1917 命をかけた伝令のレビュー・感想・評価
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長回しの臨場感。そして登場人物への寄り添い。
○作品全体
長回しの映像の強みは臨場感だ。
その場で起こっていることがありのまま映されているように見せることができる。1917年の戦場という100年以上前の時代設定でありながら、作品に惹き込まれる要素はこの臨場感が大きかった。
長回しの演出はウィルに襲いかかる幾多の危機的状況や緊張を強いられる場面で発揮されていたが、それ以上にウィルの心情の変化をノンストップで映し出していたのが素晴らしかった。
最初は危険を冒してまで任務を受けるべきじゃない、という立場だったウィルが最終的には命を賭して任務をこなそうとする姿へと変わる。その変化の間には、兄を救おうとするトムとの時間があった。トムとともにいつ敵が現れるかわからない無人地帯を歩き、トムによって仕掛け爆弾から救われ、ジョークを話し、トムの最後を見届ける。それぞれの出来事は時間を切り取って映したものでなく、長回しによってずっと映されていた時間だ。二人の間にある友情のエクスキューズとして、二人で乗り越えてきた絶え間ない時間があり、その時間の描写によってウィルの心情変化に納得することができる。これはカメラを通してずっと近くで二人を見ていた、という体験があるからこそできる、納得なのだと思う。
ラストの「無事に戻って」と書かれた写真はトムのものなのかウィルのものなのかは分からない。
しかし、「帰りたくない」と断言していたウィルが、トムの死を介して心情に変化があったことを示すような「無事に戻って」という言葉だったと思う。誰かに伝えるべき言葉を守るためには、無事でいることと誰かの元へ向かう勇気が必要だと、一緒にいた時間の中でウィルがトムから受け取った「伝令」がその言葉なのかもしれない。
将軍から引き受けた伝令は終わったが、トムから引き受けた伝令はまだ終わっていない。トムの母へ手紙を書くという任務が、ウィルにはまだ残っている。そう感じさせるラストの視線だった。
○カメラワークとか
・ファーストシーンとラストシーンがほぼ同一。青空、草原、一本の木。二人で眠っていたファーストシーンの静けさと、ウィルだけが静かに遠くへ目線を送るラストシーン。いずれも同じような空間なのに静謐を感じるファーストシーンと寂寥を感じるラストシーンになっていた。
・冒頭、最前線まで行く塹壕の道は、10分近く歩き続ける。似たような絵になるからか、会話のなかで主導権を握る人物が前に出るっていう仕掛けがあった。ウィルが主導権を握ったのはトムにパンを分け与え、帰らないほうが楽だと話すところと、ソンムでの戦いやメダルについて話すところ。あとは任務に躍起になるトムが主導権を握る。主導権、というよりも前に出た人物の人物紹介みたいな感じだろうか。モノローグも使わず、二人がどういう人物なのか話す時間もない状況で、会話の中で紹介をしていく、といったような。
結局ゲームなんだよな、と。おっさんはあっという間に本作を忘れてしまったよ。
スピルバーグの「プライベートライアン」やコッポラの「地獄の黙示録」とやっていることは大きく違わなくとも、次の日には本作のことを忘れてしまうのには訳がある。
ワンカット風に、主人公に寄り添った映像が、逆にロケ地や背景やCGの素晴らしさ、スペクタクル感、大作感をごっそり損なっている結果になっているのは、意図的なのか。
「1917 命をかけた伝令」
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結局アドベンチャーゲームをやっていて、次のステージへ。ダイジェスト感がするのもそのせい。
