ゴッドファーザー 最終章 マイケル・コルレオーネの最期 : インタビュー
フランシス・フォード・コッポラ監督、酷評された「ゴッドファーザーPARTIII」再編集の理由と娘ソフィアへの思い
「ゴッドファーザー」(1972)と「ゴッドファーザーPARTII」(74)といえば、映画史に燦然と輝く紛うことなき傑作である。だが、「ゴッドファーザーPARTIII」(90)となるとだいぶ格が下がる。同じシリーズを同じクリエイターが手がけているにもかかわらず。
本作に対する批判をいまさら蒸し返すことは控えるが、前作から16年もの年月を経て期待が高まってしまったことや、ソフィア・コッポラの起用が身内びいきと映ってしまったことも、この映画に対する評価を厳しくした要因といえるだろう。いずれにせよ、当時「ゴッドファーザーPARTIII」を視聴した人のなかに、再見した人はほとんどいないはずだ。
だが、本作を手がけたフランシス・フォード・コッポラ監督は違った。彼は「ゴッドファーザーPARTIII」を見直すばかりか、再編集を実施。タイトルを「ゴッドファーザー 最終章 マイケル・コルレオーネの最期」に変え、全米公開30周年記念として公開することにしたのだ。
映画.comは、米ナパバレーの自宅にいるコッポラ監督にZoomを通じてインタビューを敢行。本作が生まれた経緯とかけた思いを語ってもらった。(取材・文/小西未来)
――まず、「ゴッドファーザーPARTIII」の製作を引き受けた経緯を教えてください。
もともとはやりたいとは思っていなくて、第3弾があるべきだと考えるまでにずいぶん時間が必要だった。当時、私はたくさんの困難に直面していた。スタジオを失い、大きな破産を経験していたので、経済面を立て直す必要があった。大家族を抱えていたしね。それで、この企画にイエスと言ったんだ。「ゴッドファーザーPARTIII」を作り、それが成功してくれれば、生活が安定するものと期待してね。
――前2作が傑作として崇拝されていることに、プレッシャーは感じませんでしたか?
プレッシャーはいつでも感じている。映画ビジネスでは、映画ファンに作品を気に入ってもらわなくてならない。そうしなければ、映画作りを続けられなくなる。どれだけいい作品を作ったと思っていても、それが観客に受け入れられなければ落胆するし、自分の作品がもはや観客に通用しないのではないかと不安を抱くことになる。だからもちろん、プレッシャーは感じていたよ。
――「ゴッドファーザーPARTIII」公開時の反応はあまり良くありませんでしたが、あなた自身の手応えはどうでしたか?
アメリカではクリスマスに公開された。それに間に合わせるために、ものすごいスピードで仕上げなくてはならなかった。これほど複雑な映画を猛スピードで仕上げたから、自信を持てない状態で公開せざるを得なかった。もし、もう1カ月間作業してもいいと言われていたら、どれほど幸せだったかと思う。だが、自分の仕事はそういうものだし、とにかくベストを尽くした。
さらに言えば、タイトルに満足していなかった。脚本には「THE GODFATHER, CODA: THE DEATH OF MICHAEL CORLEONE」というタイトルを付けていて、ぜひともそのままでいきたかった。でも、スタジオは前2作の流れを汲みたいと言った。ちなみに、PART I、PART IIというタイトルでシリーズ化するのは、私たちが生みだしたんだ。それが、無数のハリウッド映画にコピーされるようになった。
――そうだったんですか!
