ファーザーのレビュー・感想・評価
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現実とは
彼の中で起きていることは、彼自身には現実ですべてを体験している
私たちも、眠りの中で夢を見るでしょ
その時感じた感情は実体験ではなくても現実に感じた感情なのだと思うのです
喜びや悲しみ、緊張感、恐怖心、その時の感情は確かにあったホントの心の動きなのでしょうね
彼のように、現実が曖昧になるとその時々で感情が揺れてしまう
出来れば心穏やかな事が多ければいいのでしょうが、不安や迷いが多くなるのは必然なのだとも思います
もしも、元から新しい環境が好きな人なら毎日が新鮮で毎日新しい人と出会えて楽しいのかもしれません
大切な家、大切な時計、それは失いたくない記憶そのもので手放してしまったら何をどうしていいかわからなくなってしまう
そんな人に私たちはこれから多く関わることになるのでしょう、彼に不安を与えないように接したらいいのでしょうか
現実を突きつけてもその事自体が消えて無くなってしまったらまた振り出しです
私も変わらなければならないでしょうね
互いに今を受け入れて
悲しい事実を何度も思い出すよりも今の方が幸せなのかもしれませんね。
素晴らしい表現
認知症を患った主人公視点で進むため、"認知症の人の見えている世界"というのが分かりやすく描かれている。
本人の見る空想と現実の世界、他者から見る現実の世界が入り交じり、主人公の混乱を追体験しているかのようになれる良い映像作品。
認知症によって生じる本人の不安や葛藤、世界の見え方が理解しやすく、
周囲の人達の悲しみや不安、ストレスや家族に対する愛の表現の仕方が素晴らしい。
これぞ映画だからこそ表現出来るやり方。
アンソニー・ホプキンスもやはり名優。泣きました。
認知症状(見当識障害、失行、幻視などなど)が徐々に生じる様と本人・周囲の戸惑いを丁寧に描き非常に認知症に対しての勉強にもなります。
悪戯な演出を駆使した演劇を楽しみ、認知症の怖さを演じたアンソニー・ホプキンスの名演を堪能できる趣味の良い映画
認知症の父とそれを受け入れる娘の心の内を描いた演劇映画。自作の戯曲を演出したフランス人監督フローリアン・ゼレールと、イギリス映画「キャリントン」の脚本・監督と「つぐない」の脚本のクリストファー・ハンプトンの共同脚色が非常に高度な演劇趣味を映画で再現している。これを純粋なフランス映画にせずイギリスを舞台に変更した理由が、名優アンソニー・ホプキンスを主役にするためにあったのが納得の、一人芝居の大名演を生む。1937年12月31日生まれと劇中で語るアンソニーは、そのままホプキンスの誕生日ではないか。ここまで俳優個人の生涯を前面に出して良質の演劇を見せることは稀であると思う。それも老いて枯れて人生の最終地点にある認知症の病に罹った老人の哀れで悲しい姿を正面から残酷に描き切っている。
この映画の観方には、二つの視点がある。一つは、その名優の名を恣にするアンソニー・ホプキンスの見事な演技を堪能すること。介護人アンジェラに暴力を振るい娘の家に引き取られても、自分のフラット(ワンフロワー)と言い張り、娘アンと恋人ポールを老人ホームの介護士のキャサリンとビルと見間違い、若い介護人ローラに事故で亡くした娘ルーシーを重ねるアンソニー。老獪な顔を見せたり、タップが得意と自慢する愉悦の表情や施設に入れようとする話に激高する様子など、喜怒哀楽の激しい認知症の症状をリアルに演じている。圧巻は、ここは何処、私は誰?の状況に陥った最後の場面で、アンソニーを名付けた母を想い出し、ママを呼んでくれと泣く子供のような仕草のホプキンスの上手すぎる芝居だ。
