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アニメーションの出来は酷い。こんなのそうそうないぞというレベルで酷い。アニメーションの出来で酷評するのは分かるけれど、内容はなかなか面白かった。
政治的というか思想的な物語で、レビューを読む限り全く欠片も届いてないんだなと残念な気持ちになる。
止まってしまった時間の中で生き続けること、大きくは国、そして個人まで、広くあてはめて「動け」というのがメインテーマだ。
設定として存在する「止まっている」こと、そこから派生する様々なこと、これらに共感できるかどうかは別にしても興味深い話だ。
ラストで主人公浅野は、芹から高尚な死か低俗な(愚尚と言っていたかな?)生かを突きつけられる。それに対して浅野は第三の選択をする。
それはなずなとの遭遇のおかげともいえるが、なずながあの場所にいるということは、なずなもまた芹から開放されたわけだ。
芹はある程度の目的を達成した。それにはほとんど何も意味などないだろう。それでも芹の中では終わったのだから、妹であるなずなをいつまで苦しめ拘束することは本意ではないはずだ。なぜならなずなの時間を強制的に止めることになってしまうから。
時を止められる特殊能力持ちの浅野となずなが惹かれ合うのは自然だ。互いに唯一一緒にいられる相手といえる。止まってしまった時の中でも二人は止まらずにいられるのだから並ではない特別な相手。
浅野が選んだ第三の選択とは、乱暴にいえば「ポジティブに生きること」だ。浅野にとってはなずなと生きることは高尚な死でも愚尚な生でもない第三のポジティブな生ということになる。
浅野の配達先にいるおばあさんは最初からポジティブな人として作中に登場している。
未曾有の大災害により経済が崩壊し、誰もが新聞代を踏み倒そうとする中で、新聞代どころか羊羹をくれたりする。
新聞配達の兄ちゃんに会いたがるとはさみしい独居老人に見える。そうなのだろう。しかしおばあさんは悲観的ではなく明るく生きているように、つまりポジティブに生きているように見える。
あれはクソこれはクソ、自分は運がない、会社のせい社会のせい、恨みつらみ妬み、そんな愚尚な生をおくっている人への辛辣なメッセージ。
けれど、肝心のそういった人たちには残念ながら届いていないように思える。自分がそれに当てはまっていると気付けるくらいならそんなことにはなっていないので当然ではあるが。
あとは、夏で止まっているので、演出として、キラキラ輝くシーンや虹、セミの声、季節は春から初夏であるが常に夏を感じさせるように作っていたのは面白いと思った。
途中まで何か違和感あるなと思っていたけれど気付いてからは感心するしかなかった。