うん。それで、スタジオは本作を「PART III」と呼びたがった。そうすれば、「PART IV」「PART V」と続けていくことができるからね。だが、私は納得していなかった。
タイトルに反対したもう1つの理由は、これを3番目の映画とは考えていなかったからだ。本作はある種のエピローグで、前2作のまとめのような位置づけだ。だからこそ、「ゴッドファーザー」「ゴッドファーザーPARTII」の次は、締めくくりを意味するコーダという名称をつけた「ゴッドファーザー・コーダ」が相応しいと思っていた。でも、そのアイデアが却下されてしまったんだ。
――当時、あれほど批判を受けた一因に、タイトルがあるかもしれませんね。「PART III」と言われてしまうと、前2作と同じ重みや深みを期待してしまいますから。
それはあるかもしれない。公開からずっと時間が経ってから、タイトルを「THE GODFATHER, CODA: THE DEATH OF MICHAEL CORLEONE」に差し替えてみた。つい最近のことだ。すると、途端に面白くなった。
このタイトルに合う最初のシーンは何だろうと考えたよ。旧バージョンではたくさんのシーンがあったんだが、本作ではマイケルとバチカンとの取引を明白にすべきだと思った。それで、マイケルがバチカンで交渉する場面で幕を開けることにした。そうすれば、観客はすぐに取引内容が分かる。それによって勲章を受けたマイケルは、子どもたちに手紙を書く。お母さんを連れて一緒にこっちにきなさいと。こうしたシーンを最初に並べることで、マイケルがなにを求めているかを明白にした。彼は、「PART II」での行動で失った家族を、取り戻そうとしているんだ。そうやって、編集作業を進めていったんだ。
今回の編集は古いセーターの修復のようなものだと思っていた。ほら、古いセーターだと糸が飛び出てしまうことがあるよね。ほつれを直そうとあれこれしているうちに、結局、新しいセーターを編んでしまっていた(笑)。
――パラマウントからアプローチがあったわけじゃないんですね。
あくまで自分のためにやっていたんだ。その後、パラマウントに話を持ちかけた。「ゴッドファーザーPARTIII」から30周年だし、「ゴッドファーザー」からはもうすぐで50年周年だ。だから、この新たなバージョンを公開するのも悪くないんじゃないだろうか、と提案した。彼らはとても寛大で、ぜひお願いします、ということになったよ。
――本作では、いまでは映画監督として活躍している娘のソフィア・コッポラさんが役者として大抜てきされています。もともと女優志望だったのですか?
ソフィアは幼いころからとても才能のある子で、なんでもやっていた。物語を書いたり、写真を撮ったり、美しい絵を描いたり。当時は、画家を目指していたと思う。アートスクールに通っていたしね。だが、女優になる願望などまるでなかった。
――そんな彼女をどうして本作に引き入れたのですか?
(メアリー・コルレオーネ役を演じる予定だった)ウィノナ・ライダーが参加できなくなったためだ。彼女に「気分が良くないから、参加できない」と告げられたとき、撮影続行が不可能になった。彼女のスケジュールに合わせて3週間ものあいだ、別のシーンを撮影したりして時間稼ぎをしていたのにね。それで、撮影を中断せざるを得なくなった。ほかに撮影できるものがなくなってしまったから。パラマウントは、彼女はどうだ、こっちもいいぞと、いろんな女優を推薦してきた。だがみんな30代だった。 私にとってメアリーという役は、18歳の幼い娘である必要があった。成長した大人の女性じゃない。若い女の子が従兄弟に恋に落ちるという設定だからこそ、「すぐに冷めるさ」「彼女はまだ子どもだから」というセリフが通用する。だが、パラマウントが推薦してきたのは、33歳や32歳の女優たちで、若く見せても、せいぜい27歳が限界だった。
それに引き替え、ソフィアは本物のティーンだ。しかも、幼いころから演技経験があった。「アウトサイダー(1983)」や「ランブルフィッシュ」「ペギー・スーの結婚」もそうだ。いつも楽しんでやってくれていた。ソフィアにとって映画出演はゲームに過ぎない。その流れで、彼女にやってもらうことにしたんだ。実際、彼女はとても共感できるキャラクターを演じてくれたと思う。
――ですが、マスコミからは叩かれました。
批評家たちが彼女をバッシングしたのは、バニティ・フェア誌の記事がきっかけだと思う。役者が交代したあとに、記者がセット取材に来たんだ。そのとき、メアリー役のキャスティングをめぐり、私とパラマウントとの間で意見が対立していたことを聞きつけた。そして、その件をセンセーショナルに書いて、ソフィアに対する反感を煽った。
そのせいで、映画を見る前から彼女は批判にさらされた。身内びいきされたとね。あれはひどかった。17歳の少女が、「きみのせいでお父さんの映画が台無しになった」などと言われたんだから。つくづく、あれほど残酷なことはないと思う。この映画のストーリーと同じだ。父親に向けて放たれた銃弾が、娘を直撃したんだ。
――いまでは傑作と名高い「ゴッドファーザー」と「ゴッドファーザーPARTII」も公開時は批判にさらされたそうですが、本作も30年の年月と新たな編集を経て、ついに正当に評価されそうですね。
心からそう願っている。とても感動的な物語だと思うから。私自身、この映画を涙なしに見ることができない。マイケルが迎える死は、本物の死よりもひどい。彼の魂が死ぬわけだからね。