正欲のレビュー・感想・評価
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今という時代
傑作です。
キャッチコピーが、「観る前の自分には戻れない」。
でも、わたしは、まったくそうは思いませんでした。
だって、人の幸せに傷ついたり、自分の入ることのできない暖かな家の灯りに窒息しそうになったり、この世から消えてなくなりたい時も、あの少年のように父親を見たことも・・・そのすべてに身に覚えがあります。
そして同じ様に、わたしも、人を傷つけ、浅はかな正義を押し付け、それに気づきもしないこともあるでしょう。
だからこの映画は、今という時代を生きる大人に向けたお伽話だと思いました。
苦しいことばかりの人生だったけれど、そのおかげで、この映画に心から涙できる自分でいられた。
過去を振り返り、これで良かったと。
SNSの片隅で、今日もたしかに人が息づいている。
いつしか、その剥き出しの欲望と混沌の中から、ほんとうの希望が生まれてくるといいな。
そう祈ります。
映画史と人権
本作を見ながら「ああ~、時代もここまで来たのか」って気分になり、「社会は発達するにつれ複雑になって来るのだなぁ」って考えさせられました。
個人的に“映画は考えるためのツール”としての役割を持たせているので、私向きの映画ともいえます。なので感想というよりも雑談をしたくなる様な作品ではありました。
まあ、映画を半世紀以上見続けていると、大まかな映画史というのも自然に頭に入っていて、映画史的な流れで作品を見る習慣も身ついてしまっています。
ある視点から言うと、映画って“人権”を提唱する手段でもあったような気がします。
要するに社会悪を物語として観衆の怒りの感情に訴えかける、良い意味での煽動ツールでもあった訳です。
又聞きですが、元々ハリウッド映画産業を興したのはユダヤ人であり、様々な差別への対抗手段として大衆が理解しやすく社会的効果も得られる映画が有効であるという事から“勧善懲悪モノ”“人情・恋愛悲喜劇”といった娯楽映画を量産したという事を漏れ聞いています。
そして時代が進み、貧富の差、人種差別、男女差別、LGBTQ、ポリコレと問題意識も変化してきて、ついには本作の様な特異なフェティシズムまでに至るのですが、今までの映画が果たしてきた問題提起に対する結果として社会(世界)はどう変化(改善)したのか?という事が一番の問題なのだと思うのですが、本作の場合はある意味その点についての問題提起をテーマにしていた様に感じられました。
なので、本作の場合オムニバス的に登場人物が多くいるのですが、貴方は現実社会ではどの人に一番近いですか?、若しくは一番感情移入出来ましたか?、若しくは誰も全く理解できないし気持ち悪いと感じましたか?それを自覚するための作品なのだと思います。
マイノリティ、マジョリティとは言っても、分類を細分化すれば殆どの人がマイノリティ側にいたりマジョリティ側にいる訳で、もっと簡単な識別法は分類の細分化を理解できる頭脳があるかないかの差でしかない訳です。
世の中がどんなに進歩しても、それの理解できる人と理解できない人の割合は変わりませんので、問題が無くなることは決してありませんし、社会のルールというものは最大公約数(若しくは普通)を基準にして作られる(言い換えるとそれでしか作れない)ものであり、個人的マイノリティの部分は自覚して生きるしか方策はありません。
自分のマイノリティ部分を自覚できる人は哲学者にもなれますが、自覚できない人はただの変人扱いされるだけで終わるのでしょう。
さて、冒頭に書いた映画は絶えず人権と向き合い作られてきた歴史があるのですが、果たして社会は良くなったのか?変わらないのか?は難しい問題ですね。
個人的見解だと、社会は大きく変化しているが、人間の根本は殆ど変化していない気がします。なので悲劇も絶えない。
