ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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喜怒哀楽のバランスが崩れた時に人は自分を見失う。
傷つくことから自分を守り生きていく。
感情で走るタイプの俺には大人な男に思える。
感情でばかり生きてたら、トラブルし‥
でも、感情を押し殺しきりながら活きいきと生きれないのも人間の事実。
何が正解とかではなく、何が起きても生きてる限りは前向きに笑顔で、誰かの為に仕事しよう。
自分の仕事でモチベーションが下がった時、俺もこの考えを忘れないようにしよう。
長いけど、耐えれた。
初めて、「演劇ってものを観に行ってみたい」と思わせてくれた映画でした。
イケメンサイコパスのブルース
濱口監督は、前作の「寝ても覚めても」で東出をつかい
サイコパス、
人格者、
という二面を描いた。
それが、現実においては東出のサイコパス性が浮き彫りになってしまう事件につながってしまった。
今作品においては、そのサイコパス性と人格者の側面は、一人の人間のなかで共存している。ということを強く訴えていたように感じる。
ある意味、逆風によりテイクオフしたような映画なのではと感じた。
少し長い。
〝勘違い〟によってしか情緒が着地しない映画として
正直な感想を書きたいと思う。
映画である必然性が感じられなかった。
後で思い返した時、この画面の時、この台詞だったよね、という印象が、あまり強くない。
台詞と映像が解離している感じの印象を受けてしまう。
映像は映像で美しいと思う。
ただ、その映像が映画としての文脈になっていたのか、思い返すと違和感を感じる。
文体はあるのに文脈にはなっていない感じを思ってしまう。
台詞の語尾は意図して疑問形かそうでないのか、ふわふわさせていると思うのだが、それによって情緒的な映画では無くしたとしても、映像と台詞を印象として繋いで欲しかった。
ジャン・リュック・ゴダールが「車と女と拳銃があれば映画が出来る」と述べた言葉は有名だが、
個人的に日本映画は「車とSEXと三角関係があればつまらない邦画が出来る」と思っている。(自分はこれを「日本映画死のトライアングル」と呼ぶ)
そういう意味で、ドライブマイカーも、内容をざっとあらすじで聞けば、どこかの呑み屋でも聞くような物語に、自分としては感じる。
自分の知る限りだが、あの手話は、正確な手話であるのか、よく知らない。
どこかでオリジナルの手話だった、みたいなことも読み、もしそれが本当ならひどいな、と思わざる得ないと感じた。
「コーダあいのうた」以上に手話への演出依存度が高かったように思う。
それだけに、実際の聾の方へ伝わる手話をするべきだったと思った。
環境音の方がよっぽど饒舌だった。「ロボット」と劇中内でメタ的にも劇における演出への注釈のような形があり、意図的とは分かりつつも、音程を外すことの無い上手なカラオケを聴いてるみたいで、とりわけ心を動かされることは無かった。
もしこの映画を観て、感動や涙があったのなら、その観た方の心情が乗っかったのであり、この映画そのものの機能に泣いたのではないようにも感じる。
観た方の〝勘違い〟によってしか情緒が着地するところを、自分は見つけられない、そんな心持ちになる映画だった。
それが「映画的」、と言われてしまったらそれまでだが、個人的にはそんなに好きな映画じゃなかったな、という印象だ。
せめて二時間ぐらいにして欲しかった。
ラストシーンの解釈
これは村上作品というより、村上作品を下敷きにして膨らませた濱口監督作品だった。
とくに印象的なラストシーン、これは映画オリジナルのもの。みさきの生きてきた背景を想像するとじーんとする。
——でも、仕方がないわ、生きていかなければ!
