君のためなら千回でも
劇場公開日:2008年2月9日
解説
1970年代のアフガニスタン。兄弟のように育ったアミールと召使いの子ハッサンだが、街中が沸き立つ凧揚げトーナメントの日、アミールはハッサンに対してある“裏切り”を働いてしまう。やがてソ連がアフガンに侵攻を開始、アミールは心にしこりを残したまま、父と共にアメリカに亡命する。「チョコレート」「ネバーランド」のマーク・フォースター監督が、アフガン出身の作家カーレド・ホッセイニの原作小説を映画化したヒューマンドラマ。
2007年製作/129分/アメリカ
原題:The Kite Runner
配給:角川映画、角川エンタテインメント
スタッフ・キャスト
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2018年8月29日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
映画「25時」やTVシリーズ「ゲーム・オブ・スローン」で知られるデヴィッド・ベニオフが脚本を手がけ、その類まれな才能をいかんなく発揮した初期の感動作。アフガニスタンの過去と現在、そして現代のアメリカを織り交ぜながら描かれるそのストーリーは、幼少期の過ちで親友と疎遠になった主人公がメイン。彼はその手で記憶と現実の壁をぶち破り、必死の思いで過去を取り戻そうと、かつて暮らしたアフガンの地を目指す。
「ネバーランド」や「プーと大人になった僕」のマーク・フォースター監督が一貫して見つめる「作品内世界」を踏襲するかのように、ここでも「過去の記憶」が丹念に扱われ、さらに「本の出版」という要素もまた、自分の記憶を俯瞰する大切な視座となる。ストーリーは痛烈ながら、大空に舞い上がる凧と、合言葉のように交わされる「君のためなら千回でも!」とのセリフが、いつまでも変わらぬ友情の風を作品内に吹き込ませてやまない。
2022年6月10日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
2021年8月4日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
ネタバレ! クリックして本文を読む
観ていて所々に色々な想いが次々と出てきて、そのたびに自分の無知と言うか、見識の狭さになんとも言えない気持ちになった。
話はアフガニスタンから始まり、ソ連が進行して、、、と日本人がもしかすると一番苦手な地域のお話かもしれない。少なくとも自分は中東(これも一つでくくってしまっていのかもわからない)の国々の区別が非常につきにくいし、宗教観等も含めるとまったくわからない。
それだけに主人公アミールと召使いハッサンの関係もイマイチピンとこない。
今回はネタバレも含めて記載するが、凧揚げ大会の当日、ハッサンがレイプされアミールが目撃するが動けなくなり、またその事で拒絶してしまう展開は個人的には非常に理解できる。(拒絶は共感できなかったが、、、)
小さな頃に固まってしまうほどの衝撃を目の当たりにした際には体が思うように動かずにその場から逃げてしまうことが少なからずあると思う、しかもレイプを目の当たりにしたのならなおさらではないのか?自分にアミールを攻めることは出来ないと思う。(観ながらは「助けたれよww」と思っていたが、、、)
時代としても非常に苦しい時代なのだろうが、富裕層である父が召使いのハッサンやその父も大切に扱っているのは単純な主従関係ではない事を示していたし(その割には別れるシーンがあっさりすぎw)その父の威厳のある生き方がとてもステキで素晴らしい。(まあある理由があったけど、、、)
またタリバンの内容も少し描かれており、現地で生きていく過酷さや人間の尊厳そのものが踏みにじられている様子は観ていて不快であったし、言葉に表せられない。
いったいなんの権利があってその様な蛮行が許容されているのか?なぜ生まれた地域があの地であるだけで色々な物音に怯えて暮らさなければ行けないのか?
やはりこのような事を見聞きする度に遠い地の事に思いを馳せるが、結局は映画のレビューに書いて終わりで行動に移さないのは弱い人間なのだろう。
孤児院の管理者の言葉が重すぎて、頭から離れない。
映画としてはフィクションであるが、起こっている事は現実そのものであることにまた胸が苦しい。そして孤児院の管理者が放った様に選ばれた子供だけが、自由で恐怖とは遠く離れた地で凧揚げに興じることができるのを観て、また再び悔しくて、悲しくなった。
また「きみのためなら千回でも」と血縁関係を知らされずに亡くなったハッサンの気持ちを思うと、それはそれで苦しくなる。
それでもアミールとソーラブは美しく、輝いた人生を送っていくと信じてせめてこの子だけでも幸せになってくれたらと思ってエンドロールへと進む。
非常に重く、そしてまた中東に対しての個人的なイメージが強くなってしまう気がした。もちろん父の様な優しい人間が大半ではあるだろうが、強い衝撃を受けた。
2019年10月8日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
THE KITE RUNNER
「君のためなら千回でも』ダリ語/英語
米国映画、監督マーク フォスター
「良いこと(行い)をする機会はまたある。」うまく書けないけど、何か今まで人や社会などに対して、人を傷つけたり、悪いことをしても、崩れたままにしておいたり、罪の意識を感じながらそれをそのままにしておかないで、修復すること。そこにはきっと良いことをするチャンスがあるから。』と私は解釈している。この映画にこの言葉が出てくる。
アミルの父親もハッサンも叔父のラミールも信念があり一本筋が通っていて強い。父親もアミルに喧嘩をしたりしたら、いつまでもそのままにしないで、すぐ解決しなさいと。
アミルは自分に自信がなく、おどおどしていていつも彼の目は揺れ動いていて、問題点を直視できず、萎縮してしまっている。アミルは物語を書くのが好きだが、それはまるで現実の弱い自分から逃れているようだ。
分身ハッサンを傷つけ罠にかけて、その後、父とアフガニスタンを後にした。ロシア兵にも堂々と向かっていける父親を見ても、そこからは学べない。
アミルは難民として米国のカルフォルニア州フレーモントで成長した。そして、作家になったが心の中はハッサンに謝れないままでいる罪悪感でいっぱいになっている。
この映画は前もみたけど、その時は、ロシアのアフガニスタン侵略(1979)やタリバン政権の方にもっと興味があって、アミアの過酷な心のヒーリングの旅行に趣を置いていなかったと思う。何しろ、有名なベストセラー小説なので多分、多くの人々は映画より小説で読んでいるかもしれない。賢人の言葉がたくさん詰まっていて、社会での生き方を教えてくれる映画。
最後の方のシーンでアミアが甥ソーハーブ(Sohrab)を見つけ出すシーン。胸が詰まった。
ソーハーブ「両親の顔をもう忘れ始めている。悪いこと?」ーーーずっと前にタリバンに両親は殺された
アミル「甥のお父さんの写真を差し出す。」
ソーハーブ「時々、両親が死んで良かったと思うんだ」
アミル「なぜ?」
ソーハーブ「だって、こんな自分をみせたくなから。僕はとても汚れているんだ。」ーータリバンは孤児院から女の子をさらうけど、男の子も連れていく。この甥はその一人。
アミル「汚れてなんかいないよ。私はあなたを傷つけないよ」
自分より弱い存在のソーハーブを心の葛藤をみて立ち上がれた。そこに自分自身を見たから。だから、そこにかれの心を修復できるチャンスがあった。我々人生においても同じことができると言える。
アミルはハッサンの子供ソーハーブを自分の子供として受け入れて『 君のためなら千回でも』と。初めて自分に自信がもてて彼の目の動きは動揺しなくなった。
人生のおいて、いつかきっと自信を取り戻すことができる。それには行動に移すことが大切。アミルは叔父のラミールの力を借りて、行動に移せた。