佐々木
彼が生きる希望を持てない理由が明確に描写されていなかったため、共感できなかった。桐井との対話では、親がなくなったがよかったと思った、おれは冷酷だと言っていたが彼は心が弱いタイプな気がする。やや感情に流されやすい気がした。ネットの関わりで事件に巻き込まれているのが彼にとって幸せかというとそう思えない。彼は元々こういうタイプなの?
子供
佐々木と同じようなタイプな気がする。父母が異なる欲を持って対立しているのであれば、家のがしんどくないか?と思ってしまった。背景描写が甘すぎる。いじめにあっているなら細かい描写が欲しかった。
桐井
彼女は中学生以降の記憶しかなく彼への執着が見え隠れしていたことが彼女の欲だと読み取れた。よってあれこれと遊んで婚活やセックスしたくない。執着心から彼の窓を割ったからこそ免罪は弁解したい正義感が働いたのか。
ダンス部の男
子供の父とは別の冷酷さを感じた。ただ生来持ってるものだろう。男性恐怖症の女の子に最後共感する気持ちが芽ばえたのはビックリした。その女の子は別の女と理解しているだろうし、藤原を名乗ってる男に騙されてるとは思わなかった。
追記
ジェンダーの話とは思わなかった。ただ人生のレールに乗るか否かという大きいくくりであって、セクマイやアセクシャルとは関係がないと受け取ってしまった。エリート検事稲垣の家庭に関しては「育て方、生き方規範」でありジェンダーだの関係ないだろう(父と母の典型例っぽいが)。水フェチはガッキーと佐々木くんの絆の間に生まれたものであり、少なからず恋愛感情はあるように受け取った。「水」はハンドルネーム藤原と佐々木とダンス部男が繋がるきっかけであって趣味のようなものだと受け取ってしまいました。
新垣結衣の本質を感じた
この映画は凄い。とても感動した。
稲垣吾郎も良いのだけれど、やはりこの映画は新垣結衣と磯村勇斗でしょう。
特に新垣結衣は、ガッキーと呼ばれ逃げ恥以来アイドル的立ち位置になっていた気がしますが、彼女の本質は女優なのだと思い知る、凄い演技でした。
宇野祥平も、罪の声で知った俳優でしたが、セリフさえ少ないものの相変わらず良い味を出していました。あんなに目で語れる俳優は稀だと思います。
そして東野絢香さん、失礼ながら彼女のことは初めて知りました。この先どんな作品に出られるのか、とても楽しみな女優さんです。
なかなかこのような素晴らしい作品には出会えません。映画館に来て良かった。多くの観客とこの感動を一緒に味わえて、本当に幸せでした。
水フェチってことですよね
共感する人も近くにいて明日生きていたくないといった気持ちになる葛藤が描ききってないと思う。この映画だけを観ると水と戯れること、動画を観ることで欲求が満たされるなら、人の迷惑にもならないし、犯罪にも関わらなくて済むので生き辛い感が伝わらない。
ゴローちゃんの家庭は酷かったな。レトルトのカレーのみとたぶん冷凍物のオムライスのみを当たり前の様にサーブするあの奥さんの冷たさがとても印象的だった。
〝普通のこと〟です。
インパクトあるタイトルでひき寄せられ、放つメッセージは何だろう?と予告からわくわくした。
数えきれないほどの個性が集まるこの世だ。
生きていれば他者の思考・嗜好・志向との相違を感じる。
それは普通のことで正解や不正解もない。
誰にとってもそれは「正欲」であり、生きようとする欲=「生欲」ということなのだろう。
登場人物のエピソードを巡りながら考えさせるメッセージ達はなんだか幾度も打ち寄せる海水に似ているなと思った。
決して生ぬるくなく傷を探してはしみ込んでくる。
波打ち際で立つ足元に目をやるたび、都合よく保身してくれる砂たちを繰り返し連れ去る。
〝普通のこと〟があなたに〝どうあるか〟。
根っこの部分に、他を害したり傷つけないことを絶対のルールとして、
〝では、どうあれば〟と聞いてくる。
その問いは、彼らの縦とか横とかななめが繋ぐ接点を巧妙に繋ぎながら最後まで力強く続く。
その最後である夏月の姿はとりわけ印象的だ。
佳道についての聞き取りをする寺井の正面で一切たじろぐことのない彼女。
自分を理解されることのない異端だとあきらめ他者との距離をとり生きることに疲れていた彼女が、似た感覚を持つ佳道と過ごすうちに自他の自然な感情や感覚を肯定できるようになったのを確信できる姿がそこにあった。
それは身についた寛容性だ。
自分らしさに向き合い心地よく生きる術がなし得たことだと思った。
同時に安堵がよぎり、この肩に入っていた緊張が解け血が回り出したようにふわりと体が温まった。
さらにそんな夏月のその背中をまたひとつ、すっと寺井の前で押してみせた言葉。
それは偶然と夏月の勇気が手繰り寄せたぬくもりの重みのちからだった気がしてならないのだ。
あたたかい背中にまわした夏月の指先が触れたのは他ならぬ自分の素直な感情。
人の温もりという安らぎに似た愛おしさがこちらにも漂ってきたのを感じながら夏月の前に開かれゆく長い道も見えた。
私たちのまわりにはいつもあのメガネがそこらじゅうに転がっている。
ふとしたきっかけで手にとるのは他者かもしれないし自分かも知れない。
その使い方次第では、過去から現在、海の向こうも身近に見聞きするものも起きる過ちはこの足元から簡単にまるくつながっているのだろう。
このしょっぱい波がざわめく間は剥き出しになった自分の素足をみつめることになるだろう。
日が暮れて遠くの灯台の薄明かりしかなくなっても、ただそこで、ひとりで。
「いなくならないから」
