ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
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渋い渋い渋い、渋過ぎるだろ!でも俺は好き
1941年から続く古いジムに所属し、難聴だがプロボクサーをしている小河恵子の、2020年12月から2022年3月までを描いた映画。演じるのは岸井さん(ゆきの)。
まずオープニングのジムの鏡で見せる背中。そしてコンビネーションでかわしては次々と打ち抜くミット。その心地よい音。
これだけの描写で、真面目に練習する、強いボクサーを表現しきる。うわ、かっこいい!!
鍛えたなあ、岸井さん。素晴らしいよ。
ボクシング雑誌のインタビューにジムの会長が答えて言う。
「聞こえないことは苦労じゃないかって? 聞こえないんだよ、レフリーの声も、セコンドの檄も。でもあの子は目がいいんだ。じ~っと見ている。・・・苦労じゃない」
「ボクシングする理由? 子供の頃いじめられて反動でぐれたって言ってたなあ。ボクシングしているとさ、頭が空っぽになるんだ。それがよかったのかな?」
「才能はないね。小さい、リーチがない、スピードもない。でも、人としての器量があるんだ。素直で、そう、まっすぐで...」
この映画の根底に流れるのは「硬」 な感じ。「硬」で「普通」な感じ。
繰り返し映し出される川。大してきれいではない、いや汚いといった方がおそらくあっている川が。そして電車の音。まさに下町。
「あしたのジョー」 の丹下ジムは山谷のそばの泪橋のたもとにあった。貧乏な中から、という話だった。一方、本作には貧乏といった表現はまったくない。舞台となっている荒川ボクシングジム(拳闘?楽部?)だって練習生は減っていくけれど、貧乏だと言う表現はない。ケイコの暮らしはけっこうこぎれいだ。
それでも、ボクシングと汚い川はよく似合う。下町が合う。なぜだろう。きっと、ボクシングも 「誰でもできる競技」 だからじゃないかな。サッカーと同じだ。誰でもできる? そうか? 劇中で弟が語るように 「殴り合うなんて信じられないよ」が多くの人の気持ちだろう。でもボクシングは誰でも始められる。これもまた真実だ。月謝握りしめてボクシングジムの扉を開ければ、誰でもボクサーだ。
だからこそ下町が似合う。荒川が似合う。(蒲田も、また似合う)
淡々と、ひたすら淡々と描かれる毎日。同じ場所、仕事、練習の繰り返し、繰り返し、繰り返し。
なぜ俺はこの映像に飽きないんだろう。ジムに行く短い階段。しばしたたずむケイコ。
ケイコの日常とボクシングが繰り返される映像。なんでもない絵。そして背景音。自動車の喧騒、電車の音、人のざわめき。
終盤でジムの会長夫婦が読むケイコの日記のモノローグ。「〇月○日、ロード〇km、シャドウ〇セット、サンドバック〇セット、ミット〇セット。もっと踏み込まないといけない」、「〇月○日、ロード〇km、シャドウ〇セット、サンドバック〇セット、ミット〇セット。△□×のコンビネーションを教えてもらった」 なんでだろう。日々の練習を淡々と振り返るモノローグを聞いていたら、ふと涙が出た。
ジムに入れば、ロープの音、ミットの音、サンドバックを叩く音。
この、"まったく何も起こらない99分の映画" のエンディングで感じる一筋の希望というか光。ふとしたことで、再び走り出すケイコ。そして、かすかに聞こえるロープの音を背景に閉じるスクリーン。なんてかっこいいラストなんだろう・・・
「百円の恋」の安藤さん(サクラ)、本作の岸井さん(ゆきの)。二大巨頭だ。
おまけ1
