アイヌモシリ

劇場公開日:2020年10月17日

アイヌモシリ

解説・あらすじ

アイヌの血を引く少年の成長を通して現代に生きるアイヌ民族のリアルな姿をみずみずしく描き、第19回トライベッカ映画祭の国際コンペティション部門で審査員特別賞を受賞した人間ドラマ。北海道阿寒湖畔のアイヌコタンで母と暮らす14歳の少年カントは、1年前に父を亡くして以来、アイヌ文化と距離を置くようになっていた。友人と組んだバンドの練習に熱中する日々を送るカントは、中学卒業後は高校進学のため故郷を離れることを決めていた。そんな中、カントの父の友人だったアイヌコタンの中心的人物デボは、カントをキャンプへ連れて行き、自然の中で育まれたアイヌの精神や文化について教え込もうとする。自らもアイヌの血を引く下倉幹人が演技初挑戦にして主演を務め、アイデンティティに揺れる主人公カントを演じた。監督は、前作「リベリアの白い血」が国内外で高く評価された新鋭・福永壮志。(※タイトル「アイヌモシリ」の「リ」は小文字が正式表記)

2020年製作/84分/G/日本・アメリカ・中国合作
配給:太秦
劇場公開日:2020年10月17日

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(C)AINU MOSIR LLC/Booster Project

映画レビュー

3.5 アイヌを見つめる研ぎ澄まされたインディペンデント・スピリッツ

2020年11月27日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会
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和田隆

4.0 あの少年の存在や目力に心奪われる

2020年10月31日
PCから投稿

それはとても不思議な感覚だった。我々はアイヌ文化についてほとんど何も知らない。それを見越した上で、映画は境界を超えて、我々を見知らぬこの文化や精神性の領域へいざなおうとする。いや、もっと正確に言えば、やがてアイヌ文化を受け継いでいかねばならない新世代へと焦点を当て、一人の少年がそれを担うのか、それとも距離を置いて遠くへ立ち去るのか、我々にその決断の行方をしかと見届けさせるのだ。ドキュメンタリーではなくあえて劇映画として紡ぐことで、思春期を迎えた少年の心の揺れが手に取るようにわかる。なおかつ、文化をどう継承するかに苦慮する大人たちの苦労すら深く伝わってくる。何が正解なのかは全くわからないし、頭や理屈で飲み込むことも困難だ。だからこそ物語があり、映画がある。我々は映画という箱舟に乗り込むことで、この文化の一側面に触れることができる。何よりもあの少年の存在や目力に心奪われっぱなしの84分だった。

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牛津厚信

4.0 アイヌの今

2020年10月31日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

アイヌコタンでのロケ、主要登場人物を演じるのもアイヌの人々で、現代でアイヌの人々の生活の実感が強く込められた作品だ。主役の少年はとても良い目をしていてとても絵になる顔だ。主人公の母親は土産物屋を営んでいる。そこに来た日本人観光客が「日本語お上手ですね」と悪意なく言う。やれやれといった表情で母は「勉強したので」と返す。きっとそういうことを言われるのは日常茶飯事なのだろう。
本作が優れているのは、価値観の衝突がしっかりと描かれているところだ。イオマンテというアイヌの伝統は、現代の価値観にそぐわない。だが、少数民族の伝統文化がグローバル社会の中で残酷だとしても、安易につぶしていいのか。それは強者の理屈に過ぎないのではないか。今の価値観が全て正しいなどということはありえない。本当の多様性のある社会は、このように必ず価値観の相容れない衝突が起こる。
僕を含め、多くの日本人はアイヌについて知らなさすぎる。アイヌのリアルを見せれくれる本作はそれだけでも大変貴重な作品だ。日本とは、日本人とは何か。そして本当の多様性の残酷さと難しさは何かを教えてくれる素晴らしい映画だ。

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杉本穂高

4.5 カントのこれからの生き方が見えるね。

2025年10月27日
PCから投稿

 自分の文化を疎んじたくなり、自信が持てない主人公、カント(下倉幹人)。こんなステージを人は経験する。アイヌの生活ので生きていることは『普通じゃない』と言い切るカント。この普通じゃないと言う意味は、自分の環境も家の親の仕事もアイヌを売り物にして、観光客を集めていると言うのが普通じゃなという意味かもしれない。それに、自分のアイデンティティーがアイヌとして生まれたことにより、また、文化の一部を継承することにより、自分の自由を奪われているような気がしているのかもしれない。それに、周りを気にして生きているからかもしれない。

父の死後、カントはそれをより感じたのに違いない。阿寒のアイヌ村では1975年以来、阿寒でまりも祭りにイヨマンテの行事をしたことがないという。中心になっていて、カントの面倒も見てくれているデポはこれをおこないたがっている。でも、村人の意見はそれぞれ違う。熊を殺すことで、村人以外の人々がどう思うかも気になる人もいる。また、今、行う意味はを問う人もいる。

カントはデポに与えられて自分が可愛がっていた子熊がイヨマンテで使われて、殺されることに抵抗を示すが、デポの言葉、『亡くなったお父さんもやりたがってたんだよ』を聞いて、父親のビデオコレクションの中から、イヨマンテの儀式を探して見る。

カントとデポのつながりが、カントをアイヌの世界に導いてくれているような気がする。父親の一周忌の席で、デポは「光の森」について話す。そこの洞穴を抜けると死んだ人のいる村があると。それは伝説だと思っているカントは父親に会いたいから自分がそこに入っていけるかきく。デポは洞穴の向こうからはこちらに来られると答える。のちに「光の森」を二人は訪れるが、カントにとって、魚つりや微笑の仕方などキャンプではアイヌ文化とこだわらない文化を堪能しているように思える。子熊だって、儀式に使うと知る前は、カントにとってみれば、アイヌの文化じゃないわけだし。

あと、楽器を演奏している父親の友達の一人と山に出かけた時、カントの行動に変化が見られる。父親の友達は入山する時、山神に祈らないが、ケントはデポに教わったようにして祈る。この父親の友達も『山も森もアイヌのものだったが、今は違う、悲しい』と。そして、今の気持ちのままでいいと教えてくれる。これって、大きいよね、背伸びしなくて、悲しければ、泣けばいいいし、やりたければ、やればいい。自分を偽る必要がないから。この言葉が好きだ。

カントは長的存在のデポや楽器を演奏している父親の友達、それに、イオマンテと言う神聖な儀式の復活を通して、ふらついていた自分自身が確立してきたようだ。デポの言う言葉で、イオマンテの意味を実体験したようだ。それは、「可愛がっている子熊を神の国に送ることで、小熊が、人間の国は美しいいところだと神に伝える。それによって、贈り物として神がフクロウやクマなど、動物になって地上に降りてくる。」。カントはイオマンテの後、木のてっぺんにフクロウが停まって、地上を眺めている事実を体験した。自然界の全てに神が宿ることをカントは体験した。

(書き殴ったので、編集し直す必要がなるが、していない)

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