百花のレビュー・感想・評価
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ひとことReview!
親の認知症について色々考えさせられる作品。「なんで忘れてんだよ、こっちは忘れらんねえんだよ」は今年度の名言級。菅田将暉と原田美枝子の演技、撮影と編集は見事。
タイトルなし(ネタバレ)
いくつかこの映画のポイントになるセリフがあったのでメモ。
・半分の花火が見たい
泉の母が事あるごとによく口にするセリフ。泉夫婦で調べた半分の花火は、本当の半分の花火ではなかった。
昔住んでいた自宅の整理中に、本物の半分の花火を見た時、泉は、今までずっと忘れていた母の愛情も思いだし、やっと母を許すことができた。
しかし、母は、花火にも目の焦点が合わずのまま。タイミングがあと少し早ければ最期の悲壮感も少しは和らげられたのに。
・いつまでお母さんに謝らせるの
これは施設から帰るバス車中での香織のセリフで、これは映画の展開に効いてくる大切なワードだった。和やかな会話の中にも、どすんと重みがあって。大好きな俳優の長澤さんに言ってもらえて良かった。
1度目の半分の花火では自分のどす黒い思いを母にぶつけて母も取り乱す。
次に偶然に親子で見た自宅からの本物の花火は、ずっと許すことのできなかった気持ちと葛藤し続けた泉が最期に母に謝るというきっかけになった。この2つの花火流れと親子の関係性はとてもよかった。
ただ、父になることの覚悟も取ってつけたように混ぜるところとか、震災や父母のエピソードが不快だった。本当にこのストーリーを、引き立たせる上でなあの尺が必要だったかはひっかかる。
けれど、本当に大切なことが起こるタイミングってベストなところに合わせてくれない。ピタッと合わさる奇跡って起きない。映画の盛り上がりはないけれど、これが現実と思わせられた。
・忘れる機能をつれればよかった、それが人間らしさ
色んな方が書いているように、辛いことはやっぱり心のどこかにどす黒く残っているのに、楽しいことや穏やかな日常はすぐ忘れてしまう。
だからと言って全て忘れない方がいいかというとそれも人間ではない。これが命題かなと思った。
認知症の症状って本当にこんな?
前半の母ちゃんの行動。アルツハイマーってこんなにぐちゃぐちゃになるの?2階から階段で上に登るとまた2階、同じ行動をして上に登るとまた2階。スーパーでも同じ行動を繰り返すので、カゴの中は玉子だらけ。さらに幻の人を見つけて追いかける。マジ?
息子の泉は、子供の頃、一年程、母ちゃんに捨てられていた。その事をずっと忘れられないでいた。そりゃ分かる。母ちゃんは彼氏が神戸の大震災で亡くなって(多分)帰ってきたんだけど、その間、泉はどうやって暮らしていたんだろう?そもそも父親の話は一切なく謎のまま。
そして半分の花火。これは観る前に想像していたのと違う花火かと思ったら、正解だった。それにしても母ちゃん、全ての記憶が半分なのね。だから、観てる俺には全部中途半端にしか見えなかった。泉の妻の香織は長澤まさみが演じていたけど、なんだか菅田将暉との夫婦役はハマってなかったな。やっぱり彼女は主役級の役でないと強すぎる気がした。
あまり好きではない、過去と現在の行ったり来たりの繰り返し。ずっとモヤモヤしっぱなしで、とても残念でした。
泣けないんだー
「記憶」
淡々。
思ったより淡々とした映画でした。
親の認知症がリアルな世代だからかな、逆に私は感情移入できなかった。
この映画は、何が言いたかったんだろう。
泉と百合子は、いわゆる"普通"に幸せな親子ではなかったかもしれないけど、どんな人間でもどんな関係でも、"老い"はそれぞれに等しく訪れるし、"病"に侵される確率もまたみんな平等。
だから、恨み節もわかるけど、できるだけ"幸せな記憶"を大事にして生きていこう、ってこと?的外れかな?
