百花のレビュー・感想・評価
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邦画界を牽引する東宝Pのアート作品
東宝で大ヒットを連発している
川村元気プロデューサーが監督した作品は
意外にも?キャスティング以外は
商業臭が全くしませんでした。
力のある主演二人の芝居に加え
カットを割らない手法や
照明を感じさせない画作りに引き込まれるも
肝心の脚本にそこまで共感できず。
敢えて本作を邦画界を牽引する
東宝のプロデューサーが監督する真意は?
自分には解りませんが、
自分も含め解りやすい娯楽に慣れ
想像力や思考力が激しく衰え続ける中
この不親切さは、ある意味
観客を信じているとも感じました。
語り過ぎない本作には勝手に想像する余白が
多く残されているとも言えます。
(脳にタンパク質が溜まる等の
医学的な事実は一旦置いときますが)
例えば、原田美枝子演じる百合子の
若年性アルツハイマーの原因は
自分が犯してしまった息子への罪の意識から
自ら記憶に蓋をする為では…等。
そんな勝手な想像もさせてくれる懐の深さを
本作には感じました。
全ての人間が正しく生きられる訳ではないし
人にはどうしても忘れたい過去もあります。
都合の良過ぎる劇的なラストは
用意されていませんが
自分の記憶のように泉の記憶が
劇場を後にした今も脳裏に焼き付いています。
半分の花火
母親の生き方(息子を一度捨てた)に嫌悪感を持ってしまいあまり感動できませんでした。
苦しみながらも献身的に母親の面倒をみる泉が切なかったです。
タイトル「百花」より「半分の花火」のほうがよくないですか?
シルエット描写の美しさと、認知機能の低下を表現した映像の恐ろしさが印象的な一作
本作の監督で、原作者でもある川村元気は、これが劇場公開長編映画とは思えない手腕を発揮しています。前半部では百合子(原田美枝子)の認知機能が低下していく過程を、後半では百合子が口にする「半分の花火」という言葉の意味を探る物語が展開していきますが、原作者の強みか、要所を的確に押さえていて、中だるみを感じさせることなく物語を引っ張っていきます。
本作では恐らく意図的に登場人物がシルエットになるように撮影されており、その表情は時としてうかがい知ることができません。それだけに、和泉(菅田将暉)が、特に母親に対してどのような感情を抱いているのか、百合子の意識が今どこにあるのかが一つの謎となっています。そして人物がシルエットとなることで、背後の情景の美しさが印象的に際立っており、「光と影の対比」が本作全体の映像的特徴となっています。
百合子の認知能力が低下していく過程を示す映像は、映像を観る側の感覚を利用した実に巧みな仕掛けが施されており、記憶の整合性がとれなくなるのはどういうことなのか、その一端を垣間見させてくれて、それほど派手な演出ではないものの、背筋が寒くなる感覚を覚えることは間違いありません。映し出された映像の信頼性が揺らぎ、それが自らの認識の不安定感に繋がる、という手法は、明らかに『ファーザー』(2020)などを踏まえていると思われますが、それらを見事に消化して、本作独自の映像世界として提示しています。
ポスターにも用いられている印象的な黄色は、文字通り本作のキーカラーとなっていて、どこに黄色が用いられているのかを意識しながら観ても面白い作品となっています。良質なドラマ、というだけでなく、映像技術、カラーコントロールの観点からも非常に見所の多い作品でした!
案外もどかしい映画でした
「完璧な母親など居ない」だったかな長澤まさみのセリフ。 とても心...