観終わったときに俺が感じたのは感動。しかし一方で感じたのは 「こんななにも起きない映画を、わざわざ観る人って多いの?いるの?」だ。しかし、ここのみんなのレビューみて、驚いた。なんだよ、みんな絶賛じゃん!!心配する必要、まったくなしじゃん! いやお恥ずかしい。
おまけ2
前半、街中で流れる放送の声 「不要の外出を自粛してください... 手洗いの徹底、マスクの着用をお願いします」。これが、この時代を象徴する 「街の音」 になるんだなあと、コロナの出口に近づいた今、ふと変なところで感心した。
おまけ3
をを。"電気ブラン" の神谷バーだ。浅草だなあ。
2023/4/1 追記
光陽さんのレビューを読んで気づいた。岸井さん、セリフないんだよね、当然だけど。演技だけで見せてたわけだ。やはり凄いな。(ということに気づかず観ていた自分も、ある意味ですごいな…あきれ…)
2023/5/6 追記
Uさんのレビューを読んで気づいた。
河原での3人でのシャドウのシーン、よかった。弟の彼女がダンスを教えるのも含めて、自分も好きなシーン。
人が共に近づき合うやり方って、こんな感じもあるよね〜、とすごく腑に落ちる場面でした。言葉じゃなくて、身体の動きをやりとりしあって、また一つ仲良くなっていく、という点が素敵でした。
生きるというのは・・・多分こういうことだよな
映画,テレビで最近聴覚障害者の世界をテーマにしたものが多く制作されています。私もCodaや、silentにはかなりはまった口です。何故なのかなと考えましたが、多分音で表現されるセリフというものが少ないので、その分観客は否が応でも映像や効果音のつながりに集中せざるをえず、それが心にダイレクトに染みこんでくるからなのかもしれないと思いました。
かつてのサイレント映画の魅力はそうしたところにあって、中には、あえて「浮き雲」のように、セリフを極端に少なくして成功している映画もありますが、身体的条件としてそうせざるをえない場合と、そうでない場合とでは、むしろ自然さという意味では前者のほうに分があるようにも思います。
本作でもそうした特徴がよく生かされていて、ケイコが無言でひたすらサンドバックを叩き続ける音が、脳裏に焼きついて離れません。いろいろな思いがこみ上げてくる場面では、思わずもらい泣きをしてしまいました。
実話をベースにした作品。
そして、誰かと闘うということではなく、自分自身と闘ってゆく、それが多分人が生きてゆくことなんだろうなと、改めて思わせてくれる作品でもありました。
人間としての器量
昭和の面影が色濃く残るボクシングジム。
会長は、ケイコについてこう語る。
「彼女には人間としての器量があるんですよ。素直で率直で。凄くいい子なんですよ」
才能とか素質はないと言う。
器量という言葉の意味に従えば、ボクシングにふさわしい能力や人徳があるということか。
耳が聞こえないというハンディ。それを克服して不屈のボクサーになったという話ではない。
さして強くもならないしさして弱くもならない。
勝った負けたではなく、楽しい苦しいではなく、笑いも涙もない。
素直で率直なケイコ、会長、トレーナーの三者の信頼関係を、カメラはただひたすら追う。
居場所を与え合う、彼らの心の鼓動だけが、ずっと波打っている。
「私映画が好きなんです。まだ上映されてるのでぜひ観てください」
ケイコ(岸井ゆきの)は、日本アカデミー賞の授賞式で、のらりくらり語った。
そこに、素直で率直なケイコの意気地がよぎった。
一人の人間の揺れ、ただそれだけを描く覚悟
ケイコという一人の人間の感情に焦点があたる。そこにあるものをありのままに映し出す。誇張しない。感情を誘導されない。障がいを持つ人がプロボクサーになる成功を描いたドラマチックな作品ではない。その物語のピントの当て方に覚悟を感じる作品だった。