本も読んだ方がいいかな
上映が終われば自分たちはまた擬態する
原作読了済です。原作が好きだったので、映画化と聞いたとき、
ああ、これも消費されてしまうんだ。。と絶望した記憶があります。
原作はキャラクターの心情が文字に全部書かれていますが、
映画では第三者視点と思っておけば大丈夫です。何個かオミットされている部分がありますので、個人的には原作を読んでから映画を見てほしいです。朝井リョウさんの痛烈なメッセージを浴びてほしい。
結論からすると、「作ってくれてありがとう」と思った作品でした。玄関の向こう側にいながら擬態せずにいられた作品でした。よかったです。
また、認知的不協和を発症させない寸前で描写を止めており、その塩梅も絶妙です。
新垣結衣さんと磯村勇斗さんの演技が素にしか見えなかったです。
気づけば2人の言葉に吞み込まれていました。ああ、この映画が終わるまでは擬態してないでいいんだ、と思うとセリフがまっすぐ心の中に入ってきて、
「ここにいていい」と監督から語り掛けられているような気分になりました。
作中気になったのは前半のダンスシーン。ゲイコミュニティが発祥の振り付けがある、と話していたが、本番の文化祭ではHIPHOP調の曲を流していた。あれは「多様性」への逆説的な皮肉なのか気になる。
歌詞もめでたいものだったので、余計わざとなのか、気になった。既存曲なら批判できないよなあと思ったが…。
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玄関を出ると、勝手に自分の中でスイッチが入る。
それは社会に溶け込ませていただくための擬態スイッチで、自分が不適合と分かっていながら、それがバレないように迷惑かけないように擬態する。
上映が終わったとき、ああスイッチを入れ直さないと。と思った作品でした。
134分間だけ玄関の向こう側にいながら擬態せずにいられた時間は、とてもよかったです。
いなくならないから・・・‼️
ダイバーシティ、マイノリティ、アイデンティティを描いているという事でしょうか。新垣結衣さんと磯村勇斗くんの人間関係構築が不得意な似たものカップル‼️学校に行かないでユーチューバーを目指す小学生の息子と妻から別居される稲垣吾郎の検事‼️自分のアイデンティティーを見失いそうになってる大学のダンスサークル部の学生、佐藤寛太‼️この3つの物語が途中チョコチョコと交わりながら並行して描かれます‼️そして終盤、ある事件をきっかけに、この3つの物語が一つにつながる‼️そして観客に丸投げのエンディング‼️多分、新垣結衣との会話で、稲垣吾郎は磯村勇斗を不起訴にするんだろうなぁと思うんだけど、もうちょっと物語的にカタルシスというか、光が欲しかった・・・。ただ新垣結衣ちゃんは周りに馴染めず、一人浮いてる感の演技はリアルで良かったと思います‼️素なんだろうね‼️
原作を読んだ本好きとしての感想を添えて
はじめに、作品名である『正欲』の意味が正確にわかるのは小説であることを伝えたいです。私の発想力がなかったためかもしれないが、小説で読んでやっと『正欲』の意図することがわかりました。
映画として、入りの部分から「おっ?!」と思わされたので、最初から作品の世界に引き込まれました。そのシーンが何を意味しているのか最初はわかりませんでしたが、徐々に明確になっていき納得することができました。
内容の趣旨に関しては、今自分たちの世界を取り巻く内容であるが、自分たちが知っているものが全てでないことを突きつけられました。この作品を通して、自分の知らない世界で生きている人たちを理解するきっかけを与えてくれたので、とてもよい機会になりました。
お気に入りのシーンは“プロポーズ”(この表現で正しいかはわかりません)のシーンです。