ね、生きていきましょうよ。
長い、果てしないその日その日を、
いつ明けるともしれない夜また夜を、
じっと生き通していきましょうね。
運命が私達に下す試みを、辛抱強く、
じっとこらえていきましょうね。
今のうちも、やがて年をとってからも、
片時も休まずに、人のために働きましょうね。
そして、やがてその時が来たら
素直に死んでいきましょうね。
あの世へ行ったら、どんなに私達が
苦しかったか、どんなに涙を流したか、
どんなにつらい一生を送ってきたか、
それを残らず申し上げましょうね。
すると神様は、まあ気の毒に、と
思って下さる。
そのときこそ、あなたにも私にも、
明るい、素晴らしい、なんとも言えない
生活が開けて、まあ嬉しい!と
思わず声を上げるのよ。
そして、現在の不仕合せな暮らしを
懐かしく、微笑ましく振り返って
私達、ほっと息をつけるんだわ
わたし、ほんとにそう思うの。
ほっと息がつけるんだわ!——
(ワーニャ伯父さんより)
気に入った車で、いままで飼えなかった大好きな犬と一緒に、生活したことがなかった国で、、そしてマスクをしなくてはいけない今を生きる。あれはみさきの理想郷なんだろうな。家福が指揮する舞台のワーニャ伯父さんのラストシーンでソーニャがいう、あの世で受け取る素晴らしい世界の希望にかけてるんだろう。
みさきのぶっきらぼうで中に秘める温かな役柄と、このラストシーンはとくに良かった。
ただ…村上原作作品にありがちな性描写のシーンが長いのが好みでなく、原作ファンとしては原作との違いがどうしても気になってしまった。
まったく違うものとして観れば、もっと単純に楽しめたんだろう。
きちんと傷付くということ
序盤で妻の不倫を目撃、そして妻が脳梗塞で急死
という事件があるのだが、そのあとの2時間以上は広島での芸術祭でのチェーホフの戯曲を演出するためのオーディションや稽古風景がドキュメントのようにつづいていく
繰り返される棒読みのセリフ
無表情な人々 流れる景色
外国語や手話が混ざり合い進む稽古
パラドックスに迷い込んだかのような感覚
自分の知らない妻を知っている男
他人を理解することなんてできない
大切なのは自分を深く知ることだ
その為に傷や悲しみから目をそらさず
きちんと傷付くこと
真っ白な雪の中に停まる赤いSAAB
静寂
空想話を口にしては男性とセックスし
次の日忘れてしまう女
10歳のサチという別人格でしか娘と遊べない女
狂っているのか演技なのか
でもその女を信じるしかなかった2人の人間
傷を癒すには傷をしっかりと受け入れるしかない
ラストの家福のステージシーンで手話の少女の台詞
そして韓国で顔の傷がなくなり
どこか晴れ晴れとした表情で車にのる
ドライバーに
残された者たちが生きることに少しの光を見出した事を示唆する美しいエンディングでした。
マイケルベイ監督だったら
こんなストーリーだったら90分もあればいいでしょ?という内容。観る人を選ぶ作品なのでたいていの人は途中で寝てしまう事、確実。原作、村上春樹特有の喪失と再生がテーマをしつこく描く。イマドキ、不倫浮気セッ○ス依存症?な奥さんを亡くしたからってメソメソと。ハリウッド映画なら間違いなくあの女性ドライバーと関係を持つけど、そこは日本映画、北に向かうし。この手の作品がアカデミーインテリ会員が好むのね。
チェーホフが埋める喪失感
四半世紀来の村上春樹読者でありファンですが、チェーホフ戯曲は読んだことも観劇したこともありませんでした。村上作品は陳腐な言い方ですがその喪失感に共鳴し、その隙間を埋める工程、過程にこそきっと生きることの意味が見出されるものなのだろうと受け止めていました。劇中劇であるチェーホフ劇に、村上作品を読んで自分が埋めようとしていたその喪失感を埋めるべき生き方とその意味がそのまま語られていました。驚き、自分の無教養を恥じました。濱口監督とこの作品に感謝です。映画として映像も印象的でした。演劇にも行かなければもったいないと思わせていただきました。ほんと、良い映画でした。
