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表題は有名な“浪花恋しぐれ”のサビのラストである。初代 桂春団治の破天荒を描いたこの曲は、正に“破滅型天才芸人”という一つのカテゴリの代表のような物語で、その破滅振りを反面教師、他山の石、そして対岸の火事的に一種のエンタメとして醒めた目で観るものである。
さて、“Alcoholism”所謂“アル中”である。小説では中島らも著『今夜、すべてのバーで』を読んだことを覚えている。勿論内容は覚えていないがその、人間としての理性と尊厳を自ら瓦解させて行きながらも、生死の綱渡りをずっと続けている、そんな印象は覚えている。今作は、そんなアル中の漫画家(多分無収入)の男の破滅途中を、“恋愛”というバターを塗った食パンのようなイメージで観客に食べて貰う作品である。中毒なのでそれが現実なのか妄想なのか、どんどん主人公の立ち位置が危うくなってゆく映像である。フラッシュバックには元カノ。そして現実は今カノ。性格が違うので対応も違う。男は勿論“無い物ねだり”。失って初めてその愛に気付く。『愛なんてない あるのはそれに向かっていく道だけ』という、哲学めいた格言もでるのだが、まぁ結局は酔っ払いの戯れ言である。そして、その愛すべき?!(に演出したようにみせたい意図)酔っぱらいが、母親の死、その後の葬儀という家族にとって大事な儀式でさえも酒によるだらしなさに全ての信頼を失う。元カノの元には自分との子供がいると思いきや、流産していた。勝手な妄想に逃げていた男はここでも相変わらずの欠格人間振りだ。そして帰ったら今カノも家を出て行っていない。ラストは出て行った彼女の妄想をみつけ追いかけて終わる。ストーリーとしてはそれ程目新しさはない。陳腐と言っては言い過ぎだが、自ら周りを裏切る所業の数々をシーンとして描く内容自体は興味深い。そして観葉植物を配置するセンスや、まるで隣の部屋から聞えてくるようなチルなBGMと扇風機の動作音が作品自体の不穏さを効果的に演出している点も巧みである。全体的にその演出のセンスの良さは充分感じ取れた。
但し、上映後のトークショーがかなり残念で、折角の作品を汚してしまった感が否めない。その大事なBGMでさえ、自分が作ったのに覚えていないという監督・・・。結局オチとすれば作った本人が“ダメ男”という結末なのである。破滅型芸術の一翼を是非担って欲しいモノである。ね、監督w