うわ、これは久しぶりにすごいものを観てる!と、かなり早い段階からぞくぞく。この瞬間が過ぎていくのが惜しい、終わってほしくない!と、ざわつく気持ちを抑えながら、スクリーンを凝視した。
予告編を観たときは、うわ、ベタだな、と正直引いた。渋谷の片隅で、ふわふわと夢を追う、若い男女の話…。けれども、なぜか気になる気持ちがふくらんでいき、終映日にすべり込み。結果、観て本当によかった!と思えた。
なぜ、よかった!のか。どこが、どうすごいのか。
この映画は、甘さを寄せつけない。出会って、近づいて、のステップはありがちで、きっとこの後はすれ違いや別れがある、そんな予感はあった。けれども、2章として彼女目線で物語が改めて語られたとき、そのあまりの落差に愕然とし、目が離せなくなった。
夢を追いかける、やりたいことをやる、ということは、いかに自他に犠牲を強いて、人に取り入り、蹴落とすことを必要とするのか。そんなずるさをユカは怯まず体現し、醜さを人前にさらす。ユカを取り巻く人々も、みんなずるく、醜い。それでいて、嫌なやつと切り捨てられない。一面では余裕綽々で人を惑わすものをちらつかせる人も、他方では必死で、なりふり構っていられない切実さがある(はず)だから。とても他人事とは片付けられず、もつれていく彼らの行く末を見届けたくなった。
小山田は、きっと早いうちからユカの嘘に気付いていたはずだ。けれども、似たような傷があるから(スマホを覗き見ている負い目があったから)、優しく物分かりのよい態度を保っていた。激情から彼女の嘘を暴いたとき、彼は自分の嘘さえも自身に突きつけてしまう。それは本当に優しさだったのか、と。好きだから、と相手をやみくもに信じようとするのは、目前の嘘(かもしれないこと)から、平然と目を背けることではないのか、と。
写真一枚を残し、彼は部屋を出ていく。淡々とした姿に、彼は逃げていく、と言い換えたくなった。
人は、何かから本気で逃げ出そうとしないと、前に進めないのかもしれない。