クルエラのレビュー・感想・評価
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パンクでロックで、とにかくカッコいい!
さいっこーにカッコいい。
基本的にジャイアントキリング系、
成り上がり系は好きなんざんす。
もう、それだけで爽快感なのに、
こんなにに、パンキッシュに
ロックにファッショナブルに魅せて
くれるなんて、、、
いやー、カッコ良すぎてちびりました。
怖い物無し無双デス。
話が進むにつれ、ショーの招待客のように
クルエラの登場を心待ちにしてる自分が
いました。
鮮烈!次はどんなファッションなのか?
どんな見せ方をしてくれるのか?
いやー、すごいですよ。
これ考えたデザイナーすごいなー。
ワクワクが止まりません。
ストーリー自体は複雑ではないので、
悩まず楽しめます。
エマ・ストーンが良いのですわ。とにかく。
で、大物のエマ・トンプソンが破格の
素晴らしさ。いやー、ダブル・エマが
あって成り立ってますな、本作。
それと舞台となるロンドン、年代にフィット
した映画音楽の数々。今風のアレンジが
泣かせます。間違いなくこれ、ロックファンは
ノリノリです!襲ってきますよ!画面から。
僕自身、ラスト入城シーンのストーンズ曲が
痺れた。ベタかも?だけどこれがいい!
クルエラの前日譚ですが、
僕は悪人クルエラが登場する作品を
観たことないのです。これから観るときに
本作思い出しちゃうかなー?
これ見ちゃうと、邪魔しちゃうかなー?
ってくらいにクルエラに気持ち持って
いかれちゃいました。
良かった!
秀作!
普通に最高
ディズニー+で観賞しました。
いつだって大人達の勝手な都合で凄惨な子供時代を過ごしていたエステラ(クルエラ)
母親の命を奪われ、住む場所を追われ、路上暮らしを抜け出し大人へと成長。
憧れだったファッションの仕事につき、デザインの才能を認められつつも
上司であるバロネスは彼女を出世させず、こうしてまたも大人の搾取の対象となってしまうエステラ。
そんな中、母親の死の原因を知り、復讐を誓う。
バロネスの下で従順に働く一方で、仮面をつけダークな衣装を纏いクルエラと名乗りバロネスに攻撃を仕掛けます。
自身が憎んでいた大人という役柄を自ら演じ、本当の純粋な部分の「ファッションが好き」と言う価値観と最高のセンスで逆説的に仕返しし、更に才能を昇華していく様は最高にクールでした。
加えて70年代の反骨性あふれるUKロックと共にその時代の嫌な部分、現代にも通ずる様な最低な大人社会の事実に丸ごとNo!と言ってくれているようなそんな気さえしました。
ここからはただの希望的考察になるのかも知れませんが、
101前章談として描かれた本作。101の劇中、あの有名な楽曲でも象徴されるような、彼女が抱えるいわゆるフェティシズム。
彼女をヴィラン足らしめる象徴である、「生きてる動物の毛皮が好き」だから「生きた動物の毛を刈り」それで「服を作る」と言う部分が覆されます。
本作でも劇中終盤、復讐の鬼と化したクルエラがダルメシアンのコートを着て友人のブディック屋に行くシーンで彼女の口からはっきりとその毛皮は偽物であり、そして告げられるのです。
あくまで犬の毛皮を着るクレイジーを演じているのだと。
先述したように彼女自身が社会と言う不条理に立ち向かう為に、自身を恐怖の対象足らしめる「演技」なのだという事を
さらっと、あくまでさらっと語る場面があります。
従順なエステラも復讐に燃えるクルエラもどちらも自己実現であるファッションデザインで認められたいからこその演技。
本当のピュアな部分である「大好きなファッション」へのリスペクトと、生活の糧とする為にはこの世界・社会では彼女は演技を続けるしか無く、
101で鼻息荒くダルメシアンを追い回す姿もまた、一つの演技ではないかと思えてしまいました。本当は犬で毛皮を作っていないと。
最初から最後までファッショナブルでかつ熱い展開は往年のヒューマンドラマの中でも超ハイクオリティかと思います。
いわゆるケイパー物でもあり、ファッションものでもあり、復讐譚でもあり、全方位的に作られているのにバランスも良いです。
演出も演技も語り口も控えめにいって最高。
普通に最高に面白い映画でした。
評価「1」って?
