ファーザーのレビュー・感想・評価
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ブルーの世界
アンソニー・ホプキンスだからこその説得力と可愛らしさと矜持と悲しさ、オリビア・コールマンの美しい眼が娘の思いをよく表していた。脚本も構成も映像も良かった。
ブルーがあちこちで使われている。アンのクリアな青のブラウス、キッチンの壁の水色タイル、青のセブンチェア(クリニックにあったと思ったらフラットにも)、絵画の中のブルー、リビングの椅子やソファやクッション、寝室の壁紙、花瓶、レジ袋、ベッドリネン、タオル。どの時がどの会話が現実なのか、もやの中でわからなくなってくる。ブルーはとりとめのなさでもあれば、恐れや怒りでもあるし憂鬱でもあるんだろう。アンソニーが自分には「象の記憶力」があるんだ!という自慢が悲しかった。アンソニーの最後の台詞:葉っぱも枝もなくなっていく・・・、ママに会いたい、はとても辛かった。
アンソニーがよく聞いていたオペラのアリアもエンドロールで流れる控え目で静かなメロディーもまさにEinaudiで、優しく背中を撫でてくれた。
アンソニー・ホプキンスはやはり名優!
アンソニーは認知症の為に記憶が曖昧。娘のアンがパリに行く、と言っていたのに、物語はアンがまだ夫と暮らしていた時に遡っている。
アンが認知症の父の介護を必死にしてきたこれまでの過程を見せながら、アンソニーが記憶を辿りながら今の状況を理解しようと頑張っている様子が交錯して観せられる。まるで映画を観ているこちら側まで、認知症を疑似体験しているような感覚になる。
とてもよく考えられた構成だと思う。
アンとしたら辛い決断をしたんだろうが、フランスに連れては行けない、というかアンソニーはいかないだろうし、あの選択しかないだろうな。
色々と考えさせられる映画です。
見始めたら引き込まれる
眠たいな。。昼寝でもしようかなと思いつつ、レンタルしたDVD『ファーザー』を見なければと思い、再生したら、眠気もどこかへ、、ぐいぐい引き込まれていった。
誰?さっきの人はどの人?これはいつの出来事?時間や人の顔、普段何も気にしていない事が混濁していく。認知症の人から見る世界を再現してみたのか、、最後まで見てようやく納得した。アンソニー・ホプキンスはもちろん、アン役のオリヴィア・コールマンも細かな心理表現がすばらしい。
祖父母だったりこれからの父母だったり自分だったり
止めどなく涙が溢れました
あまり予備知識無しに観たので
最初は何がどうなっているのか
それもそのはず、認知症の主人公からの視点
ホントにこんなふうに毎日が
スリリングで悲しくて戸惑いながら心細いのだろうか?
実のところは分からないけれど
アンソニーポプキンズの名演で
ホントに認知症とはこういうものかもしれないって
思えました
そうなると泣けて泣けて
私の祖父母は?
もっと違った接し方があったかもしれない
私の父母は?
これから私が介護する時が来たら?
私が自分をわからなくなった時は?
全部がただひたすら悲しく愛おしい
こんな映画に出会えてよかった
アンソニーホプキンスすごかったです
混乱の共有
認知症目線のストーリーだとは思っておらず、
純粋に混乱し続けてしまいました
途中で絶望しました、
ありきたりな感想ですが、
認知症ってこういうことなのかと思いました。
周りが騙してるのではないか?
なんでそんなことするの?