百花
•ストーリーはあまり盛り上がりがなく、淡々と進んでいく。また、観終わった後には解放感というよりも渋さと虚しさが残る。これも一つの「リアリティー」なのかもしれない。
•私も母子家庭で育った者であり、作中と同じような環境で育って来たので感情移入する部分も多かった。しかし、将来この親子のようになってしまうのではないかという不安や恐怖も入り交じり、少し拒絶してしまう部分もあった。この映画の評価も年齢や世代によりそうではある。
•作中では「半分の花火」という言葉が鍵を握る。
この言葉の本当の意味はラストシーンで理解することができる。この理解を通じて、認知症が進行し、母自身に残る記憶が薄れていく中でも、決して色褪せることのない息子との「思い出」と彼への「愛」を感じることができる。
菅田将暉と原田美枝子の名演技
青年・葛西泉(菅田将暉)と、ピアノ教室を営む母・百合子(原田美枝子)の間には、泉が小さい時に百合子が妻子ある大学教授と不倫し家出した事件により、埋まらぬ溝が出来ていた。そんなある日、百合子が認知症を発症し、症状はだんだんと悪化し、ピアノの弾き方や泉の妻・香織(長澤まさみ)の名前さえも分からなくなってしまった。泉は母を支えていたある日、百合子の部屋で1冊のノートを発見した。そこには、あの事件の真相が書かれていた。という話。
菅田将暉と原田美枝子の名演技を堪能する作品だと思う。
原田美枝子の若い時のメイクと歳を取って認知症になり老けたメイクの差に驚くべきものが有った。還暦過ぎた女優が30代の可愛い女性にみえたから凄くて驚いた。
長澤まさみ、永瀬正敏は今回は助演として必要な役所として、でしゃばり過ぎずで悪くなかった。
親がそれなりの歳で認知症になるかもという年代の子には身につまされるものがある。
百合子の黄
映画のテクノロジーはおいといて、原田美枝子ってやっぱり美人だな。
予告で期待したようなナニかが無かったぶん、少し肩透かし感は否めません
が、原田美枝子を見る映画として結果、ヨシでした。
内容は母と息子のヒズミをエモーショナルなかたちで
敢えてなのか?ドラマ(物語)に反映していない(出来なかった?)ので、「いいお話」どまりで終わりました。
その要因は「病が進行して社会生活できなくなっていく母と、それを静かに受け止め看病する息子」という広がりをもたない鬱展開にあったように感じました。
息子は一様には記憶の「断片」に苛まれはしますが、きほん状況に対して受け身でいて波風たてない模範的な息子です。
ある問題を有した主人公が棚ボタ式に解決へと導かれてヨシとされる、
こういう日常系、窓辺系?は邦画の流行りなのか、伝統になりつつあるのかどうか?
冒頭でも百合子が呟く薔薇の蕾ならぬ、「半分の花火…」も
結局、息子は本当の意味で追いかける(辿っていく)ことをしてません。
「起こった状況に対して賢明な対処する」でした。
施設に入れてからの家の始末で”百合子の部分”を見つけることはあっても、それは偶然でしかありませんでした。
結構重要な部分が全て「断片」で説明されるだけなので、冷めた見方をすると「でしょうね」としかなりませんでした。
この場合でいう、見たかったヒズミとは、、
百合子の「母親として、いち女性としてのはざま」や、その「とどめて置きたいけど忘れてしまうこと」だし、泉の「捨てられた?という忘れたいけど忘れられない沸々と潜む情念」だったし、、
それを病と格闘する「日常」のなかでの、二人のせめぎ合いを真正面から見たかったです。
また、分かりやすい色使いの演出はよかったのですが、
もし百合子が百合子であることを黄色とするのなら、、
ラストの縁側で、転嫁か輪回なのかで初孫に黄色をまとわせるも良いのですが、
不治の病に陥り、もう戻ってこない百合子を白と表現するのはどうかと思いました。
そこに映画の語り部である作者の、病気と対峙する及び腰な姿勢(描き方)を感じました。
もし最後百合子に白をまとわせるのなら、
息子である泉は、あの時この場所に確かにあった”半分の花火”に(偶然ではあるが)”気づけた”わけなので、、
少なくとも彼の目の中にだけは、花火の光で全身黄色で照らされる母像を映してほしかったです。
そうでないと泉は「気付き」だけで、母百合子を「受け入れ」られたように見えないと思いました。
全く感情移入できない
泣かせてくるんだろうなと気合を入れて見に行き肩透かしを喰らいました。
これだけ役者の無駄遣いをした映画もなかなかない。
人物造詣もストーリーも弱すぎる。
肝心なところが全く描けてない。
シングルマザーがたった一人の小学生の息子を捨てて不倫に走る
どんな背景が!?
は?それだけ?愛に走って息子を捨てることへの逡巡も描かないの!?
阪神大震災に遭遇する
不倫相手どうなったん!?
描かんのか〜い!!
一年もほったらかした息子のもとにどの面下げて帰ったん!?息子の反応は!?
描かんのか〜い!!!
菅田将暉も、長澤まさみもいい人過ぎて気持ち悪いとすら思った。川村元気の願望から生まれた妄想を見せられている気分でした。
さらにリアリティなさすぎるところ
地震後に外に駆け出すけど人っ子一人いないってどういうことですか?
気持ち悪かったし、隣で見た母は阪神大震災を経験してるので冷や汗かきました
阪神電車の線路脇ということでしたが、あの倒壊ぶりから見たら東灘区あたりの設定でしょうか?
であればあのあと大火災がおこりたくさんの方がなくなっているんですが…
主人公が家に戻るきっかけだけのために実際の悲惨な災害をこんなに中途半端な描写で使うのはどうなんでしょうか。
あと、半分の花火が自宅から見えた花火って…
それ、忘れます?