ケイコは耳が聞こえないし、しゃべらない。だけど岸井ゆきのが表現する目や手話だけで揺れを描くことが成立していた。
リズミカルな音がクセになる冒頭のミット打ち。数分見ていられる画があの音と動きでつくり出される。劇中音楽は流れない。ミットを打つ音、電車の音、ペンを走らせる音、際立つ環境音。フィルムの質感や画の切り取り方もよかった。
言葉を発しないケイコの感情を追いかけたくて、目を澄まして彼女の目を見てしまう。
周囲に「強い」と思われていることとは裏腹に、ケイコの繊細さを垣間見ているという時間でもあった。弟の交際相手の自分への無関心さに釈然としない、母の一言にひどく動揺する、ジムの危機には心ここにあらず。退こうにも会長のある姿を見てすぐに揺れてしまう。これらのシーンに感情の説明もなければ言葉もないはずなのに。
徐々に浮かび上がってくる会長(三浦友和)とケイコの関係性と、その描き方がすごく好きな作品だった。
心で繋がっているのだと、言葉がなくとも。
最後がまたいいのよねー
ケイコにもハンデがあって、勿論一生懸命人生を闘っているのだけど、相手も同じなんだと気付かされる最後がー
鑑賞して3ヶ月くらい経つが、何故か主人公同等かそれ以上に三浦友和が印象に残っているんだが、シブいからか〜
あまりにも期待外れでショックだった
アカデミー主演女優賞を受賞されたと知り、勇んでわざわざ銀座まで観に行ったが、
あまりにも期待外れで腹が立ちショックだった。
話題作はひと通り親子で観に行く映画好きだが、これはあまりにも酷い!!
感動する前にいきなり終わった。
寝ないでピークを待ってたのに、さらっと終わった。
え?終わり?!と思わず声が出て呆気にとられた。
確かに岸井さんの演技は、ひたむきなろうあ者を演じ、プロボクサーとしての役作りは大変であっただろうことはわかる。三浦さんも安定の名演技である。
だけど、本当にそれだけ。
これは、ろうあ者で女性プロボクサーである女性の日常を、ただただ90分観せられたドキュメンタリー映画に過ぎなく、結局なにを言いたいのかも薄すぎる。
大概の映画を簡単に感動する娘ですら、時間が勿体なかったと、呆れていた。
90分なのに長く感じた。
なぜそこまで評価される映画なのか、逆に不思議でたまらない。
これなら「ラーゲリより愛を込めて」を何十回も観るべきだった。
あちらは脚本も主題歌も俳優の名演技も全てが圧巻であり素晴らしかった。
北川景子さんこそ主演女優賞がふさわしい。
映画だから表現できる特筆すべきボクサー映画
「ケイコ 目を澄ませて」。
岸井ゆきの。”やはり”と言うべきか、見事に日本アカデミー賞の〈最優秀賞主演女優賞〉に輝いた。2023年度の女優賞ノミネートは皆、素晴らしい演技をみせたにも関わらず、彼女はその上を超えていった。
”耳が聞こえないボクサー”という役柄はセリフがない。手話を挟めばいい、というものではない。主演がひたすらスパーリングに打ち込む姿だけで状況、喜怒哀楽の感情を観客に届けなければならない。主人公のケイコは、試合ではセコンドの声も聞こえないのだ。
共演した名優・三浦友和をして「そこにボクサーがいた」とクランクイン前から岸井ゆきのの仕上がりに感服したという。
生まれつきの聴覚障害を持つケイコは、プロボクサーとして下町の小さなボクシングジムで鍛錬を重ねている。愛想笑いができず、何事もまっすぐな彼女は、聴覚障害というハードルもあって悩みが尽きない。ボクシングジムをやめようとするが、そんなときにジムが地域の再開発で閉鎖されることになる。耳が聞こえない元プロボクサー・小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案にしている。