序盤に「あえての、なんてことない」重要な死の描写をいれることで、言い訳程度の「突然の」悲劇を演出しても、結局「ランボー」のごとく、何があっても死なない話。
何が何でも生きて帰らなければならない。それでも友のため、同胞のため、伝令を実行する。どうやって撮ってるんだ!!??という凝った映像と逆にそのせいで情報過多な映像のため、その感動が押し寄せないのも、ゲーム感覚の視点のせい。
追記
カンバーバッチの作戦中止の伝令を飲み込んで、の吐き捨てるような逆ギレが良い。
ワンカットのことは忘れて
ワンカット撮影というフレーズが宣伝の前面に押し出されているが、厳密には完全なワンカットではない。だが、それは瑣末なことだ。監督自身、技巧的な映画だと思ってほしくない、カメラの存在を忘れてほしいとインタビューで言っている。意識し過ぎるとかえって気が散って損をする。
もちろんかなりの長回しであることには変わりない。その撮影手法が悪目立ちせず、物語の臨場感を高める黒子として非常に効果的に働いている。
物語の中で、突飛なことは起こらない。ラッキーな奇跡もお涙頂戴もない。ただ、現実の戦場で当たり前に起こるであろう出来事が矢継ぎ早に伝令の二人を襲う。それで十分張り詰めた展開になってしまう。
彼らが歩き続けるにつれ景色が変わり、単調な絵になることもない。塹壕、焼け野原、田舎の村と、RPGのステージが変わるのを見ているようでもあった。よく考えて緩急が付けられている。終始ホラー映画にも似た緊迫感を保ったまま、あっという間に2時間が終わった。
戦争は悲惨だという感情の手前の、「現場に放り込まれた時の原始的恐怖」が後味として残った。
主演の二人は日本ではあまりメジャーではないが、長回しで緊迫したシーンの続くこの役を見事に演じきっている。
ずっと側で表情の移り変わりを見ることで、彼らが切迫した気持ちになってゆく様が手に取るように分かった。体を張ることも繊細な演技も要求される役だったと思う。
とはいえ、正直何回かは、カメラの動きが不思議過ぎるシーン(不自然ではない)などに煩悩が湧いた。バックヤードの動画が公開されているので、それをチェックして再観賞すると解脱してより没入出来るかも知れない。
カメラだけでなく考え尽くされたストーリーにも注目
第一次世界大戦下の“若き2人のイギリス兵の1日”をワンカット風ドキュメンタリーの如く丁寧かつ臨場感一杯に表現した力作。
「危険が待ち受ける敵の陣地を突き抜け、遠方の味方に重要な伝令を行う」というミッションを受けるが、その不可能にさえ思える過酷さが、重さを増して視覚化されていく。
私が主人公だったら、「もうやめようかな」という選択肢さえ頭をよぎってしまった「体感型・走れメロス」のような作品。
バーチャルなゲームのクリアといった世界とは違い、アナログな装備と、死体の手触り感や臭いさえも伝わってくる状況に全身の感覚が奪われる。戦下における、たった1つの任務なのに見る側は何度も打ちのめされる。
本作のリアリティの源泉は革新的な映像表現だけでなく音楽も重要な役割を果たしていて、文字通り「命をかけた伝令」である本作を陰ながら寄り添い盛り上げてくれている。
主人公が真っ直ぐに進む様を盛り上げるシーンなど、本作の醍醐味でもある各々の場面での感情の揺らぎを表現する巧みな「オーケストラ」としての調和が素晴らしい。
僅か1日という期間の中でも過酷過ぎるが故に出てくる人間らしいエピソードに心を打たれながらも、映像の魔力により自分自身もその場に存在しているかのような気持ちになる。そのため戦争というテーマの重さがずっしりと心と体にのしかかっていく。
見終わった後は、戦争の実態を伝え続けるためにも戦争をテーマにした本作のような名作映画はいつまでも登場してほしいと強く念願した。
長回しに対する観客の耐性向上と特機の進化