単純に「こういった関係性に憧れるな」と思いました。でも、登場人物たちがこのような状況下にあるからこそ心救われる素敵な、大きな希望を象徴するシーンになったのだと思いました。
最後に、本作品の趣旨とは少し違うかもしれませんが、自分の他者に対する言動を振り返り、改めるよい機会になりました。自分の“あたりまえ”を相手に押し付けるような言動は起こさないように些細なことにも配慮をもって、考えて過ごしたいと思います。
※小説を読んだ者として、より生々しく、重く、深く作品を感じたい方は小説をおすすめします。周知のことと思いますが、映画は大衆向けに簡略されている部分が多々あります。
ガッキー=可愛いと消費してきた我々に突きつけてくる
前半説教くさいな〜とか既視感ある雰囲気映画で終わってしまわないかな〜思ったけど、冒頭のモノローグを相槌込みで繰り返すシーン(ここから第二幕と言って良いでしょう)から物語が急加速していき、胸にこびりつくシーンの数々にやられた。誰かと話をすることで世界が広がっていく映画はやっぱり素晴らしいよね。
大変申し訳無いけど、最近「ミッドナイトスワン」を観て激情してこともこの映画をより良く見れた要因の一つだと思う。いわゆるマイノリティーとされてる側の消費の仕方とか、「マイノリティーの人たちかわいそう…こうはしちゃダメだよな…」で片付けない(そういう意味では車の突っ込みまではいらなかったかも)。
多様性って枠組みじゃなくて自然に元々あるべきものだよなという再確認。LGBTQとフェミニズムに触れておけば、多様性を“勉強して”いると思ってしまう世間の浅はかさへのカウンター。やっぱり異性愛前提で会話してしまってるなと自分を省みる。
性的嗜好は、欲望はどこまで許されるのかを突きつけてくる。水フェチに関しては、誰にも迷惑かけてないし、映画的に綺麗に撮れていて受け入れやすい反面、小児性愛は… 綺麗に撮れているからこそ実際水フェチを受け入れられたとしても、多くの場合稲垣吾郎演じる役のように「あり得ない」と無意識に断罪してしまう可能性もある。
今年公開された映画でも「渇水」「波紋」「アンダーカレント」など印象的なものが多いけど、一番水を美しく撮れている。新垣結衣演じる役が寿司屋に行くのも、カニクリームコロッケも水と繋がってきてる??
キャンパスのシーン、「好きだから」じゃなくて「大事だから」で入るの本当に素晴らしい。マイノリティーが分かってもらう側前提でいるのはおかしいというのは、アップデートされてるなとも思う。
マイノリティーの気持ちを「地球に留学しているよう」と良い、分かり合える同志を見つけると「地球の中心にいれる」と表現する美しさ。
稲垣吾郎が急にキレると本当に怖い。
確かに正常位って何が正常なんだ??と思いたくなる擬似性交体験があまりにも滑稽で笑えた。
仕事柄、不登校ユーチューバーに夢見て不登校ユーチューバーになる流れは心苦しく見た。自分も絶対許せないタイプだろうなあ。「普通」に縛られる稲垣吾郎演じる役柄の、分かり合おうどころか分かろうとしないところが他のカップリングとの対比として美しい。
ラストシーンが本当に本当に最高。『普通』に縛られる稲垣吾郎から『世間から“普通”とされない』新垣結衣から『普通のこと』と語られる分かり合えた者同士の強み。
”水“を性的嗜好として死んだ目で自慰(自らを慰めるって凄い言葉だ)行為を嗜むパブリックイメージからはかけ離れた役柄。「ガッキー=かわいい」と消費してきた我々にも突きつけてくる。女優:新垣結衣の代表作の一本に刻まれる。
正しいなんてない何でも良いじゃんと思うと小児性愛者を野放しにしてしまう。法?理屈?結局分からないけど、自らで何もかも枠組みを作って理解できないものを切り捨てるのはせめてやめれる人間になりたいと思った。そして、理解できなくても理解しようとはしていたいし、傷つけたくないと改めて思った。
新垣結衣さんの演技が素晴らしい傑作!
