バルド、偽りの記録と一握りの真実 : 映画評論・批評
2022年12月27日更新
2022年11月18日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
監督としての分岐点に差し掛かった、イニャリトゥ自身の偽らざる心境が透けて見える
「21グラム」(2003)と「バベル」(06)では時間軸の交差、「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(10)ではほぼワンショット&ワイテイク、「レヴェナント 蘇えりし者」(15)では自然光での撮影、等々、いつもチャレンジングな演出法で世のシネフィルたちを刺激しまくってきたアレハンドロ・G・イニャリトゥ。同時に彼の作品には、人間の魂と孤独、生命、苦闘、執念と、各々の物語に明確なテーマがあり、それらが斬新な構成や視覚と相まって、強烈な印象を残して来たものだった。
ところが、皮肉なことに、イニャリトゥが長編デビュー作の「アモーレス・ペロス」(00)以来となる故郷メキシコを撮影地に選んだ最新作は、彼の自伝的ストーリーでありながら、終始混乱していて、その混乱そのものがテーマであるかのようだ。メインプロットは、イニャリトゥの分身と思しきL.A.在住のメキシコ人ジャーナリストのシルベリオが、国際的権威のある賞を受賞後、祖国に帰るまでの間に過去と現在、現実と幻想を垣間見る、というもの。荒野をジャンプしながら必死に前に進もうとする男の影、突如挿入されるアメリカがメキシコの領土を奪った米墨戦争の戦闘シーン、父親の亡霊と交わす少年時代の思い出話と父が遺した教訓、そして、アメリカに住みながらアメリカ国民になれない法律の壁……。随所に挿入される見たこともないようなショットにワクワクしながらも、シルベリオが「成功は失敗だった」とか言いながら、監督として行先不透明な自分に深いジレンマを感じている姿には、たった今のイニャリトゥ自身の偽らざる心境が透けて見えて、共感を通り越して、むしろ勝手にしろと言う気分にもさせられる。「バードマン~」「レヴェナント~」と2年連続でのアカデミー監督賞受賞は、ジョン・フォード、ジョセフ・L・マンキウィッツに次ぐ歴史的快挙でもあったにもかかわらずだ。
思えば昨今、多くの監督たちが自らの過去に視点を向けている。ポール・トーマス・アンダーソンの「リコリス・ピザ」(21)然り、パオロ・ソレンティーノの「The Hand of God」(21)然り、そして、イニャリトゥにとって同郷の盟友であるアルフォンソ・キュアロンの「ROMA ローマ」(18)然り。彼らが過ぎ去った時間に限りなく繊細な視線を向けることで、上手にカーブを曲がったのとは異なり、「バルド、偽りの記録と一握りの真実」はアレハンドロ・G・イニャリトゥが監督としての分岐点に差し掛かって、そのままクラッシュしているかのよう。反面、そのような状態を持ち前の表現力を用いて正直に吐露する彼の姿勢に、好感が持てることも確かだ。果たして、今後、彼はどこに向かうのか? 本作がいつの日か振り返って、迷える映像作家のリスタートとなることを期待する。
(清藤秀人)