百合子が泉への愛情を思い出すきっかけは、あの大震災じゃなきゃいけなかったかな…。
他の作られた事故や災害よりは、より多くの人がリアリティーを持って感じられるだろうとは思うけど、使い方がちょっと軽い気がしてなんか、気持ちがザラッとしました。
AIの歌手?とか出すんだから、もう完全に作り物の物語の方が、入り込めたかも。
泉が、幸せな記憶もあったことを思い出していくのが、救いでした。
ファーザーにはなれず
誰でも直面するかもしれない
母親が認知症になり、それを受け入れたくない息子。家族が認知症になると大変だろう。息子(菅田将暉)は、よくやっている。「半分の花火」を見たいという母親。それが何かわからない息子。これが認知症を患う人がいる家族の姿だと思う。
母親は恋愛体質で性に奔放な人でそれを原田美枝子さんが演じることでものすごくオブラートに包まれてる。家族がある男性(永瀬正敏)と深い仲になり転勤先に息子を置いてついていってしまう。まさかそんな過去があるとは思えない人。何故、小学生の息子を一人、置いて出ていったのか?自分の母親に預けても良かったのではないか?と疑問が残る。
若い時代も同じ人が演じてるが、これはどうかな?永野芽郁さんとか吉岡里帆さんとかが演ったら良かったのに。あのメイクは特殊メイクか?
緩やかに急激に忘れていく母親。忘れない息子。そんな映画。
タイトルなし(ネタバレ)
【良かった点】
邦画では攻めた構図、構成、そしてワンカットで描かれる泉と百合子の関係性。川村元気監督曰く、日常にカットはかからずふとしたことで忘れていた記憶が呼び起こされる、そんなことを意識したとのこと。ディテールや伏線が細かく、繊細に描かれていて集中して時間を忘れてスクリーンを見つめていた。この映画を観て、過去に母と過ごした記憶が呼び起こされ温かい涙が溢れた。
【良くなかった点】
作りが凝っている分、ストーリーに大きな起伏はない。想像通りに物語は進み、想像したラストを迎える。ただこの映画はそれでいいと思う。それが日常であり、人の記憶そのものだと感じることができるからだ。
記憶は枯れようとも、再び咲き開いた半分の花火の思い出は、心に残り続ける
認知症の母と息子。
プロット的にはありふれている。
が、本作が初メガホンとなった近年の日本映画のヒット仕掛人、川村元気プロデューサーによる巧みな見せ方、流麗な語り口、美しい映像、キャストの熱演(特に原田美枝子)で、ヒューマン・ドラマの秀作となっている。
誰だって一本くらい、川村元気がプロデューサーや脚本家として関わった作品を知り、見てもいるだろう。そのラインナップを今更おさらいする必要すらないほど。
小説家としても著書を出し、映画化されているが、その時は他者が監督。しかし今回に限っては、自ら監督(しかもデビュー)。
これまで多くの卓越した作品を手掛けながら、やはり最も自分の心にあるのは、普遍的なもの。パーソナルなもの。自身の祖母がベース。
それほど思い入れあり、覚悟を決めた作品なのだろう。
認知症を題材にした作品と言うと、邦画難病映画ありがちの湿っぽさ、辛気臭さ、ベタな家族愛が定番。新味あったのはユーモラスとハートフルを織り交ぜた『長いお別れ』くらい。
本作は何処か不穏な雰囲気を漂わせ、ミステリーのような構成。それでいて、ラストは深い余韻に包む。
『ファーザー』とまではいかないが、シンプルながら凝った作りに唸らされる。
母・百合子がスーパーで買い物をするシーン。卵などをカゴに入れ、走り回る子供に声を掛ける。すると、また似たようなシーン。それが二度、三度と続く。
団地の階段を登り、同じ階数と遊具が置かれた踊り場。
デジャヴのようなシーン、シチュエーション。
これが、認知症を患う人の“視点”なのだろう。
そんな見せ方によって、見ている我々もあたかも“頭の中の迷宮”に迷い込んだような錯覚にさせられる。
母・百合子と息子・泉。
母一人子一人、支え合って生きている…と言い難い。
決して仲が悪いというんじゃなくて、確執と言うかわだかまりと言うか、何かこう、“隔てられた壁”のようなものを感じる。
この母子の間に何があったのか…?