長く感じない
田舎では公開してなかったのに、オスカー効果でリバイバル公開。原作は未読。
三時間長いなと思って見始めたが、引き込まれて長く感じなかった。ゆっくり話が進んでいくが、そのまったり感がこの映画に合ってるかも?ストーリーはチェーホフの戯曲「アーニャおじさん」がキーとなり進んでいるが、やたら重い過去やしがらみを背負った人が苦しみながら生きる様が戯曲と重なる。もちろん、演者たちの熱演が見事でストーリーに説得力を持たせている。ラストの劇中のセリフがこの映画のテーマなのかな。苦しみながらでも人は生きていく。
岡田将生さんも良かったけど、不器用な感じの三浦透子さんも良かったよ。何気に妻の話したシナリオが気になって残っております。
映像や雰囲気は良かったです。
原作も知らないが、
映画は珍しく
途中で飽きはなく観れました。
エンディングは個人的に
そういうのやめてくれ〜と
思いました。なぜなら、
本編とエンディングが
つながる様なヒントを
もう少し出して欲しかった
からです。
映像、雰囲気は好きでした。
エンディングもドライバーも。
ドライバー役の三浦透子さんが
田畑智子さんと似てて
最初間違えてました。
追記〜
賞を取った話題の日本映画だからと
家族で観に行くと、
最初の方はず〜とエッチな
シーンが続くので、
気をつけるべし。
文学的な作品
配役、演技はとてもいい
演出もいい
内容は(当たり前だが)村上春樹作品だなという感じ
妻を愛しているが故に、深く向き合えず、結果として自分自身とも向き合えず後悔を抱えたままの家福。
そんな彼が共通する過去を持つドライバーのワタリ、感情をありのまま出してしまう高槻との接点を通じて自分と向き合い、泣きながら、苦しみながら生きていくことを決意する作品。
感情の描写が丁寧で違和感なく楽しめた。
清く正しい人間関係で人生がつまらない人たちへ送る映画
チェーホフの舞台劇の感情を排した棒読み演技の指導が象徴するように、感情的な対立を避けていった人が陥った喜怒哀楽不在の人生喪失劇。でもチェーホフの劇は本当はものすごい感情的な家族劇。棒読み演技指導との面白いコントラスト。
現代日本人のエチケットと思われている感情押し殺しの人間関係の在り方に対するアンチテーゼのような映画。
感情を表に出さず、たとえ不快なことがあっても素直に相手に気持ちを伝えず、自分の中にしまっておこうとする人間関係の在り方は人生を不毛にしますよっていうメッセージが伝わってきた。
妻の浮気にムカついたら怒る!1人目を亡くしても自分が2人目が欲しければ作る!母親の虐待にムカついたらキレる!反抗する!それが舞台俳優の西島さんと運転手の三浦さんの2人には必要だった。チェーホフの劇はまさに感情吐き出しの家族争い劇。それを舞台役者としてしかできなかった、そして遂には演じられなくなった皮肉な西島さん。それに付き添って観客としてみてる三浦さん。
最後に、三浦さんは感情的表現やコミュニケーションが物凄く得意な国、韓国へ移住。
一方、唯一感情的に行動する能力のある岡田将生は、未成年とのセックススキャンダルと、ウィル・スミスみたいな暴力で犯罪者に。やっぱ奔放すぎてもダメ!
感情に素直になれよと訴えかける『ドライブ・マイ・カー』が賞を獲り、感情的になってビンタしたウィルも賞を獲ったが危ういことに。なんとも皮肉。岡田将生とウィル・スミスがかぶってしかたない。
じゃあ、どうすりゃいいの?