という気持ちが自然と出てきました。
最後の落とし所も素晴らしいです。
部屋の配色、洋服の色で時系列や
環境の変化を暗示しているところ、
シンプルかつ伝えたいことが明確な
ストーリーが本当に美しい映画でした。
あえて触れる必要もないほど
感動的な演技でした。
何となく辛そうと思って避けてましたが、
本当に見て良かったです。
現実とは
彼の中で起きていることは、彼自身には現実ですべてを体験している
私たちも、眠りの中で夢を見るでしょ
その時感じた感情は実体験ではなくても現実に感じた感情なのだと思うのです
喜びや悲しみ、緊張感、恐怖心、その時の感情は確かにあったホントの心の動きなのでしょうね
彼のように、現実が曖昧になるとその時々で感情が揺れてしまう
出来れば心穏やかな事が多ければいいのでしょうが、不安や迷いが多くなるのは必然なのだとも思います
もしも、元から新しい環境が好きな人なら毎日が新鮮で毎日新しい人と出会えて楽しいのかもしれません
大切な家、大切な時計、それは失いたくない記憶そのもので手放してしまったら何をどうしていいかわからなくなってしまう
そんな人に私たちはこれから多く関わることになるのでしょう、彼に不安を与えないように接したらいいのでしょうか
現実を突きつけてもその事自体が消えて無くなってしまったらまた振り出しです
私も変わらなければならないでしょうね
互いに今を受け入れて
悲しい事実を何度も思い出すよりも今の方が幸せなのかもしれませんね。
素晴らしい表現
認知症を患った主人公視点で進むため、"認知症の人の見えている世界"というのが分かりやすく描かれている。
本人の見る空想と現実の世界、他者から見る現実の世界が入り交じり、主人公の混乱を追体験しているかのようになれる良い映像作品。
認知症によって生じる本人の不安や葛藤、世界の見え方が理解しやすく、
周囲の人達の悲しみや不安、ストレスや家族に対する愛の表現の仕方が素晴らしい。
これぞ映画だからこそ表現出来るやり方。
アンソニー・ホプキンスもやはり名優。泣きました。
認知症状(見当識障害、失行、幻視などなど)が徐々に生じる様と本人・周囲の戸惑いを丁寧に描き非常に認知症に対しての勉強にもなります。
悪戯な演出を駆使した演劇を楽しみ、認知症の怖さを演じたアンソニー・ホプキンスの名演を堪能できる趣味の良い映画
認知症の父とそれを受け入れる娘の心の内を描いた演劇映画。自作の戯曲を演出したフランス人監督フローリアン・ゼレールと、イギリス映画「キャリントン」の脚本・監督と「つぐない」の脚本のクリストファー・ハンプトンの共同脚色が非常に高度な演劇趣味を映画で再現している。これを純粋なフランス映画にせずイギリスを舞台に変更した理由が、名優アンソニー・ホプキンスを主役にするためにあったのが納得の、一人芝居の大名演を生む。1937年12月31日生まれと劇中で語るアンソニーは、そのままホプキンスの誕生日ではないか。ここまで俳優個人の生涯を前面に出して良質の演劇を見せることは稀であると思う。それも老いて枯れて人生の最終地点にある認知症の病に罹った老人の哀れで悲しい姿を正面から残酷に描き切っている。
この映画の観方には、二つの視点がある。一つは、その名優の名を恣にするアンソニー・ホプキンスの見事な演技を堪能すること。介護人アンジェラに暴力を振るい娘の家に引き取られても、自分のフラット(ワンフロワー)と言い張り、娘アンと恋人ポールを老人ホームの介護士のキャサリンとビルと見間違い、若い介護人ローラに事故で亡くした娘ルーシーを重ねるアンソニー。老獪な顔を見せたり、タップが得意と自慢する愉悦の表情や施設に入れようとする話に激高する様子など、喜怒哀楽の激しい認知症の症状をリアルに演じている。圧巻は、ここは何処、私は誰?の状況に陥った最後の場面で、アンソニーを名付けた母を想い出し、ママを呼んでくれと泣く子供のような仕草のホプキンスの上手すぎる芝居だ。
もう一つは、舞台の幕を模した場面構成の巧さとその舞台美術のハイセンスな色調の統一性。アンの家とされる舞台が、徐々に変化して行きながら最後老人ホームに辿り着く。つまりは、老人ホームにいたアンソニーの幻覚と思わせる演出の真剣な遊びがある。冒頭から青と赤を際立たせても、実に落ち着いた色調で最後の場面に自然に繋げている。アンソニーのベットルームのインテリアの配置や途中ルーシーの描いたピルエットの少女の絵が消えるところなど、伏線も考え尽くされている。特に前半は鮮やかな青色が目立ち、これはフェルメールの絵のような映像美を狙ったのかと思われた。演出では、最初のキャサリンがアンソニーと同時にベットに腰掛けるカットがいい。最後の場面でもキャサリンは、アンソニーと一緒に腰かけている。
