ケイコ 目を澄ませて

ALLTIME BEST

劇場公開日:

解説

「きみの鳥はうたえる」の三宅唱監督が「愛がなんだ」の岸井ゆきのを主演に迎え、耳が聞こえないボクサーの実話をもとに描いた人間ドラマ。元プロボクサー・小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案に、様々な感情の間で揺れ動きながらもひたむきに生きる主人公と、彼女に寄り添う人々の姿を丁寧に描き出す。

生まれつきの聴覚障害で両耳とも聞こえないケイコは、再開発が進む下町の小さなボクシングジムで鍛錬を重ね、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。嘘がつけず愛想笑いも苦手な彼女には悩みが尽きず、言葉にできない思いが心の中に溜まっていく。ジムの会長宛てに休会を願う手紙を綴るも、出すことができない。そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることを知る。

主人公ケイコを見守るジムの会長を三浦友和が演じる。

2022年製作/99分/G/日本
配給:ハピネットファントム・スタジオ
劇場公開日:2022年12月16日

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(C)2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINEMAS

映画レビュー

3.5恵子の語りに耳を凝らして

2024年4月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

三宅唱監督作品。 「全身で感じる振動=音は快感そのものだった」(小笠原恵子(2011)『負けないで!』創出版 p.96) そのように本作の原案である本で恵子さんは語っているのだが、本作をみた私も同じように快感を得た。 フィルムによる味わい深い画、繊細に録られた音。 それらは各シーンに具体性をもって現れる。 序盤のケイコが更衣室で着替えるときにみえる背中の筋肉。会長と妻が病院帰りに歩道橋で歩くシーンで、電車の通過とその後の彼らの位置が決まっていること。ケイコが夜に河川敷で立っている姿。高架下で電車の光が点滅すること。会長がインタビューされている姿。生活音。紙に文字を書く音。電車が通り過ぎる音。声。唸り声。 もちろんボクシングの仕草も。スパークリングがあんなにも心地よいのは、ケイコとトレーナーの息が合っているからで、いやむしろ合っていなければスパークリングはできなく、美的価値を帯びない。 本作がカメラに収める出来事は、私たちの生活の地続きにあるものだ。それらを映画として再現前させて、観客は「目を澄ませる」ことになる。するとそれらの〈美しさ〉を再認識できる。その快感。三宅監督はそんな魔法を観客にかけるのだと思う。 だから本作をみた多くの人の感想は、「なんかよかった」何だと思う。よいのは間違いない。けれどそれだけでいいのかとも思ってしまう。 端的に思ったことは「なぜケイコはボクシングをやっているか」である。ボクシングをするのが快感だから?それはそれでいいけれど、「だからなんですか」になりかねない。もちろん聴覚障害であることの葛藤を全面に出すことはステレオタイプな障害/者表象になりかねない。けれどケイコが「人間」としてなぜボクシングに励み、闘うのか。その物語は必要なのではと思ってしまう。 それは私だけの感覚なのだろうか。ケイコはジムの退去に立ち会わなくていいし、会長からもらった帽子を被って、いつもと変わらないトレーニング、いつもと変わらない生活を送ればいい。それで「ケイコ」や物語は描かれたのだろうか。 ケイコがなぜボクシングをやっているか気になって、原案である小笠原恵子さんの『負けないで!』を読んだ。正直、映画よりもこの本の方が「面白い」。それは映画と比較して恵子さんが生い立ちからボクシングのプロとして活躍するまでといった語られることの多さもあるが、何より恵子さんがボクシングに実存を賭けていることがよく分かるからだ。 恵子さんは、生まれながら左耳が聞こえなかったが、右耳は聞こえていたため中学生までは普通学級に通っていた。しかし右耳の聴力もだんだんと落ちて、それに伴い学力も低下し、同級生が障害を理解することもなかった。そんな諦めや無力感が、彼女をグレさせた。高校生の時は先生の顔面を殴り、専門学生の時は寮から追い出され、バイクを乗り回して留年した。 ボクシングを始めたのは20歳の時で、動機は「なんとなく」。だけど強くなりたかったそうだ。この動機はなんとなく分かる。みんなと同じ普通になりたいのに、障害によって上手くできなくて、その解決方法が見つかったわけじゃない。将来の漠然とした不安の中で、何かしないといけない。障害による他者からの眼差しに抗うためには自身が強くならなくちゃいけない。そんな人生をかけた暗中模索で見つけたボクシング。恵子さんがボクシングをやる理由が、この本では語られている。 それは障害者がプロボクサーになる物語ではなく、恵子さんがプロボクサーになる物語だ。そこで障害は語られるが、それは一つの側面でしかない。だからこそ恵子さんが語られることは、私たちの「諦め」や葛藤とも普遍性を持つし、「面白い」と感じれる。もちろん恵子さんの苦しさを〈私〉の苦しさと安易に同一化することはできない。けれど確かに通じる部分はある。 恵子さんの面白さは事欠かせない。ボクシングをやり始める前の高校生の時、彼女は先生や親に暴行を働き、鬱憤を晴らしていた。なぜそんなことをしてしまうのか自問すると、部活動に所属しておらず力が有り余っているからと思い、ジョギングをやり始めた。そしたらそれが習慣になってしまったらしい。 実際、運動神経もよかったらしいが、さらに手先も器用だった。周囲の人と馴染むことができず、ひとりでこもることもあって、絵を描いていた。絵を描くことも上手で、市のコンクールで入賞するぐらいの腕前だった。絵に関して言えば中学生の時の出来事が面白い。当時、支援学級の先生が彼女に寄り添わず、指導要綱に沿って彼女と接したから、洋梨の絵を描いて渡したそうだ。その意味は「用無し」。恵子さんの賢さが分かると同時に笑えるエピソードである。手先の器用さは、その後恵子さんがボクシングの傍らでやる歯科技工士の仕事にもつながっている。 彼女がボクシングのプロになることは、女性で競技人口が少なく、さらに聴覚障害があるから尚更難しかった。だから彼女がプロになりたいと言うこともできず、ジムも転々としていた。そこで見つけた「トクホン真闘ボクシングジム」。ジムの会長も実は中途失明者らしい。だが障害に理解があるわけでもなく、恵子さんが耳が聞こえないことは「気で直せる」と思っているらしい。とても根性論だとは思うが、会長と恵子さんが向き合ったからこそ培われた関係はあって、だからプロになれたのだと思う。さらにジムのトレーナーも根気よく接してくれて、セコンドの指示がみえるようにリングサイドを動き回って指示したり、ボクシング用語を伝えるために、オリジナルの手話まで考案してくれたそうだ。 このようにこの本には、恵子さんの人生が語られている。さらに「面白く」。そしてふと思うのである。本作は、この「面白さ」を翻案しているのかと。もちろんこの本を忠実に映像化として再現する必要は全くないし、原案に留めることは問題ない。それは映画の制作における限界としてあるからだ。だが翻案においては、原作にあった普遍性や本質を取り出す必要はあるのではないだろうか。それがないとも言わない。けれど足りない。「試合中の母の不安がブレた写真から伝わってきた」(p.137)を映画で再現することでもない。なぜケイコが歯科技工士ではなくホテルの清掃員なのか、ボクシングをするのか、妹ではなく弟が登場するのか、所属ジムを変えることに拒否反応を示すことの意味が足りない。必然性が足りない。 恵子の語りに耳を凝らして。それもまた、私たちがケイコをみる時に必要なことだろう。