娘に連れられて
痛快
往年のロックの名曲が散りばめられ、作中を彩るジェニービーヴァンによる衣装デザインは70'sパンクロックカルチャーのムーブメント、セックス・ピストルズやヴィヴィアンウエストウッドを彷彿とさせとてもクール!メゾンデザインはアレキサンダーマックイーンなどを思わせ華やかさ全開とまではいえないまでも作品全体をスタイリッシュに感じさせる。のびのびと生きるエステラもといクルエラの自由奔放で快活な様(品性には欠ける)は爽快で原作クルエラを想像していた為もっとダークでコミカルかと想像していたのでいい意味で裏切られた。
ありのままの自分を認め受け入れるという近代アメリカ人思想が多く反映された映画だった。しかし最近のディズニーはマレフィセントしかり親娘の対立構造が好きだな。
吹替えの柴咲コウさんがとても素直なお芝居で上手くてびっくりした!
美しく恐ろしい
パンク・ムーブメントの現代的な解釈が素晴らしい一作。
美術全般、特に衣裳は見応え十分!悪役(ヴィラン)の前日譚ということで、『ジョーカー』(2019)と似ている、という意見もあるようだけど、むしろ後半の展開は、『デッドプール2』(2018)を彷彿とさせました。
1970年代のロンドンが舞台となっているので、ファッションにおけるパンク・ムーブメントとオートクチュールのせめぎ合いという時代背景があります。若きデザイナー、エステラ(クルエラ)と伝説的デザイナー、バロネスの対決はまさにその対立を象徴していて、エステラによるバロネスの晴れ舞台の潰し方に毎回趣向が凝らされていて、とても見応えがあります。
エマ・ストーン扮するエステラの強烈な個性に対して、バロネスを演じるエマ・トンプソンの唯我独尊ぶりもまたいっそ清々しいほどで、ちょっとした仕草や言葉で相手をこわばらせる、一瞬持ち上げたかと思うと容赦なくたたき落とす、といった非情な演技はとても素晴らしく、トンプソンの円熟した演技を堪能できます。ちょっと残念なのは、クルエラの仕掛けに対してバロネスが憮然とした面持ちで立ちすくんでいる、という描写が連続することです。彼女ほどのカリスマと才能を持っているなら、自分の見せ場を潰しに来られたら絶対何か返しをするはずだけど!とはいえ、これはほんの些細な引っかかりで、全体的に素晴らしく密度の濃い作品です。
『101匹ワンちゃん』のクルエラの言えば長めのシガレットホルダーですが、本作には喫煙の描写が一切ないところに現代性を感じますね。
魅せられた!
妖艶でキュートでチャーミングでセクシーで高貴でワイルドで高飛車でクールで正にクルエル。
そんなエマ・ストーンの虜になりました。
お顔立ちはそんなに綺麗とは思わない(失礼!)のですが、なんでこんなにも魅力的なんでしょうか!?
ストーリーもBGMも映像も最高でした。
続編は有るのでしょうか?
あの方には叱られますが、感謝の言葉しか出てきません
昨日、大きなスクリーン最前列からの鑑賞で細部、特に反対側の上方が歪んで見えたので、つい本日真ん中後方の席で2回目の鑑賞をしてしまいました。
二日連続というのにまったく飽きることがありません。
テンポの良さと、色々な仕掛けがすぐに効果を発揮していくので、伏線回収やら、あれはどういうこと?という雑念は少しも湧きません。それでいて単調ではないし、浅くもない。よくもまあ、こんな素敵な映画を作ってくれました。
二日連続の感謝感激振りを記録するためだけの駄文をお許しください。
この映画の推しメン、マーク・ストロングの表情も、二回目となると、なるほど!という意味ありげで微妙な表情がまたいちいち楽しめました。
(以上、本日6月14日追記)
数少ない上映館、どの回もいつも満席でなかなか観れなかったのですが、やっと今日最前列で大きなスクリーンを見上げながらも鑑賞できました。
なんだこれっ!