長回し映画の歴史は古く、ヒッチコックの『ロープ』や溝口健二や相米慎二の諸作品、1シーン1カットの中に過去と現在が入り交じるテオ・アンゲロプロスの作品だったり、フィルム時代にもいくつも存在する。デジタル時代になりフィルムのワンリールの長さに依存せずにより長時間カメラを回せるようになったため、アレクサンドル・ソクーロフが1映画1カットの『エルミタージュ幻想』のような作品も出てきた。しかし、ハリウッドメジャーの大作でそのような試みはこれまでなかったところにサム・メンデスが娯楽性も損なわずに長回し映画を作ってみせた。
長回しの娯楽映画が成立する背景には、ドローンやクレーンなどの撮影特機のバージョンアップが背景にある。カットを変えずともカメラが役者の前・背後・左右・上下と縦横無尽に入り込めるため、単調にならずとも済むようになったことが大きい。
もう一つの背景には、これは観客側の嗜好の変化だが、SNSで素人の撮った長回し動画を見る機会が格段に増えて、長回し耐性を持った観客が増えたというのもあるだろう。現代人は、YouTubeやTwitterで5分、くらいの1ショット動画は平気で見てしまえる。そして本作に大きな影響を与えているだろう、FPSなどのゲーム映像の存在も観客の嗜好を変化させているだろう。
間違いなく映像の革新だが、映画の革新ではない(と思う)。
いやあ、すごいことをしていた。実際、シーンに惹き込まれると全編がワンショット(風)かどうかに意識はいかなくなるが、「これどうやって撮ってんの?」という驚きは全編を通じて感じることで、すごいものを観た。映像的なトリックが全部わかるわけではないにせよ、おそるべき創意工夫と力業と人海戦術の賜物であることはビシビシと伝わってくる。
ただ、すごいことをしていること自体が、この映画の制約にもなっている。全編がワンショット風なことで、ロングショットの凄みを作品の中で対比として感じられないことは自分には決してプラスだとは思えないし、編集でカットを繋ぐことで生まれる時間と空間の奥行きを捨ててしまったことが、すべての場面に有効だったとは感じられなかったのだ。
とはいえ、この企画を「全編ワンショット風」で通すと決めた監督の意図も、それをやり抜いたロジャー・ディーキンスの撮影も否定する気はなく、自分は「果敢な変わり種」として楽しんだ。ただ、ギミック的なことへの感心の方があまりにも強くて、映画の未来を切り拓いたわけではないと思っている。
切れ目なき映像や空間設計がもたらすもの
サム・メンデス監督の長回しといえば、「007 スペクター」の冒頭シークエンスでもおなじみだが、それ以上に彼は数々の舞台作品にて「(編集の)切れ目なき演技」を実践しているのを忘れてはいけない。私には今作がちょうどその中間に属しているように思えた。つまり、カメラが被写体をつぶさに追うことで生々しいまでの心象、およびその場の臨場感を克明に記録するというだけでなく、だだっ広い戦場の「何もない」空洞感というものが切れ目なく、極めて舞台的、演劇的な効果を持って訴えかけてくるのである。
片や『プライベート・ライアン』のような究極の戦争映画がある一方、本作は戦争の悲惨さを描きつつ、その画面設計や空間設計、さらにはリアルタイムで映画を紡ぐ時空間設計の面でも目を見張る芸術性に満ちていた。戦争映画の中で芸術性というものが成立するのかどうか懐疑的だったが、本作は極めて巧みな角度でそれを成し遂げていたように思う。
戦局を変える“個の力”が説得力を持ち得た最後の戦争
サム・メンデスが全編ワンカット風の映像を選んだ理由。第一義的には、伝令兵が戦場で見る景色、聴く音、過ごす時間、緊張と感情を、観客に体感させるためだ。兵と一体化して前線を駆け抜ける感覚になるか、少なくとも彼らと並走している気分になる。
