ポゼッサー

劇場公開日:2022年3月4日

ポゼッサー

解説・あらすじ

鬼才デビッド・クローネンバーグを父に持つブランドン・クローネンバーグ監督の長編第2作。第三者の脳に入り込む遠隔殺人システムを使う殺人者と、人格を乗っ取られた男との生死をかけた攻防を、冷徹で研ぎ澄まされた映像や過激な描写の数々とともに描くSFサスペンスノワール。殺人を請け負う企業に勤めるタシャは、特殊なデバイスを用いてターゲットとなる者の近しい人間の意識に入り込み、ホストとなるその人物の人格の所有者(ポゼッサー)となって殺人を遂行する。無事にターゲットを仕留めた後は、ホストを自殺に追い込み、意識から離脱する。請け負う殺人はすべて速やかに完遂してきたタシャだったが、ある男の意識を乗っ取ったことをきっかけに、タシャのなかの何かが狂い始める。主演は「マンディ 地獄のロードウォリアー」「ザ・グラッジ 死霊の棲む屋敷」のアンドレア・ライズボロー。意識を乗っ取られる男を「ファースト・マン」「ピアッシング」のクリストファー・アボットが演じた。

2020年製作/103分/R18+/カナダ・イギリス合作
原題または英題:Possessor
配給:コピアポア・フィルム
劇場公開日:2022年3月4日

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(C)2019,RHOMBUS POSSESSOR INC,/ROOK FILMS POSSESSOR LTD. All Rights Reserved.

映画レビュー

4.0 クローネンバーグの創造的破壊は、2世監督だけでなく現代の観客にも受け継がれた

2022年3月8日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

怖い

興奮

ブランドン・クローネンバーグ監督の長編第2作となる「ポゼッサー」は、デビュー作「アンチヴァイラル」にもまして父デビッドの影響を感じさせる強烈な映像作品となった。デビッド・クローネンバーグ監督は1980年代から90年代にかけて、特殊メイクやメカトロニクスを活用して異形者への偏愛や人体損壊をはじめとする残虐な描写を追求し、サスペンスホラーの領域にありながら独特の美意識と世界観でジャンルを超えてファンを獲得した。ハリウッドでCGによる視覚効果が普及していった90年代以降、流れに逆行するかのようにVFXに頼る作品が減り、人間の内面、心の闇に迫るサスペンスドラマを多く手がけていったのも興味深い変化だった。

さて、息子ブランドンが脚本も兼ねた本作も、人格を乗っ取る技術というSF設定や、主人公が他人の体を乗っ取って遂行する殺傷の過激なバイオレンス描写で、一時代を築いた偉大な父の影響を逃れられない血の宿命のようなものを感じさせる。さらに言えば、これ見よがしなCGの利用は避け、殺傷場面で損壊される身体の特殊メイクや、手作り感のあるマスクを使った心理描写など、アナログな手法にこだわっているのも、やはりデビッドの美意識を受け継いだことをうかがわせる。

そして、「ポゼッサー」の映像表現に心をざわつかせながらも魅了されてしまうとすれば、その観客もまた、直接的、間接的にデビッド・クローネンバーグの創造的破壊の影響下にあるのではないか(デビッドの諸作を未見の人でも、デビッドに影響を受けた監督の映画を観た可能性があるという意味で)。一ファンだった評者も、ブランドンの作風に懐かしさを覚えつつ、いつか父を超える映像作家になってほしいと期待している。

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高森 郁哉

3.0 オシャレ演出なのに暗重い。

2025年8月17日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

難しい

驚く

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かなりあ

3.0 父より伸びるかも。

2025年5月30日
iPhoneアプリから投稿

配信初見。
終盤で混乱倒錯し過ぎる失策を許して
無理にも支持したくなる。
センスは買うが、
捏ね過ぎ踏み込み過ぎ見せ過ぎか?
次作「インフィニプ」での巧さをこそ
冷徹に伸ばせるプロデューサーと組め。
期待。父より伸びるかも。
ザフライ(寧ろバホベンのロボコップ?)を撮れば?

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きねまっきい

5.0 「故に我あり」ってさあ・・・。

2024年11月25日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

怖い

興奮

自分が自分を形成して来た過程であるはずの
「記憶」という記録装置を利用(再利用?)するには、
それぞれの記録装置に、やはり「自分」の「記憶」を
管理する機能が必要になる・・・、はずなのである。
それが「主観」なのだとは思うが、
果たしてそんな甘い考えではと否定された事もあるし、
余裕のある生活を心掛けましょう、と一蹴された事もある。
その「主観」という曖昧かつ無責任な装置は、
非常に壊れやすく、何時間毎のメンテナンスを必要とし・・・、
如何せん騙されやすいので、信用し過ぎも良くない。

勿論、「記憶」が殊更曖昧だという前提で良ければ、
他者からの情報を必要としても差し支え無いはずである。
「自分」が、「自分」や「他者」の
「記憶装置」を信用するにしろ疑いながらにしろ
「利用」しながらこの世界を生き永らえる為にはやはり
最低でも「第三者」によって補完される事が必要になる。
「第三者」を介在させないままでは、
「記憶装置から得られた回答を曖昧なままにしておく」
事に他ならないし、都合良く改ざんする事を良しとするのと、
良しとしたいと表明し納得するのと変わらない。
しかしあまりにも「他者」を信用していては
どハマってしまっていてもなかなかその自分に気付けない。

主人公は会社乗っ取りの実行犯(ああ!面倒臭い日本語!)
になる羽目になっても何も抵抗を見せておらず、
既に自分から目を逸らして神経的に病んでしまっているし、
(神経ったって、誰の神経なの?ってことか?)
こういうジャンル(笑)には正解など無いのよ全く。
キリがない!(だから好き!)

この映画の場合も、「主観」の「記憶」が
より直接的に、干渉される描写があるが
手段こそ違え現実の我々も、他者の「意図」的な、
或いは「感情」的な影響を確実に受けている。
と、締めておこう。

どうやら我々はとっくに、「我思う、故に我あり」の
吹っ飛んでしまった世界に住んでいるようだし、
「陰謀論」などとは少し違う慌ただしい毎日を
平和にアクセクまた楽しく過ごしているようであるのでR。

此処にこんな事丁寧に書いても
何時間で忘れなきゃならない。

一度忘れた事は、
(忘れとかないと、全部引き摺ってしまうと、
 毎日が重たくてしょうがなくなる、と思う。)
その、頼りなく情けない記憶装置から
使い辛い索引を経て再生させないとならなくなって、
画的にかなり加工しないと
観てるこっちがどんどん凹んで来るような気もするし、
もしもこの時点でこうしていたら、
(何でしなかった?は重過ぎるよ)
或いは、していなかったらとか過去の筈なのに
マルチヴァースが数多分岐していって
現在点に夢か奇跡と同じ価値を見出したくなって来て
宇宙遊泳したくて実はとっくに始めていて、だから
もう生きてるのか死んでるのか、全部夢だったのか・・・。
ま、そんな事をただ座って考えてた人は
歴史には幾らでも残っているらしいし、

みんな馬鹿だね。あーあ、と。

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equinox