ロケットマンのレビュー・感想・評価
全396件中、1~20件目を表示
着飾った衣装から解き放たれて残るもの。
○作品全体
サクセスストーリーとその裏にある苦悩。同監督ということもあって『ボヘミアン・ラプソディ』を思い起こしたりしつつ見ていたが、ライブエイドを魂を燃やし尽くす最後の輝きの場として魅せた『ボヘミアン・ラプソディ』とは違って、『ロケットマン』は忌み嫌って置いていった自分の原石を必死に取り戻そうとするような、辛く苦しい作品として写った。苦悩を抱えながらもステージ上ではフレディ・マーキュリーとしての主人公を、楽曲とともにきらびやかに撮っていた『ボヘミアン・ラプソディ』だが、『ロケットマン』ではエルトン・ジョンとしての振る舞う主人公がそのきらびやかさに振り回されているように感じる。ステージ上でピアノを弾きながらカメラがグルグルと回るカットが印象的だったというのもあるかもしれない。自らを着飾る衣装と観客の声、ピアノの音にかき回されてしまうかのようなステージ。追い求め、手にしたはずの輝きに翻弄される姿が、スターとして生きる苦悩を想起させた。
自分の原石である音楽への純粋な気持ちに向き合うとき、ステージ上で着飾っていた衣装を少しずつ脱いでいったり、シンプルな音の世界、もしくは無音に近い世界へ進んでいく。大きくなっていく名声とは裏腹に、無くなっていく身近な愛。出てくる人物は増えていくが、主人公が信頼できる存在はどんどんと減っていく…この相反する関係性が上手く表現されてるシーンとして、豪邸で「自殺ショー」を行う主人公が水の中に沈んでシーンが挙げられる。音がほとんどない、シンプルな世界に沈んで行くが、表情は柔和だ。そして「救出」というよりも「強引に浮上させる」見知らぬ人々。名声と自分の奥底にある気持ちが天秤に測られる間もなく、スターとしての存在としての運命を決めつけられているようなシーンで、とても印象的だった。
リハビリ施設の終盤のシーンではスターらしい衣装、スターとして奏でる音、スターとしての振る舞い…自身の気持ちと天秤に測られることさえも放棄して、自分のなかにあるシンプルな音楽への気持ちに立ち返っていく。中でも精神世界の中に現れる父や母たちとの対話を経て自分自身とハグをするシーンは、何よりも過去の自分を承認することが優先されているような演出で、主人公が取り戻したかったものを実直に伝えていた。外のベンチで昔のように歌詞を受け取るシーンでは音のコントロールが素晴らしい。あれだけ華々しく人の声にあふれていた世界が嘘のように、鳥のさえずりと信頼できる仲間との会話だけが存在している。手にしたものと、代償として失ったもの。どちらを自分の意志で尊重するか、選択した上で存在する世界。「孤独に生きていく世界を選択した」と母に決めつけられたが、そこから脱却する一歩目の世界だと言える。
着飾った衣装や人々から押し寄せる様々な声から解き放たれた先には、スターのままでは気づけなかった鳥のさえずりがある普通の日常と、音楽への純粋な情熱だけが残る。朝食を片付ける皿の音を背に「僕の歌は君の歌」を作っていたあの頃のように。
○カメラワークとか
・PANワークで1カットっぽくする演出が印象的。ピアノ弾きながらグルグル回るカットもピアノが手前に来たあとに別のステージに変わってたり、車のライトをアップで横PANして場面転換したり、終盤の高級料理店でトイレから戻ってきたらぐるっとカメラが回り込んでバーニーと横位置で向き合うカットとか。『ボヘミアン・ラプソディ』ではどうだったっけな。