この作品は、映画の素晴らしさを最大に示すことに成功している。セリフがないため舞台演劇には極めて難しい。映画でも音がほとんどないことはハードルとなる。それでも本作は劇伴(BGM)に頼ることなく、環境音だけで状況を表現している。首都高速の高架からのクルマの往来音、工事現場からの音、ケイコがペンを走らせる音。いずれも通常レベルより強調された音量で
本作を2回見たが、初日の舞台挨拶上映が「字幕付きバリアフリー上映」というのは、本作ならではである。筆者はバリアフリー上映に異議を唱えるつもりはないし、むしろ多くの人が楽しめる環境はウェルカムだ。しかし作品自体を楽しみ尽くすのは別問題だ。
健常者なら「通常上映」で観ることをオススメする。オープニングから静寂のシーンが長く続くのだが、字幕版は音を解説してしまう。本作のバリアフリー字幕は全編にわたって、映像を汚す無駄な要素でしかない。だから字幕はきらいだ(むろん洋画の字幕も同様だ)。また本作はアスペクトがヨーロッパビスタである。配信ではなくぜひ通常版を劇場で観てほしい。
2022年は岸井ゆきのイヤーだった。『ケイコ 目を澄ませて』の主演のほか、『やがて海へと届く』(共演・浜田美波)、『神は見返りを求める』(共演・ムロツヨシ)、『犬も食わねどチャーリーは笑う』(共演・香取慎吾)と、いずれもメジャー俳優を相手にしての主演。日本アカデミー賞をステップにこれからが楽しみになる女優だ。
ちなみに、ここ10年の日本アカデミー賞の最優秀俳優にはボクシング映画が多い。『百円の恋』(2014)の安藤サクラ、『あゝ、荒野』(2017)の菅田将暉。そして2022年の岸井ゆきの。いずれも俳優自身が身を削った肉体改造を成し遂げており、これからボクサーを演じる俳優は必ず比較されてしまう。少なからず基準となってしまう。
(1回目:2022/12/17/テアトル新宿/H-14/ヨーロッパビスタ)
(2回目:2023/1/4/ヒューマントラストシネマ有楽町/Screen1/G-11/ヨーロッパビスタ)
偽りのない映画作り
劇伴音楽が全くなし。
画面から聞こえてくるのは、電車の音、車の音、パンチング・ボールを叩く音、ミットを打つ音、弟が奏でるギターの音、携帯の着信音、周りの人の会話、自らに話しかけられる言葉、、、、、。
そのすべてがケイコには聴こえない。
淡々と丁寧に描かれる、そして終盤の試合。
セコンドの指示、レフェリーの呼びかけ、カウント、ゴングの音。そのすべてもケイコには聴こえない。
聴こえない者にとってボクシングをするということがいかに大変なことか。
そして、全部聞こえている岸井ゆきのにとって聴こえない主人公を演じることがいかに大変なことか。
会長役の三浦友和も、トレーナー役の三浦誠己も、ボクシングジムの会長とトレーナーにしか見えない。
偽りのない人たちの、偽りのない人生が、偽りなく演じられ、偽りなくスクリーンに映し出せされる。
こうして真面目に作られた作品が高く評価されるのは嬉しい。
会長の妻役の仙道敦子がケイコの日記を読むシーン。
この美しい声での朗読を聞かせるために、久々にひっぱり出されたのだろうか。
昨年公開されたメーテレ制作の作品、すべて良い作品だった。もっと宣伝すれば良いのに。
(朝夕の情報番組もメーテレばっかり見てるけど、ほとんど自局制作のことに触れないなぁ)
ボクシングの映画ではない…⭐︎
岸井ゆきのが好きで、もともと鑑賞予定の映画だったが、なかなか上映時間合わずに行くことが出来なかった。
キネマ旬報で、主演女優賞を獲得したとのニュースもあり今回ようやく見ることに。
ここでの評価の高くて期待していたのだが、イメージしていた作品とはとこなり、ボクシングの映画というよりは
もっと下町のジムでの日常と岸井演じるケイコの日々が丁寧に語られる作品となっていた。