別に答えはないよ!という放り投げの映画でもある。生きたいように生きよう。でもその責任は自分で取りなさいとしかいってない、突き放しの冷たさが、残りました。
そんなに奥さんの形見の赤いサーブのクルマを、死んだ奥さんを愛してるなら、クローネンバーグの『クラッシュ』みたいに、愛するクルマ内で、カー〇〇〇〇を、生前に奥さんとすればもっと分かり合えたかも。こんな変態なことは、現代日本の清く正しい人間関係エチケットとしては、頭にセーブをかけてしまうだろう。だけど、人間とは変態であり、バカなのであるから、それは普通だとか変態だとかの話ではもはやない。それは人間にとって必要なことなんだから。
岡田将生はその一線を超えることができただろうし、岡田が西島の妻と浮気していたに違いないのである。岡田がチェーホフの劇で主役であったように彼は必要なキャラクター。そして、サーブは、セーブとかけたんだろう。そう思いました。
映画としては…
受賞したから手放しで誉めるというつもりはない。
映画にはエンタメ性と芸術性が同居するから、万人受けするものが映画として優れれているとは限らないからだ。
本作を観た感想は、やはりエンタメではなく賞を獲りにいこうとしているように感じた。
約3時間という上映時間もそうだし、海外でも有名な村上春樹氏の原作を用いている事もそうだ。劇中に多様性を持ち込んでいる事もその一つに思える。
総じて言うと途中までは素晴らしいと思った、妻である音の裏の顔を知りつつも目を背け、愛する妻を手放したくない家福のバックグラウンドを丁寧に描き、妻の死で一幕目が終わる。
そこから二年後、キャストやスタッフのクレジットと共に物語が始まる。つまり、妻の死までは長いプロローグでそこからこの映画の物語は始まるという事なのだろう。
この映画のテーマである【喪失と再生】を描く為に、丁寧に心情を積み重ねていく作り方は理解できるし、劇中の演劇のセリフを用いて再生していく為に必要な言葉は、表現として理解できる。
ただやはり長すぎると思った。3時間近くある名画はいくつもあるが、この作品に関しては長いと思った。既にお腹がいっぱいで終わるかなと思った所から3回程始まる感じがして、最後は疲れてしまった。
賞を獲りにいく映画を作って、カンヌやアカデミーで受賞したのだから、作り手としては狙い通りなのかもしれないが、エンタメ性をもう少し考慮するのであれば、あと最低でも30分、出来れば40分ほど切って2時間20分くらいの上映時間であれば名作になったのではないかと、個人的に思う。
ラストは二人それぞれの再生を見せる必要があるのは分かるので、家福は戯曲をかすみは左頬の傷を消し犬を飼っていた韓国人夫婦と近しい生活をしているのか…。
重厚なヒューマンドラマ
久しぶりの5つ星を付けました。
鑑賞のきっかけはもちろんアカデミー賞や
その他海外からの高い評価を得た事で、
イオンシネマで上映されているのを知り
急遽観に行きました。国内での評判は
それほど高くなかったようですが、私は
大変感動した作品です。長いストーリー
(原作はたったの50ページ程度とか?)
ですが、これ実は最後の方に全て伏線が
繋がっていきます。韓国手話の劇模様が
特に感動的で、ここは少しウルっと来ました。
世界が認めた映画、お時間ある方は是非
劇場鑑賞をお勧めします。
伝統は生きています 確かに継承されていると感じました このような映画が今後も途切れることなく、撮られていくことを切に望みます
素晴らしい傑作です
アカデミー国際映画賞を始め数々の国際的な映画賞を総ナメにするのは当然と思います
3時間は少しも長いとは感じませんでした
劇中劇のチェーホフの「ワーニャ伯父さん」の台詞が本編と妙なシンクロを始め出します
アジア各国からオーディションで選ばれた俳優達がそれぞれの役を別々の自国語で演じながら、「ワーニャ伯父さん」を上演することの意味
果ては手話だけの女優まで登場させるその意味
俳優達は数か国語がとびかう舞台の上で、台詞ではなく、相手役の感情や動作だけをみて反応してゆかねばならないのです
つまり言葉には意味がないと言うことを表現しているのだと思います
夜の車中での家福と高槻の長い会話の圧巻さ!
そのとき家福の知らない物語の続きを語るシーンは長く記憶に残るものでした
なんという表情と声の演技!
それを撮るカメラのレンズ!照明の凄さ!色彩!
妙に寒々しい色温度での撮影は、家福の心象風景を表現すると同時に、このシーンの破壊力を増す為でもあったのです
そして終盤の北海道の寒村のシーン
心の奥底に押し込めて見ない、知らないことにしていたことの恐ろしさにようやくたどり着いたのです
「真実はそれがどんなものでもそれほど恐ろしくない。いちばん恐ろしいのは、それを知らないでいること」
そこに考え至る過程の二人の苦しい灰色の年月のあまりの長さを、広島から、北海道への長距離ドライブのシーンで表現してみせるスマートさ!