挿入される過去シーンで自ずと察しは付くが、開幕シーンからすでにそれを語っている。
泉が仕事から帰ると、母が居ない。探し回るが、その困惑ぶりが並みじゃない。
自分にとって最も恐ろしい事。悪夢の再来のような…。
泉がまだ幼い頃、母は家を出、知り合った男と暮らしていた過去がある。
泉にとっては今も思い出すと吐き気を催すほどのトラウマ。
母が居ないは、イコール再び母に捨てられた。
さらに、母の認知症が発覚。忘れていくというのも、二重にまた母が居なくなってしまう恐ろしさに比喩する。
泉の悲しさ辛さも分かるが、母・百合子の方が複雑な内面を魅せる。
それを体現した原田美枝子。
クレジット上は菅田将暉が先だが、間違いなく本作の主演は、原田美枝子。
最近助演が多かったが、久々の堂々たる主演で(遡って調べたら、映画主演は2002年の『OUT』以来!)、その演技力を存分に発揮。
認知症を患った不安定さ、母としての優しさ、温かさ、一人の女性としての美しさ、愛らしさ、一人の人間としての悲しみ、苦しみ…。
改めて、名だたる名匠に愛された素晴らしい名女優である事を認識した。
本作は彼女にとっても特別な気持ちで望んだ作品であったろう。2020年に認知症を患った自身の母を捉えたドキュメンタリーを監督。
身内の認知症を目の当たりにし、経験したからこそ、本作での圧倒的リアリズムに打ちのめされるのだ。
本作での演出や演技を巡って、激論を交わしたという原田と川村。
それほど描きたいもの、体現したいもの、訴えたいものが各々あったという事だろう。
それが、映画を作るという事だ。それが、映画の中で一つの人生を生きるという事だ。
菅田将暉は抑えた演技で息子の悲しみ、辛さを滲ませる。唯一感情を爆発させた夜の海辺のシーン。息子の全ての思いが蓄積され、菅田の熱演と共に印象的なシーンとなっている。
泉の妻役に長澤まさみ、百合子の過去に関わる男に永瀬正敏、実力派が脇を固めるが、ほとんどが原田と菅田で占められる。
ワンシーンワンカットを多用し、登場人物の心情の揺らぎや彷徨の様を表し、キャストの演技に引き込まれる。
巧みな演出や編集。現在と過去を交錯しつつも、無駄な描写は省略。
見る者を誘う映像美。その最たるは、夜空に咲く半分の花火。
その中に、母と息子の物語をストレートに情感たっぷりに語る。
認知症の進行は止める事が出来ない。
花が枯れていくように、花火が散るように、記憶がどんどん失われていく。
どちらが辛いのだろう。どちらが悲しいのだろう。
決して幸せな思い出や綺麗事ばかりではない。暗い思い出も多々。
それも含め、思い出を忘れていくのと、忘れられていくのと。
子供を捨て、男に走った。母の過去の行為は許されるものではない。この点、レビューで激しく賛否分かれているのも当然。
自身の女としての幸せを望みつつも、決して忘れられぬ息子の存在。再会した不倫中の旧友と会った時も言葉を濁す。
そして、あの大震災。全てが崩れた町中を彷徨し、その先に見つけたものは…。
絶望の中にも美しく輝く母なる太陽。かつて、息子と見た太陽を思い出す。
そして、思い知る。何より大切な存在を。自分の愚かな過ちを。
それは母にとって、ずっと悔やんでも悔やみ切れない罪だったのであろう。
抱えたまま生き、何処かぎこちない親子関係が続いていたある日突然、我が身を襲った病。
自分が自分でなくなる前に…。
とりわけバス停での抱擁と告解。
枯れかかっていた親子の花が、再び咲き開いた。
が、母の病は避けられぬ。
親子の絆もまた失われてしまうのか…?