・スローモーションを多用していたけど、正直良いなと思えるところは無かった。冒頭のシーン、初めて歌詞が書かれた紙を受け取るシーン、LAのライブで飛ぶところ。どれも誇張が過ぎて引いてしまった。回り込みと合わせて使われていた気がするけど、それもあって誇張すぎると思ったのかもしれない。ロケットになっちゃうところとかもそんな感じ。正直苦笑交じりで見ていた。
・母へゲイを告白する、電話ボックスのシーン。告白まではボックス外から映して、母に「知ってた」と言われた後はボックス内から映す。電話ボックスが主人公の心の壁のような役割を担っていて、母の言葉によって壁を壊される、というよりも気づけば壁の内側に母が居た、というような演出に。その後電話ボックス(心の壁)を無造作に開くマネージャーのシーンはビジネスとしての関係でしかない、ということの強調に使われていた。
・ラストのPV的シーンは「I'm Still Standing」のPVのパロ的なやつなんだろうけど、演出の古臭さに見合ったカメラの古臭さの表現が面白かった。トイカメラとはまた少し違ったボケとか歪みを足していたような。
○その他
・主人公の目線。初めてバーニーに会ったときの目線のさまよい方が内気な性格を表現してて面白かった。好きな曲の話で意気投合した後は積極的に目線を合わせに行く感じとか。
・水の中の皮膚の色はかなり白色を強調させていた気がする。死との境目、みたいな意味合いだろうか。水の中っていう表現だけで自身の内なる世界みたいな表現になるけども、それに死の気配を漂わせていたように感じた。
『ボヘミアン・ラプソディ』のときも死に直面した主人公のセリフや表情が好きだったので、デクスター・フレッチャー監督の死の表現はちょっと注目したいかもと思ったりした。
エルトン・ジョンへの先入観が覆る秀逸ミュージカル
エルトン・ジョンのことを、どこかバカっぽく思っていて、シリアスに捉えられずにいた自分がいた。実際、エルトン自身が道化師的な持ち味を売りにしていて、ドナルドダックやワニの着ぐるみでライブをするような人なのだ。しかし、道化になるまでには、その人なりの事情や嗜好や歩いてきた道があるというちゃんと考えたら当たり前のことを、エルトンの曲と詞を通じてとてもわかりやすく伝えてくれるミュージカル映画だった。
伝記映画、と呼ぶにはかなり脚色されていて、曲の時系列もかなり変更が加えられている。でも、ミュージカル映画だからこその、単純明快な伝達力を最大限に利用して、ざっくりと人生のようなものを堪能できる。このアレンジ力がみごとだと思う。
監督つながりで『ボヘミアン・ラプソディ』と比較されがちではあるが、まったくベクトルの異なる作品だし、ラストが『ボヘ』のようなカタルシス満載のライブではなく、おちゃらけたミュージックビデオであることも、なんともエルトン・ジョンらしくて好きです。
これ以上ない最高の顔合わせで実現した伝記エンタテインメント!
まったく、最高の条件で映画化が実現したという他ない。「サンシャイン」でミュージカル経験済みのデクスター・フレッチャーが「ボヘミアン・ラプソディ」を経て最強となって監督登板しているだけあって、本作はライブの「宙に足が浮かび上がる」高揚感から、自宅のピアノでふと名曲がこぼれ落ちる刹那の愛おしさに至るまで、これ以上ない豪快さと繊細さの振れ幅で“生きるレジェンド”の半生を伝えてくれる。