一番印象に残ったのは新垣結衣さんの演技
いつもは可愛らしく柔らかい印象ですが、本作ではかなり特殊な嗜好を持つ役回りです
初登場シーンから回転寿司での目が据わったアップで登場し、お節介に話しかけてくる客にキレたり、嫉妬のあまり人の家に植木鉢をぶつける、それ以外にもこれまで絶対にNGとしてきたであろう”シーン”までも熱演していて、とても良かったです
アップも多く、あらためて可愛いい人だなあとしみじみ思い観てました
キャスティング面でいくと磯村勇斗さんも良かったです、最近 特に重いキャラクターの作品に出ることが増えて来ましたね、将来有望な若手実力派俳優の一人である事は間違いないでしょう
先日、「月」を見たばかりなので、普通にしていても、どことなく不気味さを感じたのは私だけでしょうか(苦笑)
人は一人一人 生き方も嗜好も違って当たり前だし、それを他人がああだこうだ言う権利は無く、”人に迷惑をかけていなければ”全く問題ない
さらに自分と全く同じ嗜好・価値観の人とずっと一緒にいられることほど幸せなことはない
主人公の新垣結衣さん演じる桐生夏月と磯村勇斗さん演じる佐々木佳道も他人には理解してもらえないであろう”水フェチ”として生きづらい人生を送っていて、そんな同じ嗜好を持つ者同士でずっと一緒にいようと決め、支え合い生きていくことを決めるが、”人に迷惑をかける嗜好の持主”達のためにささやかな幸せが奪われていく悲劇が描かれていき、とても切ない気分になりました
特にラスト、夏月が稲垣吾郎さん演じる検察官・寺井にトラブルに巻き込まれて拘留中で会えない佐々木へ頼んだ伝言、”私はいなくならないから”というくだりがとても辛く悲しい気分になりました
一方で伝言を頼まれた寺井はというと、自分はいつも礼節をわきまえ、常に正しい言動と行いでマジョリティと思っているはずなのに、妻と息子に愛想をつかされ別居状態になり孤独な状態に陥っている男、水フェチのカップルをなじっておいて、自分の方が彼らより不幸な人生を送っているという皮肉な展開も印象的でした
と、いろんな意味で考えさせられ、見ごたえのある、観て良かったと思える良い作品でした
ガッキーは大画面で
濡れる=水浸しなのかと思いきや
水フェチという(100%ないとは言い切れないけど)架空のフェティシズムを性的マイノリティの比喩として提示しながらダイバーシティをモチーフに描いた話で、見応えがあっただけでなく、鑑賞後もいろいろ考えをめぐらせたくなる作品だった。
「普通」というぼんやりした枠の外側にある多様性を想像しつつも「多様性」という枠組みを作った時点で、そこからもはみ出す外側があるわけで、そこにいる夏月や佳道や諸橋らの孤独感は想像するだにしんどいし、だからこそ同じフェチを有する人間を見つけたとき心の高揚は計り知れないのだろうと思った。終盤の展開は、怪物だーれだのマイノリティの悲劇的ファンタジーな結末とそれへの批判を想起させるが、今作では「普通」を強調する寺井検事の家庭状況と対比させながら、夏月の「いなくならない」というラストの一言が救いをもたせていた。
…と、しかし。そもそもこれはマイノリティとマジョリティ、多様性と画一性、アブノーマルとノーマルとかの話なのだろうか。たとえ相互の理解は望めなくとも、大切なのは相手の気持ちに向き合うという、実は人と人とのコミュニケーションの話なのではないだろうか。