多様性って簡単に定義づけできないどこまでも果てしないものだと思う。理解しようとしても、結局個人の中にある知識や経験からしか生まれないのだから各々勝手に枠を作って、簡単に分かった気になったり、ありえないと思ったり、勝手に引いたり、批判したり、自分より下にみたりする。ありえないものを内側に抱えたり隠したりしながらどれだけの人が生きてるのか、目には見えないものがどれほど大きなものか、みんな見落としている。そもそも理解しようとすることが正しいのか?理解できないことは悪なのか?考えさせられる。
中盤、夏月の同僚の言葉にぞっとさせられる。きっと本人にとっては何気ない言葉。むしろ自分は正しいことをしているという態度。仮にも悪気なく世の中こういうことが至る所で起こっているのかななんて思うと本当にぞっとする。
夏月と佳道の2人。手を組むって、なんだか契約のようで嘘をつくようだなと予告編を見て思っていた自分の浅はかさを思い知る。手を組もうがその姿が他人にどう映ろうが、ただ必死でみんな生きて、生きようとしているだけで、生きていくための手段ってそれこそ正解も不正解もきっとないのだと思う。所謂普通ではないものを抱えていても、他人には計り知れないほどの孤独を抱えていても、もしたった1人でもそれを大事にありのままに共有できる人がただ側にいるのなら、生きる理由として十分だ。「いなくならないから」というセリフ。ここだけ切り取ると何気ない言葉。別の視点から捉えるとある意味皮肉な言葉。これほど力強い言葉があるだろうか。一生忘れられないラストシーンとして胸に刻まれた。
よくぞ映画化してくれました‼️とスタンディングオベーションを贈りたい
この映画は観る人を選ぶと思われますが…私はすごく好きな作品になりました!
新垣結衣さんの演技がとにかく素晴らしかった!
他人には理解して貰えない趣味嗜好を抱え、自分を閉ざして生きている桐生夏月(新垣結衣)。
職場でも親切心でいろいろと話しかけてくる同僚に、常にイライラしています。
この同僚、親切心は分かるんだけど…明らかに迷惑顔してるんだから、自分の思いや価値観を押し付けちゃ、ダメだよね(^◇^;)
夏月と、同じ思いを共有していた同級生・佐々木佳道(磯村勇斗)は、高校卒業以来、久々の再会でお互いの生きづらさを楽にする手段として同居を始めます。
男女ではなく同志として生きる2人の生活は、傍目には異様に思われるかも知れないけど、私にはなんだか微笑ましくて素敵に思えました。
ある日佳道は同じ趣味嗜好(フェチ)を持つ人物をSNSで見つけ、接触を試みます。
他人には理解しがたいフェチについて語り合える友がいる喜び、そして嬉しさ。
ですが、同じと思っていたその仲間の1人はグラデーションの色ように、微妙な違いが混ざっていたのです。
その人物のおかげで、物語は想像もしていない展開になります!
(あの男さえ居なければ、こんな事にならなかったのになぁ😞)
逮捕される事になった、佳道を問い詰める検察官・寺井啓喜(稲垣吾郎)。
啓喜は自分の考えに絶対的な自信を持ち、怒りに激昂して声を荒げるなど、ちょっと古いタイプの人間。
中の人吾郎さんとは全く違う人物(^◇^;)
これはどうやって終わらせるのかなぁ?と不安になりましたが💦
終盤、夏月は佳道について何も語らず『佳道が語っている事がすべて』だと言います。
自分の思いを話しても嫌悪感を持たれるだけ、理解など誰にもしてもらえないと分かっているから。
でも佳道に伝えたい言葉は『居なくならないから』
この言葉に救いがあって、私はとてもいい終わり方だと思いました。
この作品は、いろいろと語りたい事がたくさんあって、うまく纏めらませんが、、、
とかく大声で主張した人が正しいと思われがちな世の中に、生きづらさを感じている人が多いから、登場人物に共感してヒットしているんだろうなと、感じました。
個人的には、事務官役の宇野祥平さんが、印象に残りました。
理解出来ないような案件や人物にも、決めつけないで理解しようと努力する事が、とても大事と思えたので。。。
彼には、事務官ではなく是非検事になって欲しい!?(笑)
新垣結衣の演技が素晴らしい
引き込まれた!
原作読んで観賞。
役者の演技がよかった。
特に夏月役の新垣結衣、八重子役がよかった。
最後の場面の「いなくならないから」は名場面だ。
自分をさらけ出した信頼関係こそがリアルな繋がりではあるのだと。
それを紡げていなかったのは画一化された環境で普通の家庭を築こうとしていた啓喜のほうなのだと。
あらゆる常識に対して色々な角度で見識を持てるようにしたい。
芳道、夏月、大也、八重子のような人たちがこれから生きやすくなるような社会の発展を願いたい。
2時間半では難しい?
原作を読み、最近の小説で最も夢中で読めた作品だったので、
映画を観たくなり映画館へ
原作既読済みの映画鑑賞時に、いつも思う感想が、
自身の思い描いた原作通りに行かないと嫌!って感想が必ず付き纏います😵
原作を好きな時程特に。。
今回もそのような感想でした
桐生さんの謎の奇行や、原作で好きな田辺の好き放題コメントシーンが無かったり、寺井啓喜が、自身のマイノリティを自覚させられるシーンが見たかったな、などなど、
小説を読み終わった後のような、いい気持ちにはなりませんでしたが、良いシーンもあり、
八重子と大也の言い合いのシーンは原作と違っていましたが、言葉や演技に迫力もあり、桐生さん佳道との絡みのシーンも、お互いの繋がりが感じられて良かったです
原作とはまた違った良い映像化を期待して、また映画館に向かいます
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