娯楽映画に必要な要素、というかあると嬉しい要素が全部あるじゃないですか‼️
そりゃもう、圧倒的に支持されるわけですね。
どの人物も、どのワンちゃんもみんなそれぞれ魅力的、その上セットも衣裳も豪華絢爛できらびやか。
見落としてもいいシーンなんてひとつもない。
警備員の鼻毛を抜く、まぁどうってことのないシーンですら鮮明に思い出すことができるほど全集中させられました。
【極私的な萌えポイント】
ポテンシャルに溢れた若い才能や強い女とマーク・ストロングの組み合わせ。
『キックアス』ではクロエ・モレッツと格闘。
『女神の見えざる手』では、ジェシカ・チャステインに利用されながらも見守る立場を堅持。
『キングスメン』では言わずもがな。
今回もいいところ、持っていきましたね。
何かと気の回る腕が良くて優しい強面(コワモテ)。
本当に楽しくて幸せな時間でした。
感謝の言葉は口にしてはいけない、とあの方は仰ってましたが、こんな映画を作ってくれてありがとう、公開してくれてありがとう、と誰彼とかは関係なく言いたくなりました。
101匹ワンちゃんは子供の頃に絵本で読んだだけで、内容はうろ覚え。...
まず、この変わろうとしている世界の中で作られたディズニー実写映画の...
まず、この変わろうとしている世界の中で作られたディズニー実写映画の底力に感激した。
エンドに数百人の名前が流れていました。名前が載ってない関係者も沢山いるでしょう。そんな映画人が集結し、2021年に製作されたこの作品。
そして迅速な公開。
主演はWエマ。
エマ・トンプソンはものすごく魅惑的。パンキストのメイク、ファッション、美しい歩き方もキマっていた。
普段はクルエラを隠すためにエステラとして、昼休みに路地に座り込み、サンドイッチを頬ばりながらドレスのデッサンしてるシーンはやはり目を惹かれてしまう。
『ラ・ラ・ランド』の真面目な美人よりこちらのキャスティングの方が遙かに良い。
若さの煌めきは一瞬のものだと思う。若さが去ったあと、それがずっと続く女優、続かない女優がいる。
小さい時から支え合って生きてきた3人の『家族』。
随所で笑える小ネタ満載の2人組。長身の彼と、ポッチャリの彼。
所々コメディ入ってますね。
結構笑えるネタが沢山あって吹き出します。3人が何にでも変装するって、まるで『ルパン三世』みたいだなぁと思った。
101匹わんちゃんの、101匹目は実は死産にされそうになったクルエラ自身なんじゃないかと勝手に解釈してみたり。
クルエラの纏うドレスの数々。
後ろから見ると白無垢のようなガウンを羽織り、それがボッと炎で燃えると中は真っ赤なドレス。
ダストカーから現れた薄いピンクのドレス。最初はただのゴミにまみれて出てきたのかと思ったが、何と!