タロン・エガートンのあまりのハマり役にも心底恐れ入った。単なるモノマネではなく、彼は文字どおり役を“生きて”いる。この感覚、歴史を懐かしむのではなく、我々もまた歴史が躍動するのを目撃していると言えばいいのだろうか。そして脚本家リー・ホールの驚きの構成力にも感服しきり。彼の筆致はまさに伝記映画の新たな地平を切り開いたと言っていい。ありったけのリスペクトを捧げながらもエンタメ精神を片時も忘れない、そんな傑作の誕生だ。
愛に恵まれなくても才能に恵まれた人間の至福
タロン・エジャトンが見た目は少し異なるエルトン・ジョンを彼らしい愛らしさで巧く造形している。両親の愛に恵まれなかった少年時代の記憶は成長したエルトンを苦しませるし、愛に恵まれないのはロックスターとなってからも同じ。でも、この世の誰かに理解され、人生を賭けるに値するビジネスと、それを全うするに足る才能に恵まれたことの至福が、エジャトンの熱唱を介して客席にまで伝播していく。それを支えるのは、近頃珍しいほどショーアップされたミュージカル・シーケンスだ。時々スキャンダラスに傾きすぎるエルトンの生き様が、音とサウンドとダンスによってショーアップされる、これぞまさしくミュージカル・ファンタジー。見終わっても、しばらく興奮が冷めやらないこのジャンルの楽しさを、本当に久々に味わった。
エガートンのパフォーマンスは圧巻だが、選曲は若干物足りない
「ボヘミアン・ラプソディ」のメガホンをブライアン・シンガーから引き継いだデクスター・フレッチャーが、またも音楽アーティストの伝記映画の快作を送り出した。主演タロン・エガートンが何よりすごいのは、劇中曲を吹き替えなしで歌い、それらが本当に素晴らしいこと。「ボヘミアン~」のラミ・マレックも好演だったが、ボーカルのトラックはフレディ・マーキュリー本人の音源が主。その点でエガートンはマレックを超えたと言っていい。
多くがミュージカル仕立てのサウンドトラックは、当然エルトンのヒット曲を網羅しているが、たとえば「キャンドル・イン・ザ・ウインド」やディズニーアニメ「ライオン・キング」の主題歌「愛を感じて」、ジョン・レノンのソロ曲に参加した「真夜中を突っ走れ」など、ぜひとも聴きたかった超有名曲がいくつか欠けている。権利関係の事情があったのかもしれないが、いちファンとして少々残念。
結構良かった。
見る前に「『ボヘミアン・ラプソディ』ほどじゃなかった」みたいな批評を聞いたので、ずっと迷っていましたが遂に視聴。
うーん…個人的にはこっちの方がまだ好きだった。
エルトン・ジョンに関しては全く詳しくないので、ディズニーの『ライオン・キング』の有名な曲作った人だっけ?程度の知識しかありません。
エロあり、しかも結構しつこいので家族、恋人と視聴は一考の余地あり。PG12なので保護者がOKすれば見られるとはいえ、ケツとオッサンの胸毛祭りなので小学生以下の子供にはちょっと躊躇するかも。
『ボヘミアン・ラプソディ』もそうだったけど、ゲイフォーカスのエロシーンがめちゃくちゃ長い。
いや、マジでそこはどうでも良い…いや、この年代では同性愛者への差別意識は今より相当酷かっただろうから、人生への影響は絶大だろうし、もちろん創作へもかなり影響してるだろうからどうでも良くはないんだけど、それにしてもエルトンが「男と見れば誰彼構わず色目使ってた」ように見えるレベルで会う男会う男に惚れる。
いや、そこまでじゃねーだろ。いや、そこを切り取ってるからそう見えるんだけど。それにしてもしつこい。いや、確かに人生を1作品にしたらこうなるんだろうけど…と何度も頭の中をグルグル。
もっとマシな撮り方があったかと言われたらわからないけど、とにかくしつこい!
