マトリックス レザレクションズ
劇場公開日:2021年12月17日
解説
1999年に公開され、革新的な映像技術とストーリーで社会現象を巻き起こしたSFアクションの金字塔「マトリックス」。2003年に公開された続編「マトリックス リローデッド」「マトリックス レボリューションズ」で3部作完結となった同シリーズの新たな物語を描く、18年ぶりとなるシリーズ新章。主人公ネオを演じるキアヌ・リーブスが過去作と変わらず同役を担当するほか、トリニティー役のキャリー=アン・モス、ナイオビ役のジェイダ・ピンケット・スミスらが続投。ネオを救世主と信じ、世界の真実を伝え、彼を導くモーフィアス役を「アクアマン」のブラックマンタ役で知られるヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、ネオの宿敵スミス役をドラマ「マインドハンター」のジョナサン・グロフが新たに演じ、ニール・パトリック・ハリス、クリスティーナ・リッチらが扮する新キャラクターも登場する。シリーズの生みの親であり、過去の3作品を監督しているラナ・ウォシャウスキーがメガホンをとった。
2021年製作/148分/G/アメリカ
原題:The Matrix Resurrections
配給:ワーナー・ブラザース映画
スタッフ・キャスト
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2021年12月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
かつて映像表現を更新したシリーズの復活ということで、第一の興味は新たなビジュアルイメージを創出可能かという点だった。この点については、少し残念だ。かつて『マトリックス』が生み出した表現は、今やハリウッドに限らず、当たり前のものになった。当たり前を作ったからすごいのだが、それを自ら更新することは、やはり至難の業なのだろう。
しかし、テーマを深化させることには成功している。前シリーズは、仮想世界と知らずに生活していたトーマス・アンダーソンが救世主ネオとなって、機械に支配される人間を解放に導くという物語だった。現実には人間の文明は滅んでおり、地獄のような様相だった。機械の支配から逃れても、そもそも人類に明日はあるのか怪しいほどにディストピアだった。一方、仮想世界の中は楽しそうなのだ。それでも、そこから人は機械の支配から自由になるべきと説いたのが前3部作だとすれば、今回は仮想世界の中で上手く生きていくにはどうすべきかを説いている。現実の方が無条件に大事だと言い切れない時代になっている。と言うより、多くの人が仮想世界に生きることを選べば、もはやそれが現実の世界になってしまうのではないか。むしろこの結論の方がこのシリーズにはふさわしい。バレットタイムなど、数々の斬新なイメージは、そこが仮想世界だからこそ実現できた表現なのだから。
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ツッコミどころは多々あれど、「今更?」感を払拭してみせるだけの意外性と、これを作らずにはいられない(語らずにはいられない)という作り手の気持ちが詰まっていて、どうしてもヘンな映画では切り捨てられない切実さがある。
トランスジェンダーをカミングアウトし、性転換したラナ監督の気持ちを推し量ることなど自分にはできないが、それでも映画から感じられるのは『マトリックス』三部作をサブカル的に消費した(おそらくラナ自身を含む)世の中への抗議であり、「白人男性が伝説の救世主になる」というクリシェへの異議申し立てだったと思う。
とはいえ、クライマックスのゾンビパニック感などは、たとえすごい皮肉であったとしても、劇中でやり玉にあげていたビデオゲームに作品が取り込まれてしまってはいないかと思ってしまうし、いくら作られた世界に生きていたとはいえティファニーと家族の関係性はずさんに描かれてはいないか。
結果的に『ドント・ルック・アップ』に似た社会風刺ものになっているのは、時代と向き合った必然なのだろうが、『ドント・ルック・アップ』ほどに鋭くはない。でも、気持ちがこもっていて、なんだか『マトリックス』のすべてが愛らしく感じられました。
あと愛、愛な。さすがに無邪気だとは思うけど、愛を信じる気持ちはウォシャウスキー、ブレてない。
映画館のロビーや客席で方々から「20年」という言葉が聞こえた。月日の流れるのはあっという間。しかし我々を今なお支配するのは、一作目のネオのように、PC画面を見つめながら奇跡が起きるのを待ち続ける感覚だ。ならば「レザレクションズ」はそんな20年後を生きる我々に向けた新たな処方箋といったところか。登場人物は歳を重ね、すっかり境遇が変わった者、あまり変わらず佇む者、容姿の変貌した者、さらにあの頃を知らない新世代まで集っている。彼らが一丸となって今一度、何かの力を信じようとする様は、かつてのような革命的なビジュアルに遠く及ばないものの、セリフやアクションには記憶を刺激するデジャブが散りばめられていて、単なる楽しさを超えた気づきや感慨がある。我々はこの映画を通じて20年前を再訪、検証しつつ、いまの自分の置かれた状況や感覚すらアップグレードしうるのかも。すべては「マトリックス」だからこそなしえる業だ。
ネタバレ厳禁作品なので、「見方」と「大枠」だけを書きます。
1999年に公開された「マトリックス1」は、とにかくセンスが良く、まさに映画史に残る革命的な1作品であることは間違いないでしょう。
本作は「1作目の続編」的な前情報もありましたが、ライトに見ると、あながちそれも間違っていないのかもしれません。
ただ、劇中に「マトリックス2」「マトリックス3」の映像や登場人物等も出てくるので、最大限に楽しむのであれば、過去の3作品を見た上での方が良いと思います。
❝そもそも「マトリックス」がどのような作品なのか❞が示されている「マトリックス3」の背景を知った上で成り立っているのが本作だと言えるからです。
「マトリックス」は「エヴァンゲリオン」のような❝繰り返し❞の物語という本質を押さえておくことも重要です。
(ちなみに、個人的な前3作品の評価は「マトリックス1」はパーフェクト、「マトリックス2」「マトリックス3」は失速、というイメージでした)
ラナ・ウォシャウスキー監督の「日本愛」が本作でも随所に見られ、そういった意味でも私は本作は好きです。
アクションもネオの覚醒に合わせ進化していく過程が良く表現できていますし、予告編でのシーンも全体の流れで見ると、よりしっくりきます。
最後のエンドロール後に短めの「オマケ映像」があります。
これは表面的に見ると「蛇足」に見えてしまうかと思います。
しかし、
「ラナ・ウォシャウスキー監督はユーモアセンスが乏しいな」と切り捨てるのか、
「現在のハリウッド映画の状況を揶揄した表現」と見るのか、はたまた
「❝エンドロール前のシーン❞によってマトリックス内の世界における、その後の変化を見せている」
と見るのかによって作品の評価が大きく分かれるでしょう。
このように本作は観客に委ねられた面の強い作品と言えます。