1917年という設定も、友軍1600人の絶体絶命の危機を“個の力”で救おうとする命懸けのミッションに説得力を持たせるのに有効だ。第一次大戦は砲撃の距離と精度が増し、戦車と航空機も登場した。航空写真でドイツ軍の陣容は把握したが、友軍との通信が敵の妨害によって絶たれたという設定も巧い。これにより、未熟な兵がわずかな装備で発ち、敵の攻撃や罠を必死でかわしながら走り続ける筋にリアリティが加わる。第二次大戦以降になると兵器も通信技術も進歩し、個の力で戦局を変える物語は成立し得ないだろう。ワンカット風の映像は、1917年の伝令兵を描く最適解だったとも言える。
思ったよりもエンタメ映画だった
静かめで淡々と進む戦争映画かと思っていましたが、割とエンタメ要素の強い作品でした。
崩落から脱出するシーンも、溝が!というインディージョーンズ的な展開に若干冷め
開けた場所に割とノコノコ出て行ってしまうところなどにも緊張感を感じられず…
フランス人女性とだいぶ言葉が通じてしまうところとか、途中まで車で送ってもらえる件など、都合が良いなと感じる部分も多々。
ワンカット風ではなく、通常の撮影方法の方が違和感無く見れたかもしれないなと思いました。
この戦争が終わるのは…
大抵、映画の主人公は生存フラグが揚がっているので、安心して観ています。まぁ「サイコ」みたいな映画もありますが。でもさ、戦争って、そういうものなの?。
「プライベート・ライアン」のオープニングが、映画史に残る名シーンなのは、それだよね。まるで自分が戦場に放り出されたような、あの逃げ場のない感覚。あれをリアルに体験したら、PTSDの1つや2つ、発症するほうが、普通だよね。
で、この映画ですが、アクション映画と捉えるのか、戦争の理不尽を描く伝記と捉えるのかで、見え方が変わりますよね。この映画、どちらにも対応できる仕上がりですが、私は、当然、後者目線なわけです。
塹壕戦。ずっと塹壕にいると、水虫になるそうです。もう、それだけで、私、兵役拒否。その一方で、今この瞬間、塹壕で命を削り、祖国のために銃を構える方々がいます。ちなみに塹壕戦を打破するために造られのが、毒ガスと、コードネーム<樽(タンク)>。つまり、戦車です。劇中に少し映っていましたね。側面砲塔あったから、イギリスのマークⅣあたりかな。
…戦車こそ、歴史の創造主だ…。
キリコ・キューピー「装甲騎兵ボトムズ」
確か、キリコちゃんは、少年兵として志願。年齢は17歳という設定だった気がします。やけにニヒルな17歳ですが、当時小学生だった私には、衝撃でした。キリコちゃんより遥かに歳上になった私は、そう思いませんが、私達が何気に使っているGPSが、元々軍事目的で開発されたことは、有名ですよね。
先日、「楽園のゲルニカ」も観ました。戦争のない世界が、私は望ましいと考えます。しかし塹壕戦は、今なお続いています。戦争を終わらせるには、本作の大佐が呟いた、あの方法しかないのでしょうか。
これ以上、塹壕を延伸させない方法、誰か教えて。
タイトルなし(ネタバレ)
重要な指令を受けた伝令が第一次世界大戦の世界を駆けまわるどこかロードムービーのような戦争映画
前半、塹壕に潜む巨大なネズミや死体の転がる前線はまるで西部戦線異状なしの世界に放り込まれたかのように引き込まれた。
地獄のような塹壕に草原、燃え盛る街と場面が変わると風景がガラリ変わるのも展開を効果的に見せている。
事実ではありえない展開だ。と厳しい意見もあるけれど、敗残兵の銃弾を避け突っ走る場面や終盤の命令が間に合わず突撃が始まり自身ももみくちゃにされながらも諦めず必死に中止の命令を届けようとするスコットの姿はまるでメロスのようだなと感じた。
史実の映画としてより人間ドラマとしてみると面白い作品だなと思う
アカデミー賞作品賞を取らせたかった。
2025.12.1(月)
劇場鑑賞以来5年ぶりにNHK-BSで「1917」を。
全篇ワンカット風に撮影されているが、塹壕に入る所、壁を抜けて行く所、塹壕内で爆発する所、飛行機が落ちる所、狙撃兵に撃たれて気を失う所、川に落ちる所等、上手く編集で繋がれている。