ドレスの裾がゴミではなくホンモノの長い生地だった。
素敵すぎる。
かと思えば、
ゲリラライブのようなステージ。
パープルのライトでビルに照らされるクルエラの文字。
まるで本物のファッションショー。歌、モデルのウォーキング。
ラストにまたクルエラが。目の周りに『Feature』と描いた白抜きアイメイク。
クルエラで登場する時のエマ・ストーンは正に次の若きカリスマ。バロネスと対等なほど堂々としている。頭もキレる。
女性としてカッコ良すぎるよ。
ことごとくバロネスをブチ壊す。
怪盗ルパンのように突然驚かし登場。捕まる前に姿を消す。
そして翌朝の新聞には、バロネスの記事より日に日にクルエラの記事がセンセーショナルに書きたてられ、皆がクルエラが次に何をしでかすか目が離せなくなる。
街の小さなブティックの店長の彼もすごく素敵。ボウイのジギー・スターダストっぽい。
彼のキャラクターの小粋さ。
小型のチワワに似てるワンコと、茶の老犬ワンコは本当にいじらしい。老犬ワンコが彼女の理解者でもあり、見守り役でもある。
火災の映像も素晴らしかった。炎がキラキラと輝いて観えた。
エンド前の楽曲の歌詞に痺れた。
美術、音楽、ファッション、ヘアメイク、キャスト、制作陣。どれも素晴らしかった。
個人的にはShaved headのマーク・ストロングが良かった。若い頃のデ・ニーロに似てる。
70年代は男女共に何てお洒落で一人ひとりの個性が光っていた時代だったのだろう。
そしてそれをこの映画は再現した。
この時代は『個性』が最も大事。今はファストファッションのような『同化』が無難。
しかし、何てパワフルな作品。この映画の世界観に入り込んでしまった。あっという間の140分でした。
『観ている』と言うよりは『体感』している感じに近いです。
ディズニーランドやシーで丸一日遊んだ帰り路、皆でああ!楽しかったね。と言い合うけど、翌日には不思議ともう余韻なんて残ってない。
この映画も同じ。
ラストの墓地のシーン、エステラを葬りクルエラとして生きていく。やはりこのシーン以外は余韻は殆ど残らない。
特にディズニーファンではないけれど、ウォルト・ディズニーが中途半端に夢を売ってるんじゃないと云うことが理解できました。
やはり米国は映画にかける予算が桁違い。そしてつくづくスケールが大きいなと感じた。
変わりゆく世界の中で、今、この2021年に映画を創り上げ、暗い世の中を、明るくかつスタイリッシュな作品に昇華し公開してくれたディズニーに。
そしてこの映画に関わったすべての人達に拍手を送りたい。
「101匹」のクルエラと重ならない。
「ディズニー史上最も悪名高いヴィラン(悪役)」という宣伝文句のクルエラだが、これはヴィランになる前の話という事か。悪役らしい憎らしさは全くなく、才能にあふれ真っすぐな性格だが、超個性的で反抗心のかたまりという実に好感のもてるキャラクターだ。エステラ(クルエラ)は、母親を殺した相手が実の母親だと知る。そんな冷酷な血が自分にも流れていて抑えきれないのを分かって悪役に振り切る決心をしたように見える。
「101匹わんちゃん大行進」のアニメを小さい頃に見て、「クルエラ」は今でも鮮明に記憶に残るキャラクターだ。可愛すぎるダルメシアンの家族にいつもちょっかいを出してきて、子犬たちの皮をはいでコートにしようとしていたと思う。この映画にもダルメシアンが重要な役割で出ているのでアニメに重なって楽しい。アニメのクルエラは憎たらしいが、この作品のクルエラは可愛らしい。エンディングで悪の入口に立ったように見えるクルエラだが、これからどんな立派なヴィラン(悪役)に成長していくか楽しみだ。
善人にしない
キャラクター
「マレフィセント」の失敗には、マレフィセントという題材選びの失敗が大きく関係していると思う。
彼女自信が持つ魅力に、魔法使いとしての半ば神とも言える「悪魔」的立ち位置から出るヒステリックさや理不尽さというものがある。しかし過去の掘り下げや人格の「人間化」に伴って彼女が持つヴィランとしての魅力が奪われてしまったのだ。つまり「悪魔」の「人間化」の失敗こそ「マレフィセント」の失敗だと言えるだろう。