寺井が家庭不和に陥ったのは、妻や息子に普通を押し付けたからではなく、不登校の息子やそれを案ずる妻の話に耳を傾けなかったからなのであり、その意味でラストの、質問はするけど夏月の問いには答えないという一方通行の質疑応答は象徴的だ。また、夏月や佳道は特殊な性的嗜好もあって人との交わりを忌避していて、それゆえさらに自らの孤独感を増幅させていた。他方、取り付く島がなく拒絶を続ける諸橋へ、男性不信の八重子がそれでも素直に思いを伝えることで、孤独に閉ざしていた諸橋の心はわずかに開き、ありがとうという言葉が引き出される…。そのように見ていくと、他人との濃厚なコミュニケーションであるセックスを起動する性欲を話の中心に据えているのはなるほどと思えた。
映画としても、ベッドルームが水で満たされていくシーンなど邦画にはないレベルの演出はよかったし、いずれの俳優も役にぴったりとハマっていたと思う。元J案件の吾郎ちゃんが児童買春事件を担当するのはたまたまだろうけど、東野絢香のおどおどキョドった演技は特に見事だった。人々を結びつけるのがYouTubeというのも今時だし、中学生のガッキー役(つーより小松菜奈風味)の滝口芽里衣も目をひいた。
そんなわけでオレもガッキーと模擬性交をして一緒に回転寿司が食いたいと思える(そこか?)見どころの多い作品だった。
マイナーな欲をもつ人々と常識人であろうとする父親の葛藤
水が噴き出ていることに喜びを感じるマイナー欲のガッキーが中学で同じ欲で分かり合えるも転校してしまった男性と再び出会い、社会に溶け込んでいこうとする。一方違うところでは、検事で父親であるイナガッキーは堅実な思想をもっており、息子の不登校かつ動画配信者になる学校拒否に断固として反対、奥さんも部屋ごもりにならないならと息子の背中を押しており、理解できず頭を抱えていた。ガッキーは欲が一緒であった男性と同性のため都市部に移動し、男性は同じ欲で苦しんでいる人と繋がりたく動画内のコメント欄にて、似た思想を持っていそうな人と直接会い噴水で遊ぶことに。そんな矢先、会った人の中に幼児趣味の教員がおり、取り調べの中噴水で会った時の子どもとじゃれる写真から共犯と思われガッキーの夫や男子大学が巻き込まれることに。その聴取に検事のイナガッキー担当となる。
そのまで重いテーマとは感じませんでしたが、昔よりも情報発展した現代の日本ならではの問題点であったり、孤独感、非共有感からの脱出など、何事もないように人生を終える葛藤は描かれていた。
ありえないでは済まされない
通常スクリーンで鑑賞。
原作は既読。
多様性とは、マジョリティーが自分たちの想像し得る範囲での「違い」で全てを理解した気になっているだけではないか?
多様性の範疇から弾かれている人たちの生き辛さや苦悩を理解しようなんて、軽々しく思うのは傲慢なのかもしれません。
孤独って誰しも抱えているのではないかなと思いました。私も少なからず周囲に合わせて自分を偽っている部分があるし、誰にも共感して貰えないと感じることもしばしばです。
だからこそ、それを分かり合える存在に出会えた時の喜びは何物にも代え難い。夏月と佳道が共闘によって孤独じゃなくなり、ふたりで生きている姿を愛しく感じました。
ですが実際、こんなにも深く分かり合える存在と出会える確率なんて低いです。しかし、誰かとの繋がりを求めずにはいられない。どんな性的嗜好だろうと、人間である限りは。
私も知らない世界に想像が及ばない人間のひとりなのだとハッとさせられましたし、ありえないで片づけてはいけない価値観があると云う気づきは自分の中で大きいです。
原作を読んだ衝撃を未だに引き摺っていますが、改めて突きつけられた感じ。普通とは。正しさとは。価値観は変わったとしても、繋がりの大切さは揺るがないと信じたい。
※修正(2024/06/28)
正癖
まだ認められていない「個性」をどう社会で受け止めるのか?
稲垣吾郎さんが小児性愛の犯罪者を断罪するシーンだけで、本作を見た価値はありますし、もっと話題になっていいのでは?