アンソニーの視点から描かれた人物の謎と舞台変化の混乱が、映画的な面白さを誘発していることが先ず挙げられる。その上で主演アンソニー・ホプキンスの演技を味わう贅沢な演劇映画であった。個人的には、娘アンを演じたオリヴィア・コールマンも素晴らしいし、介護士キャサリンのオリヴィア・ウィリアムズの優しさに満ちた眼差しもいい。それと音楽の選択も渋い。パーセルやベッリーニの音楽は詳しくないが、ビゼーの『耳に残るは君の歌声』は久し振りに聴く。テナーの張り上げた高音のオペラ風ではなく、しっとりと切なく歌い上げた歌唱が映画の世界観にマッチしていた。調べると、シリア・デュボアというフランスのまだ若いテノール歌手と知る。このビゼーの名曲は、プラシド・ドミンゴやカルーソーも素晴らしいが、個人的にはアルフレード・クラウスが好み。でもやはり、この作品に合っているのは、このデュボアの情感を込めて落ち着いた歌い方であると思う。
ラストにアンソニーが、記憶を無くす自分を“すべての葉を失っていくようだ”と表現した。ラストカットは、陽光に照らされた新緑の木々がしなやかに風になびいて、一つひとつの葉が生き生きとそよいでいる。これは未だ10代か20代前半の人間の姿であろう。もう自分は半分以上の葉を失った年齢になった。それを想うと、もうその姿には戻れない怖さにゾットしてしまった。
迷路に迷い込むということ
良く出来ている映画だと思う。
観ていると、人間関係やら時間の流れについて、混乱してくる。新しく入ってくる情報を頼りに混乱を修正して正しく把握しようと試みるけれど、その修正したものは更にその次に入ってくる情報によって打ち消される。そうやって修正を繰り返す。
まるで頭の中が迷路に迷い込んだよう。
見進めると、わかってくる。リアルに起きていることはひとつだけなのだけれど(当たり前だけど!)勘違いをし、自分に都合の良い思い込みをし、忘れてしまっているだけなのだと。辻褄が合わないのはそのせいなのだ、と。
ボケるということは、こういうことらしい、これがリアルだったらキツイなぁと、貴重な疑似体験をさせてくれる映画。
映画では、わからないことだらけで途方に暮れていると、傍らで優しげな女性が「お天気いいからお散歩しましょうね」と穏やかに言葉をかけてくれる。
その場面に、妙に説得力を感じる。
何も不安がらなくてもいいですよ、わからなくてもいいですよ、
それより体を大切にしましょう、いま生きている、大切なのはそれだけです、
だからおひさまを浴びましょう、外に行きましょうね…。
考えてみれば、人生、生きているうちに色んなものが沢山くっついて凄く複雑で煩わしくなっているけれど、本来、本当に必要なものはそんなシンプルなことなのかもしれない、と思ったりした。
名優による、ぼやけていく世界
認知症になった老人の世界を、老人からの視点で描き出している映画。
認知症の人にインタビューしたわけでもないだろうに、その全てが曖昧になっていく感じが実にリアルに描かれている。
認知症とまでは行かなくても、老いていくと皆多少はボケる。
少し先の自分の親の話でもあるし、将来の自分の話でもある。
"老い"を受け入れるまでの物語
クライマックスに大きなネタバレがあるので、これを伏せてのレビューというのは中々難しい。
正直なところ、終盤までは退屈に感じてしまった。
認知症のアンソニーと、彼の強情さに翻弄されるまわりの人々、そのどちらにも感情移入してしまった。
その為、認知症高齢者の疑似体験…と言うほど主観的に入り込む事なく映画を見続けた。
しかし、ある出来事を経てここまでの印象がひっくり返る。アンソニーが見てきた世界や、彼自身への印象も大きく変わる事となった。
映画を見終えた今振り返ると、強情でいたアンソニーこそ、実はギリギリの一線に踏みとどまっていたのだと感じた。それを超えてしまってからの彼はもう。。
大衆向けエンタメと対を成す地味な映画ではある。
しかし、今後我々が必ず触れることになる"老い"。そしてそれを受け入れる過程を予習する意味でも、見る価値のある作品である事は確かだ。
アンソニーを演じきったアンソニー・ホプキンスの名演、その素晴らしさは見た者誰もが疑わざるを得ないだろう。
彼がアンソニーを演じたからこそ、この映画の余韻がより印象的に残るのだ。
この映画で 痴呆 を学ぼう
父親目線での進行は素晴らしいが、時おり 神さま目線にもなる。
最初はこういった混成は「観ていいる人間を混同させる」ので、ダメだと思ったが、
物語が進行するにしたがって、痴呆(ちほう)というものを理解するのには最適な手法だと気づいた。
実に素晴らしいシナリオ構成だ。
撮影も演出も完璧で、観ていて安心できる。
アンソニー・ホプキンスさんの演技も完ぺき。
日本版で対抗するなら、人生の終焉を描いた「生きる(監督:黒澤明)」でしょう。
そして、本作は”舞台映画”と言う事で、この実舞台を観てみたいと思った。
(レビューを消してしまったようなので、もう1度書き直しました)
実際経験上
うちの祖母も同じ感じ。
まだ認知症にはなってないが、思い込んだらそれが現実なる。
看れる人がいないと施設に入れて面倒みてもらうしか方法がない。
本人は帰りたがるが1人での生活はムリな為帰せない。
重なる部分多すぎて涙出た。
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