16ミリフィルムとのことだか、映像に独特な美しさがある。
ケイコが聴覚障害者であるということにそれほど視点が置かれていないことが、むしろ好感を持つくらい
自然で、何より岸井ゆきのの演技(聴覚障害者として、ボクサーとして)が素晴らしいの一言。
手話もボクシングの型などもとても自然で、良い意味で岸井とは思えないくらいだった。
三浦友和などケイコの所属するジムも人達の様子を丁寧に描かれて、東京の下町の閉じられるジムの雰囲気が
良く伝わってくる。
でも、全体的に何か盛り上がりかけて ボクシングの試合のシーンも現実にはあのようなものなのかも
しれないが、地味な演出になっていた。
ラストにケイコが負けた対戦相手が仕事着のまま、土手で休んでいるケイコに声をかけるシーン。
二人の表情が印象に残った。
雄弁な映画 岸井ゆきのあっぱれ
監督三宅唱
岸井ゆきの
三浦友和
聴覚障害のケイコ…プロボクサー人生と闘う。
聴こえないということは良く見ているということ。
目を澄ませて、周りの全てを見ているから
人は自分の偏見や思いやりのなさ…自分本位な心の在り方が露わになってしまう。
知らない世界を持っている人、自分との間にそれが障害と怯んでしまい、想像がついていかず気後れして踏み込めない…でも素直に見つめて踏み込むなどと気負わず軽いフットワークで伴走出来たら良いな。
岸井ゆきのが圧倒的。
ボクシングのコーチとパンチングが鮮やか、研ぎ澄まされた身体は美しい。
#刈谷日劇
目を澄ませた世界
ボクシングを題材にした物語というと、真っ先思い浮かぶのが『あしたのジョー』、映画では『ミリオンダラーベイビー』だが、これらの物語に共通するのは主人公のボクサーを影で支えるトレーナーが存在することである。ボクサーとトレーナーは固い絆で結ばれ時には肉親以上の関係が育まれる。
この映画でもケイコとジムの会長は、言葉は交わせなくても心で通じ合うことができる絶大な信頼関係を築いていた。ジムの閉鎖が決定し、他のジムに移籍するという話が持ち上がった時も「家から遠いので難しいです」という理由で断ってしまうくらいケイコは会長と過ごした荒川の古いジムを大切に思っていた。
この映画からは音楽は全く流れず日常発生する自然音だけが聞こえる。それだけでも珍しいことなのに、ケイコにとってはその自然音すら聞こえない。嘘が付けず愛想笑いができないという性格は、外界のつまらない雑音を遮って生きてきたからこそ、心が無垢で純粋なままだからなのか。音のない世界に生きると他の感覚が研ぎ澄まされるというが、ケイコにとってそれは視覚ということになるのであろう。体を鍛えて目を澄ませればボクシングは上達できる。
この映画は『あしたのジョー』や『ミリオンダラーベイビー』のような劇的なラストはない。ジムはなくなってしまったが、ケイコの日常は変わらない。荒川の土手で休憩をして、会長の赤い帽子を被ってストレッチをして走り出す。下町の平和な風景はケイコの目にいつまでも焼き付いていく。
閉塞した社会下で、心に響いてくるもの
スクリーンから伝わる、彼女の身体と心の「痛み」。健常者という名のマジョリティとの接触によってあらわになる社会の壁と心ない反応。彼女と同じ「痛み」を抱える、まわりの人々は彼女に優しく寄り「沿う」。そして、鑑賞中に意識的に音を遮断してみえてくるもの。
ケイコの生きる世界。
モデルとなった小笠原恵子氏の自叙伝が原作。その内容は本作よりもかなりドラマチック。何よりも聾啞である彼女を受け入れてくれたジムの会長が盲目であったという点。しかし本作ではただの高齢で視力が衰えた会長として描かれる。
本作はあえてドラマチックな展開は封印され、あくまでも主人公ケイコの日常が描かれる。恐らく観客が求めるであろう、障害を負いながらも逆境を跳ね除け成功に至るというベタな作品ではない。