冷たい無彩色の雪原の中で、二人はついに真実を知るのです
ラストシーン
家福の車をみさきが独りで運転して韓国のスーパーに買い物に出ています
犬も連れています
その表情はそれまでの固い無表情なものでなく、柔和なものになっています
外は温かい陽光が降り注いで、道はどこまでもまっすぐなのです
他の車すらいないのです
二人に何が起こったかの暗示です
後味も素晴らしい終わり方でした
日本映画らしくない、日本映画界の異端の映画だといわれているそうです
昨今の日本映画の現状からすればそうなのかも知れません
でも自分には1950年代、1960年代の日本映画の黄金期
アカデミー外国映画賞を受賞したり、ノミネート作品が幾つもでた頃の日本映画の味わいがあると思うのです
伝統は生きています
確かに継承されていると感じました
このような映画が今後も途切れることなく、撮られていくことを切に望みます
凍っていた心がほどけて溶けてじんわり暖かくなる、静かで優しい映画
良かった。いい映画だった。
3時間を一緒に過ごしたのもあってか、登場人物たちの内面の部分をのぞいてどっぷりと浸かったような印象。車の中での静かでゆっくりした染み入るような時間が心地よかった。終盤の雪のシーンくらいから一気に引き込まれて、気づけば夢中になって画面を観ていた。
劇中で高塚が、音と家福について、「細かすぎて伝わらない部分を大切にしている」というような(うろ覚え)表現をしているところがあった。西島秀俊やみさきさん役の女性が、表情も口調も淡々としていて無味なのに、こまかな表情で表現している感じがしてよかった。
終盤に近づくにつれて、凍っていた心がほどけて熱していくような演技や演出がよかった。ゴミ処理場で、雪のようなゴミが、燃えていくというシーンがあって、伏線だったのかなと思って印象に残ってる。
雪の北海道でのシーンに入る時、「静寂を聴く」時間があった。「補聴器をつけたときのような静寂」(女子高生が好きな男の部屋に入った時にあったら表現だったと思う。かなりうろ覚え)って、音さんの紡いだ言葉の中で出てきたような気がして気に入ってたので、そこと繋がるのかなーとか思ったり。
劇の良さも、本の良さも、映画の良さも、ある映画だった。
手話を使う女性は、聴こえるの?聴こえないの?読唇してるの?と少し引っかかった。見逃しただけで、劇中で説明があったのかな。多言語の1つに手話があるというという意味合いだと思うけど、実際あの劇のように、手話を用いている役者とスクリーンに字幕が出るというやり方だと、どっちに注目すればいいかわからなくて劇に集中できなくない?とか余計なことを考えてしまった。
む、難しい映画…
話題になっていたので早速観てきました。180分と長編なのでどうなのかなーと思ってましたが、多言語を使う演劇と映画のストーリーがシンクしていくような映画です。
正直理解するのがものすごく難しい映画だなーというのが正直な感想。合う人には合う。そんな映画だと思います。
長えなぁ…
この映画を説明してと言われると難しい
他のアカデミー作品は○○な映画と説明可能だがこの映画にはない、ある意味それが国際賞しか取れなかった所以かもしれない
だからといって酷い訳ではない、作品の山場という山場は正直ないが、ずっと心地いいクラシックを聴いている感覚になる
長い上演時間3時間も意外と苦ではない
"ドライブ"と付くくらいだからそういうシーンが多いのだろうと思うが、そうではない
映画の半分は演劇関連のシーンだろう
面白いかと言われればノーだが、その分ドライブのシーンはまだかまだかと気持ちを高揚させる
高速で普段車で吸わないタバコを吸うシーンは喫煙者はたまらないシーンだと思う
鑑賞後、観た後誰かにこれを強くオススメしたい!映画.comにレビューを書き込もう!そう思う人は少ないと思う「長えなぁ…」そう思うのが普通である
だがふと帰りの車に乗る時、帰宅途中の喫煙所でタバコに火をつける時、あるいは寝床に着いたふとした瞬間こう思うだろう
『いい映画を観たな』と、
是非劇場で。
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