花火大会って毎年やりますよね
どんでん返しのつもりなんですか?
お金払って映画を見に来る人をバカにしてますか?
役者も誰一人うまく見せられてなかった。
天音くんのモブ扱いもひどかった。
菅田将暉くん目当てで行きましたが、またもや彼の無駄遣い作品にあたってしまいました。今から鎌倉殿見て口直しします。
黒澤明だけでなく
世代によって観た感想は全然違う作品だと思う
辛いですね
思わせぶりな映画だ。本当の感動はない。
全く観ようとも考えなかった映画だが、新聞の映画評を読んで見る気になった。いつものように、提灯記事だ。
いかにも、名作映画のような雰囲気を漂わせているが、中身はほとんどない。思わせぶりだけだ。観客にそうだろうと思わせるには、十分な情報を与えなくてはならない。例えば、シングルマザーならその理由はなにか。離婚、死亡、不倫が考えられるが、何の情報もない。何で唐突に神戸へ行ってしまうのか。神戸大震災で相手の男はどうなったのか。
過去と現在が入り交じり、おまけに痴呆による妄想も加わる。まぁ、映画製作で有名な人らしいけど、出来はなんとか合格点を貰えたってところだ。
原田美枝子は私が高校生の時にデビューした1、2歳年下の俳優さんだ。認知症になってもおかしくない歳になってしまったのかと、ちょっと首筋が青くなった。
「忘れる」とは、、、
「忘れる」って何か。考えさせるれる。
認知症の家族が身近にいるととても切ない。
認知症の表現が良かったと思います。単に忘れてしまうということではなく、何かを繰り返してしまう、誤認や勘違いと、認知症の人目線があった。
ネタバレになりそうなので曖昧な表現となりますが、忘れていく母親とにイライラしてしまう。自分は、忘れたいことは忘れられない。
しかし本当は、、、半分の花火とは、、、と、最後の方が染みる。
そういうことか、、、とうるっと来た。
この辺りの、感情のぶつかりみたいなものが良かった。さすが菅田将暉。長澤まさみの完全脇役も良かった。
ちなみに、「父親を知らない」ってことは子供の頃からシングルマザーってことですよね?母親として当たり前と思われるとはいえ、一人の人間なので、、、それでもあれだけの楽しい思い出があるのであれば、、不倫を全否定出来ない。
長回しやループが多く、また、過去と現在のクロスなどがとても上手い。混乱しないで物語を理解しやすかった。私の好きな映画っぽい映画。
万人受けしないかもしれないけど、良い映画でした。
ひとことReview!
親の認知症について色々考えさせられる作品。「なんで忘れてんだよ、こっちは忘れらんねえんだよ」は今年度の名言級。菅田将暉と原田美枝子の演技、撮影と編集は見事。
タイトルなし(ネタバレ)
いくつかこの映画のポイントになるセリフがあったのでメモ。
・半分の花火が見たい
泉の母が事あるごとによく口にするセリフ。泉夫婦で調べた半分の花火は、本当の半分の花火ではなかった。
昔住んでいた自宅の整理中に、本物の半分の花火を見た時、泉は、今までずっと忘れていた母の愛情も思いだし、やっと母を許すことができた。
しかし、母は、花火にも目の焦点が合わずのまま。タイミングがあと少し早ければ最期の悲壮感も少しは和らげられたのに。
・いつまでお母さんに謝らせるの
これは施設から帰るバス車中での香織のセリフで、これは映画の展開に効いてくる大切なワードだった。和やかな会話の中にも、どすんと重みがあって。大好きな俳優の長澤さんに言ってもらえて良かった。
1度目の半分の花火では自分のどす黒い思いを母にぶつけて母も取り乱す。
次に偶然に親子で見た自宅からの本物の花火は、ずっと許すことのできなかった気持ちと葛藤し続けた泉が最期に母に謝るというきっかけになった。この2つの花火流れと親子の関係性はとてもよかった。
ただ、父になることの覚悟も取ってつけたように混ぜるところとか、震災や父母のエピソードが不快だった。本当にこのストーリーを、引き立たせる上でなあの尺が必要だったかはひっかかる。
けれど、本当に大切なことが起こるタイミングってベストなところに合わせてくれない。ピタッと合わさる奇跡って起きない。映画の盛り上がりはないけれど、これが現実と思わせられた。
・忘れる機能をつれればよかった、それが人間らしさ
色んな方が書いているように、辛いことはやっぱり心のどこかにどす黒く残っているのに、楽しいことや穏やかな日常はすぐ忘れてしまう。
だからと言って全て忘れない方がいいかというとそれも人間ではない。これが命題かなと思った。
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