そこではただの一人の人間が描かれているだけである。聾啞であろうがなかろうが、ただの一人の人間を描いた作品なのだ。もちろんケイコは耳が生まれつき聞こえない。それは普通ではないのかもしれない。だが、それはケイコにとっては普通なのだ。そのケイコの普通の日々を本作では描くことで我々の普通とは何かを問いかけてくる。
障害者とよく言われる。そもそも障害者とは何か。障害者なんて本当は存在しないのではないか。あるのは差別だけなのではないか。障害者を障害者として偏見で見た時点でそこに障害者という概念が生まれ、差別につながるのではないだろうか。
聾啞で生きてきたケイコはその逆境をばねに生きてきた。弟との手話での会話でも悩みを打ち明けようともしない。人は所詮一人だからと。育ちを共にする健常者の弟にでさえもこう言い放つケイコが感じてきた孤独。だが、次第に彼女の閉ざされた心はジムの会長や対戦相手との交流で解きほぐされてゆく。
自分を受け入れてくれた会長がジムを閉める際、コーチたちはケイコのために新しいジム探しをするがケイコはまったく乗り気ではない。彼女にとっては会長のいないジム、会長のいないボクシングは無意味だったのだ。かたく閉ざされた彼女の心を解きほぐしてくれた会長の存在あってのボクシングだった。新しいジムの会長が理解ありそうな人物であっても彼女は興味を示さない。そんな彼女に落胆するコーチたち。彼女の心の中の氷を溶かすのは容易ではない。
このままボクシングを続けるのか、同じ聾啞どうしの女友達とお茶を飲んだりと、別の人生を模索するケイコ。
そんな彼女に負けを喫させた対戦相手が声をかけてくる。ケイコにいい試合をありがとうと感謝を述べるのだ。共にリングで闘った者同士でしかわかりあえない感情。その感謝の言葉を受け止めたケイコにとってその言葉は会長との出会いと勝るとも劣らないものだったろう。
人との出会いが彼女のかたく閉ざされた心を解きほぐしてゆく。人を蝕むのも人間なら人を救うのも人間である。人は出会いと別れを繰り返し、そして成長してゆく。
あえて淡々とした日常を描くことでケイコという一人の人間の生きる世界を感じ取らせる作品に仕上がっていた。
「3か月トレーニング」
今年25本目。
岸井ゆきのは今作の為に3か月1日5時間のトレーニングを続けて人間そこまで出来るんだと驚きました。ボクサーになっていた。野球帽受け取る所が印象的です。16ミリフィルムで撮られたざらついた映像も味わい深い。2月1日に「キネマ旬報ベスト10」が発表されて作品賞と主演女優賞、三浦友和が助演男優賞、飛び抜けた作品だったと思います。
全身の感覚を研ぎ澄まして対戦相手に立ち向かったケイコ。他人に対しても向き合っていけば、これからも世界は開けて行く。そのステップのお話です。
岸井ゆきのさん目当てでの鑑賞です。 ^-^;
これまで観た作品での存在感がとても強烈で
今回はどんな一面が観られるのやら と
期待度が上がっての鑑賞です。
主人公はケイコ。 耳が聴こえない。
耳が聴こえないが、ボクシングをやっている。
健康のためとか美容のためとか ではなく
試合に出て勝ちたいと、練習している。
ボクサーの耳が聴こえないということ。
ハンデにならないのかと言えば、そんなハズが無い。
ゴングの音が 聴こえない。
レフェリーの声も 聴こえない。
セコンドの指示も 届かない。
それでも、試合に勝ちたいと
ボクシングに打ち込む女性を描いた
実話ベースのお話です。
◇
終始、他人との関わりをなるべく避けようとする
頑なな面があるのと同時に、
所属するジムの会長さん(三浦友和)に寄せる
信頼の眼差しに愛おしさを感じました。
その会長の体調が芳しくなくジムを畳むことに。
