劇場公開日 2022年12月16日

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「ケイコの生きる世界。」ケイコ 目を澄ませて レントさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ケイコの生きる世界。

2023年2月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

モデルとなった小笠原恵子氏の自叙伝が原作。その内容は本作よりもかなりドラマチック。何よりも聾啞である彼女を受け入れてくれたジムの会長が盲目であったという点。しかし本作ではただの高齢で視力が衰えた会長として描かれる。
本作はあえてドラマチックな展開は封印され、あくまでも主人公ケイコの日常が描かれる。恐らく観客が求めるであろう、障害を負いながらも逆境を跳ね除け成功に至るというベタな作品ではない。

そこではただの一人の人間が描かれているだけである。聾啞であろうがなかろうが、ただの一人の人間を描いた作品なのだ。もちろんケイコは耳が生まれつき聞こえない。それは普通ではないのかもしれない。だが、それはケイコにとっては普通なのだ。そのケイコの普通の日々を本作では描くことで我々の普通とは何かを問いかけてくる。

障害者とよく言われる。そもそも障害者とは何か。障害者なんて本当は存在しないのではないか。あるのは差別だけなのではないか。障害者を障害者として偏見で見た時点でそこに障害者という概念が生まれ、差別につながるのではないだろうか。

聾啞で生きてきたケイコはその逆境をばねに生きてきた。弟との手話での会話でも悩みを打ち明けようともしない。人は所詮一人だからと。育ちを共にする健常者の弟にでさえもこう言い放つケイコが感じてきた孤独。だが、次第に彼女の閉ざされた心はジムの会長や対戦相手との交流で解きほぐされてゆく。

自分を受け入れてくれた会長がジムを閉める際、コーチたちはケイコのために新しいジム探しをするがケイコはまったく乗り気ではない。彼女にとっては会長のいないジム、会長のいないボクシングは無意味だったのだ。かたく閉ざされた彼女の心を解きほぐしてくれた会長の存在あってのボクシングだった。新しいジムの会長が理解ありそうな人物であっても彼女は興味を示さない。そんな彼女に落胆するコーチたち。彼女の心の中の氷を溶かすのは容易ではない。

このままボクシングを続けるのか、同じ聾啞どうしの女友達とお茶を飲んだりと、別の人生を模索するケイコ。
そんな彼女に負けを喫させた対戦相手が声をかけてくる。ケイコにいい試合をありがとうと感謝を述べるのだ。共にリングで闘った者同士でしかわかりあえない感情。その感謝の言葉を受け止めたケイコにとってその言葉は会長との出会いと勝るとも劣らないものだったろう。

人との出会いが彼女のかたく閉ざされた心を解きほぐしてゆく。人を蝕むのも人間なら人を救うのも人間である。人は出会いと別れを繰り返し、そして成長してゆく。

あえて淡々とした日常を描くことでケイコという一人の人間の生きる世界を感じ取らせる作品に仕上がっていた。

レント