ワンカット風で撮る事で緊張感と臨場感が持続して、1600人の友軍兵士の命を救うために限られた時間内に伝令の任務を遂行しなくてはならないスコフィールド上等兵(ジョージ・マッケイ)とブレイク上等兵(ディーン・チャールズ・チャップマン)に観客は同化する。
カメラは最初二人の前を行きひたすら引く。そして後ろに回り込んだ後はひたすら二人を追うのだ。
ロジャー・ディーキンスのカメラが素晴らしい(アカデミー賞撮影賞受賞)。カメラの動線が完全に計算され尽くされている。
塹壕の中に仕掛けられた罠で爆発に巻き込まれた時にはブレイクに助けだされ、そのブレイク上等兵を墜落したドイツの飛行士に殺されて失い、残っていた独軍の狙撃兵と戦い、街中で敵と交戦しながらも前進するスコフィールド。照明弾が作り出す光と影の演出も見事である。
川に落ち桜の花びらが舞い落ちる川面を流されて行くとおびただしい数の死体が川面に浮かんでいる。累々とした兵士の屍の上を越えて行くスコフィールド。
木の根元で眠って休んでいる所を起こされて伝令を命じられたスコフィールドは、ラストで伝令の任務を果たし、ブレイクの兄に遺品を渡す。
そして、木の根元で休息するスコフィールドは、胸に入れていた缶から家族の写真を取り出しながめる。
彼は、明日からも続く戦闘を生き延び、無事家族のもとへ帰る事が出来たのだろうか。
1917年から100年以上経った今でも、人類は地球上で戦争を続けている。
今日も戦地ではスコフィールドのような若者が戦っているのだ。彼らの無事を祈らずにはいられない。
2020.2.14劇場公開初日にTOHOシネマズ新宿にて鑑賞済。
たったひとりの行軍
終始緊張感
独特のカメラワークで2時間終始緊張感の連続で飽きさせませんでした。
伝言を届けることには成功したけれど、この後どうやって元の部隊に戻れるか気になりました。ラストシーンの木の下で考え込む主人公は何を思っていたのだろうか?
バードマンの着想で戦場モノを見事に描いていて素晴らしかった。しかも映像が無茶苦茶きれいで見入ってしまった。
どうやってカメラを動かしているのか全く想像が出来ない
この映画は大当たりでした。
戦場を移動する戦争映画。
それなのに、時間の経過も全てリアルタイム。
舞台となる戦場も、全て地繋がりで同時存在している。
というような感覚になってしまいました。
一体どうやってカメラを動かしているのか、全く想像が出来なかった撮影シーンが幾つもあります。
目を離す暇が全く無いので、物語に完全に没入してしまって、見終わったら、とても疲れていました。
すごかった。
邦題の副題は、完全に余分だと思います。そういう話しじゃないです。
原題の「1917」で十分。
身体が捩れる
ワンカット「風」撮影ですが、よくよく観てみるとこの辺かな?とかは予想が付きますが、臨場感が半端なく、爆破シーンでは観ているこっちが吹っ飛びますし、塹壕の中を走っていくシーンでは身体が捩れてしまいますw
「ウトヤ島7月22日」はハンディカメラのワンカット作品でしたが、比べ物にならないくらいすごいですし、ワンカットにこだわる必要もないのかな、とも思います。
ストーリーはシンプルですが、観せ方が予想以上にすごくて、あれだけリアルな死体をあれだけの数を用意するのは大変だったろうな、とか余計な方に考えちゃうところもあるくらい、死体だらけです。
ぜひ、劇場でぶっ飛んで下さい。IMAXレーザーで観ましたが、強くお勧めできます!
(追記)
ドルビーシネマの方が音響がすごいです。きれいでメリハリが効いてます。爆破では死にます。画はIMAXレーザーの方が大きい分、迫力はあります。
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