否。
花は散り、花火は消えても、心に残り続ける。
いつか見た、そして今また見た、半分の花火の美しさのように。
消えゆく中から
原作は未読です。
全く隙の無い作品でした。登場人物の心情を丁寧に掬い上げるようなワンシーン・ワンカットに引き込まれました。
巧みな編集によって、百合子の症状の悪化を視覚的に表現したり、時系列を前後させた構成も見事だと思いました。
プロデューサーとして数多くの映画を手掛けて来た川村元気監督なだけあって、映画的文法を真面目に踏襲しつつ、こだわり抜いた演出や映像美を追求したのであろう圧巻の撮影によって、かなり攻めた作風になっているのが印象に残りました。
私が高校3年生の時に亡くなった祖父は、アルツハイマー型認知症を患っていました。家族が異変に気づき始めたのは私が中学2年生になった頃。突然トイレの場所が分からなくなったり、毎日欠かさず観ていたお昼のドラマの再放送のストーリーが理解出来ていないと云うことが増えました。
病院で診察を受け、すぐに認知症だと判明しました。
「まさかおじいちゃんが…」と衝撃を受けました。
劇中にも登場した薬を処方されましたし、百合子みたいに外に出て行って迷子になり、家族総出で探したことも実際にあったので、リアリティーを伴って観ることが出来ました。
祖父は、次第に私たち家族のことを忘れていきました。私も「あんた誰や?」とよく言われました。言われる度に、幼い頃両親が共働きだったため祖父母に面倒を見て貰っていたので、その時の記憶や想い出が過ぎっては、「あのことも忘れてしまっているのだろうか?」と切なくなりました。
色鮮やかな花々が散るように、抜け落ちていく記憶。記憶や想い出がその人を形づくるとはよく聞きますが、それらが失われた後に残るものはいったいなんなのだろう、と…
本作を観て、それは、洗練されて剥き出しになった、生身のその人自身の感情なのかもしれないと思いました。
確かに思い返せば、覚えてはいないのだろうけれど、祖父が私たちに向けて示す行動や反応には、家族に対するような、愛する人に向けるような、感情はあったかもな、と…
「半分の花火」の謎が解け、母親の愛を知った時、泉の口から出た言葉に涙があふれました。母から記憶が失われていくごとに、自身の中で母と過ごした日々の想い出が蘇り、抱えていたわだかまりも鮮明になっていきましたが、返って母親と向き合うことに繋がり、それまで言えなかった言葉となって想いがこぼれた瞬間、とてつもない感動に包まれました。
自分に投影しやすい作品
回想シーンが半分くらい占めるのでは。
不思議な映画でした。
しかしそこがこの映画の鍵。
母が認知症になった苦悩も描かれる。
しかし、それは現実でも目にする光景で多くの人にも容易に理解できる。
この映画では認知症になった母の頭の中が多く描かれる。
スーパーで同じことを何度も繰り返す母の頭。
ああ、そうか。認知症の人にはこのような感覚になるのか。
そして、それ以上に多く描かれるのは、過去。
認知症になった母はその多くの時間を過去で過ごしている。
その過去はおそらく母が一番戻りたい過去。
奇しくも息子にとって忘れてほしくない辛い過去と同じ時期。
息子は母に置き去りされ、母は愛する人と共に生きたその時期。
母が認知症になったことでその辛い時期を忘れてしまったように感じ憤る息子だが母は実は多くの時間をその時期で過ごした。
なぜなら母にとってその時期は幸せな時だったから。
我々が現実で認知症に接する際、家族も辛いが本人だって幸せではない、と決めつけてしまっているかもしれない。
だから、私は認知症にかかりたくない。と。
でも、考えてみれば、認知症の人の表情ってすごく柔らかい。
この話はおとぎ話ではなく、現実でも認知症の方はその人が一番戻りたい人生のある時期を生きているのかもしれない。
そんなことを考えさせてくれる素敵な映画でした。
一輪挿し
過去の母親の行動から溝のある親子とアルツハイマーの話。
大晦日の夜、母親が一人で暮らす実家に帰ると誰もおらず不穏な空気、外に捜しに出ると公園のブランコでたたずむ母親が…と始まって行くストーリー。
違和感を覚えつつも「溝」のせいもあり気付なかった感じから、母親視点のお買い物が切っ掛けとなってアルツハイマーが発覚するけれど、手帳の件をみるに本人は自覚があったということですね。
その後過去の母親の行動と息子の境遇がみせられていくけれど、いや~キツいな。
しかしながら幼い頃のわだかまりと、再び忘れられる息子の心境を描いているのはわかるけれど、戻ってから現在までの関係がみえないからね…そこの部分はかなり大切だと思うのだけれど。
AIシンガーにしても赤ん坊にしても、中途半端でストーリーの補足説明みたいな感じだし。
自分と母親との関係がこの主人公よりもっと遠いものだからというのもあるかも知れないけれど、すっぽりと抜け落ちた長い時間のせいでか、何か取って付けたような印象を受けてしまった。
それでも終盤の悲痛に浸る感じはなかなか良かった。
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