もう一つは、舞台の幕を模した場面構成の巧さとその舞台美術のハイセンスな色調の統一性。アンの家とされる舞台が、徐々に変化して行きながら最後老人ホームに辿り着く。つまりは、老人ホームにいたアンソニーの幻覚と思わせる演出の真剣な遊びがある。冒頭から青と赤を際立たせても、実に落ち着いた色調で最後の場面に自然に繋げている。アンソニーのベットルームのインテリアの配置や途中ルーシーの描いたピルエットの少女の絵が消えるところなど、伏線も考え尽くされている。特に前半は鮮やかな青色が目立ち、これはフェルメールの絵のような映像美を狙ったのかと思われた。演出では、最初のキャサリンがアンソニーと同時にベットに腰掛けるカットがいい。最後の場面でもキャサリンは、アンソニーと一緒に腰かけている。
アンソニーの視点から描かれた人物の謎と舞台変化の混乱が、映画的な面白さを誘発していることが先ず挙げられる。その上で主演アンソニー・ホプキンスの演技を味わう贅沢な演劇映画であった。個人的には、娘アンを演じたオリヴィア・コールマンも素晴らしいし、介護士キャサリンのオリヴィア・ウィリアムズの優しさに満ちた眼差しもいい。それと音楽の選択も渋い。パーセルやベッリーニの音楽は詳しくないが、ビゼーの『耳に残るは君の歌声』は久し振りに聴く。テナーの張り上げた高音のオペラ風ではなく、しっとりと切なく歌い上げた歌唱が映画の世界観にマッチしていた。調べると、シリア・デュボアというフランスのまだ若いテノール歌手と知る。このビゼーの名曲は、プラシド・ドミンゴやカルーソーも素晴らしいが、個人的にはアルフレード・クラウスが好み。でもやはり、この作品に合っているのは、このデュボアの情感を込めて落ち着いた歌い方であると思う。
ラストにアンソニーが、記憶を無くす自分を“すべての葉を失っていくようだ”と表現した。ラストカットは、陽光に照らされた新緑の木々がしなやかに風になびいて、一つひとつの葉が生き生きとそよいでいる。これは未だ10代か20代前半の人間の姿であろう。もう自分は半分以上の葉を失った年齢になった。それを想うと、もうその姿には戻れない怖さにゾットしてしまった。
迷路に迷い込むということ
良く出来ている映画だと思う。
観ていると、人間関係やら時間の流れについて、混乱してくる。新しく入ってくる情報を頼りに混乱を修正して正しく把握しようと試みるけれど、その修正したものは更にその次に入ってくる情報によって打ち消される。そうやって修正を繰り返す。
まるで頭の中が迷路に迷い込んだよう。
見進めると、わかってくる。リアルに起きていることはひとつだけなのだけれど(当たり前だけど!)勘違いをし、自分に都合の良い思い込みをし、忘れてしまっているだけなのだと。辻褄が合わないのはそのせいなのだ、と。
ボケるということは、こういうことらしい、これがリアルだったらキツイなぁと、貴重な疑似体験をさせてくれる映画。
映画では、わからないことだらけで途方に暮れていると、傍らで優しげな女性が「お天気いいからお散歩しましょうね」と穏やかに言葉をかけてくれる。
その場面に、妙に説得力を感じる。
何も不安がらなくてもいいですよ、わからなくてもいいですよ、
それより体を大切にしましょう、いま生きている、大切なのはそれだけです、
だからおひさまを浴びましょう、外に行きましょうね…。
考えてみれば、人生、生きているうちに色んなものが沢山くっついて凄く複雑で煩わしくなっているけれど、本来、本当に必要なものはそんなシンプルなことなのかもしれない、と思ったりした。
名優による、ぼやけていく世界
認知症になった老人の世界を、老人からの視点で描き出している映画。
認知症の人にインタビューしたわけでもないだろうに、その全てが曖昧になっていく感じが実にリアルに描かれている。
認知症とまでは行かなくても、老いていくと皆多少はボケる。
少し先の自分の親の話でもあるし、将来の自分の話でもある。
"老い"を受け入れるまでの物語
クライマックスに大きなネタバレがあるので、これを伏せてのレビューというのは中々難しい。
正直なところ、終盤までは退屈に感じてしまった。
認知症のアンソニーと、彼の強情さに翻弄されるまわりの人々、そのどちらにも感情移入してしまった。