『ボヘミアン・ラプソディ』と同じで、人生のハイライトを2時間に纏めたらそりゃこうなるのはわかるんだけど、何歳の時に何があったとも表示されず、どのくらいのスパンで誰と出逢ったのかがよくわからず、色んな男に入れ代わり立ち代わり色目使ってるようにしか見えないのが残念。
エルトンの禿げ進行具合を見て、何年か経ったのかなーと察する程度。禿げ具合で推し測らせるなよ。
マネージャーのスカした胸毛野郎が、もう出てきた瞬間からクズ感丸出しで、コイツ絶対嫌な奴なんだろうなーと思って見てたら案の定クズを丸めて人型にしたかのようなクズで笑った。まーいますよ、こういう奴は。
朱に交われば赤くなるというが、胸毛野郎と関わってからのエルトンはもう、堕落の一途。人から見れば成功の一途を辿っていても、人生は、人間性は、良くなってるとは限らない。
タロン・エジャトンは流石の歌ウマで、『ボヘミアン・ラプソディ』とは違い、全曲彼が歌っているそう。エルトン・ジョン本人も絶賛したとかで、お墨付き。
子供時代を演じる子役が何度か出てきますが、この子達ももちろん歌ウマ。
実はエジャトンの前に起用されてたトム・ハーディは、歌わせたら下手すぎてボツになったそう。不憫。
エジャトンの言外に(恋愛的な意味で)興味を持ったことが伝わる演技がまた上手い。目線から、相手に気があるんだろうなとか。何と言うか、仮にトム・ハーディだったら、この繊細さを表現できてたんだろうかと失礼ながら思いました。もっと下品になっていたような気もする。失礼ながら。
両親はカスだったけど、結局のところ全体を通して人には意外と恵まれてたんだよな。
祖母、作詞家の友人バーニー、最初のマネージャー…ピアノの先生も音楽学校もまともだったようだし、母親もカスではあるが、少なくとも音楽の才能を否定せず、有名になる前のしがないバンドマンだったエルトンをちゃんと見に来ていた。だからエルトンも、ずっと関わりを持ってはいたんだろうな。僅かでもそこに愛があると信じて。
母親は、本人も父親に嫌味で言っていた通り、カスなりにエルトンのことをちゃんと見てはいた。だからエルトンがゲイだってことも本人から言われる前に知ってたし、なのに本人から言われる前にそれを理由に嫌なこと言ったりもしてない。どういう感情なのかはいまいちよくわからないけど、少なくとも父親と違って親としての自覚はあったのかなと。
マネージャーが胸毛に変わってからのエルトンは調子に乗り(というか調子に乗るよう唆され)、アル中、ヤク中で内面はボロボロ、遂には「一緒に休もう」「助けを求めて良いんだ」と言うバーニーにも「僕を裏切った!」とか言って攻撃的に振る舞い突き放す。世の逆恨みってこうして生まれるんだなとわかる見事な例。
バーニーがクソほど良い奴過ぎて、胸毛のクズさがモロに際立つのがキモ。
バーニー、「俺は歌ヘタだから…」と断ってたのにラストで急に歌いだし、普通に歌えてて笑ってしまった。
多分エルトンは、バーニーのことが一番好きだったんだろうなぁ。バーニーがゲイではなかったから、どうあっても結ばれない絶望感から胸毛に走ってしまったのもあると思う。
しかしこういう人達って、アル中、ヤク中でもステージではちゃんとできるのが凄い(実際できてたのかは知らないが)。根っからの天才はやっぱ違うのかと思い知らされると共に、天賦の才があっても結局のところ、人に恵まれ、自らの人柄も良くないと、幸せにはなれないということも思い知らされる。
両親がカスで、生まれが悪くても、その後の環境が恵まれていれば立て直せるんだろうけど、そこには胸毛みたいなクズも混じっていて、そういう奴こそ不幸な人間を口車に乗せるのが上手い。そこに乗ってしまったら、ギリギリバランスを保っていた人生もそこから崩壊していく。
生まれが悪い人生は、ピサの斜塔みたいなもんで、その後きっちり管理して大事にすれば、人とは違っても輝ける可能性は十分ある。
でも、人より傾いてる分、人よりしっかり自分を理解し大事にしていかないと、徐々に傾いていずれは倒れる。
斜塔に大量の人は乗せられない。
誰を乗せて、誰を乗せないのか。
