劇場公開日 2021年8月20日

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「〝勘違い〟によってしか情緒が着地しない映画として」ドライブ・マイ・カー タニポさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0〝勘違い〟によってしか情緒が着地しない映画として

2022年4月4日
iPhoneアプリから投稿

正直な感想を書きたいと思う。

映画である必然性が感じられなかった。

後で思い返した時、この画面の時、この台詞だったよね、という印象が、あまり強くない。
台詞と映像が解離している感じの印象を受けてしまう。
映像は映像で美しいと思う。
ただ、その映像が映画としての文脈になっていたのか、思い返すと違和感を感じる。
文体はあるのに文脈にはなっていない感じを思ってしまう。
台詞の語尾は意図して疑問形かそうでないのか、ふわふわさせていると思うのだが、それによって情緒的な映画では無くしたとしても、映像と台詞を印象として繋いで欲しかった。

ジャン・リュック・ゴダールが「車と女と拳銃があれば映画が出来る」と述べた言葉は有名だが、
個人的に日本映画は「車とSEXと三角関係があればつまらない邦画が出来る」と思っている。(自分はこれを「日本映画死のトライアングル」と呼ぶ)
そういう意味で、ドライブマイカーも、内容をざっとあらすじで聞けば、どこかの呑み屋でも聞くような物語に、自分としては感じる。

自分の知る限りだが、あの手話は、正確な手話であるのか、よく知らない。
どこかでオリジナルの手話だった、みたいなことも読み、もしそれが本当ならひどいな、と思わざる得ないと感じた。
「コーダあいのうた」以上に手話への演出依存度が高かったように思う。
それだけに、実際の聾の方へ伝わる手話をするべきだったと思った。

環境音の方がよっぽど饒舌だった。「ロボット」と劇中内でメタ的にも劇における演出への注釈のような形があり、意図的とは分かりつつも、音程を外すことの無い上手なカラオケを聴いてるみたいで、とりわけ心を動かされることは無かった。
もしこの映画を観て、感動や涙があったのなら、その観た方の心情が乗っかったのであり、この映画そのものの機能に泣いたのではないようにも感じる。
観た方の〝勘違い〟によってしか情緒が着地するところを、自分は見つけられない、そんな心持ちになる映画だった。
それが「映画的」、と言われてしまったらそれまでだが、個人的にはそんなに好きな映画じゃなかったな、という印象だ。

せめて二時間ぐらいにして欲しかった。

タニポ