その為、認知症高齢者の疑似体験…と言うほど主観的に入り込む事なく映画を見続けた。
しかし、ある出来事を経てここまでの印象がひっくり返る。アンソニーが見てきた世界や、彼自身への印象も大きく変わる事となった。
映画を見終えた今振り返ると、強情でいたアンソニーこそ、実はギリギリの一線に踏みとどまっていたのだと感じた。それを超えてしまってからの彼はもう。。
大衆向けエンタメと対を成す地味な映画ではある。
しかし、今後我々が必ず触れることになる"老い"。そしてそれを受け入れる過程を予習する意味でも、見る価値のある作品である事は確かだ。
アンソニーを演じきったアンソニー・ホプキンスの名演、その素晴らしさは見た者誰もが疑わざるを得ないだろう。
彼がアンソニーを演じたからこそ、この映画の余韻がより印象的に残るのだ。
この映画で 痴呆 を学ぼう
父親目線での進行は素晴らしいが、時おり 神さま目線にもなる。
最初はこういった混成は「観ていいる人間を混同させる」ので、ダメだと思ったが、
物語が進行するにしたがって、痴呆(ちほう)というものを理解するのには最適な手法だと気づいた。
実に素晴らしいシナリオ構成だ。
撮影も演出も完璧で、観ていて安心できる。
アンソニー・ホプキンスさんの演技も完ぺき。
日本版で対抗するなら、人生の終焉を描いた「生きる(監督:黒澤明)」でしょう。
そして、本作は”舞台映画”と言う事で、この実舞台を観てみたいと思った。
(レビューを消してしまったようなので、もう1度書き直しました)
実際経験上
うちの祖母も同じ感じ。
まだ認知症にはなってないが、思い込んだらそれが現実なる。
看れる人がいないと施設に入れて面倒みてもらうしか方法がない。
本人は帰りたがるが1人での生活はムリな為帰せない。
重なる部分多すぎて涙出た。
認知症を題材としたサスペンスフルな体感映像
アンソニーホプキンス演じる高齢の父が認知症を患い、その進行を追っていくヒューマンドラマの一種だろうと軽く見ていた これほどの傑作を見逃していたことを悔いた
認知症のアンソニーと娘アンの生活を俯瞰で追っていくうちに、見事にアンソニーの主観と入れ替わり、当人の混乱する様を見るだけではなく、体験することができる
これほどの洗練された映像演出は見たことがない
CGなど一切使わず編集と演出で見るものを引き込むだけでなく疑似体験させる その卓越した技法だけでなく、名優の演技が掛け合わさることで、変わり映えのしない映像かつ最小限のキャストにもかかわらず最大限の魅力を引き出せていると感じた
アンソニーの混乱と不安を体験することで、サスペンスフルな展開になり見ていて緊張してくる
こんなコンパクトな映画で新しい感覚に陥れたことがうれしい 映画の素晴らしさに改めて気づけた
すべての枝から葉を失うように・・・
俳優の演技力、映画の構成、舞台、どれをとっても極めて秀逸な作品がだった。
アカデミーをとったアンソニー・ホプキンスの演技力は人の感情を昂らせるほどのものであったし、娘のアン役のオリビア・コールマンをはじめとして他の役者も「自分の傍にいる他者」を演じ切っていた。
しかし、さまざまなコメントを見ていると、この環境に接したものではなければ理解できない世界かもしれないということも否定できない。
まず、言うべきことはこの世界には客観的な視点などないということだ。
おそらくはこの環境に一度として身を置いた経験のある者は言うだろう。
自分の「この」世界を確かなものだと信じたいがために、世界を自分とは異なる見え方を持つ者に対しては躊躇いもなく「たわごとで自分が正気を失いそうになる」と毒づく。おそらくは誰もがそうなのだろう。
自分の時計を「盗み」に来る者は、自分の生活を「奪い」に来る者だ。それはマーク・ゲイティス演じる男であり、ルーファス・シーウェル演じる男であり、また娘のアンもそうだった。
