わたしは最悪。 劇場公開日:2022年7月1日
解説 「母の残像」「テルマ」などで注目されるデンマークのヨアキム・トリアー監督が手がけ、2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で女優賞を受賞、2022年・第94回アカデミー賞では国際長編映画賞と脚本賞の2部門にノミネートされた異色の恋愛ドラマ。30歳という節目を迎えたユリヤ。これまでもいくつもの才能を無駄にしてきた彼女は、いまだ人生の方向性が定まらずにいた。年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、最近しきりに身を固めたがっている。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、そこで若く魅力的なアイヴィンに出会う。ほどなくしてアクセルと別れ、新しい恋愛に身をゆだねたユリヤは、そこに人生の新たな展望を見いだそうとするが……。トリアー監督の「オスロ、8月31日」などに出演してきたレナーテ・レインスベがユリヤ役を演じ、カンヌ映画祭で女優賞を受賞。
2021年製作/128分/R15+/ノルウェー・フランス・スウェーデン・デンマーク合作 原題:The Worst Person in the World 配給:ギャガ
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幕開けから新鮮な勢いを感じる。綴られるのは主人公ユリヤがいかに心変わりの速い人物かってこと。「他にもっとふさわしいものがあるのでは?」と考えだすともう止まらない。自分の気持ちに素直であるがゆえに、その行動はとても迅速。まさに突風が吹くかのように過去を捨て、新たなものを掴もうとする。トリアー監督の視座はそんなユリヤのことを一切批判もしないし、むしろ研ぎ澄まされた映像で彼女のあらゆる心の機微を祝福しているかのよう。性に関するオープンな会話にしても、吐き出した煙の交換にしても、悪趣味や下品に傾くことのないトリアー的視点が機能。決して蔑んだり、道徳的になったり、「ほれ見たことか」と上から目線で抑えつけようともしないし、静止したオスロの街を駆け抜ける際の高揚感、疾走感なんて観る者をナチュラルに惹きつける至高の場面だ。ユリヤの人生、決断、それを映し撮るトリアーの映像にずっと心を委ねていたい一作である。
本作は、脚本と主演女優に大きな特徴のある作品です。 まず脚本は「序章」「12章」「終章」から構成されています。 序章で、「医大は成績優秀者に相応しい進路だ」と考える主人公ユリヤ。でも想像と違うと、医大を辞め心理学へ。そして心理学もピンと来ないと写真家に、と自分探しをします。 そして、パーティーでマンガ家と出会います。 それ以降の各章にはタイトルが付いていて、分かりやすい構成になっています。 (途中、ユリヤが時間を止めるシーンが1回出てきますが、これは「ユリヤの空想」を表現したものです) 2022年の第75回カンヌ国際映画祭で是枝裕和監督作「ベイビー・ブローカー」で主演したソン・ガンホが男優賞を受賞しましたが、前年の第74回カンヌ国際映画祭でユリヤ役のレナーテ・レインスベが初主演で受賞しています。様々な顔を見せるユリヤを見ていれば、これは納得がいきます。 そして本作はノルウェー語なので、アカデミー賞では「国際長編映画賞」に該当し、まさに日本の「ドライブ・マイ・カー」と賞レースを競っていたのです。 本作の邦題「わたしは最悪。」について、2つの意味で考察が必要だと思います。 1つ目は、「邦題のセンスがないのでは?」ということ。 これについては、原題のノルウェー語では「Verdens verste menneske」となっていて直訳すると「世界で一番悪い人間」という意味になります。 ただ、これは正直なところ分かりにくいと思います。 英語版では「The Worst Person in the World」と、そのままです。 そこで邦題は、このノルウェーでの慣用句を分かりやすく「わたしは最悪。」と訳しただけなのです。 2つ目は、「そもそもどういう意味なのか?」ということ。 これは、ユリヤが「ある段階」で頭に浮かぶセリフだと私は解釈しています。 その「ある段階」は、人によって異なるかもしれませんが。 ひょっとしたら1回目では作品の良さが伝わりきらないのかもしれません。そこで、もし機会があれば2回は見てみてほしいです。有名な賞を受賞したからと言って、誰にでも合う作品なんて無いのだと思います。 でも、この作品は、「別の機会に見て、良さが実感できたりする名作」なのだと私は考えています。 やや大人な映画なので「R15+」なのも納得ですが、大人になったからこそ分かる作品と言えます。
2022年6月30日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
オスロで暮らす聡明で美しい女性主人公ユリヤによる人生の選択、恋愛(+結婚するかどうか)の選択をめぐる物語なので、英題の「The Worst Person in the World」は大げさだが、これもまた、自分の目に映る範囲だけを“世界”と認識する「セカイ系」の一種と考えるなら、彼女の目線での自虐的なタイトルということになるだろうか。 フィクションゆえに誇張されている面ももちろんあるが、自分のキャリアの選択はこれでいいのか、今のパートナーとずっと一緒でいいのかなど、誰もが一度や二度は覚えがある悩み、劇中に「自分探し」というワードも出てくるし、そんな普遍的な題材に共感する人も多いだろう。また、年齢の離れた相手と交際した経験がある人なら、ユリヤとコミック作家アクセルとの関係にきっと自身の記憶を重ねてしまうはず。 基本はリアリズムの描写で語られるが、予告編でも示されているように、マネキンチャレンジのように静止した街の中をユリヤが駆けていくシーンと、マジックマッシュルームを食べて幻覚を見る場面で、リアルから逸脱したファンタスティックな視覚効果が使われているのも印象的だ。 余談めくが、ちょうど3年前の2019年6月に北欧を旅行しオスロにも2日ほど滞在した。市内には「テネット」のロケにも使われた美しい外観のオペラハウスや、ノーベル平和賞授賞式会場として知られるオスロ市庁舎にも近いベイエリアなど、見栄えのいいロケーションも多々あるが、そうした観光名所を敢えて避け、欧州の都市のそこかしこにありそうな“素顔の街並み”を背景に撮影しているのは、デンマーク出身ながらノルウェーのオスロで育ち、同国で作品を発表し続けてきたヨアキム・トリアー監督ならではだろう。
2022年6月21日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
“理想の人生”と“厳しい現実”の間で揺れながら、自分の気持ちに正直に生きていくことを選択していく女性の失敗と成長を描いた、ロマンティック・コメディタッチの恋愛ドラマである。 ヨアキム・トリアー監督は、遊び心溢れる独創的な映像と音楽で主人公ユリヤの心情を映し出す。彼女が芸術の都オスロを眺めながらひとり帰途につくシーンや、それまでの自分から解放されたかのような表情で街の中を駆けてゆくシーンが印象的だ。ユリヤを演じたレナーテ・レインスベは、まるでユリヤが自分の中のいくつかの人格と対話するかのように、子供のような無邪気さと愚かさ、さらに大人のずるさと賢さが混在する年代の感情の揺れ動きを、繊細かつ大胆な演技で表現している。 日常の中で時おり抱くある違和感。自分は何者なのか、なぜここにいるのか―。部屋の電気のスイッチを「パチン」と押した瞬間、抑えていた感情が彼女の中で弾ける。外へ飛び出すと、自分以外の世界が止まって見える。そんな街の中をゆっくりと駆けだしていくユリヤの表情が笑顔に変わっていく姿に世界が共感したのだろう。