新垣結衣さんのオーラを殺した演技すごかったですし、磯村勇斗さんの作品選びを信用して、彼が出ていただけで見ようと思って正解でした。
ただし、「正しさ」から外れるものの多様性を扱った作品で、最終的に物語としてフォーカスされるのは、「水フェチ」という部分が少しピンときません。何かを言い換えてることは察しはしますが、劇中の流れですぐに思い浮かべるものとも違いそうです。
作品そのもののメッセージはやや整理し切ってない印象も強く、私自身もキチンもテーマを受け止めているかはやや怪しいです。
とはいえ、いずれにせよ「多様性」という言葉が使われるときの、一見受け入れやすそうなものだけを許容される状況のなか、まだまだ社会では許容されない「個性」があることを照らした作品なのだと思います。
まだまだ理解した気になっているだけだった。
物語が進むにつれて、俺は一体どこの視点からこれを見ているんだよって感情がぐにゃぐにゃになりました。
割と序盤、ダンス部の部長が
女性的なダンスとか男らしい振り付けとか、女性が男性的な激しいダンスをするとか言っていて、
いやいやそれは多様性では無い。
どの性別の人が何をするかは関係なく、その人がしたいことをして、それを理解する(ある意味ではそれに関心を持たない)ことが多様性何じゃないかと私は理解していました。
しかし、それだけでは自分の範疇にのみの理解に収まっているだけだなと思わされました。
途中で、セックスの体位を真似てみるシーンがあるのですが、正直シュールで笑ってしまいました。え?分からないことある?!って
でも、そりゃそうなんですよね。私は中高生の時に異性に興味を持って、調べたりしましたけど、彼らはその時、"水"を調べていた訳ですから。
だから、そんなことある?!って思ってしまった自分に失望しました。、
例えば、ライオンやカエルが何に興奮してどうセックスするのか私は全く知りませんし、調べたこともありません。
彼らを人ではないと言っている訳ではありません。自分と違う感性を持つ生き物たちのことを知らないのは不思議なことでは無いということです。
歓喜でも恐怖でも悲哀でもない感情でぐちゃぐちゃになりました。
小説は読まずに映画から観ました。
思った以上にヘビーだった…
テーマが重かった。
フェチを持った人の生きづらさとか息苦しさが絶妙に表現されていた。
あと、人と分かり合えないことで感じる孤独とか諦めがところどころ伝わってきた。
キャストはこの上なくよかったと思う。
演技下手な人が居ない。
それぞれに見入るポイントがあった。
まず新垣結衣。
いつもみたいな笑顔でキラキラしているガッキーはどこにもおらず、目が死んで、人生に諦めてるガッキーしかいなかった…
こんなの初めて。
言葉は少ないけど、喋り方とか態度に「あぁ、この人世の中生きづらい人だ」感が現れてて、改めて演技上手いんだなぁ…って思った。
そして1番気になってた欲情するシーン。
ガッキーに乱れて欲しくない!って願望もありながら見たけど、絶妙に演出と相まって上手い具合に表現されていた!
開始10分くらいでそのシーンはやってきます
是非見て。
あと、ハマり役はゴロちゃん。
堅物でわからず屋で冷たい印象だけど、決して悪い人じゃない感じがピッタリだった。
これが西島秀俊だったら少し優しすぎる。
いいかんじに冷たい印象を出せるのはゴロちゃんしかいなかったと思う。
そして、奥さん役の俳優さん。
よく見るけど名前わかんないあの人!
あの人、いい味出してるんだよなぁ。
その他磯村勇斗も実力派だし、男性恐怖症のあの子も初めて見る女優さんだけど、すごい迫力ある演技だった。
マッチョ大学生も、目線がまっすぐで多くを語らず…とてもよかった。
ストーリーはというと、最初はそれぞれの人物の日常が代わる代わる描かれていて、正直頭?のままで進む。
そしてある出来事で全員が結びつくんだけど、想像できる最悪のケースで結びついた…。
ほんと考えうる1番最悪なケースで…。
まぁ、ゴロちゃんが検事な時点でお察しなんだけど、フェチを感じることがいけない事ではないのに、性犯罪(窃盗なども犯罪もしかり)と陸続きであることが多い部分も否めず、まずここで葛藤。
磯村勇斗が連れていかれて置いてけぼりのガッキーの演技、すごいよかった。
言葉は何もないけど、胸にくるものがあった。
絶望もあると思うけど、いつか来る未来でもあったような…という風に私は感じた。
物語は最後、ガッキーとイナガッキー(上手いこと言った)のやり取りで終わるが、
ほぼこの2人の会話のみなのに、すごい迫力があった。
そして恐らくこの物語のテーマである"繋がり"を短いやり取りで表現してたと思う。
私が思うに、この映画は「いろんなフェチの人がいます」「フェチを持った人(マイノリティ)はこう感じています」ではなくて、その人たちが感じる寂しさや孤独、生きづらさを経ても繋がり合えるってことじゃないかと思いました。
そして、その事をマイノリティでも繋がりあえる人がいるガッキーと、普通を望み家族と繋がりあえなかったゴロちゃんの対比で表現されていたなぁと思った。
最後のガッキーの発言1つ1つが、ゴロちゃんへのボディブローのよう。
それと同時に、観てる私たちにも普通って?正しいって?と問いかけられているようだった。
正欲は文字通り「正しく(普通で)いたい欲」でもあったのかな…と。
なんかもう最後は何が正しいのか?