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まぬままおま

3.5登場人物が全員温かい映画があってもいい。

2023年6月15日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

単純

幸せ

話としては耳が聞こえない女性が、ジムの会長やコーチ、周囲の人々に支えられながらボクシングに打ち込む話。大きな起伏も伏線もなく、淡々と静かに進む。それ故に「退屈」「つまらない」という感想も抱いたのは正直なところ。 でも、この映画の良さというか存在意義はそこじゃない。 冒頭のコーチとのミット打ちのシーンに既にそれは現れていた。コーチが耳が聞こえないケイコのために小さいホワイトボードに「コンビネーションミットやろう!」と書いて伝える。ミット打ちの間も一言も発さず一生懸命身振り手振りだけで教える。あー、このコーチいい人だあ、というのが画面いっぱいに伝わってくる。(末尾に!を付ける時点でもう。) これが全編通してこうなのである。三浦友和扮するジムの会長も、仙道敦子扮するその奥さんも、もう一人の厳しめのコーチもケイコのためにしらみつぶしに移籍先を探したり、同居する弟もそのハーフの彼女も、心配して試合をみられないお母さんも、応援する職場の同僚も、ケイコが乗り気でない対応をしてしまった移籍先候補のジムの担当者も、顔がボコボコになった対戦相手も。。 みんなどこか優しく温かい。手話やジェスチャーが多く静かに進むことも相まって、優しく穏やかなトーンが全編をまとう。 殺伐とした世の中、こういう一服の清涼剤のような映画があっていい。 人を信じることができる。この映画の存在意義はここにある。

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momokichi

4.0コロナ禍の人間模様

2023年5月31日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

2020年を舞台にしていると明確に設定されている本作は、人々がマスクをして生活している。コロナ禍に制作された作品の多くは、マスクをしておらず、その作品世界ではコロナが存在しないかのような、奇妙あ平行世界っぽさを感じさせるのに対し、この映画にはコロナが存在している。そして、耳の聞こえない主人公にとって口元を隠すマスクは、コミュニケーションの障害となることも描かれている。 主人公の通うボクシングジムが閉鎖される理由にもコロナが関わっている。元々、古びたジムでオーナーが病気がちであることなど、複数の要因が絡み合っているが、本作は明確にコロナによって人生の分岐点を迎えた人物が描かれている。 後年、コロナ時代の映像表現を研究する時、この時代の作品の中の人間がみなマスクをしていないことに違和感を感じる人が出てくるかもしれない。そんな中にあって、この映画は時代の感覚を的確にフィルムに焼き付けていると思う。

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杉本穂高

4.0表現者として高難度の挑戦を見事に成し遂げた岸井ゆきの

2022年12月31日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

楽しい

興奮

生まれつき耳が聞こえないがプロボクサーのテストに合格し、通算3勝1敗の成績を残した小笠原恵子さんの実話に基づく。彼女をモデルにした主人公・ケイコを演じる岸井ゆきのは、プロのレベルに見えるボクシング技術の習得(+体作り)と、台詞に頼らず手話と表情だけで感情を伝えるという、どちらか1つだけでも難易度の高い挑戦を、映画1本の主演で同時に2つに取り組んだ。引き受けるのも相当な覚悟だったと察せられるし、これを成し遂げたことで表現者として2段階も3段階も成長したのではないか。 題に含まれる“目を澄ませて”のフレーズもいい。ボクシングは敵の動きを注視して瞬時に反応し、攻撃する。手話のコミュニケーションも相手の手や表情をしっかり目視する。そして俳優も、人の動作や所作を観察して自身の演技に反映させる。観客の私たちもまた、ケイコが言葉を発しないぶん(手話の字幕はあるが)、彼女の一挙一動に目を澄ませて思いや感情を想像する。「視る」という行為に意識的になる鑑賞体験でもある。

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高森 郁哉