それをきちんと管理することを教えてくれる誰かに出逢えるかどうかで、人生が決まると言っても過言ではないのかも。
ラストの締めが素晴らしくて、『ボヘミアン・ラプソディ』とはここが決定的に違う。
しかも、イルミネーション社のアニメーションミュージカル映画『SING』でタロン・エジャトンが演じたキャラが歌っていた"I'm Still Standing"を最後の曲に持ってくるのがまたアツい。
ラストに何故かクソダサMVを流してEnd。エルトン・ジョンのセンスをよく表してると言えば良いのか、これは。知らんけど。
成功した男の光と影
ワットフォード
忘れない為にレビュー
本格ミュージカルを伝記仕立てでどうぞ
オープニングから「ウェストサイド物語」ばりのミュージカルで、度肝を抜かれたと同時にワクワクしたよね。
背景とか、周りの人たちが古い写真のように色が抜けていて、一瞬で「ああ、これは過去なんだな」とすんなり受け入れられる演出は最高。
タイトルにも書いた通り、「ミュージカル」というベースに「エルトン・ジョンの半生」という伝記要素が加わったのが本作の色だと思う。
時系列にとらわれず、ストーリーに対して一番「ノッて」くる選曲なのも良かったし、主演のタロン・エガートンが実際に全部歌ってるから、ミュージカルスタイルに完璧に馴染んでたのも良かった。
あんまりエルトン・ジョンに詳しくないから、観る前はやや不安な部分もあったけど、最終的に素晴らしい映画だったよね。
エルトン・ジョンの90年代くらいまでの人生が描かれているわけだけど、「愛」をテーマに「自分語り」をするエルトン、っていうスタイルが破天荒。
セラピーの教室で「えっ、こんな事聞いちゃって良いのかな?」みたいな気持ちを抑えつつ、エルトンの話を聞いてるみたいな。そんな感覚があったよね。
私自身、「自分を愛せない人は、他人からも愛されない(あるいは愛されていることを受け入れられない)」と確信してるから、エルトンがレジー(本名)をハグしてあげられたとき、「これでやっと愛してもらえるんだ」と思って胸が詰まったよ。
複雑な少年が、愛を求め彷徨って、傷ついて、時には自ら愛を手離して。そんな繰り返しの中で、静かに自分と向き合い、自分を愛するチャレンジをしたからこそ、他人にも受け入れてもらえる。
すでにスキャンダルとして知られていることとは言え、まだご存命なのにこんな赤裸々に映画化しちゃう胆の太さに脱帽。
でも、それこそエルトンが「自分を愛せている」証明なのかもしれない。
エルトン・ジョンという人物を通して、あらゆる形の愛を「尊い」と思える、素敵な映画だった。
ついでにプラスして。
エンドクレジットで映画の中の衣装と、実際に身につけていた衣装を比較・堪能出来るんだけど、あのアホみたいなぶっ飛び衣装(とメガネコレクション)を忠実に再現した制作側のエルトン愛。
うち何個かは本物よりクオリティが高いぞ!
衣装もこの映画の見所の一つかな。
キングスマンでタロンが好きになり
エルトンジョンを全然知らなかったこの僕が、この映画を見るきっかけはタロンエガートンのファンだったので観ました。いまでは彼の曲が大好きです。キングスマンでの彼はかっこいい以外の言葉が見つかりませんが、この映画ではエルトンの生涯をなぞっているので、途中から特殊メイクにより、彼の頭がはげたり、シワが入ったりします。そこにはタロンの面影を残しつつも、若かりし頃のエルトンにそっくりです。彼の演技は最高で、またタロンの歌声はものすごく上手でこの映画のcdもでていたり、サブスクやyoutubeでもあの歌声が聞けるのは幸せです。そしてエルトンが生きているからこそボヘミアンラプソディーとは違い、エンドロールにタロンとエルトンのコラボ曲が流れるのも良い点です。映画のストーリーは、ひどい両親のもとに生まれ、孤独な男だが、強く生きていくという物語である。作曲家のバーニーとの出会いもまさに奇跡であり、彼は「エルトン・ジョン」を演じ続ける。
才能があっても愛に恵まれず
全396件中、1~20件目を表示