それに比べて今回の「クルエラ」という人選は大成功だと言える。彼女の持つ「ヴィラン性」とはどこまでも「人間」の延長線上にあるからだ。
彼女が持つヴィランとしての圧力は101匹わんちゃんが「犬目線」の物語であるというところから来ている部分が大きい。逆に犬の目線から離れて人間の視点から考えてみると、「クルエラ」といヴィランはかなりの小物だ。
犬の毛側が欲しくて知り合いから犬を貰おうとしたが、断られたので誘拐する。
こう見て見るとやってることの重大さやその理由もリトルマーメイドやアリス、ライオンキングと比べるとかなりしょぼい。(物語としての語り口が犬目線だから仕方がないが)
犬目線の「悪魔」である彼女を再度人間目線の「人間」として再定義する。言い換えるなら人間目線から見たクルエラという「人間」の「人間性」を掘り下げるという作劇的にも受け入れやすいものになっているという点でとても上手い。
ストーリー
前半はパワハラ上司バロネスの元で「プラダを着た悪魔」よろしくデザイナーとして働き、中盤から後半にかけて自分の出自や過去に関する問題によってバロネスと決定的に決別してからは、彼女が持つ武器、つまり「デザイナーとしての才能」をもって戦い、最終的には彼女(後世のヴィラン)なりの結論を出していく。
一番の見所はクルエラの「デザイナーとしての才能」を使った「ファッションテロ」シークエンス
「クルエラ」という話において、彼女はファッション的に無敵だ。その点ではマレフィセントにおける「魔法」と同じとも言える。
そんな彼女によって行使されるテロは本当に痛快で楽しい。絶対的な実力を持つ者がその全力を持って相手を叩き潰す爽快感。ともすれば物語の主人公として嫌悪感を抱きかねないシーンだが、彼女が「ヴィラン」であるという共通認識があるためむしろ「待ってました!!」と言いたくなるような感覚になった。
僕個人として一番好きなシーンは、彼女が噴水の前でクルエラとして覚醒するシーン。物語序盤で母親と立てた予定が最悪な形で叶っており、ヴィランとしての「恵まれなさ」が強調されていた。
役者
クルエラ役のエマストーンがばっちりハマっていた。エステラの時にはそれこそディズニーアニメーションのプリンセスのように表情を誇張して演じていたのに対し、クルエラになってからは、表情の変化は少ないながら人を踏みつぶしそうな雰囲気を醸し出していた。
エマ・ストーンの起用も勿論よかったが、バロネス役のエマ・トンプソンの起用も大正解だと思った。車検で見たときの「あ、こいつにはクルエラ負けねえな」感。普通の成り上がりものなら思ってはいけないことだが、こと今回の映画に限ってはクルエラの天才さを表現するうえでベストな配役だと僕は感じた。言い方が悪くなるがクルエラがファッションにおいて「無敵」であるためのかませ犬として最適だった。
その他脇を固める入友人たち、特にポール・ウォルター・ハウザーのコメディ巧者としての立ち回りもよかった。
衣装
この映画を語るにあたってここは外せない。
舞台でもある70年代ロンドンの音楽的変遷と合わせた衣装のデザインは最高で、初めて「静止画ではなく映像で見るべき衣装」がだと感じた。特にエステラの乗っている車の上で来ていたあの衣装。生涯ベスト級にかっこよかった。
バロネスの衣装もよかった。配役の時と同じように「あ、こいつにはクルエラ負けねえな」感のあるファッションは、やはり劇中での絶対的な悪役に踏みつぶされる噛ませ犬という彼女の物語的な立ち位置をありありとわからせながらも、バロネス自身の傲慢さや手段を選ばないような人間性を表現す出来ていた。
ちょっとだけ愚痴
せっかくファッションによってバロネスを追い詰めていたのだから、最後の突き落とさせるシーンもファッションを使ったにかを組み込んでほしかった。例えばクルエラの切る衣装のあまりにも素晴らしいデザインに慄き、無意識のうちに押してしまうとか。
最後に
絶対に今映画館で見るべき映画!! 超おすすめ!!
やっと観れた
エマ対決は重鎮に軍配か
全260件中、121~140件目を表示