このジムでの最後の試合に勝って
会長への餞にしたい とケイコに励むケイコ。
”防御を忘れるな” のコトバを胸に
ラストの試合に臨むケイコなのだが
試合中のに足を踏まれるアクシデントが あらら…
こうなると、セコンドの指示が聴こえないのって
ものすごいハンデ。 ですねぇ。。
さて試合の行方は… というお話です。
鍛えられたボディーに加え
耳の聴こえない人の演技が秀逸。
岸井ゆきの無くして作れない作品だなぁ と
感じさせる作品でした。
観て良かった。 満足です。
◇記憶に残った言葉
「我慢は大事」
そう自分に言い聞かせてきたハズなのに…
今のジムでの最後の試合。
試合中に足を踏まれて転倒。
予期せぬ出来事に頭に血が上る。 そして
我を忘れた結果は… KO負け。 あちゃ
試合も終わり、ジムも片づいて
何するともなく、ロードワークの土手の下。
「試合をありがとうございました」
突然声をかけられる。先日の対戦相手だ。
負けた試合が脳裏をよぎる。 苦い…
相手が去った後の表情がすごい。
喜怒哀楽 ならぬ 怒怒哀哀
足を踏んできた相手への怒りなのか それとも
頭に血が上り我を忘れた自分への怒りなのか…。
今度は良く抑えたね。成長。
我慢は大事。 教訓教訓。
◇あれこれ
■ミット打ち
タイミングが合ってきて
リズムが揃いスピードが上がると
和太鼓の連弾を聞いているようで、ハイな感覚になりました。
独特な心地よさを感じます。
■BGMの無い世界?
そういえばこの作品、BGMが無かった気が。
周囲から聞こえてくる生活音と環境音の世界。
ケイコの内面の表現だとしたら、音は全く無いハズ…。
どんな意図があったのか、気になってます。
(BGMあったのなら、的外れです…)
◇ 最後に
どちらかというと「天然系」の役が多いイメージが
あった岸井ゆきのさんなのですが
この作品では、演技の「奥行の深さ」を感じました。
すごい役者さんだと思います。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
目で演技している
岸井ゆき作品は今回が初。
朝のアラームは扇風機、ドアチャイムはフラッシュライト、コンビニ店員との会話、ぶつかったおっさんのイライラ、映画の中で耳が聞こえないゆえの日常生活のハンデを垣間見て、ハッとするシーンがたくさんあった。
ケイコの役は耳が聞こえないのと、上手くしゃべれない分、表情と身体で表現を広げないといけないので、難易度が高いのに、目で心情表現できてて、観ている側にも、ケイコがどんな気持ちなのか伝わった。
目で演技をしていると感じた。
周りからは気持ちが強いケイコという印象だが、内面はそんなに強くないのがよく描かれている。
お母さんからボクシングを辞めるよう説得されて、死ぬほど悩んでモチベーションが落ちてしまったり、ジム閉鎖を聞いて悲しんだり、会長がケイコの試合動画を熱心に観ているのを覗き見てしまって、辞める手紙をしまったり、、、
ケイコが会長とシャドーボクシングしている姿がとても楽しそうな点からも、ケイコがボクシングを続けるモチベーションの一つには会長の存在があり、だからこそ新しいジムへの移籍はしたくないと言ったんだなぁと思いました。
気になったのは2点。
最後の試合で負けたときに三浦友和が「よしっ」って言ったような気がしたような。
単に車イスを動かすための気合いなのか、ケイコに向けたものなのか。
最後の負けた相手と鉢合わせして、悔しそうな表情をした後、思い立ったようにランニングを再開するケイコ。何を思ったのかが気になる。
ボクシングは続けるのだろうかあ〜〜〜〜〜
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