画面を通して私たちが受け止めるフラットの風景から私たちは彼の心象風景を映しとる。自分が誰であっても、周りのものが誰であってっも、私の世界は「私のフラット」そのものであり、それ以外の何ものでもない。
時間と空間、自分を「客観世界」に繋ぎ止めるものに揺らぎを感じた時、人は不安を覚えるものだ。この世界を、当然であるかのように思い生活している日常性こそが、フィクションであることに気づかなければならないにもかかわらず、それに目を向けない。
ここに書かれているレビューのほとんどが見当違いのこのをしているのだが、それもまた客観世界のフィクションを証明していることだと思ってしまう。
だから、その「ずれ」を直すため、側から見れば見当違いなあり方で、それはレコードの飛びを直すのと同様にCDを丁寧に拭くことと同じ作業を繰り替すことでしかできないのかもしれない。
俳優の演技力、映画の構成、舞台。
私たちの日常は、父親アンソニーの言葉にもあり、それは俳優アンソニーの言葉でもある。
他の者たちの言葉もまた役の上の言葉でもあれば、一人ひとりの役を超えて私たちがけとめる「実在」の言葉でもある。
最後の最後に誰もが「世界」を共有し合う言葉を持ってきたのは、この作品が名作であることの証左でもあった。
The Fatherが繰り返すMom(Mother)。
これは、私たちがMatrixに哀哭する瞬間が共通にあることを痛切に思い知らされた瞬間でもあった。
人間の温かみを感じる確かな映画
この映画を観た誰もが、アンソニーホプキンスの芝居に圧倒されると思うが、他の出演者の演技もいい。 映画の構成が巧みで、ホプキンス演じる認知症の老人の心を追体験しているような気持ちになる。 自分を失ってしまう不安や恐怖、そして悲しみの感情で、終始心が揺さぶられ続けた。
母を自宅で見送った記憶が新しい私には、 介護していた時に感じていた不安や絶望感などの感情が次々と蘇ってきて、正直、胸が苦しかった。 母が存命中にこの映画を観ていたら、もっと優しく接することができたのにーという思いにもかられた。
監督は想像していたよりも若い42歳。 才能のある芸術家の想像力の豊かさとは、本当に凄いものだと思う。
我 々人間は、現実の前には全くの無力だ。 それでも、人間には確かに温かみがあるのだ。 それを思い起こさせてくれた、確かな一本だった。
圧倒的全人類鑑賞推進映画
今まで邦画洋画様々な認知症を題材とした作品を
観てきましたが、ここまで胸に鉛のような
苦さと重さを感じた作品はありません。
自分だったら、または自分の周りの大切な人が
こうなってしまったら、そう考えずにはいられない…。
ただ作品を楽しむことは難しい。
それくらい他人事ではなさすぎます。
そしてなんと言っても素晴らしいのが
アンソニー・ホプキンスの演技力。
ほんとに瞳の揺らぎから佇まい、指先に至るまで
非の打ち所なし!!!!なんて魅惑的なのでしょう。
これからも人間として生きていくなら
絶対絶対絶対見るべき。
もしも自分がその立場になった時、
この作品を知っているか知らないかで
優しさや思いやりに必ず違いが出ます。
自分や周りに愛を持って生きるために、
欠かせない映画のひとつです。
不安と恐怖
アンソニー・ホプキンスの演技が光っています。認知症患者の視点から描かれた本作は我々の心に深く刺さる名作です。静かに流れゆく時間の中で時に知らない人物が登場し、知ってた人物が居なくなり、場所が変わる。どんなに不安で、心細いか。怖くて切ない。
ドーターでもいいかな
2021年12月3日
映画 #ファーザー (2020年)
認知症の方の視点から、認知症による症状を描いた作品
認知症の方って表情とか乏しくなるところを #アンソニー・ホプキンス が上手く演じている
自分がこうなるかもしれないと思いながら見ると怖くなる
一種のサスペンスにも見える映画ですね
傑作です
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