何が普通なのか?わからなくなり、ENDというかんじでした。
ラストのガッキーのセリフもとてもよかった。
映画館で初めて、歓喜でも恐怖でも悲哀でもない感情でぐちゃぐちゃになりました。
この映画で唯一の笑えるポイントは
途中大学の学園祭の踊るシーンくらいでしょうか。
(作った人には申し訳ないけど)マイノリティに向けた歌詞とか曲調がダサくて、わざとかな?と思ってしまいました。
普通の人が普通に楽しい学園祭や結婚式が、ああいう切り取られ方をするととても滑稽に見えました。
それも演出なのかな?と。
原作を読んでいないので、やはり原作とは違う点、違う切り取り方、違う解釈はあるのだと思いましたが、映画としてはすごく見応えがあったので、私の中では★5です。
言葉足らず…なんかじゃなかった。
傑作だった。見てよかった。観るべきものだった。
物事は自分基準のモノサシでしか考えられない。なぜならそれ以外の考え方を構成するためのパーツが足りないから。
新しい考え方を受け入れるのにも時間がかかる。練習しないとそれを習得出来ないように。
世界は、明日も生きる人のための物で溢れてるなんて、どんな生き方をしたらその視点が当たり前になったのか、私が知らない、それか見えてるけど見ようとしなかった世界線なのか。
この映画を見てから考えが溢れて止まらない、つまりたくさんのパーツが落ちていた映画だと私は受け取った。
序盤は言葉足らずではないか?と汲み取れていなかったのだが、物語が進むにつれ、その少ない中で発せられた言葉だからこそ一言一言に価値があったのだと気付かされた。
エンドロールではVaundyの「呼吸のように」久しぶりに映画の余韻に浸ることができた主題歌だった。
朝井リョウのファンとして
朝井リョウさんのファンとしてみにいった
学生時代はとことん受け入れのキャパのあった社会とずれている自分という感覚も
社会人になると生きづらさの塊である
直視できないほどの自分の殻に閉じこもった感覚は
何度も体験したが深くはまってもいいことはない
もはや朝井リョウさんの書く暗い青い色のような感情を受け入れるだけのキャパがなくなったのかもしれない
明日生きていたくないという気持ちは持っていてもいいが
表に出すべきでない
一人で抱えるべきものだと思ったりする
でも自殺せずに済むなら出してよかったよな
登場人物たちに言いたい
自分だけじゃないこの感覚、別に特別じゃない
ただ周りが迎合できないのは直視したら生きづらくなるのを何となく知ってるから
その人たちの事を明日も生きたいと思ってる人たち、と一括りにしてはいけない
何故なら自分は少なからず
明日死んでも後悔したくないからこそ
殻にこもっていたくないなと思うから
学生時代朝井リョウさんに大共感だった自分は
昔とちょっと変わっていたな
苦しいくらい気持ちは分かるけどそれじゃだめなんだよな
ただ登場人物たちの気持ちを理解できないと否定する人たちに言いたい
否定はするなただそれだけでいい
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